ちょっと小話コーナーShort Story
ご感想やご意見は、掲示板で待っています。

第446話 正月や〜あ〜♪ 第447話 朱に交われば赤くなる 第448話 二月や〜あ〜♪
第449話 梅は百花の魁

第450話

三月や〜あ〜♪ 第451話 人事言わば筵敷け

第452話

四月や〜あ〜♪ 第453話 敷居が高い 第454話 改元の日に
第455話 五月や〜あ〜♪ 第456話 六月や〜あ〜♪ 第457話 雨晴れて笠を忘る
第458話 七月や〜あ〜♪ 第459話 夕虹三日の照り 第460話  
第461話   第462話   第463話  
           
           
           
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 第459話 夕虹三日の照り

令和元年 7 月 15


夕虹三日の照りとは、 夏の夕方に虹が出たら晴天が三日間続く前触れだと言われています。この時期の夕虹は熱雷の後にできることが多く、このような時には太平洋の高気圧が発達しているので、だいたい晴天が続くと思われます。

この様に昔の人の知恵とか、特に農耕民族として生きて来た我が国の先達には、天候、天気に関する名言が多く存在します。

しかし、本年の「梅雨の入り」についてでありますが、我らの近畿地方では、その日が6月26日と異常に遅れました。梅雨明けの日と、入りの日と間違っているのではなかろうかとか、或いは梅雨がないままに、今年は過ぎるのかとも言われる次第でした。

それが梅雨入りしたら、たちまち今度は大雨が襲来して、特に九州南部では7月3日に気象庁では緊急の記者会見を開いて「自分の命は自分で守るという意識を持ってほしい」と今までは聞いたことがないような表現で早期避難を呼びかけました。

今回のお題は、この小話コ−ナ−では久しぶりの天気に関するものとなりましたが、我が国では四季を始めといたしまして生きて行く上での天気・天候に関する名言が多く存在しています。そしてそれに応えるように、自然のいざないがなされてきました。

しかし、山を削って宅地開発をしたり、産業発展の為には天の神様の機嫌を損なうことを知らぬうちに重ねてきました。それを償うべく行動として、地球温暖化阻止という大テ−マを全世界に先んじて日本が旗を振って訴えてきました。これからもなお一層に推進していかなければなりません。

地球温暖化で海面温度が上がり、南極の氷が解けて海の潮位が高くなり、それに加えて風速80メ−トル位の台風が連発するという、俄かには信じがたい現象が押し寄せてくるという警鐘が鳴り響いています。現に日本に上陸する台風は、昔は例外を除けば大体9月に始まり10月には終わるという具合であったと思いますが、それが今では初夏を迎える頃にもやってくるという時期外れの台風も珍しくなってきました。

世の移ろいは人の生活や社会現象だけではなく、自然現象にも多大な変化が認められるところとなりつつあります。

一方、今や人類は地球に止まることなく無限に広がる宇宙に探査の足を進めています。 宇宙探査に求める具体性の無いおぼろけな期待と、全く相反する気象や気候に関する諺や習わしに依存して生きる人間の平行線は、永遠に交わることのない二本の線のままであれば、いいと思う。


 第458話 七月や〜あ〜♪

令和元年 7 月 1


七月や〜あ〜 質屋の娘は忙しい 忙しい 入れたり出したり 流したり

いち、に、さん、し、ご、ろく、ひち、はち、くぅ、じゅう ですね。 ならば質屋は「ひちや」か「しちや」かというお話です。

「質屋」を「ひちや」と読みますか、 それとも「しちや」と読みますか。「そりゃ、ひちや やろう」 という人は日本の名古屋から西の人ですね。まぁ四国と九州の事情はよく分かりませんがある説では、 「し」が「ひ」に変わるのは大阪、京都、名古屋などでのことらしい。 数字の「七」の読み方も同じく「ひち」であり「しち」ではありません。

しかし、私らが若い頃に町で見られた、質屋の看板に「ひちや」と書くのは、さらに地域が限られていて、「ひちや」の看板を使っていたのは西日本でも、 名古屋、大阪、松山、広島ぐらいらしい様です。今では滅多に見ることがありません。

昔は、庶民の意思伝達はほぼ会話だけで行われ、読み書きといった文字が使われていなかった時代の名残で、それが明治以降の近代化の中で文字を書く機会が増え、方言の発音通りに「ひちや」になったというのがおおかたの見方である。

また、 質屋はその昔「一六銀行(いちろくぎんこう)」と呼ばれていました。 なぜそんな呼ばれ方をしていたのかは、一と六を足すと七になるという理由です。 まさにトンチのような理由です。ほかに、 「七つ屋」「セブン屋」「セブン銀行」などの言葉が用いられていたということです。

ちょっと質屋まで行ってきた、とはなかなか言いにくいので、 「一六銀行」と言っていたのかと思いますが、これは昔は誰にも質屋は銀行の様に考えていたかもですね。 今ではこれも質屋を一六銀行と呼ぶ人はないように思います。

昭和40〜50年ごろにはまだ質屋は沢山看板を揚げていましたが、その後は徐々に減ってきたように思っています。多分それまでは一般の人にとっては金融機関としてそれなりの役割を果たしていましたが、我が国の高度成長とともに個人の所得も安定して質屋の庶民の生活を助けるその役割も終えたのかも知れません。現在では質屋は金銭の貸付けより、宝飾品や貴金属の買取・販売が主流になっています。

質屋が華々しい時代を題とした落語のねたに、風呂敷包を抱えたご婦人が質屋の前でばったり出会い、「あらーどちらまで ?」 「ちょっとそこまで」。 別れた一人が様子を伺いながら、質屋の正面玄関から暖簾をくぐって中に入った。もう一人は角を回って後ろを見て、横手から質屋の中にぱっと入る。質屋の中では再び二人は、ばったりと出会うお話。 何か哀愁を感じますね。


 第457話 雨晴れて笠を忘る

令和元年 6 月 15


雨晴れて笠を忘れる

とかく6月は日本人には、梅雨という雨の季節であるので、常に傘を携行する習慣が身に付いています。それでこの6月につきましては、雨が晴れても傘を忘れることが少ないように思うのですが。

ここでは、お題にある「笠」と書き出しに用いました「傘」とは、物には違いありますが、諺の中の意味合いとすれば同じと考えることにします。

さて、雨がやんで晴れてしまうと、かぶっていた笠の有難さをすぐに忘れてしまうことから、この諺は困難が去ってしまえば、苦しい時に受けた恩を忘れるしまうものであると、それを戒める言葉としてあります。

笠を忘れるを現在にしますと、使っていた傘を雨が上がってどこかに置き忘れるのと同じことで、傘の有難さすぐに頭の中でリセットしてしまい、それによって傘を置き忘れてしまうのであります。

この言葉の奥には深い意味が込められており、単に笠(傘)のことではなく、社会の企業間や、大きくは国と国の間にも通じるもので、自分達の個人間に於いてもおなさら忘れることが許されない、受けた恩義への戒めの言葉と考えなければなりません。

類似する諺としましては、 喉元過ぎれば熱さを忘れる、というのがあります。

恩の深い浅いまたは事の大小にもよりますが、大事なこととしましては恩を施したものよりも、恩を受けた者の方が心の奥に仕舞い込んで決して忘れることのないようにしなければならない事であります。


 第456話 六月や〜あ〜♪

令和元年 6 月 1


六月や〜あ〜 ろくろく夜も眠らずに 眠らずに 徹夜でやるのは 試験まえ

徹夜のお話でありますが、今日からはもう初夏となり、とっくにその季節が済んでいるにもかかわらず、春眠暁を覚えずの言葉を引きずりながら寝起きの悪い暮らしをしております。

すでに後期高齢者の医療保険も頂戴していまして、どうなっているんやろうという感じです。年齢とともに睡眠時間は短くなり、朝は早起きをするようになったと、友からもその様に聞いています。

さて、徹夜とは話の流れを逸れますが一体人はどれくらいの睡眠時間が必要なのでしょうかと考えてみれば凡そ次のようです。

一般的には良く知られていますように、睡眠には眠りの浅いレム睡眠と深い眠りのノンレム睡眠の2種類があるようです。そしてこの合計の睡眠時間が約7時間を標準と考えられています。このように7時間ほどで人は自然と目が覚めるような仕組みになっているのです。

もちろん睡眠時間には個人差があるのは当然なことですが、7時間は自然と目が覚める睡眠時間でありまして、翌日に眠気を感じず快適な生活が送れる最適な睡眠時間であると考えられています。

しかし、実際には人の運動量や思考回路の増減により、年を取るにしたがい必要な睡眠時間が減る傾向にあります。思春期の睡眠時間は平均8時間程度かそれ以上となります。思春期以降は年を取るにつれて睡眠時間は減っていくようです。

また加齢につれて深い睡眠が少なくなる傾向にあるようで、これは脳の老化に伴い睡眠の必要性が少なくなっていくと考えられます。

この様に睡眠時間は7時間を目安に、昼間の日常生活時に眠気を感じるようなら少し長くするなどして、自身にあった睡眠時間を模索して最適化していくことが望ましいかと思います。

付け加えまして、加齢とともに何かの事情で徹夜とはいかなくとも、睡眠時間が十分に取れなかった後には、体力の回復には尾を引いて長くかかります。一番自身の加齢を顕著に自覚する時となります。


 第455話 五月や〜あ〜♪

令和元年 5 月 15


五月や〜あ〜  後家さんたまには するがよい するがよい 夫の命日墓参り

後家さんを歌った歌と言えば、何と言っても「山男の歌」が爽やかであった。

娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ 山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ

山男の歌は、男声四重合唱団のダークダックスが昭和37に発表した歌謡曲である。この歌の 原曲は、広島県江田島にあった海軍兵学校で愛唱された流行歌・軍歌「巡航節」であったとのこと。山男の歌は、山生まれではなくて、海で生まれであったのです。

また、歌詞の若後家とは、若くして夫と死別した女性のことであり、山男は死の危険と隣り合わせであり、吹雪にでもあって遭難すれば命の保証はないという戒めの歌詞である。

「後家」という言葉は、今の時代に於いては、 放送禁止用語として上がっているようで、マスコミ関係者等が自主規制している言葉一覧に書き加えられていますが、もとはそのような嫌われるものではなかったように考えています。

夫に死別して、その家を守るために必死で男勝りの働き手として農業を貫かれていた方を今でも覚えています。もう70年近くも前のことですが。

私は後家さんという言葉を、ダ−クダックスの明るいテンポの良いリズムに乗せて流れ来る歌を聞き、これからも何等かで後家さんとなられる女性がいても、明るく生き抜く地位向上のイメ−ジに繋がるものと、当時は思っていました。

しかし、時代と共に言葉の中には、すたれて使われないのではなく、何だかんだと一部の声の大きい方面から葬り去られるのがあることに、憂えを感じます。



 第454話 改元の日に

令和元年 5 月 1


令和天皇が即位されまして、本日から元号が 令和 となりました。

平成の世が終わり、令和の時代がはじまる記念すべき日となりまて、 誠にめでたく、身も引き締まる日を迎えることにとなりました。

思えば、約3年近く前に上皇が生前譲位の意向を示されまして、私は一人の国民としまして何事にも代えがたい決断をされたものと思いました。

今回は譲位の日の前1ケ月に当たる、4月1日を持ちまして次の元号を、「令和」と公表されました。そのことによりまして国民が改元の日の事務負担をなるべく軽減されたことは誠に有難い配慮であったと思います。前の改元時には、私も職務で大慌てをしたことを思い出します。

その「令和」は、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つように、それに 梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように、との意味合いが織り込まれていのとのことです。

また、「令和」は、 元号法に基づき政府が決定したものでありまして、今回は「万葉集」からの出典で、いままで多くの中国であったものが日本の古典から初めて採用されました。そして、新元号「令和」は 645年の大化の改新から数えて248番目となります。

元号を決めるには、 「国民の理想としてふさわしいよい意味を持つ」 「漢字2文字」 「書きやすい」 「読みやすい」 「これまでに元号や天皇のおくり名として用いられていない」 「俗用されているものでない」 の六つの条件があるようです。

今日の良き日を慶び、令和 の時代もすこやかに過ごしたく思います。


 第453話 敷居が高い

平成31年 4 月 15


ほんとうに日本語の使い方は奥も深く難しいものであります。そして近年における言葉の使いようが若年層によりまして言語規範等全く意識されることなく自分たちの仲間でのみ共有して使われる、いわゆる隠語の如く変化されたりして、私どもには到底受け入れられない意味として使われているものも少なくありません。

まぁ、ついでとなりますが「ぜんぜん(全然)」につきまして、近年にはラジオやテレビから流れる言葉にも 「ぜんぜん いい」といった言い方、つまりぜんぜんに続いて肯定的な文言をよく耳にするようになりました。
しかし、私たちが育った時代には 一般的には、ぜんぜんは本来否定を伴うべき副詞であるという言語意識があります。

一方、ぜんぜんが正しく使われていないといった記事が昭和28ころに学術誌に見られることから、「本来否定を伴う」という規範意識が昭和20年代に広がったのではないかと考えています。

もともとぜんぜんは否定にも肯定にも用いられてきたはずですが、いつしか日本語の誤用を扱った書籍などではぜんぜん+肯定を間違いとして取り上げてきたようです。それは国語辞典で後に打ち消しや否定的表現を伴うという具合に説明されていたことが影響しているところから、否定を伴うべき語であるようなイメージが根強くあるようです。

ぜんぜんいい、といった言い方を誤りだとする人は少なくないが、一般に「ぜんぜんは本来否定を伴うべき副詞である」という意識がやはり多くありま。研究者の間ではこれが国語史上の“迷信”であることは広く知られている事実です。迷信がいつごろから広まり、なぜいまだに信じられているのかはよくわかりません。

さて、敷居が高いが後回しになりましたが、この諺も最近は別の意味で使われることが多くなってきました。例えば本来の意味ではなく、ある店に並べられている品物が高級すぎたり上品すぎたりして、入りにくい という場合にも使われますが、これは間違った使われ方と考えます。

敷居が高いの諺の要素には、、その家の人に負い目を感じているという点です。この部分が抜けてしまうと、本来の意味から外れた意味合いになってしまうのです。

負い目とはお世話になったり、つらい思いをさせたりした相手について負担に思う気持ちのことです。負い目を感じる相手とは、罪悪感や恩義を感じている相手ということになります。

例えば、金を借りっぱなしで、返済が滞っているとか、頼まれたことを引き受けはしたが全く済ませていないとか、不義理や不真面目なことがあるために負い目を感じ相手に迷惑ばかりかけているので会いに行きにくいとかで、その家には敷居が高くで行きづらい場合ではないでしようか。

いずれにいたしましても見ず知らずの相手ではなく、かって昵懇であった友、はたまた身内である相手を対象に、敷居が高くなる事態が往々にして起こりうることです。出来る事なら自身の頭に存在する敷居の高いとする事案の中から、その高さが比較的低い事案から順に敷居を跨いでクリアして、完熟したら最後に一番高い敷居を跨ぎ、すべて思い残すことなく心安らかな日々を送りたいものです。


 第452話 四月や〜あ〜♪

平成31年 4 月 1


四月や〜あ〜 しかけたところへ 客が来て  客が来て しぶしふやめるは へぼ将棋

四月は、いろいろと仕掛ける切っ掛けとなる時期のように思います。普通には日本人は正月が気分も新たに一年の計は元旦に有りとかで気負いますが、実際にはお目出度い正月気分に押され気味でありまして、気が付けば仕事始めとか学校が始まっていて、いつもと変わらぬ日常生活に嵌まり込んでいると言う事が多いのではないかと思います。

しかし、四月には学校では進学進級があり、日本の社会では年度替わりするのが恒例のようであります。欧米の風習からして、学校の進学進級を秋にしたり、業種によっては必ずしもそうでないように時期をずらす構想を導入する動きもありますが、何と言っても国家予算のスタ−トラインが4月であることからしても、桜が満開となる四月が日本人の奥深くに存在する所の変わり目は、4月1日となります。

本日は 5月1日の天皇陛下の譲位に伴います改元に当たりまして、その新元号を決定し、午前11時30分から公表される予定です。私は今回の譲位が本格的に国民に知らされた頃には、譲位の日は正月か、或いは先述の通りに4月1日をもって、その日とされるものと思っていました。まぁこれは個人が云々申すことではありません。

いずれにしましても、正月に次いで誰しも心機一転して迎える四月は、特別な時期であることに間違いはありません。お題の様に、さぁやるぞと心に決めて事を起こしたのは良いけれども、早速と予期せぬ事態が発生して決意が滞ることの無い様に、皆様方にもよき出発点となりますようにご祈念申し上げます。

政府は本日午前、「平成」に代わる新元号を、「令和」と決定し、発表した。


 第451話 人事言わば筵敷け

平成31年 3 月 15


人事言わば筵敷け (むしろしけ)

人事言わばとは、他人の噂話をすることを指し、しかもその人のことを褒めるのでなくて、その逆の場合のこととされています。

そしてかかる場合には 噂の当人がその場に顔を見せることがよくあるので、噂話をする時はその人を座らせる席を用意するつもりで 話をせよということであります。その用意する席を、つまり筵を敷いて確保しておけと言うことです。

「筵」とは、藁などで編んだ敷物のことで、もとは百姓で刈入れた籾や麦を天日で乾燥するために、庭に敷き詰めて使用する極めて農作業には大事な用具でありました。また他の用途としては、例えば数年に一度ぐらいで旅の芝居一座が神社の庭を借り切って興行する場合には観客を座らす敷物としたり、外から見えない様に遮断する囲いの役目として、筵はいろいろと重宝されたものです。桜の下での花見の席や運動会の観覧席として、座る場所、あるいは会合の席として色々と役に立っていました。

この様に、家の外で人と会合したり、もてなす場には「筵」を用いたものでした。今回のお題では、必ずしも招かざる客であっても、皮肉の意をこめて筵敷けと言い表したものと考えます。

更にこの諺の語源は、「人事言わば目代置け」から変化したものとされています。「目代」は目の代わりをする者、つまり見張り番を置いて人の事を言えとしたものです。

この、ちょっと小話コ−ナ−の第56話 「呼ぶより謗れ」 と類似する諺かと思いますが、一口に言えば、その場に居ない人の悪口を口走れば、言われた人がすぐにその場に現れるということですね。人の悪口は程々に・・・・・。


 第450話 三月や〜あ〜♪

平成31年 3 月 1


三月や〜あ〜 さあさおいでと前ひろげ 前ひろげ ぐっと抱しめ 乳のみ児

突然ですが、三月と言えばやっぱり大相撲春場所・大阪場所ですね。この時期に難波へ行きますとお相撲さんの鬢づけの香りと出会い、春が来たなと感じることができます。

平成27年からはエディオンアリーナ大阪と呼ばれるようになりました、大阪府立体育館には、朝の早くから風呂敷にふんどしを包んで手に持った若い相撲取りが、南海電車や地下鉄に乗って集まってきます。

大阪府立体育館での大体の時間は、午前8時には開場されます。土俵では「前相撲」 「序ノ口」 「幕下取組」 「十両取組」 「幕内取組」の順に日程が進み、最後に結びの一番に勝った力士に代わって弓取式が行われます。

テレビでよく映ります土俵下で、いわゆる砂被り席で相撲を見ている人は、礼儀として弓取式が終わるまで席を立つことはできません。さらに贔屓力士の名を叫んだり、勝っても赤裸々に手を叩いて喜ぶ事も慎まなければなりません。

大相撲とは、ほんの一例を上げても見る方の観戦者にも厳格な態度を求められているものなのです。いま最強の横綱といわれてはいますが、何かと身の振る舞いに問題ありと指摘される力士も、いくら数字の記録が突出して強くても、相撲ファンの心を逆なぜする態度を取る横綱を容認することはできません。

さて、私は相撲を見に行く時は序ノ口辺りから見れるように早い時間から行くようにしています。土俵の照明も初めはそんなに明るくもなく、取り組みは仕切り時間なく、どんどん進んで参ります。配られる取り組み表に将来名を馳せると思われる力士の名前には、大きなマル印を付けておきます。思い出に残る若い力士としては、後に小結まで出世した「旭鷲山」という力士の強さが目にとまりました。モンゴル力士の草分け的な存在であった様に思います。それにしても現在相撲よりも他の事で名を馳せている当時の「貴花田」は別格に強かったことは言うまでもありませんでした。

お相撲のお話ばかりになりますが、先の初場所で現役を引退した「豪風」について少し述べさせていただきます。

もともと私は大相撲が好きでしたが、更に濃く相撲ファンの道に導いてくださる方がおられまして、私を大阪市から大和川を渡った堺市で「尾車部屋」の宿舎と稽古場がありまして、そこへ朝稽古を見に連れて行ってくれました。すぐに間近に見る元琴風の「尾車親方」にすっかり惚れ込んでファンとなりました。朝の早くから稽古を見せてもらい、午前10時頃からは部屋の力士が作ってくれる、ちゃんこ料理をいただきました。まず親方と見に来た客に部屋の力士達が全員で給仕をしてくれます。相撲界でも美味しくて有名な尾車部屋のちゃんこを頂きます。ビ−ルも頂きますし、大変有難い時間を過ごさせてもらいました。何度かは親方の隣に座らせて頂きいろいろとお話を聞くこともできました。

初めの頃には、尾車部屋にはいわゆる関取と言われる力士が無く幕下の 富風、錦風、舞風他10人ぐらいの力士がおられました。春場所の本番が始まる1週間程まえの日曜日の夜は、堺のホテルに、300〜400人ぐらいの支援者を集めて「尾車部屋春場所激励会」が開催されます。そこで親方の挨拶は参加者の期待を受けて、「1日も早く幕内力士を部屋から出るように尽力いたします」、との決意を述べておられました。一つの相撲部屋から、幕内力士を出すということは大変なことなのです。

そしてついに、平成14年に本名が成田青年が尾車部屋に入門となります。四股名を本名の成田として幕下15枚目格付出で初土俵を踏むことになりました。経歴としては、中央大学出身で 大学4年生の時に全国学生相撲選手権大会で優勝して学生横綱を獲得という輝かしい跡を残しています。

私は当時には写真に凝っていましたので、部屋のマネ−ジャ−さんに頼んで稽古中の写真を撮らさせてもらいました。春場所で大阪入りした成田さんの姿も沢山撮ることができました。

私の記録や記憶は曖昧ですが、成田はわずか数場所で、 新十両に昇進したかと思います。この時に四股名を「豪風」となりました。これは師匠の尾車親方が命名したもので、親方の四股名の琴風から、弟子には「風」の字が入ります。

豪風としては、 最高位は西関脇まで出世しました。そして本年初場所では東十両十二枚目でしたが、9日目で1勝8敗と負け越しが決まり、幕下への陥落が見込まれたことで、現役引退を表明しました。そして、年寄・押尾川の襲名が承認されました。

尾車部屋としては、豪風に続いて、大西さんこと、「嘉風」がいて、どちらかと言えばよく似たタイプの双璧で大変長らく楽しませてもらいましたが、これからは嘉風の頑張りに応援したいと思います。

なお、先述の尾車部屋への私の直接の応援は、大阪に於ける谷町の変更により遠ざかることとなりました。

梅も桜ももちろんいいものです、しかし私には難波の町に春の香りが広がるこの時期が最も好きであります。


 第449話 梅は百花の魁

平成31年 2 月 15


梅は百花の魁(さきがけ)

時期が二月となりまして、今は大阪の地でも梅の花が見られます。♪梅の小枝に鶯が 春が来たよと 歌います ホ−ホ−ホケキョ ホ−ホ−ホケキョ ♪ しかし、鶯が歌うのはもう少し後のことと思います。

そして、日本で古くは花と言えば「梅」とされていますが、文学にも風流にも縁なく生きて来た者にとれば、花は 「桜」とイメ−ジしますが、皆さまはいかがなものでしようか。

とは言うものの、 その年のどの花よりも早く咲くのが梅であるということはご承知のことですね。そこから人が誰よりも先んじて、優れた人物が輩出する時に先陣をなす者の例えとして「先駆け」と言い現わされています。

先駆けは、ほかの者に先んじて馬で敵中に攻め入ることがもとの意味であり、同意味の「魁」には、かしら、その道を初めて開いた人、優れているという意味も含めて魁の字を使ったといわれています。このように春を迎えて、いの一番に咲く梅を「梅は百花の魁」と称えられたのですね。

「魁」と言えば思い出すのが、もう4年前になりますがNHK連続テレビ小説「あさが来た」の中で、「ファースト・ペンギン」という面白い言葉が登場しました。昔からあった言葉かも知れませんが、テレビを見ていて大変感動したことを今でも覚えています。それは我が国に於ける初の女性実業家である物語の主人公「あさ」を指して五代友厚が語った称号でありました。

我が国の幕末から明治での時代背景としましては、女性が実業家としてイニシアティブを取るなんて到底考えられなかった時にまさしく、人々の先頭で大胆不敵に立ち回る主人公「あさ」を知った五代が、洋行で得た知識の中から、ファースト・ペンギンとイメ−ジが一致したのでしょうね。

ファーストペンギンとは、集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に氷の海に飛びこむ1羽のペンギンのことから、その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を、米国では敬意を込めて「ファーストペンギン」と呼ばれるようになりました。

これは何事に於いても最初にリスクを冒して先駆する者がいなければ、ペンギンとすれば群れの生活は成り立たないのであるからこそ、ベンチャーの世界では、危険に挑む者が尊敬されるということになっています。

お話を元に戻せば、まだ寒さで草木もじっとしている厳しい時期に、梅は数々の花に先んじて開花して人を和ますことから、百花の魁と称えてきたのですね。


 第448話 二月や〜あ〜♪

平成31年 2 月 1


二月や〜あ〜 逃げる娘をつかまえて つかまえて 無理矢理させるは 拭き掃除

逃げる娘をつかまえて (^^♪ ではありませんが、 昔から 二月は逃げる と言われてきましたが、さて何を語っているのでしょうか。

思い当たる最大の原因は、二月はうるう年もありますが1か月の日数が2〜3日少ないことです。この日数が結構早く次の月へ替わると感じます。 正月という日本人には特別な月が終わったばかりと思っていると、節分が過ぎればもう三月が間近に迫り、二月は格別早く通り過ぎるように誰でも思うことです。

また、北半球に過ごす我ら日本人に取れば1年の内でも、最も気温の冷え込む時期でもあり日々の生活が家の中で、じっーと春が来るのを待っているという、行動力にも乏しくて何かをしなければならないと思いとは裏腹に、炬燵の中で菓子でも食べながら、ややもすれば罪悪感にも似た気分で過ごすというのが2月という日々であります。

新聞では、この2月だけ派手に取り上げられて、秋になれば優勝という活字と全く縁のないプロ野球チ−ムが、今年はほんまに強いで、この分なら A クラスどころか優勝も十分と書き立てます。プロ野球もこの2月だけですべてが終了するならば、G とか T は喜ぶことでしょうね。

まぁ2月という月は、正月が過ぎて気候としても一番寒くて人が行動するにも身が固くちぢこまりまして時だけが淡々と流れる状況にあります。

そして、やがて迎える3月にはあれこれとやらなければならないという焦燥感だけで過ごしてしまう時期となり、総じて後に思い起しても何も印象に残ることのない所からくる時柄を総称して、 二月は逃げる とされたのではないかと思います。


 第447話 朱に交われば赤くなる

平成31年 1 月 15


1年中でも寒さの一段と厳しいこの折に、人が生きて行く上で何度か巡り合う、いわゆる人生の岐路で人はどう舵を切ってきたのかと、またどうするべきであるのかと少し考えて見ました。

今回は、朱にふれると赤くなるように、人も交わる友によって影響をうけ善にも悪にも感化されるというものです。

誰でも生きて行く上では、自分以外の多くの人と交わりながら生活を送ることになります。その生活基盤に於いて交わったり単に出会ったりする過程で得る友達が、己にとって良い友達を持つことが大切であるという意味を説いた言葉です。

そしてその出会い等の一時点では、なかなか自分の行く末にどう影響を及ぼすかは図り知ることが出来ないのが普通かと考えます。

さて、今回のお題を進めるに当たっては、もう一つの諺としましてよく耳にする、 水は低きに流れ人は易きに流れる、という言葉があります。これは水は低いほうに流れるごとく、人は安易な方を選び勝であるということです。言えばちょっと難しいなとか、嫌やことだなと思った時には、分かっていてもつい楽な方を選んでしまいます。

例えばの話として、図書館へ勉強をしに行こうと誘う友と、若者のハ−トを掴んで羨望の的であるア−ティストのライブを聞きに行こうと誘う友があれば、特段の状況がなければライブへと足を向けることになると思います。ライブに行った切っ掛けで末には大ア−ティストへと昇り詰める場合もあり、何もライブ行きを否定するものではありませんが、易きに流れる例えとしました。

これが数時間の出来事であったとしても、いざ 人生の最大の岐路であったらどうであろうかと、最も大事な青春での出会いではどうするべきか、また自分はどうしてきたかと思い起せば、自分の中では大変な選択の岐路であったと思います。

普通に考えれば、良い友を選ぶことの大切さと、最適な環境に身を置くことの重要さを求められていたことにになります。 朱に交われば赤くなるというように良い友達を選ぶことが、大事なことであります。

もっとストレ−トには、 朱に交われば赤くなるとは、家庭・社会・学校・職場等の良し悪しに関係なく、どのような情勢でも言えることで、悪い人と関われば悪くなり、良い人と関われば良くなると言う事であります。



 第446話 正月や〜あ〜♪

平成31年 1 月 1


---------新年 あけまして おめでとうございます-----------
-----本年も、「小話コーナー」をよろしくお願いいたします------

正月や〜あ〜 正気で母さんさせたがる させたがる 娘もしたがる カルタとり

カルタは、日本語ではなくてポルトガル語なんですね。日本では類似する遊び道具としては花札のように「札」と言い現わされます。でも「札」と言えば遊び道具てはなくて、プロの方々が鎬をけずる命がけの道具となります。

さて、優しく「カルタ」のお話といたしましては、 日本の昔話が描かれているようなものであれば、小さい子供さんにも関心をもってもらえてその上に、大人からも改めて懐かしい昔話を思い出し、昔話からの教訓をカルタから学ぶことができます。

また、少し格式ばったお話としまして、小倉百人一首というのがあります。これは藤原定家が選んだ100人の歌人の和歌を集めたものであります。この中から何首覚えたかなど友達と自慢ごっこをしたものです。まだこれを理解したり、覚えられない頃には、百人一首を使って坊主めくりを楽しみました。カルタは外にもババ抜き、神経衰弱等いろいろと工夫次第で友達同士の集まった折とか普段は家族で楽しむことができますので、大抵どこの家にも一そろえはあったものです。

しかし、最近のカルタにはスマ−トフォンや、他の電子機器の遊具に負けじと、読み上げアプリが対応しているものや、読み上げCDが付属している物も存在いたします。これらなら読み上げする人がいなくても、読む順番もランダムに変わるらしく緊張感を持って遊べます。子供さんとお母さんの二人きりでもカルタができますし、アプリやCD付きのカルタがあれば、時も場所も自由に便利に楽しむことができます。極端には一人でもその気なら遊ぶことが可能です。

まあ、しかしカルタは昔からのお正月の定番の遊びでもあります。現在では世には溢れるばかりの遊びがあります。されど家族の中であったとしても、ワイワイガヤガヤと喋りながら意思疎通を図るには、カルタ遊びは最適かと思われます。私の昔の思い出ですが、お正月が過ぎて1日1日と日が過ぎても、あと今日だけと鳴きを入れながら家族で遊んだことがあります。

お題のように、娘の年になってもカルタとりの遊びは一家団欒の礎であったかのように思われます。お父さんやお母さんと一緒に何かができることが子供にとっても喜びます。ぜひご家族揃って遊んでいただければよいと思います。

 


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