ちょっと小話コーナーShort Story
ご感想やご意見は、掲示板で待っています。

第470話 千載一遇
第471話 枯れ木も山の賑わい 第472話 シルバ−川柳
第473話 背番号19野村克也 第474話 分相応に風が吹く 第475話 君子は和して
第476話 そもそもから 第477話 開いた口へ牡丹餅 第478話 張り子の虎
第479話 よすぎて鳥が啼く 第480話 目に青葉 山時鳥 初鰹 第481話 蕎麦の花も一盛り
第482話 朝顔の花一時 第483話 鳴く蝉よりも、 第484話 老の恋
第485話 人を呪わば穴二つ 第486話 地震の時は 第487話 旨い事は二度考えよ
第488話 山中暦日なし

第489話

山椒は小粒でも 第490話 他力本願
第491話 四角な座敷を 第492話   第493話  
           
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 第491話 四角な座敷を

令和 2 年 11 月 15


四角な座敷を丸く掃く

おおよそ私が四角な座敷を掃除するならば、先ず四隅から仕事を始める性格であります。四隅を箒で真ん中に掃き寄せて、徐々に円を狭めて最後に一点に塵を集める。逆に折詰め弁当を食べるとすれば、あまり好物でない物から食べ始めて、最後に一番好きな物を食べる。

このようになさねばならない仕事なら、難儀なところから始めます。後は段々と楽に事を成すことができるのです。これもスポ−ツの場合には、入り口では精一杯に飛ばさずに、体や向かう精神力の高揚を十分に良い状態にアップしてから全力を出し切るのが得策かと考えています。

さて、今回のお題は、四角い座敷を細かい所まで注意しないで、真ん中だけを丸く掃くようなやり方では、4つの隅に、ほこりを 残したままとなり、十分な掃除ができていない、ということから生まれた諺であり、 楽をしようとか、なまけ心で仕事をしても、充分ないい仕事は出来ないというものです。

細かいところまで注意をくばらず、横着をきめこんで神経の行き届かぬいいかげんなごまかし仕事をすれば、いつまでたってもうだつがあがらない人間になってしまいます。

しかし、それが全て悪い事と決めつけることも出来ないとの考えもあります。それは真ん中だけを丸く掃く者の性格からくる、いわゆるその場しのぎの勝手良さというか、よく言えば臨機応変な対応に長けているのではないだろうかと思われます。

世の中は、四角からと、真ん中を丸くの二手が居るからこそ、いい塩梅に成り立つものであります。背が高い人と、低い人。または肥えた人と、痩せっぽち。これらは誰の目にもよく見えますが、四角と真ん中は一見では目に見えません。

この様に、人の世にはそれぞれ性格や考えの異なる趣があればこそ、近い将来に「人生100歳」時代が来ても、何と無くか、又は快適に生きていけるものではないでしょうか。


 第490話 他力本願

令和 2 年 11 月 1


他力本願

諺を主にこのサイトを進めて参っていますが、中には諺の意味する、または言おうとする向きが時には真逆になったり、少なくとも懸け離れたりしているものも、時には見受けられます。

例えて申せば、京を出発点として江戸に向かったはずの旅人が、いつの間にやら越後に着いて、挙句の果てには佐渡島に渡ったという具合に、元の意図した方向とは異なるものもあります。

最近の言葉使いにおきましても、「ぜんぜん」についてテレビのキャスタ−あたりが、「ぜんぜん美味しくいただきました」なんて言っているのを聞くことがあります。ぜんぜんは後に否定語に続くと認識しておりましたが、今ではそうでもないようである。 

そうであれば、今回のお題にしましても、何も取り上げて言うほどの事でも無いかもしれませんが。

前置きが長くなりましたが、「他力本願」の現在での意味は、他人の力をあてにすることです。自分の力ではなく、他人の力によって望みをかなえようとすることを表しています。自分で努力をしないで人任せの意味合いが含まれます。

こういう依存主義で、自分以外の力にたよって、楽をして目的を達するようなことを他力本願と呼んでいるようです。

他力本願は、日常会話におきましてもよく使われていますが、本当は一般的に使われている意味とは違ったものなのです。では、「他力本願」の本来の意味はどうかと考えますとおおよそ次のようなことになります。

これは本来の宗教の道からすれば、決して他人を頼ってずるい事をしているのではなくて、、阿弥陀如来の本願の力によって極楽往生を得ることであります。

他力というのは、自分の力ではないということですが、それでは誰の力かと申しますと、これは阿弥陀如来の本願力の力であります。他力とは、阿弥陀如来の力を借りることであり、本願は阿弥陀如来の願いによって信者が仏になろうとする願い叶えてやり信心する人々に極楽往生を得るようにしてもらう事

とされています。つまり他人の力で本願をなすものではなく、阿弥陀如来の慈悲による施しを受けることなのです。

阿弥陀如来について、なんの勉強もせずに、思いのままを綴りまして誤解や意の尽くせぬことを、最後にお詫び申し上げます。

 


 第489話 山椒は小粒でも

令和 2 年 10 月 15


山椒は小粒でもぴりりと辛い

昔は一軒の家には一本の山椒の木があったように思いますが、今でも我が家には小さいけれども庭にあります。山椒は普通には実が用いられますが、私は葉をさしみにあしらったりして食べるのが好きであります。

山椒の若葉は、木の芽と言われて香りがよいので、香味料や佃煮にすることもあります。薬草としての効果もあり、毒虫に刺されたときには生の葉を揉んで擦り付けると良いと言われています。

さて、山椒は小粒でもぴりりと辛いの意味は、小柄の人を指して体は小さいけれど、意志が強く、鋭い気性や優れた才能があり、非常に優秀であり、あなどることのできない人の例えとされています。これは 山椒の実は小さいけれど非常に強い辛みを持っていることから由来しています。

この諺の生まれた当時には、我が国における成人の体格は現在に比べたらかなり小さかったと思われます。それが生活環境の上向き変化と、摂取する栄養価の上昇で見違えるほどの大型化されています。

特にスポーツ界に於ける体格の発達は諸外国のアスリ−トと遜色のないほどに成長してきました。

しかし、世界の産業界に目を移せば大型化ばかりでもなく、特にエレクトロニクスの世界に於いては、留まる事の無いハ−ドウェア−の小型化が進んでいます。

現在も、これから向かう先にも我が国が世界の最先端技術の最も得意分野に於きまして、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」精神の許で、世界のトップを走り続けてもらいたいと思います。

 


 第488話 山中暦日なし

令和 2 年 10 月 1


山中暦日なし

そろそろ夜の長さを体が感じる頃となりました。これからの季節は静かに夜を楽しむ絶好の時期かと思います。

そして、山中にて木の実が落ちる音の以外には何も耳から入る音も無い境遇に身を置いて日々を送ることが出来れば、どんなに心が洗われることだろうかと誰もが憧れる夢空間かと考えられます。

ABC テレビで、日本各地の人里離れた場所に、なぜだかポッンと存在する一軒家を探し、そこには、 どんな人物が、どんな理由で暮らしているのかを、 衛星写真だけを手がかりに、 その地へと赴き、地元の方々からの情報を元に、一軒家の実態を徹底調査しながら、その実態を映し出します。

多くの視聴者は、それぞれ自分の想いを抱きながら興味深く見ていることと思います。おそらく人は山中暮らしに憧れながらにも実際には叶う事のない夢世界をテレビ画面に求めていると思います。

世間付き合いが苦手というのか、何か心に傷を負ったものかとも思いますが、そのような軟ではとても山中暮らしには精神的に無理です。世間で通用しないぐらいの理由では、とても山中の孤独には耐えることは到底できるものではありません。

ゴルゴ13が墓穴に埋められて、じっと耐えて、反撃の一瞬を待ち受ける忍耐力。また、映画「眼下の敵」で潜水艦の駆動系をすべてオフにして、じっと攻撃の一瞬を模索する艦長。このように人並みはずれた超精神力が必要です。

長い髭を風になびかせながら、霞を喰って暮らす仙人も、これまた凡人には真似のできない生き方であります。

山中で、自然に囲まれてのんびりと暮らし、俗世間とは無縁の生活をしていると、月日の経つのも忘れてしまうと安易に考え、たまには一か月くらいの休みをとって、山中暦日なしの生活をしてみたい誰でも思います。

が、しかし本当に山中が誰にでも居心地の良いものであれば、狭い日本の山地には、いたる所に山肌が見えないくらいに、ログハウスやテントで埋め尽くされていることと思います。

 


 第487話 旨い事は二度考えよ

令和 2 年 9 月 15


旨い事は二度考えよ

今にして、じっーと考えて思い出しても、自分には大きな旨い事や、旨い話は全く無縁であったように思います。しかし此れが普通に生きて来た人間の生き様であるのかも知れません。

して、旨い事に出会うというのはどのようなことなんだろうかとすれば、金銭絡みの話なのか、博奕の賽の目を教えてくれるのか、或いは色事絡みなのか、腹一杯旨い物を食わしてくれると言うのか。それこそ計り知れない事物があります。

その旨い事には、一日千秋の思いで待ち焦がれて成就するものもあれば、ある日突然に棚から牡丹餅が落ちてくる事もあります。

しかし、 自分にとって好都合だと考えられる事があっても軽率にそれに飛びついたり実行してはなりません。一呼吸してから、或いは一晩よく考えた上で決めるのがよいということであります。

旨い話には往々にして裏があり、危険が伴ったりしますので、旨い話には充分に検討して、慎重に臨まなければなりません。

今のオレオレ詐欺は、この旨い話とは異なりますが、オレオレ詐欺の出現前には、株式の売買や金の売買が一般的な詐欺の踊り場でありました。また、主婦の臍繰りを上手く搾り取るのも、新聞紙上でよく報じられていて、その事件が忘れられる頃には、必ず新しい手口で詐欺が繰り替えれていました。

そう言えば、オレオレ詐欺が巾を効かす世となってからは、いわゆる投資詐欺が減ったように思いますが、これは私の思い込みでしょうか。まぁオレオレ詐欺に騙される被害者は、一般的には息子とか孫をかばいたい一心から騙されるのでありますが、投資詐欺に騙される方は、恫喝や脅迫に屈することもあり

ますが、元は騙される方にも欲ボケに走ったことも否定できません。

大きな損得話も当然でありますが、日常の生活の中にも、よく旨い話は存在します。その時には「無理やなぁ」とか「あかんわ」と気軽に断れる話も、時がたつにつれて、夜も寝られないほど重荷になる話があります。

話の始めには、旨い話と感じれば、軽く引き受ける事がないように常に気を付けるように、習慣付けるのが肝心であると思います。

 


 第486話 地震の時は

令和 2 年 9 月 1


地震の時は竹藪へ逃げろ

防災の日をキ−ワ−ドに検索を掛ければ、種々の防災関連のサイトが出てきます。本日は、9月1日 防災の日です。

検索結果の中から一つ引用させていただきますと、「防災の日とは、「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する」 こととした日本の記念日とあります。

毎年9月1日の防災の日を中心とし、8月30日から9月5日までを防災週間として、防災訓練などの国民活動が行われます。令和2年の防災週間は8月30日(日)から9月5日(土)まで、防災の日は9月1日(火)とされています。

この、一年に一回の防災訓練は、いざ鎌倉にあってどれほどの効果を発揮できるかは未知の域へとしつつにも、国民・住民にとっては常に災害に備えての認識を持つことが何よりも大事なことと思います。

しかし、現在は防災に関して耳を傾けようとしても、入ってくる情報は、ホ−ムペ−ジや SNS という具合に、大勢の国民・住民には乖離した情報伝達手段の多いことに目を向けなければなりません。

これも、そういう手段で出来るだけ広くに情報を拡散するには、当然 IT に頼らざるを得ないことは分かりますが、それらによって知り得た情報を、素早く IT に縁の薄い例えば高齢者などに隅々まで行き渡る、きめ細かい網の目体制作りこそ大事かと思われます。

分かっていても難しい社会の構築は、先ず防災の日に、一人でも多くの方々に積極的に防災訓練にご参加頂くことと、体力的に参加の難しい人々の耳に、寄り添って例え防災訓練の実施内容の語り話でもよい、広く防災意識の伝達こ務めることが望まれます。

つい先日に新聞紙面で目にしたところでは、 全国災害伝承情報は、各地域に残る貴重な資料を、国として整理集約し、広く一般に公開することを目的として、平成16年度から平成18年度にかけて都道府県や市町村などの協力を得て収集した情報を整理集約したとのことです。

この情報を通じて、身近な地域に残されている災害に対する教訓を個々人に認識していただき、防災意識高揚に役立てていただくとともに、防災教育用の教材としての活用が図られることを期待しているとありました。

その昔には、今の様に組織だった防災意識は無かったと思われますが、今回のお題のように古い言い伝えと言われる、諺に似た防災意識の知恵構築されたものがありました。

竹藪は竹の根が強く張っているので、地割れや土砂崩れが少なく、倒れるものがないので安全だから地震がきたらそこへ逃げ込め、という言い伝えが有名ですね。 実際に竹藪に逃げ込んで助かったケ−スもあるそうですが、竹の根は浅いところを横に這っているため、過去には竹藪の斜面で土砂災害もあっ

たそうで必ず身を守ることができるということではないらしいが、これももしかの場合に備えて、常に防災意識を持つことへの大切さが伺えます。

総務省消防庁のウェブサイトに「全国災害伝承情報」というペ−ジがあり、日本各地にある言い伝えが掲載されていまして、多くの地方に色々の言い伝えを見みことが出来ます。

近年は何ぞなら「想定外」の文字を冠して喉元を過ごそうとします。やはり誰もが自分自身、或いは家族を、そして地域を守る為に、常に頭の中に 「地震の時は竹藪へ逃げろ」の防災意識を抱いておくことが大切である。


 第485話 人を呪わば穴二つ

令和 2 年 8 月 15


人を呪わば穴二つ

盆この時期に、墓穴にまつわるお題を取り上げてみます。怪談かと思われますが、決してそうではなくて、これは仏教の教えにありまして「自業自得」というものです。

つまり 人を呪った結果、自分も墓穴に入るようなことになれば、まさに「墓穴を掘る」という言葉どおり、自分の手で自らを破滅に導く原因を作ってしまったことになります。

人を呪わば穴二つの「穴」は墓穴のことでありまして、人を呪わば穴二つ掘れということです。つまり、人を呪い殺して墓穴に入れたならば、自分も相手の恨みの報いを受けて墓穴に入らなければならなくなります。だから、呪った相手と自分のために二つの墓穴が必要になるのです。

このように、人を不幸に陥れようとすると、それが自分の身にも必ず跳ね返ってきて同じ目に遭うという戒めです。

現在では、死後の遺体は普通には火葬されて、その骨は骨壺に収められて墓地にある石碑の定められた箇所におさめられています。よって墓穴なるものは、時代劇映画か何かでしか見ることはありませんが、今から約60年前までは我が国では広く土葬にて埋葬されていました。

もう、墓穴なぞ知る人も少ないと思いますが、なぜか墓穴という言葉だけは薄れることなく残っているのも不思議なことだと思います。

 


 第484話 老の恋

令和 2 年 8 月 1


老の恋 惚れる惚けるも 同じ文字

正直に「惚」の字が、ほれる も ぼける も同じ字であると思った事が一度もありませんでした。完全に気がつきませんでした。

惚れるにしても、惚けるにしても、そう特別な字てもなく、日頃から目にすることも度々ありまして、ごく普通の文字であるのに、今回はかなりの衝撃を感じました。

今回もまた、行きつけの眼科医で待合の間に「 シルバ−川柳」なる本を読んでいて、この川柳に出会いました。この本には、1ペ−ジに1題のシルバ−川柳が載せられていて、文字が大変大きな為に大変読みやすい本であります。

シルバ−年代となりました自分には、一題一題が身につまされる川柳が載せられています。中には笑いを堪えきれないのがありまして、すぐに医者の診断が回ってくるのに、笑いを鎮めるのに難儀をすることもあります。

さて、今回の惚れの字をもとに、辞書や Web サイトを覗いてみて、凄い記事を見つけました。

それは、英語で dote という単語の和訳が「熱愛する」と書かれていて、加えて「ぼける」「もうろくする」と書かれているらしい。近年には外来語かいわゆる和製英語か訳のわからぬ時代でありますが、惚 と dote がどう時代を遡ったとしても意思疎通されて英国や、我が国で作られた語であるとは到底考えられません。

しかし、dote は、古い単語で現在では英語を母国語とする国に於いてもほとんど使われていないのと、 ましてもうひとつの「ぼける」という意味があるとは、ほとんどの人が知らなかったとの注釈がされていました。

それにしましても、「ほれる」と「ぼける」が同じ漢字であるように、英語の「dote」にも二つの意味が あるとは、驚きですね。


 第483話 鳴く蝉よりも

令和 2 年 7 月 15


鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす

春夏秋冬、いずれの季節に於いても恋に身を置く御仁には、傍で見る目よりも苦しい事の多いものであります。

ランランとスキップを踏んで、何の支障にも出合うことなくする恋も恋ですが、ここはやはり世の不幸を一手に背負ったような苦しみながら山河を、手に手をとって越えたお話の方がいいものですね。

まあしかし、 成就するのもよいけれども、鼻から片恋慕のようになすすべもなく、ただ遠くの姿を目で追う恋も恋であります。

昔に聞いた浪曲か何かで、米問屋のこいさんが、なさぬ恋に身を焦がして眠れぬ夜を一人でモンモンしている時に、天井裏を歩くねずみの足音にも、愛しい相手が忍んで合いに来てくれたのではないかと、胸を躍らす一節を聞いたことを思い出します。

もう一つは、愛しい船乗りを陸で待ちわびて、無線電報を依頼して 「ワレ フネヲ タグリヨセルオモイ」 との電文を打った人がおられたとか。これは実話として残っています。

恋を題材とする映画や書籍は、それこそ星の数より多くあります。そのような中にありまして、今回のお題であります「鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」は、誰にでも当たらずも 遠からずの 胸の痛みを体験していると思います。

猿蟹合戦ではありませんが、今回は口に出してあれこれ言う蝉よりも、じっと内に堪えている蛍のほうがずっと心の中の思いは切実だという具合に蛍に軍配を上げてるようです。この語は単に「鳴かぬ蛍が身を焦がす」とも言われてます。

一方現在の風潮としましては、口に出さなければ何も分からないと蝉派の生き方も少なくありません。それでも恋に関しては、その思いから根底にあるものは、そう極端に変わって蝉派が圧勝とは到底ならないと考えます。

いずれにしても、夏の時期に君臨する蝉と蛍には、このように比べられることこそ迷惑なことで、先述の猿と蟹のように喧嘩をした訳でもなく、人が勝手に名を使っただけです。

蝉も蛍も、成虫になってその生を謳歌できる日数は極めて短期間であることから、苦労に苦労を重ねた挙句に天下人になった武将の名をいただき、明智 蝉  明智 蛍 と称えてやりたいと思います。 

 


 第482話 朝顔の花一時

令和 2 年 7 月 1


朝顔の花一時

子供の頃には、夏休みの理科の宿題として、誰でも一度や二度は、朝顔を栽培した思い出があることと思います。

私は百姓の子であったので、垣根の雑木に絡ます様に地下植えをしていました。朝顔の花の種類まで凝って栽培した覚えはありませんが、今でも思い出すのは朝早く起きて咲いた朝顔に、おはようと挨拶でもするような気持ちで、絵日記に記録をしていた事を覚えています。

当然、当時には、今回のお題のような思いで朝顔に接していた訳ではありませんでした。朝顔の花を見て、ラジオ体操に行った夏の思い出が今でも蘇ります。

さて、 朝顔の花といえば朝咲いてお日様が高く上がる昼前にはしぼんでしまいます。それで朝顔は、物事の盛りの時期は極めて短く衰えやすい事や、儚い事の例えとされています。

これには朝顔という訳ではありませんが、林芙美子が好んで書いた短詩で「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」は、女性を花にたとえ、楽しい若い時代は短く、苦しい時が多かった自分の半生を詠んだものとされています。

また、俳句ではどういうわけか朝顔は夏ではなく秋の季語とされています。まあ大相撲では、5月になれば夏場所が開催されますように、昔の人の感性とか、暦では現在の人々よりもいい夢を見る時期のストライクゾ−ンが広かったと思えますね。

七月となり、夏の一日を早起きして、まだ涼しい朝に朝顔を眺めながら、しばしの清々しい一時を楽しむのもいいですね。


 第481話 蕎麦の花も一盛り

令和 2 年 6 月 15


蕎麦の花も一盛り

近年の政府統計表によれば、蕎麦の収穫量を都道府県別に見れば、1位が北海道、2位が茨城県で3位が長野県と割に地域が点在していますが、一方少ないのが、40位奈良県で46位が大阪府、そして最下位の47位が和歌山県ということになっている。道理で私は蕎麦も、蕎麦の花も大阪では見る機会も少なく、今回のお題も知らないままに今まで過ごしてきたのかと思います。

此方では6月には、田植えが行われまして、8月頃になりますと「稗 (此方では(へ)と発音する)が稲を押しのけて蔓延り、暑い最中に鎌を持って、へ 刈をしたものであります。

当時としては、 稗 粟 蕎麦を稲の成長を妨げる雑草の類と考えていました。それでも現実というか記憶には、稗 を覚えていますが、水田では、粟や蕎麦はあまり目にすることは無かったようです。

したがいまして、蕎麦の花は図鑑や、今回のように取り上げて見て知ることができたという次第です。

さて、蕎麦の花の見頃は、年に二度6月下旬から7月初旬と、8月下旬から9月上旬頃とのことである。 蕎麦の花は一つ一つを見るとさして美しいとは言えませんが、畑一面に花盛りとなった折にはそれ相応に美しい風景となるようであります。

このように、開花の時期を迎えて一斉に咲き誇った様を指して、娘さんも少々容ぼうが悪くても年頃になればそれ相当の魅力が出るという諺になりました。

ちなみに、ソバという麺にして現れたのは、江戸時代になってからであり、わりと新しいものですね。しかし、先述のようにその存在としては、 稗 粟 蕎麦として古代から我が国にもあったらしいです。

また、蕎麦は 肥料分が少ない痩せた地や、寒冷な気候の土地、さらには降水量が少ない乾燥した土地でも栽培が可能です。その上成長が早く、蕎麦の実は種まきから2〜3ヶ月程度で収穫できることから、大変重用されました。

今回の新型コロナウイルスでの問題視された将来に、自給という観点から、我が国の米を補給する食料として、生産調整で荒れ地と化した問題解決のエ−スとして「蕎麦」が登場するかも知れませんね。


 第480話 目に青葉 山時鳥 初鰹

令和 2 年 6 月 1


目に青葉 山時鳥 初鰹

何をさておいても、この俳句は口調が最高かと思います。また俳句としてよりも諺としても多く取り上げられています。

初夏の代表的な風物を連ねた、青葉 山時鳥 初鰹 はどれも夏の季語で、視覚・聴覚・味覚で調子よく表現されていて、初夏の爽やかさが感じられます。

この時期、まず目には鮮やかな青葉が、家の小さな庭にも、街の街路樹にも、遠くの山々にも新緑の木々が目に映ります。少し前に謳歌した桜の花とは少し違う、人を始めとする全ての生き物を招き入れ包み込んでくれる優しさと抱擁を感じます。

その様な優しい大自然の山里では、何処からともなくホトトギスが初夏の訪れを歌ってくれます。

そして、初鰹は江戸時代、初夏の頃に穫れる走りの鰹は、初物と珍重されていたそうで日本の食文化は、季節を感じながら、季節の味を大切にしているので、いち早く季節のものを味わうことを大きな喜びであった。今でも鰹に限らず何でも初物を食べると縁起がよく、七十五日は長生きすると言います。

正月の縁起の良い夢として、「一富士二鷹三茄子」がありますが、口調が良く親しみやすい諺は、どことなく万民を幸せに誘う、合言葉ですね。


 第479話 よすぎて鳥が啼く

令和 2 年 5 月 15


よすぎて鳥が啼く

この諺を漢字で書けば、「良過ぎて鳥が啼く」と「夜過ぎて鳥が啼く」をかけたものであります。字の通りで、 あまりよすぎると後で悪いことがおこると戒めたものと思われます。

普通には鳥という生き物は、夕は早寝で朝は早起きとされています。その鳥が夜を過ぎて鳴くと、不吉なことが起きる予告であると言われて忌み嫌われてきました。カラスには悪いですが、現在でもやはりカラスが数十羽集まって騒がしく鳴きますと、何か不吉な事が起こる前兆と胸騒ぎが致します。

また、良すぎる事としましては、自分にしてみれば、人生70歳も過ぎて後期高齢者のこの年までしても、なかなか思い当たる事が有りません。強いて申せば22歳の7月に現在も乗っています、HONDA SM600 を新車で購入した日に、店の人々に見送られて家路に向かってハンドルを手にしながらラジオから流れてくる放送番組のテ−マミュ−ジックである、パ−フディアと、エキゾストから発せられるエンジン音を耳にしながら至高の一時を、55年も経った今でも脳裏には鮮明にメモリ−しています。

しかし、この良過ぎた対価としての、鳥が啼くは、幸いにして50年余りの現在まで、カナリヤや雀のような小鳥には数多く啼かれながらやってきましたが、幸いにして大きな鳥には啼かれることなく、ここまで人生を歩ませてもらったのには、一つだけ思い当たる節があります。

それは、22歳で SM600 を得る前の更に10年以上も前から、鷹 つまり ホ−クスを守り神のごとく崇拝してきた賜物であったのではなかろうかと、今胸の中で信じています。強い鷹に守られながら、後の人生もつつがなくやって参りたいと思います。

 


 第478話 張り子の虎

令和 2 年 5 月 1


ある時、一人のおっさんが突然に 「あいつは、張り子の虎や 」と大きな声を出しました。その時の場と申しますと、当方はいつもの3人ほどで居酒屋でやっている時に、隣の席で飲んでいた此方よりも年の上で、少しは顔見知りのグル−プでの噂話の中で出ました。

私はその噂の人は事業が左舞になって貧乏したと耳にしていましたので、張り子の虎ということは威勢を張り縁起の良い状態と解釈して、何処かに場所を移して、また盛大に事業を再展開しているのかなと思いました。

そこで私は、先述のあるおっさんに話を正してみると、おっさん曰く 「力もないのに強そうに見せかけだけで、ただ張り子の虎のように首を上下に振るだけで、たいして技量を持たないので、商売が行き詰まったんや」 ということであった。

私は、張り子の虎とは、威勢の良い方の解釈を今までしていましたので、ネガティブな思いはありませんでした。

そもそも張り子の虎は、見た目には虎であるが、紙や竹で細工された中が空洞のおもちゃである。 また、張り子の虎はよく首が振り動く仕組みになっていることから、首を振る癖がある人を指して、張り子の虎となぞえて見掛け倒しの人と見下した言い方をするようであるらしい。

一方張り子の虎は、5月になりますと、端午の節句で張り子の虎を床の間に飾る風習は昔から多く見られます。 元々虎というのは神の使いとされている動物だったため、魔除けや厄除けとして重宝されたりしていました。端午の節句は男子の健やかな成長を願う節句なので、子供の健康のために、張り子の虎が持ち出されて、縁起の良い象徴とされてきました。

このように張り子の虎には、「人を少しアホにすること」と「魔除けや成長祈願として使われる縁起物」の2つの意味があるということですね。私は子供の頃から今まで、縁起物であると思って来ましたので、急に想いを転換できませんけれど、今後は他人から「張り子の虎」と言われない様に気を付けて参りたいと思っています。


 第477話 開いた口へ牡丹餅

令和 2 年 4 月 15


開いた口へ牡丹餅と、棚から牡丹餅は同じ意味をもつ諺ですね。ただ大阪の南河内育ちの者には、「たなぼた」と短く縮めた言葉を多く用いています。

いずれにいたしましても、思いがけない幸運が向こうからやってくる様子を表したもので、言葉の説明は何ら必要のない語であります。

さて、この牡丹餅に付いては、調べてみれば諸説があるようですね。

牡丹餅の作り方は、もち米とうるち米を混ぜたものを、蒸すか又は炊き米粒が残る程度に軽く搗いて丸めたものに、餡をまぶします。 赤小豆餡をまぶしたところが、牡丹の花に似ていることからこの名が付いたようです。

円くて大きいものの例えで、女の丸く大きい顔を、牡丹餅顔と揶揄されましたが、現在はこのようなことは無いものと思われます。それは赤い丸顔の人が激減して、誰もが白い面長な顔に様変わりしたからでしょう。

また、よく似た食べ物に、おはぎと呼ばれる物があります。これにはそれぞれ、牡丹餅には牡丹の花に似せて作られたとされ、おはぎには萩の花に似せて作られたと言われている様であります。加えて春のものは、牡丹餅として秋のものは、おはぎとして名前が変わっているだけであるとも言われています。なお、関東では春秋ともに、おはぎとされている様である。

現在はスイーツと呼ばれる口に優しい食べ物が、時節を問わずにいつでも楽しむことができますが、牡丹餅は主にお彼岸の供物として食される貴重な物であったと思われます。

その牡丹餅が、開いた口に飛び込んで来たり、棚の上から勝手に舞い込んでくるのだから、予期しない幸運に歓喜するのも当然の事であります。

新型コロナウイルスとは、大小の差がありますが、形や色には類似するものが有ります。違うのは、人の命を脅かす厄介者か、人を幸せにする恵みを齎す食物かの差であります。


 第476話 そもそもから

令和 2 年 4 月 1


そもそもから着きにけり迄

そもそも とは何やろうと改めて辞書や Web サイトで調べてみれば、言えることはただただ難しい言葉であると言う事だ。そして結果として何も分からない。そもそも浅学菲才な私が考えようと思った事が「そもそもの」誤りであったと言う事らしい。

そして、「そもそも」とはと頭に置いていると今まで気にしなかった「そもそも」が新聞を読んでいると、政治面からエッセの文面に実に多く使われている語である事に気が付いた。プロの物書き屋さんに多用されているということです。

しかし、世間一般の会話の中では、そう耳にすることは無いようです。しかし、雲の上では使われているらしく、3年ほど前に、 安倍首相が国会審議で、「そもそもの意味を辞書で調べたら「基本的に」という意味もある」と答弁したということがありました。この「基本的に」と直訳することは滅多にない、という説を

どこかで読んだような気がします。つまりかなり難しい語であることは確かです。

どうやら日常茶飯語ではないらしいようです。 「そもそも是は・・・」は、謡曲、舞の本、浄瑠璃などでは初めに出てきまして、「何々の浦に着きにけり」と、フォーマットされているものらしい。そしてその意味は、最初から最後までということで、謡曲などが「そもそもこれは」で始まり、「着きにけり」で終わることが多

い。

ある書物から引用しますと、「そもそも」という語には、二つの意味があって、 接続詞として、「いったい」とか、「さて」、「だいたい」などという意味があり、もうひとつは名詞として使うものとして、はじめ、最初、発端などといった意味である。「何々したのがそもそも間違だ」という具合に使う場合がある。

いろいろと書き並べてはみましたが、そもそもは、誰でも知っている言葉ですが、意味を説明するとなると難しいです。 例えば、 「そもそも何で買ったのですか」 「そもそも問題の意味が分かりません」 のように使いますが、 そもそもが なくても文章が成り立ちます。 「何で買ったのですか」 「問題の意味が分か

りません」でもよいと思います。 しかし、「そもそも」があるとないとでは、細かい感じが変わってきます。 言いたいことは通じますが、さらに会話の表現を広げるためにも「そもそも」という言葉は必要な言葉ですよね。

そもそもと、大して手間もかからずに、4文字を使うことでより感情が上手く伝わるならば、無事に「何々の浦に着きにけり」とよい終演となります。

そもそも新型コロナウイルスは、早々に武漢の浦に着きにけり と収束する事を願います。


 第475話 君子は和して

令和 2 年 3 月 15


3月半ばのこの時期には、新型コロナウイルスさえ無ければ日本の社会では、進学・卒業や入社、人事異動、退職と多くの人が別れと出会いを経験することになります。

そこで日頃の自分を少し距離を置いて、今回のお題を見つめ直すのもいかがと考えました。つまり、人の間で生きる形を赫々たるものにするということです。

君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず

今回のお題の意味は、人格が立派だと言われる人は、人との社会に於ける調和を大切にするが、人の意見に引きずられて正しい自らの考えを曲げたりはいたしません。

それとは反対に、あまり社会的に認められない人はと申しますと、、人の意見にすぐ同調しますが、損得が絡んで意見が分かればすぐに揉めたりで、なかなか人との調和は難しい人かと思います。

まあ、しかしわれわれ日本人は誰もが「和をもって尊し」という精神を大切にしている美徳の一つであります。気分のよい、ほんわかした雰囲気の中で生きて行くことを望み、何事にも殊更ことを荒立てずにうまく調和して生きていこうとしています。

しかしながら時代の趨勢とやらで、現在はいわゆる新聞の3面記事に出る犯罪や、大きくは日本という国が世界で生きて行く上に派生する諸問題を見渡しても、和の有り様の方向を舵取りしなければならない時を迎えています。憲法改正の議論が持ち上がるのも当然かと思います。

一方、自分はと申しますと、 人当たりは良い方だし表面的には誰とでも仲良くできるものと思っています。しかし、ざっくばらんに何でも言い合える関係の中でも、人の意見に引きずられてすぐに自らの正しいと考える意見を撤回してしまいます。和して同じる、優柔不断の 小人そのものです。


 第474話 分相応に風が吹く

令和 2 年 3 月 1


分相応に風が吹く

花の三月となりました。冬の寒さから、じわーっと解き放される解放感は、春が来たという言葉から心身が順応しまして、何かわからぬ小さな幸せを覚えさせてくれます。

幸せは春風に乗って、とか言う歌か曲があったかと思いますが、春と風は絶妙の幸せコンビですね。

まあ、その風も真夏の太陽が衰えだす頃に現れる風は、取り敢えず棚の奥に仕舞っておきましょう。

さて、今回の 「 分相応に風が吹く 」 の風はと考えますと公明正大な万民の味方のような存在であります。

ここでの分は、人が社会的に置かれた地位や身分のことを指しています。それで人はそれぞれの置かれた立場や、能力に応じて、その人にふさわしい 生き方や暮らし方があるのであります。よって人には、豊かな者には相応の出費があり、貧しい者でもそれ相応の生活ができるということです。

しかしながら人は、欲を言えば限りがありませんが、少しでも目を上に向けて、その欲をかなえるべく努力を行うことが必要であります。その為には日頃から今出来ることに取りかからなければなりません。その努力が欲とする事柄に直接は関係なくとも、その行動がいつかは目標の糧となり、欲する事の実現に一歩近づくことであるという教訓です。

だいたい、人にはそれぞれ立場や境遇に見合った暮らし方があり、世帯の規模に応じて、それなりの出費や事件があるという。たとえば、大きな家には大きな風が当たるように、人にはそれぞれ境遇に応じた悩みを持っているもので、金持ちの大きい屋敷にも、それなりの心配事があるものである。

このように、人にはそれぞれの生き方や才能があります。よって自分の能力を他人と比べるのではなく、自分の持っている生きる力を十分に知り、それを生かすことが、充実した人生を送ることができるということです。


 第473話 背番号 19 野村克也

令和 2 年 2 月 15


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この野村監督 (以下故野村克也氏を時代背景なしで野村監督とします) のサインは、昭和30年にもらいました。野村 監督が南海ホ−クス入団2年目。私かっちゃんは、小学6年生で当時に南海ホ−クス子供会に入っていました。

ホークスの 2軍選手が子供会の会員を集めて遊んでくれるのですが、1軍の蔭山や木塚、堀井なんかがもし来たらサインしてもらおうと、サイン帳と万年筆は子供会行事に行く時はいつも持参していました。

ある日、名前も顔もよく知らない若手選手の中に、優しく言葉をかけてくれた選手にサインをしてもらいました。サインを見ても誰かが分からず、名前を聞く勇気もなくその日は過ぎました。

暫くして家で新聞に載っていた南海ホークスのメンバー表で、2軍に野村克也という選手がいることを知りました。それは、サインの字で私の名の 克 と同じ字を読むことが出来まして、 也 は良く分かることから 野村克也 と分かりましたが、野村監督も当時は全くの無名の選手でした。

しかし、その2年後には野村監督はパ・リーグのホームラン王となったのです。その後20年ほどして、超有名になった野村監督と顔を合わす機会がありまして、写真のサイン帳を見せましたが、ただ 「そーかぁ」と声をかけてくれただけでした。


野村監督の大阪球場での数々の思い出シ−ンでは、自信の無い記憶ですが、昭和38年シ−ズンの大阪球場での最終試合で、パ・リ−グか日本記録かわかにませんが、52 号ホ−ムランを左中間に放しました。低い弾道でフェンスの最上部に当たり、そのまま観客席へと吸い込まれました。例によって私は

ライト側の 外野席で 見ていましたので、その一撃はいまだに記憶に残っています。その年には野村監督はパ・リーグのホーラン王に輝いています。

それから後は、大阪球場の正面に野村監督のアメリカ製の大きな車があり、出待ちをして一言喋るのを楽しみにしていました。大きな車に乗るのは万が一の時に身を守る為だと聞きました。これはおそらく昭和50年前後の事と思います。当時はライト側外野席に集まる、お馴染みの諸兄グループ活動でした。


★ I D 野球は、尾張スコアラ−とブレイザ− の賜物

今や ID 野球といえば、野村監督の特許か独占的な捉え方がされていますが、決してそうではないと私は思っています。我が国のプロ野球における ID野球の発端は、野村監督が南海ホ−クスで頭角を表したころには、既に尾張久次氏が務めていた毎日新聞社を退社して、鶴岡一人監督に招聘されてスコア

ラ−として 南海に採用されて、綿密な記録整備に務めました。やがて他球団の分析をも鶴岡監督に、尾張メモとして報告するようになった。ここで鶴岡監督の下で、キャッチャ−として守りのデ−タ−、そして打撃のデ−タ−として野村監督はいかんなく発揮して、戦後初めての三冠王まで登りつめるのである。

次に、昭和42年に南海ホ−クスにメジャ-リ−ガ−のドン・ブレイザ−が入団した。ブレイザ−といえば入団直後はサ−ドの守備位置に着いていたが、とにかく凄いプレ−ヤ−が来たと思った。それは大阪球場ではホ−クスは一塁側ベンチに座っているが、守備に着く時にベンチから三塁キャンバスまで、見たこ

とのないダッシュで突っ走る超真面目なプレ−ヤ−であった。そんな具合であるから何をやるにも一生懸命だ。ブレイザ−には野球の守備に於ける連携プレ−も徹底的に叩き込まれたと、当時ホ−クスの名遊撃手小池兼司が語っていた。 いわゆる、ブレイザ−のシンキングベ−スボ−ルである。氏の名言に「

両耳の間を使え」がある、つまり頭を使えということである。 野村監督は、ブレイザ−から頭を使う野球を貪欲に吸収するようになった。

I D 野球は、鶴岡監督と尾張スコアラ−それにブレイザーがあってからこそで、野村監督だけが偉いのではない。


★ 南海ホ−クスと袂を分ける

野村監督が育ったのは、南海ホ−クスでである。なるほど監督職としては、後世ヤクルト、阪神、楽天であるとしても、何故に南海ホ−クスでの経歴をここまで反故にされているのかです。

南海ホ−クスの絶対的なドンである、鶴岡一人監督との間に何があったのかである。報道でしか知ることができませんが、 野球で揉めたことは聞かない。やはり2年前に他界した夫人のことであろう。これまた報道の中では鶴岡監督や比叡山の高僧に諫められたのに聞かなかったとされている。

それに加えて野村監督が南海ホ−クスでの晩年には、チ−ムの中心的な数人を集めて憩い、何をか知れないが夫人が口出しして球団をあらぬ方向へと向かわせたとされている。これで野村監督は南海ホ−クスから絶縁状態とされてしまうのである。

大阪球場球場の跡地に建てられた、ナンバパ−クスに、南海ホ−クスのコ−ナ−が設けられたが、その中には野村監督の名は一字も見ることができない。


★ 今は南海ホ−クスはありません。しかし、京セラド−ムでのソフトバンクホ−クスの試合では、三塁側スタンドで、南海ホ−クスの応援歌、応援旗、レプリカユニホ−ムの姿が多く見られます。

私は、ホ−クスファンです。ダイエ−から更にソフトバンクに代わっても、ホ−クスがある限り ホ−クスファンです。背番号 19 野村克也は、ホ−クス生まれの野球人でありました。



 第472話 シルバ−川柳

令和 2 年 2 月 1


つい先日のことである。近所の眼科医院へ白内障の予防薬をもらいに行きました。その待ち合いで、活字の大きいそうな本を1冊手にしました。

その本の名前は シルバ−川柳 と書かれていました。川柳の定義なぞ全く知らないのですが、これがまた後期高齢者の私をグイグイ引き付ける名作が満載です。

その中で思わず ぷっ と噴き出したのが 「 シタ出して  女医に言われて  ギョッとする 」 である。

なるほど私が仕事が現役の時には、仕事場の周りにも女性は居たし、夜の街に繰り出して遊んだりしていて、それなりに女性と触れ合う機会もありましたが、今はと申しますと普段には女性とは縁遠い日々を送っております。

加えて現在は女医さんも増えているとは聞きますが、私らの年代者には女医さんと対峙することはありませんでした。最近ではテレビのバラエティー番組にも美人女医の登場をよく見かけます。

まぁそのような状況のもとで、何々さんどうぞと呼ばれて診察室に入れば、そこには若い女医さんが居られたら頭の中は受診に来たこともすっかり飛んでしまい、無防備となつています。そこで 「シタ出して 」 言われたら良からぬ方向に思考回路が舵を切るのも有り得ると思うのも無理からぬことと思えば、川柳の作者を褒め上げたいと感心した。

今一つ、「 日帰りで 行ってみたいな 天国に 」 これまた絶賛に値すると思いました。少し前に NHK の放送番組で、確かちいさなお葬式とかいうのがありました。また、近頃は葬儀場の見学に誘うパンフレットも見かけます。確かに天国を短時間でもよいので、どんな具合なのかを見てきたいと思うし、その前段として葬儀で送られる自分を予め体験できたとしたら、それこそ後の余命もかなり有意義に時間を送れるかと思います。

地獄八景亡者戯 故桂米朝の名演を枕もとの CD で聞きながら、とりあえず今夜は寝ようとするか。


 第471話 枯れ木も山の賑わい

令和 2 年 1 月 15


枯れ木も山の賑わい

私は、後期高齢者となりまして1年が過ぎました。 まさしく、どのような場に出ていっても、抵抗なく自らを 「枯れ木も山の賑わい」 ですと自己紹介が出来るようになりました。

ここで自分の事を 「枯れ木も山の賑わい」と言葉にすることは何の問題もありませんが、言葉の使いようととすれば、老人が若者の仲間に加わる時などに、枯れ木も山の賑わいですので私も参加させていただきます、と謙遜して使う言葉でありまして、例えば司会者などが他人を紹介する際に、その人を指して、「枯れ木も山の賑わいと言いますから高齢を気にせずに是非参加してください 」 などと言うのは、本来は失礼にあたりますので注意が必要であり、特に目上の人には使ってはいけないことになっています。

またこの語に関して、国の国語調査では、半分の人がこの言葉の意味を 「人が集まれば賑やかになる」と考えているようで、本来の意味である 「つまらないものでもないよりまし」 を上回っている結果がでています。

もともとの語源とすれば、何もない殺風景な山よりも、枯れ木でもあればいくらかは山に風情を添えるものであることから、つまらないものでも、無いよりはあるほうがましであるということらしい。

さて、自分が後期高齢者となり集まりの他の人から視線を受けたおりには、 「つまらないものでもないよりまし」 と見られるよりも 「人が集まれば賑やかになる」 の方が嬉しく思うのは、私の思い上がりでしょうか。

大切なことは、自分自身が 「枯れ木も山の賑わい」 をよく理解して常に、若葉や青葉を決して押しのけて前に出ない様にしなければなりません。されど人生第四コ−ナ−を回ってからが、一番難しい。


 第470話 千載一遇

令和 2 年 1 月 1


---------新年 あけまして おめでとうございます-----------
-----本年も、「小話コーナー」をよろしくお願いいたします------


千載一遇 (せんざいいちぐう)

年の初めにあたりまして、少しはおめでたい、楽しい夢を手に入れるお話をしたいと思います。

千載一遇は、せんざいいちぐうと読みまして、一生の内でも 滅多に訪れそうもない良い、二度と来ないかも知れないほど恵まれた機会に出会うことを言います。載は年と同じで、一遇は一度だけ出会う思いがけない出合いのことです。つまり千年に一度偶然訪れるくらいのよい機会という意味となります。

この語のもとは、思いもしない素晴らしい人、またはたいそう偉い人などとの出会いを、千載一遇とされたようですが、現在は拡大解釈をされ、あらゆる機会でのチャンス到来で使われるようになりました。素敵な異性との出会いなどに使うケースも多いようです。

このように、千年のうちにたった一度しかない、またとない好機、チヤンスを見逃さないようにしなければなりません。

そこで思い浮かべてほしい歌があります。北原白秋の「待ちぼうけ」です。 ある日農夫が畑で一生懸命畑仕事をしていると、勢いよく走ってきた兎が畑の中の切り株にぶつかり、その兎を運よく得ることができました。いわゆる成功体験が転がり込んできたのです。それからは農夫はせっせと汗を流して働く事をやめて来る日も来る日も畑の外で兎が株にぶつかるのを待つようになりました。やがて畑は荒れ放題となり、村人からは相手にされなくなり、ついに哀れな人生を送ることになったのです。

世の中には、偶然にうまくいくことがあります。でも、その偶然が続くことは滅多に ありません。

しかしながら、千載一遇は、人の寿命が幾ら延びたとしても到底千年も生る訳でもありませんが、何時か誰かに巡ってくる有るかどうかの好機を見逃してはなりません。その為には滅多にない機会を捉える気構えだけは常に備えておく必要があります。この気構えは決して、待ちぼうけの農夫であってはなりません。石の上にも三年とか、雨垂れ石を穿つの精神的な努力の上に一隅は宿るものです。

ぼーと生きてて、千載一遇の絶好機を見逃さない様に、今年は六感を研ぎ澄ませて、無駄のない日々を送りたいと思っています。






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