ちょっと小話コーナーShort Story
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第494話 牛に引かれて善光寺

第495話

鳩に三枝の礼あり 第496話 歳寒三友
第497話 生兵法は

第498話

早牛も淀 第499話  
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 第498話 早牛も淀

令和 3 年 3 月 1


早牛も淀 遅牛も淀

今でもそうでありますが、私は子供の頃から兎に角、誰よりも手が遅いほうであった。ついでに言うまでもありませんが、足も遅かったです。

先日も、池田市の方でダイポ−ルアンテナに挿入する短縮コイルの製作講習会がありまして参加して参りました。ある程度の部材は主催者の方で用意をしてくれていましたので、助かりましたが、それでも講師が進める作業に手が付いて行けずに、講師の説明とどんどん離れてしまい、余計に完成するまでの

時間が掛かることになりました。

これは手が遅いのが一番の原因ですが、一つ一つの作業工程に於いても理解して納得ずくで進めて行きたいと思うことが輪をかけてとろくさくなるのであります。結局11人の受講者の中で短縮コイルの希望周波数に合致して、完成した者の中では、ブ−ビ−賞となりました。

例えば、同じ荷物で同じ距離を行くような今回の製作講習会に於きましても、早く完成する者と、遅なる者ができてきますが、今回のお題のごとく、仕事をする牛にはその働く条件は千差万別でありまが、当然牛の能力にも差があります。

従いまして、牛使いから見た自分の良き相棒の牛に想いを込めて、どうせ最後にいきつくのは、京都の淀に着くのだということで、早い遅いの差はあっても、結果は同じだからあわてることはないという牛に対する優しい心遣いを込めて生まれた諺であろうと思います。

淀とは 京都市伏見区にある地名で、集荷場として栄えた場所であり、古代には諸国からの貢納物や西日本から都に運ばれる海産物や塩の陸揚げを集積する商業地であった。また、河内国・摂津国方面や大和国方面から山城国・京洛に入る要衝であった。

 


 第497話 生兵法は

令和 3 年 2 月 15


生兵法は大怪我のもと (なまびょうほうはおおけがのもと)

今回のお題は、知識や技術を生かじりで十分身につけないままでいて、それを頼りに事を起こすと、とんでもない失敗をすることになるという戒めの言葉ですね。

いいかげんな知識や心得を頼りにして、無鉄砲に突き進んだりすれば、とんでもない災難に見舞われることがあるという例えであり、浅はかな知恵や、うろ覚えの技術をもとにして、物事を処理したりするものではないということであります。

このお題の読み方は、兵法 だけなら「へいほう」といいますが、生が付いたら「なまひ゛ょうほう] と読みます。もとは 武術や特に剣術のことから使わられたように思います。

また、生 (なま) は完全ではないとか、十分ではない未熟な様を表しています。つまり 「生兵法」 とは、剣術に多少の心得はあるけれども、まだ未熟であり十分といえるほどの腕ではない ということになります。

生半可なレベルの武術でまともに勝負に挑んでいくと、かえって危険で、大怪我をすることになるというわけです。 そこから武術に限らずいろいろな技術が必要なことや、さらには豊富な知識が必要なことにまで及んで、中途半端なレベルでものごとにあたってはいけない という戒めの諺として言われるようにな

りました。

まあ、この諺はそれはそれでいいのですが、戒めがあまり強すぎると、慎重になりすぎて自分の実力以上のことに挑戦するとか、冒険してみるということがなくなる心配もある訳で、 それもちょっと寂しいですね。

よって、命を落とすほどの危険でなければ、あるいは周りの人にまで迷惑が及ぶようなことでなければ、生兵法を承知のうえで挑んでみる勇気も、必要かと考えられます。

確かにいまの世の中には、ほんの一部を除けば、生兵法は大怪我のもと、とは逆に、知識や技術は身に余るほど付いてはあるものの、尻込みが先になり持てる能力を活かしきれない現状が多々あるように思えてなりません。

 


 第496話 歳寒三友

令和 3 年 2 月 1


歳寒三友(さいかんのさんゆう)

この歳寒三友という言葉は、奈良時代に中国から伝わったらしい。 論語からの言葉で、中国では好まれる画題のひとつであります。歳寒は寒い季節のことで、三友は松・竹・梅を指します。

松は常緑樹であり、雪を被りながらも緑を保つ冬の松は、周囲の白との対比が美しいですね。また老松なども長寿の象徴でもあります。竹もまた常緑であり、まっすぐに天へと伸び、しなやかでたやすく折れはしません。竹を割ったような、すかっとした性格と例えられるように、誰にも好まれる性格ですね。

梅は冬の最中に、他にさきがけて咲き、早春に芳香を漂わします。梅一輪の暖かさとうたわれて、寒い中ても春の訪れを誘う、その慎ましいあでやかさは古来より広く愛されているところです。

これら松・竹・梅は、冬のさなかにも緑を保ったり花を咲かせたりすることから、中国で「歳寒三友」と呼ばれるようになった。現在では我が国では目出度いことの呼称として松竹梅を使われますが、同じ意味の歳寒三友のほうが言葉の成立としては早かったということになります。松竹梅が吉祥の象徴とされは

じめたのは江戸時代からだといわれている。

また、歳寒には寒い季節と併せて、どんなに苦しい事態に陥っても、決して節操を変えずに、信念を貫き通すとの意味もあります。歳寒と三友の四文字からなる元の認識と、日本に伝わったとされる奈良時代から江戸時代以降の長き間に松竹梅が主んじられてめでたいことの象徴と考えられており、本来の中

国での想いとは幾分異なっていると思われます。

大変難しいお題ではありますが、素直に極寒の季節であっても、またどんなに苦しい時にあっても、緑の色を変えることない常緑樹の如く、信念を貫きとおすことの教えとして捉えて、今月も過ごしていきたい。

 


 第495話 鳩に三枝の礼あり

令和 3 年 1 月 15


鳩に三枝の礼あり烏に反哺の孝あり

早いもので、正月が過ぎてはや月の半ばとなりました。

今冬は暖冬との長期予報で聞いていましたが豈図らんんや記録的な寒波の到来で寒い日が続いています。

その寒い日でも、 鳩や烏は人間の暮らす場所にとても近いところで元気一杯に生息しています。今回のお題になった鳥たちは人には身近な鳥であり、馴染み深いその鳥を使うことにより、親孝行の身近さを伝えやすいと考えられたのではないかと思います。

このように、受けた恩は返さなければならないと誰でも思うものではあるが、これがなかなか実行することは極めて難しいものであります。思いとは裏腹に「孝行したい時には親は無し」のとおり、親孝行の難しさは、孝行する時期とその内容を先ず考えてしまい、その実行に移ることが出来ないのではないかと考えられます。

多くの者は、親への恩返しを実行する年になってきたと思いつつも、さて何をしたら喜ぶのかと思いを巡らしてばかりで時間ばかり過ぎてしまうのです。

余談ではありますが、親と子が一人の場合は何の思案も有りませんが、普通には二人以上の子がいてそれぞれに付く者が付けば、親孝行と言えども、歳を重ねてからの場合は鳩や烏のようには事が運ばないことが多々起こりえます。

人生では、たかが親孝行と言えども、されどこれほど難しい課題は、そうあるものではありません。したがいまして決して特別な事と捉えずに、裃を脱ぎ捨てて平常心の中で鳩や烏のように、さらっとやってのける事が大事であります。

親孝行とは、何も難しいことをする必要はありません。思い立ったその時に自分なりに出来ることをきっちりとやることが、一番の親孝行ではないでしょうか。


 第494話 牛に引かれて善光寺

令和 3 年 1 月 1


---------新年 あけまして おめでとうございます-----------
-----本年も、「小話コーナー」をよろしくお願いいたします------


牛に引かれて善光寺

「牛に引かれて善光寺参り」は、実際に長野県にある善光寺にまつわる逸話を由来とした諺です。

逸話の内容はと申しますと、むかし信濃の善光寺の近くにすんでいた老婆の所に一頭の牛が現れて、その牛がさらしておいた布を角にひっかけて逃げ出しました。老婆がその牛を追いかけて行くと、牛は善光寺に駆け込みました。老婆は牛に導かれるままにたどり着いたそこが霊場であることを初めて知りま

した。このことから老婆は、以後神仏に対して信心深い人間へと変わり、それからはたびたびお参りして後世を願ったということであります。

今ではこの諺は、人に連れられて思いがけない所に行くこととか、ほかのことで誘われて知らないうちに良き方向へと導かれる事の例えとして使われているようですね。

しかし、本来は逸話の老婆の様に神仏に信仰心を心に抱く導びきであると思います。

さて、牛についてでありますが、今でこそ我が家では犬と猫を飼っていますが、私が小学校に通っていた頃には主に農耕で働くための牛を飼っていました。一時飼っていない期間もありましたが最終的には私が19歳になるまで一緒に暮らしておりました。牛を飼わなくなったのは、その頃にはようやく農耕には

牛に代わって発動機が載った耕運機が使われるようになったからでした。近所では数件の酪農家があり乳牛を飼育されていましたが、この時期には農耕の為の野牛は一斉に姿を消すことになりました。

もともと我が家では、祖父が牛を可愛がっていました。その祖父の影響を受けて私も牛が好きとなりました。人には従順で、あの真っ黒で丸い大きな目は何とも愛らしいのであります。私は夏の間はよく田圃の畔で草刈りをして、籠一杯の草を持ち帰ります。それを見て足ふみをして喜ぶ牛に籠の草を与え続け

たものでした。

昔は家族が揃って食事を摂っていましたが、食後に「あぁ美味かった 牛負けた」 と口癖に言うと祖父が大変怒り、「あぁ馬勝った 牛負けた」となりまして「牛は馬に負けることは何もない」と言い返しました。それを面白がって、また次の日にも同じことを繰り返すのです。こよなく牛を愛した祖父には耳障りな言

葉であったのです。

牛は古い昔から人の良き働きてとして重宝されてきました。今年は丑年、幸多い良い年でありますようにご祈念申し上げます。

 



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