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      平成28年版 東北・北海道   の      TOP
 東北自動車道を仙台宮城IC で ON しまして、蔵王PA で休憩。その後南下して 郡山 JCT で 磐越自動車道に入る。ここから 新潟中央 JCT で北陸自動車道を通り、大阪まで帰りました。

 これには何点かの理由があります、まず距離は少し遠くなりますが、東京首都圏を通りませんので時間的にはこのル−トの方が早いと思われます。次に東京首都圏の通行道路が馴染みなく分かり難いことがあります。それと写真のように磐梯山などの景色を楽しめることです。最後にカ−ナビは、郡山の手前で磐越自動車道を通るように指示します。思えば、平成22年の東北・北海道旅行の時にこのコ−スで帰えりました。

 北海道や三陸では、あれほど天気に恵まれなかったのに、大阪に近づくにつれて晴天の熱い帰途に、何かもどかしさを感じないではおられませんでした。

 しかし、その後に台風10号など挟み、東北地方への上陸と、北海道への上陸に甚大な被害を被ったこの時期、予定を早めて帰宅したことに、如何ほどかの安堵を覚える旅でした。
 
 平成28年8月22日  総走行距離 5,288 km
 
 陸前高田市から、海岸沿いに国道45号線を仙台市の方向へ約50kmに「南三陸町があります。

 そこには、東日本大震災の折、津波に押し流される「南三陸町の防災庁舎」が報道で目にしました。あまりにも悲惨な出来事は忘れることができません。

 いま、写真のように盛り土に囲まれて当時の地形を伺うことはできません。今回岩手県と宮城県の海岸添えを訪れてみて、どこも多少の進捗状況はあるけれども、復興のための土木工事の最中という感じを受けました。一つの町毎に腰をおろして拝見したのではありませんが、少なくとも車の中から見受ける様子にはその様に思いました。個人の家の建て直しとは行きません、隣同士、町、市、県、国という具合に手順を踏み、気が遠くなる程の手続きを経ての復興町づくりです。   

 写真の防災庁舎も、防災起点であるが故に、更に難度の高い壁を越えての解決策が求められます。「見世物にしていいのか。 災害を風化させないモニュメントに。」簡単にはどちらに軍配を上げるわけにはゆきません。いつかは又、三陸地方に来てみたい。
 平成28年8月20日

 
 「 いっぽんの松 」
 波がさらった 七万本の   陸前高田の松原に
 いっぽん残った松がある   もいちど故郷作ろうと 
 戻る人達迎えるために    残った祈りの松がある

 東日本大震災津波は、約350年前から先人達が植林をして、後々に至るまで市民の手で守り育てられてきたという。この約7万本の松が国の名勝に、又 陸中海岸国立公園に指定されてきました。

 平成23年3月11日の津波によって砂浜の大半が焼失して、その後には多くの松の根のみが残されていたという。その中にただ一本の軌跡の松が残りましたが、自然には勝てずに海水などの影響を受けて枯れてしまいました。この松を市民が、そして日本全国のみならず世界からの支援によって 「鎮魂・復興」の象徴として造形されて元の場所で立っています。この日も大雨の中、多くの人達が一目見ようと訪れていました。

 一本松の後方には、震災で全壊した陸前高田ユ−スホステルの建物が、当時のままの姿で残ります。

 

 青森港から、東へ。国道4号線を通りまして、青森県を抜けて岩手県へと進みました。そして花巻市から4号線を離れて、花巻街道と遠野街道を通り、大船渡市へと入りました。

 折悪く大雨の降る中で、車の中から町の様子を伺うほか仕方のない日でした。

 止むことのなかった雨も、陸前高田市あたりからは少し小康となり、大震災の資料館を見学することができました。

 写真は、津波に押しつぶされた「旧道の駅 高田松原」で、外壁は姿を保っていますが、内部は壁も何もかも波に持っていかれて、ありません。
 台風7号が日高山脈の東を、つまり十勝平野を通過するのか、又は西側を通過するのかを見極めようとするが、全く見当がつかなくなる。ならば5号、6号が東よりのコ−スを取ったので、この2〜3日では東寄りと自分で読み、この日に帯広の北にある音更町から日高山脈を越えて、馴染みのある占冠へ進む決心をする。
 帯広の南部にある幸福駅に記念の札を買いたくて、音更町から20kmほどを南下した。この時の降雨は半端なものではなかった。TOWN ACE もボ−トのように雨水を跳ねていた。幸福駅では大雨にもかかわらずに大勢の観光客で賑わっていた。やはり若いカップルが多かった。

 いつもならばここから南下して襟裳岬へと行くところではあるが、台風7号が襟裳を目指しているので、こちらは一旦北に戻り、国道38号で狩勝峠を超えて占冠村へと、やって来ました。ここで7号をやり過ごすつもりである。
 平成28年8月16日
 北海道旅行する者には、特にバイカ−には知らない者が無いという有名な、羅臼の「熊の湯」の露天温泉です。
 羅臼の漁師さんが漁の疲れを癒す為に多く来られます。もともとその漁師さんたちが作られた温泉です。 大量の清流が流れる川の端に90度くらいの湯が沸き、それを川の水と混合して丁度よい加減の温度としていますが、ここはとにかく熱く、初めて訪れる人はまず湯の質もありまして、なかなか中にははいれません。
 湯船は20人くらいが入れます。対岸の国道わきに車を止めて、多くの人が湯を楽しんでいます。この国道は、羅臼と斜里を結ぶ知床横断道路の知床峠の羅臼側にあります。
 平成28年8月8日  (家から羅臼  2,948km)

 900草原の麓に、「亀の湯」という公衆浴場的な温泉があります。200円という格安であり、草原で車中泊して麓で温泉に入るという結構な日々でした。

 またここは摩周温泉の系列で、大変静かで、ゆっくりとするいい所でありました。

 

 900草原から、ほぼ東を向けば写真の TOWN ACE の後方には地平線が見えます。この方向には標津の広大な平野があり、さらにその先には、左には国後島が、また右には根室市と歯舞群島が位置します。しかし、この 900草原からは 150km以上の距離があるかと思います。

 今、日露関係が少しは好転しているのか、盛んに北方領土返還に関するニュ−スがとりあげられていますが、どうか我が国内だけの思いだけではなくて、ロシア側にもその気になってもらいたいと、道東から間近に見える島々の返還を強く願わずには、いられません。
私が今回の旅で目的の一つでありますアマチュア無線の運用についてですが、7月24日の函館上陸以来、美深から女満別への移動日以外は風雨の日が続きまして、用意した Radix のアンテナを揚げる時がありませんでした。やっとこの「弟子屈町 900草原」でこの写真のとおりにアンテナを設置できました。
ここでは今回の目的である 8J3SP/8 の運用も楽しくできました。 
 平成28年8月4日

 今回の平成28年の旅に於いて、今までの旅では知り得なかったポイントとして、写真の「弟子屈町 900草原」があります。
8月3日に、地元の S さんに教えていただきまして、すぐに900草原まで車で先導してもらいました。弟子屈町の中心地から南に約4キロメートルのところに位置していまして、すり鉢を逆さまにしたような高台になっています。360度ぐるりと見渡せる最高の場所です。ちなみに、900は キュ− マル マル と言うらしいです。
北方向には、摩周湖を抱きます「摩周岳」が写真のように見えます。この方向の真下には弟子屈町があり、またこの草原はもともと町営牧場として開発されたように聞きます。現在2300頭余りの乳牛が飼育されています。
また、草原のパークゴルフ場は、4コース36ホールという広大で、この日も遠く九州地方のナンバ−を付けたキャンピングカ−等、10数台のゴルファ−が集まっていました。
 平成28年8月4日

 阿寒国立公園の道東3湖の真ん中に、屈斜路湖があります。その屈斜路湖に和琴半島がありまして、ひこに「和琴野営場」があります。その野営場ですが私が今回の前に行ったのは平成24年のことでありまして、その年の8月末で一旦野営場は閉鎖されました。そしてその2年後にリュ−アルされて現在営業されています。しかし今は車の中で泊まる者向きには利用し難く、テントを張る者の利用向きとなっています。車向きのスペ−スも確保されていますが数がすくなく、大変高額な利用料金体制とされています。
 私は、平成24年の折には、どこにも寄らずに家から直接にこの和琴野営場へと入り、一か月をここで過ごして直接に家まで帰りました。
 ここには、写真に写る露天風呂がありますが、(後ろは屈斜路湖) そのほかには何もないところでして、その反面として北海道でただゆっくりと過ごしたいとい者には、大変ありがたいポイントでありました。
 いまも、小さな子供さん連れには手軽なキャンプ場や旅館もあり賑わっていますが、昔を知る者には少し居ずらいポイントとなったように感じます。
 平成28年8月1日
網走市から北見市の方向へ10km余りに、網走郡大空町という町があります。その国道39号線沿いに「メルヘンの丘女満別」に絶景の撮影ポイントがありまして、撮ったのが左の写真です。
 国道の歩道エノアを少し広げて撮影場所を設けられています。
 手前から見える木までは、なだらかな上り傾斜の麦畑でありまして、刈り取り時期が異なり、従いまして麦の色も、いわゆる麦色から濃い緑までの3種類の色でした。この撮影の時には光が遮られて麦の色がうまく写り込まず、それならばと左の写真のようにとモノト−ンとしてみまみました。
 撮影場所には、このアングルで写真家による四季の作品が並べられていました。 芸術は全て模倣からとは言いますが、ぱっと行ってすぐに撮れないのも写真です。
 平成28年7月31日
 「美深アイランド」には、レストランや温泉設備が、そして大野外ステ−ジ、パ−クゴルフ場、周囲が1km程の池にはカヌ−練習場などがありまして、管理棟には自転車が用意されていて、歩いて回るには遠すぎる面積があります。
 「美深アイランド」のキャンプ地は、北海道の中でも、居心地、景色、便利さ、地デジが写る、利用料金安く一泊当たり300円、サイトが自由で広い、炊事場が綺麗、等でお気に入りです。難は徹底したゴミ分別の励行が強いられ、買ったゴミ袋で管理棟へ持ち込む際にも厳しい検査をうけなければなりません。まぁ始めの申し込み時に十分に説明は受けますが、ゴミの見解で意見の分かれる場合が多々ありまして、その都度に袋を広げてやり直しなんてことがよくあります。管理が行き届いていると思わなければなりませんね。
 ほかに広大な施設の面積は他に例をみません。写真の左が管理棟です。キャンプサイトはこの奥に広がります。だいたいこの美深には、10日間ほど居座りますが、今回は2日間のみで先に進みました。
 平成28年7月29日
 S さん家から宗谷岬までは、約30km程です。過去の TOWN ACE の旅では、平成24年の折には宗谷まで来ませんでしたが、いつもは北海道に来たならば「宗谷岬」には寄ってみたいと思うのです。
 写真の様にモニュメントがありますが、他には土産物屋があるだけ。それでも私の心には、「宗谷」という音の響きが頭の中に焼き付いて色あせることのなく残っています。敢えて言うなら子供と大人の境となる青春期の昭和31年に、我が国のプロジェクトとして第一次南極観測隊が、戦後復活の旗印として敗戦国の中で、真っ先に南極での越冬を敢行したことです。そしてその大役を果たしたのが、南極観測船「宗谷」であったのです。山登りや、現在で言う、アウトドア−に強く興味を抱いていた頃の象徴が「宗谷」であったのです。
 平成28年7月29日     (家から宗谷岬  2,115km)
 稚内市の S さんとは D-STAR でデジタル通信網を使った交信を何度かいたしております。今日は午後に稚内市に到着して、D-STAR で呼び出しをしまして、その後に 430 MHz帯 FM へ QSY しまして S さん宅を訪問することになりました。写真で見る通りの立派なシャックを現在もアクティブに運用されています。JA8 コ−ルの超 OM さんで、かつては DX の強者でした。
 8エリアの気候についてや、アマチュア無線事情を詳しくお聞きしました。
 何度かの北海道でも、稚内市で個人のお宅を訪問するのは初めてのことでありまして、大阪から遠く離れた地に、知人が出来たことを大変嬉しく思っています。
 平成28年7月28日

ニセコ積丹小樽海岸国定公園の日本海側道路を、せたな町から積丹岬方面に進むと、原子力発電所で有名な「泊村」があります。平成19年の旅では原子力発電所を見学しました。今回はここをスル−して進むこと数kmで泊村と神恵内村の境があります。その境の手前に積丹岬方面に向かって右側に進む急な坂があります。これをしばらく上るとホテルがあります。
右の写真は、日本海を背に撮ったものですが、ホテルからは日本海を一望できる素晴らしい景色が広がります。
この国定公園の中には地図を広げて見ても数多くの温泉が点在します。まだまだ北海道旅行も始まったばかりで、看板を見る度に湯に浸かることは出来ませんが、この日も丁度いい具合に入浴の時となりました。
 平成28年7月26日

ここは鹿部温泉という温泉郷で「鹿の湯」と「吉の湯」という二つの温泉旅館があります。
北海道に来るときは、いつも決まったように函館港から国道5号を北に40km走って、森の交差点を東に鹿部道路を10km程にあります、「つど〜る・プラザ・さわら」という道の駅にまず車をとめます。ここで旅支度を整え直して先に進みます。
なお、この道の駅には、普通車が三台ほどが使える庇があります。以前にここで3日間ほどの雨が続いて先に行く気になれずに、この庇の下で雨が止むのをじっと待ったことがあります。全体的には非常に小さい道の駅であり、利用者も少ないのですが、思うに函館港のフェリ−に時間調整する大型トラックカがよく利用する様で、そのトラックが夜通しエンジン音を響かせるのが難であります。

この道の駅から恵山の方に約20kmに鹿部温泉があります。過去に何回も、その鹿部温泉を探しに行ったのですが、所在が分からずでした。そして今回は何としても探し当てようと心に決めて、行ってみると、何とその所在地付近には、海側と山側に二つの道路が平行して走っていて、温泉は海側の「国道278号恵山国道」添いにありました。今まではいつも新しく山側にできた「鹿部道路」上で探していたのです。

この温泉は、本当にすぐ海辺にあり、湯船は10人くらいの小さいものですが、それなりに趣向を凝らしていています。湯はサラッとしていて、疲れを癒すのに向いたいいものです。
 平成28年7月25日
 TOWN ACE (我が旅車) の先に、「大函丸」が見えます。そうですここ下北半島の北端にある 大間の港 が一新されまして前回平成24年には、ば-ゆ丸(?)だったフェリ−も、タ−ミナルの建物も見違えるほど豪華に変貌されていました。船の積載量も大幅に増しているようです。車の置かれる階から船室がある階まではエスカレ−タ−も完備されていました。
大間から函館までは約90分ぐらいの船旅でありますが、程よいエアコンの具合で、ほっとする一時となります。一方函館港は平成24年にはすでに改装がされていました。この様子からしても今後とも青森・函館間は、鉄道はトンネルが新幹線も含めて完備されていますので、貨物自動車と車の関係はフェリ−という時代が当分続くかのように思いました。
 また、大阪から北海道への交通費の概算は、TOEN ACE の場合で燃料代・高速道路通行料・大間からのフェリ−を合計すると、約46,000円です。それを敦賀から小樽の間をフェリ−を使えば 35,900円となります。
 しかし、以前には敦賀からフェリ−で行くには、犬の権太郎が大型犬で乗れませんでした、そして今回は所々方々での無線運用する目的がありました。したがって迷うことなく陸路を大間までいつものように進みましたが、もっと言うならば自身が TOWN ACE を運転して景色を楽しむのが、最大の歓びであることは言うまでもありません。  (家から大間 1,251km)
 平成28年7月24日
 いつものように、家族に見送られて出発します。大東鶴見から久御山JCを経て瀬田東へ、そこから名神高速で米原まで行きます。ここで高速道路は北陸自動車道と名が変わります。毎回すっきりと姿を見せない伊吹山が今回は珍しくその全景を楽しませてくれました。まだこの辺りでは、さしたる旅気分にはならないのでありますが、やがて福井県も通過して加賀の字が見える頃には、俄かに頭の中で石川県と気づき遠くまで来たなと思うのであります。
石川県に入り、加賀 IC を過ぎると「尼御前」という SA が出てまいります。そこでいつも決まってちょっと長い目の休憩を取り、これからの長旅に備えて、ふんどしの締め直しをするのが「尼御前SA」です。
今回も、車を止めて飲み水とカメラを手に、SA を抜けて松林の散歩道を海の見える方向へと足を運びます。そこには左の写真の通りの尼御前像が出迎えてくれます。軽く手を合わせて旅の無事をお願いします。
 尼御前はこの岬からも見えます「安宅の関」を間近いひかえて、安宅の関の取締りがものすごく厳しいということがあり、そこで尼御前は義経の足手まといになることをおそれ、義経の無事を祈ってこの近くの岬から身を投げてしまうのです。
 義経が安宅の関を通る際の出来事は、歌舞伎の「勧進帳」という演目になって弁慶の働きを称えられています。

 尼御前像の先に日本海からの涼しい風が通る東屋があります。ここで何年か前にウトウトと本当に眠ってしまい、犬の権太郎に起こされたことを思い出していました。今回は一人旅であります。
 平成28年7月21日



 
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