ちょっと小話コーナー
Short Story保存弐号館
ご意見などは、掲示板で待っています。

第050話 チャンスを迎えに行け   第051話 知らんのは半値  第052話 阿吽の呼吸  
第053話 北海道 Ver 2  第054話 北海道 Ver 3  第055話 下手の横好き
第056話 呼ぶより誹れ 第057話 春の風邪と   第058話 六日の菖蒲  
第059話 惚れてしまえば   第060話 明日の百より 第061話 紺屋の白袴
第062話 米糠三升持ったら 第063話 もぬけのから   第064話 風鈴
第065話 8月15日   第066話 二兎を追うものは(1) 第067話 二兎を追うものは(2)
第068話 十月の昼間なし   第069話 文書を書くことは 第070話 秋の入日と  
第071話 仲人は宵のうち   第072話 師走は女房に 第073話 石の上にも三年
  小話保存壱号館へ   小話保存参号館へ   小話保存四号館へ
  小話保存五号館へ   小話保存六号館へ   小話保存七号館へ
  小話保存八号館へ   小話保存九号館へ 小話保存拾号館へ
  小話保存拾壱号館へ   小話保存拾弐号館へ   小話保存拾参号館へ
  小話保存拾四号館へ   小話保存拾五号館へ   小話保存拾六号館へ
      小話 TOP へ

 第073話 石の上にも三年   

平成14年12月13日


JR3WAS' HomePage も、おかげさまで開設3周年を迎えることができました。

趣味を羅列するだけでも、なんとか更新していけるかな、なんて軽い気持ちで始めましたが、すぐにWEB に UP するだけの内容を持ち合わせていないことに気がつきました。だからといって趣味の専門的な内容の追求するだけの時間、費用、気力の欠乏などに行きづまりました。

それと、PCに使う時間も大きな要因となってはだかりました。しかるに趣味も進まず、PC テクニックも進まず「中途半端」な時間を送ることになっています。
この悪しきル−チンから抜け出して、見てもらうだけでも楽しいサイトにするか、今一度趣味に没頭して、内容のサイトにしていくか、考え迷う今日この頃です。

して、今回のお題ですが、忍耐のたいせつなことのたとえとして、その代表的なものです。 つめたい石の上でも三年すわっていればあたたかくなる。世の中にはつらい仕事や、なれない作業など、いろいろな苦労がたくさんあるが、なにごとも辛抱が大切である。三年辛抱すれば、何かが見えてくるはず。と先達からの教えです。

JR3WAS' HomePageを三年やっても、何も見えない「かっちゃん」ですが今後とも小話コ−ナ−ともども、よろしくお願い申し上げます。


 第072話 師走は女房に難つけるな  

平成14年12月1日


またまた、師走となりました。
いまは、こんなお題はナンセンスかも知れませんね。それというのも師走でなくても「女房には常時、難をつけられない」というのが現状かもね。

まぁ、それにしてもこれは、 年末は忙しいもので、女も身じたくにかまってはいられないから、髪かたちが乱れているからといって難癖をつけてはいけないということ。
いまの女房に師走だからと言って忙しくしているのは、ほんの一部の事業に付随している家族専従者ぐらいのものでありまして、一般的にはそのようなことは無いようです。

それでも、残すところあと3日という時期が来れば、それは焦っているのが感じられます。 だいたい、次に何して、その次はなんて思っているときに横から無神経に用事を言いつければだれだって怒ります。それを承知の上で言うものですから、こじれた感情はなかなかもどりません。
やっと仲がよくなったのは、元旦になり気分も落ち着いて、することなく寝床でイチャイチャ、やっと歳を越した気分になれたということが、過去にありませんでしたか。


 第071話 仲人は宵のうち  

平成14年11月15日


「苦しい時の神だのみ」の神であったり、愛のキュ−ピットのキュ−ピットであったり、「仲人」は大変奇特な有難い存在であります。

この諺の「仲人」もそうでありますが、いくら親切にお世話をしても引き揚げ時を誤ればもとも、こもありません。もちろん訪問先を後にするのもそうでありますが、せっかく人のために良いことをしても、いつまでも恩を売るような事をしてはならないことは言うまでもありません。

直接には、仲人は結婚式がすんで務めが終わったら、若夫婦のじゃまにならぬうちに帰ったほうがよいということで、引き身の大切さを語っているものです。

あっさりと、おじゃま虫とならないように今回は短めにしておきます。


 第070話 秋の入日と  

平成14年11月1日


今回のお題「秋の入日と年寄りはだんだん落ち目が早くなる」

これは、れっきとしたお題ではありますが決して皆様方のことではなく、自分自身のことなのでそのつもりで。

して、秋の日の入りは誰にでも日一日ごとに早くなるのが感じられます。9月初めの日没は6時半頃ですが11月の終わり頃には5時頃になります。
理論的には春に日が長くなるのもペースは同じですが、なぜか秋の入り日に我が人生を重ねるのは何故でしょうか。

このように秋の日の入りは、先になるほど早まるが、年をとると目に見えて弱ってくるものです。自覚症状の「落ち目」と、他から見た「落ち目」があります。
自分では気がつかなくとも、頑固になり、口から出るのは、自慢話と昔話。誰もそんなものを聞きたくはないのに、人は我慢して聞いてくれている。それに気がつかず自分が認められているような気分になりほざきまくる。人の輪に入った途端に蜘蛛の子を散らすように逃げられてから気がついていたのでは遅いのですが、現実はこんなものです。
自分から身を引く技術を会得したいと思うことしきりの、今日この頃です。自覚症状の場合は、あまり他人に悪影響を与えないので、羅列はいたしませんが出来るだけ「他から見た」より自分で「自覚症状」にコントロ−ルが出来るようにしたいと思っています。
とにかく゛落ち目゛は、その進行スピ−ドは、想像以上に早いものなのです。


 第069話 文書を書くことは、恥をかくこと  

平成14年10月15日


つい最近に同僚の方から、教えてもらった゛ことわざ ゛です。
きっと、彼女はこの「小話」を読むことの出来る環境にあるので、警鐘を打つてくれたのでしょうね。

話し言葉は、確かに難しいですが、その喋りを「何らかの」方法で対面して喋っていますので、その人柄や伝えたい事柄、親切かそうでないか等、伝わります。

一方「文書」は、書くほうが気を使いながら、あれこれ書いたところで、読み手がどのように解釈してくれるかは、分かりません。まして、まともに書けるならなだましですが、口語体とか文語体とか難しい理論も出てきて、これはもうたいへんです。まして、書物は残りますので、これまたたいへんなことです。

しかし、広い心で読むならば、これは面白い。よく映画と本を比べて「長・短」を論議されますが、受け方に無限の展開という夢を与えてくれるは、書物に一日の長を感じるところです。

ま-今回のお題を教訓に、心して書くことと、恥をかいてもなお書き続ける気力を大事にしたいと思います。
  


 第068話 十月の昼間なし  

平成14年10月1日


「十月の昼間なし」の、 この場合の十月とは、旧暦と思いますが、いずれにしても本当に最も日の短いのは冬至の頃です。しかしその頃には農家も大して忙しくはない。
だが、穫り入れの最盛期となる十月には繁忙を極めることになりますが、日が目立って短くなりそれが一番こたえます。

反対に田植え時期は最も日の長い時期ですが、繁忙期の期間を比べたら「田植え時期」は水の順番で一時となりマイペ−スではいきません。その点はうまくなっているのですね。

一方、秋季のほうはのんびりしますが、夜明けが遅く、日の入りが早く実質時間は比べ物にはなりません。
また、穫り入れ作業は露に濡れた早朝には作業開始ができず、ますます実働時間が少ないのです。

しかし、とっくに暮れた晩に月明かりを頼りに稲刈りをしたこともあります。
現在の農作業は機械化されて幾分事情変化がありますがぁ。

この語を思うとき、本当に忙しい時というものは実質時間もなく、よく後先を考えたプランによって効率のよい時間の使い方をしなくてはならないという「時は金なり」と共通する格言ですね。


 第067話 二兎を追うものは・・・ Ver 2 (2)  

平成14年9月15日

第66話の続編

空の大スペクタルショ−は、2時間ほどの興奮につつまれて幕を引いた。
ショ−タイム中には誰も気が付いていなかったが、英太郎は半ば強引に「咲子」の手を引き、群れから外れていた。

「いままで、君に距離をとっていたのは僕にはあまりにも近寄り難い人であった。それは、細身に体の半分以上あると思われる長い足、色白に真っ黒の瞳は、あまりにも、眩しすぎる」。今まで数々の女性にささやいてきた言葉を爆発するごとく咲子に浴びせかけた。

咲子は英太郎が有加に気を寄せているものと感じていたので、すこしためらったが、いま現実に耳元とで連発される言葉を疑うことをしなかった。
むしろ有加に勝ったという、もともと勝負にならないはずの勝負なのに喜びが湧いてきたのである。
唇を任せながら咲子は、美しいがゆえ誰も近づいてくれなかった心の寂しさを、つい先に見た空の大スペクタルショ−の興奮に似た勢いにしたっていた。

ホテルの一室で4人が2人の帰りを待っていた。咲子は「よかったね、きれいでしたね。」「お待たせしました、飲みましょか。」と英太郎が声をかけたが、それはもうどうすることもできない場と化していた。

心密かに「咲子」への挑戦のための準備をして、最後の天に聞いた答えも Yes 。思いきった行動も順調であった。が、朝帰途につく支度をしている時に異変が起きた。

江木晋作と美里は、列車でさらに足をのばし旅を続けると言い出した。そこでゴルフ帰りの車は、落ち込んだり怒って情緒的に不安になっている「有加」
を秋田良雄がサポ−トして二人で帰る手はずとなった。浮き足だったのは、英太郎であった。有加をこの状況のままでは帰らすわけにはゆかず、咲子を気にしながらにも、有加も自分の車に誘った。その時、咲子は自分のバツグを秋田が運転する車へと積み、軽く会釈をしながらドアを開き乗り込んだ。

きっと、「真っ赤なフェラリ−」で見かけた女にも、いろいろあったのだなと思い出していた。ワイパ−の動作の向うには雨に濡れた、大阪まで125q の道路標識が一人旅の英太郎を誘っていた。
                                おわり
     


 第066話 二兎を追うものは・・・ Ver 2 (1)  

平成14年9月1日


「二兎を追うものは、一兎を得ず」 第7話で、お題にしましたが、フィクション超短編小説で再登場です。


迷いに、迷って今回はあえて難コ−スに挑むこにした英太郎にも、それなりの勝算があったのである。
対向車に目をやり、幌の被った貨物車と出会った後の、3台目に来る車のボディ−カラ−が「赤」なら迷うことなく「咲子」にアタックしようと。
もちろん心の中には、暖めてきた「有加」にはうしろめたさを感じながら、咲子に対する熱い想いはもう燃えはじめていた。
赤い車と限定して、かなり確立の低い方に賭けたのは、自らが信じる遊びのル−ルに背き人並みの男になることへの抵抗でもあった。

だが、キ−ポイントの貨物車と出会うことが、しばらくなかった。英太郎はハンドルを握りながら、1日早く仲良し3人で出発した「咲子・有加・美里」の、その香りを思い浮かべていた。やがて道は緩く右カ−ヴに続き視界が大きく開けた。はるか雲のしたに岬が見え隠れしている。新しい世紀を迎えたばかりなのに、もう今世紀には巡り会えないだろうと言われている流星群、空の大スペクタルショ−を見るために、同僚6人で、その岬のホテルに投宿して楽しもうと計画実行の途上である。 残り2人は、この日ゴルフコンペに参加、夜には合流の手はずができていた。

小さな町を通りすぎたとき、突然とてつもない大きな車に「幌」を付けたのと出会った。かなり緩慢な走りにイライラするように、数珠繋ぎの後続車が。その3台目がなんと「真っ赤なフェラリ−」であった。一瞬ではあったがサングラスからはみ出た顔に、赤裸々に不満顔の男と、明らかに疲れ顔の女が目に映った。その女には、「咲子や有加」のように香りを感じるには、ほど遠かった。

美里は後に合流するゴルフ組の江木晋作の婚約者である。そして咲子と有加は年齢差こそ離れてはいるが仲の良い友達である。年上の咲子には街ですれ違った女性でもふりむかすだけのものをもっている。だが当の咲子は、それを鼻にかけることのない極めて好人物であり、それがかえって男を寄せ付けない存在であった。

英太郎は、どちらかといえば咲子にアタックしたいが、強いて比較対象となる複数女性があれば、今回でいえば咲子より、その脇にひっそり控える有加に標準を定めてアタックする。それが英太郎の遊びのル−ルであった。

春には似合わない、すっきりとした空は手を伸ばせば星をつかめるほどまばゆいかぎりで、6人のウオッチャ−を歓迎してくれた。
それなりに人一倍親切にされ、いつも目線を浴びせる英太郎から、今夜は特別なことがありそうな期待に胸をときめかして、心密かに受け入れモ−ドの有加であった。


 第065話 8月15日  

平成14年8月15日


昭和20年8月15日正午、NHKラジオは天皇の肉声により日本の全国民に戦争に負けたという放送を行った。
その一節「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ビ難キヲ忍ビ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カント欲ス」。
この放送を太平洋戦争の終結として、この日を終戦記念日としています。
この前、7月26日に発表された゛ポツダム宣言゛の受託をめぐり、それ以降は東郷外相と阿南陸相がそのとりまく派閥を楯に激しい紛糾を展開したとある。
8月14日午前、御前会議で決、午後にはその日の深夜までかかって玉音放送の録音が行われたとのことである。

刺殺・集団暴行・無気力・過保護・自己中心・崩壊、こんな活字が一日たりとて活躍のしない日はない。何故か、日本民族を腑抜けにするために米占領軍が仕組んだ教育施策が、なぜか日教組100年の計と共鳴して今や開花期にある。

国に忠・親に孝・師を敬う日本伝統の思想を、軍国主義絶滅を大儀に「道徳教育」をないものにしたため、自分しか考えない放任主義が戦後教育の主流となって、その教育を受けた者が今では家族の主となり家族形成をなしている。子供の躾など出来るはずがなく、子供の悪戯は青天井。何がわるいのかさえも、知るところではない。


前段部についは、後段部を語る区切りの時期として引き出したが、学校教育を補うのが家庭教育であり、社会教育であった。
いままた学校教育の堕落の付けを総合教育の名のもとに、社会教育に求められている。家庭教育に期待のもてない現在、残りすくない前段部の人々に奮い立っていただき、世に奉仕してもらいたい。
ただし、間違った時代さきどり老人の多いのには閉口している今日この頃ではあるが。


 第064話 風鈴  

平成14年8月1日


涼しそうな音色が聞こえてきます。夏になれば、まず風鈴を軒先に吊るすのが習慣になっています。

それは、もう50年ほど前の出来事ですが、いまだにその時の゛風鈴゛の音を忘れることなく、鮮明に、かっ強烈に記憶としてのこっています。
なんの気無しに遊びから帰って目を向けると、いつも痩せた身体を横にして寝そべっていた犬の゛ペリ−゛の姿がありません。あれっ鎖をはずして遊びにいったかな−ぁと、あたりを見渡しましたが、その気配もなく、やがて爺・婆の様子がいつもと違うことに気がつきました。

子犬をもらってきたはいいが、何の世話をしないのを不憫に思い、犬獲りに差し出したとのことだ。思いきり方向も聞かず駆け出して犬獲りを追ってはみたが、たわいもないこと。爺・婆をののしり、つぎにきたのは何とも言えない寂しさと、゛ペリ−゛にたいする惜別の念が頭中に広がりました。

薄暗い物置で1時間ほど、しゃくりあげながら大声で泣きに泣いた。泣き声が続かなくなったころ、「風鈴」が「もういい、もういい」と語りかけるように鳴っていました。

2年前の夏、もう外が明るくなるのに一睡もできない恋の病にはまり込みました。朝方すぅ−と風が吹き、チリリ−ンっと風鈴が鳴り、すこしは寝てはいかがかなって語りかけてくれました。

そしていままた風鈴の力を借りなければならない窮地に泣いている。


 第063話 もぬけのから  

平成14年7月15日


地中から顔を出してもいいのやら、まだ外は冷たく時期早尚なのかと迷っている草木の芽たち。 初めて出会いお互いを意識しはじめた頃の様。

そんな時を経て、ものすごい勢いで生茂る成長期。何をしても、なにを食べても美味しくまさしく破竹の勢い。どちらが声をかけても都合の悪い日なんてなく、逢えば夢を語り楽しかった頃の様。

やがて、成長もとまり成熟期となります。やっとお互いはそれぞれを見つめあい、話し合い、なんかちょっと違和感も芽生える。

男女の仲ほど不可解で、何が起こるかわからないものはない。 たとえば、本気で惚れた女に貢いだものの、金の切れ目は縁の切れ目と、女性はドロン。部屋を訪ねてみれば、家具がいっさいなくなっていて「もぬけのから」・・・などという話は結構あるものだ。

さて、「もぬけのから」とは、セミやヘビなどが脱皮した後の抜け殻のことであり、実らぬ恋をして、惚れた女に逃げられた後の空洞をどのように、なにで埋めればよいものか。熱いハ−トが宿っていた、ろっ骨も今では、焼け跡の鉄骨のように、ただ空気をはらんでいるだけ。
おおよその人々は、時が解決をしてくれると言うが。


 第062話 米糠三升持ったら養子に行くな  

平成14年7月1日


「一人娘の青天井」とか言って、自由気ままに育てられた家に婿養子に行ったもんなら、それはそれは自由のない厳しい人生を強いられることが多かったことからして、このような語が出てきたものと思われます。
しかし現在では、ちゃっかりと資産を目にいれて、るんるん気分の婿養子もあります。

サザエさん宅は、婿養子ではないがマスオさんからしていえば、妻とその両親と同居していて、限りなく婿養子的環境で共同生活を営んでいます。
コボちゃん宅も同じである。

では、なぜ長期間にわたって超人気漫画のモチ−フとなっているのであろうか。
古くから継承されてきた日本の家族形態から脱皮して、迎えるべく新しい日本の家族像としてのモデルってな大そうなものではないにしろ、平成の現在に相通じる平和な家族スタイルかもしれません。

高齢者の家庭介護の観点からしてみれば、男系の男子これを継承するではなく、女系であったほうが、理想の家族スタイルであって、核家族とならず、したがって介護保険なる法律も必要なく、今も日本のよき風習が維持されていたかもと思われます。


 第061話 紺屋の白袴  

平成14年6月15日


類似語として、「髪結いの乱れ髪」「医者の不養生」があります。

この語は一般的には、怠けたり無能で手が回らないような状態ではなく、むしろ働き者の勲章としての用いかたをしています。
染物やでありながら、自分は染めない白い袴をはいているさまを指し、他人のことばかりに忙しくしていて、自分のことをする暇がないことを言います。

して、昔は紺屋なる仕事はそんなに多忙をきわめるものであったのかどうかである。
例えば造酒屋としても、米の獲れる時期や気温・季節に左右されるが、一方紺屋は、多少の季節感は伴うとしても、年中仕事が続いたのではないかと思われる。
普通、綿を収穫してから、綿くり、製糸、織物、と過程を経て、紺屋へ回る。縫製してからの場合もある。この間、農家の夜なべでぼちぼち進められていく作業であるため、あまり集中して紺屋に仕事か゛まわらなかったのではないだろうかと思う。

年中、細々と絶え間なく仕事が続き、設備投資も、人力投資もままならず、家内工業の域を脱することが難しい仕事ではなかったのではないか。

語から推測しても、紺屋とはきっと年中忙しかったんですね。今こんな絶えず忙しい仕事がどこかにありませんか。


 第060話 明日の百より 今日の五十  

平成14年6月1日


「明日の百より 今日の五十」  これによく似たのに「美味いものは宵に喰え」というのがあります。
当然に反対語もありまして「いそぐ乞食はもらいが少ない」などがあります、さて皆さんは、どちらのタイプでしょうか。

まぁ、事にもよりますが私は「明日の百より今日の五十」タイプでありまして、他人を信用しないイヤがられと思っています。
だから勝負事は、からっきしダメで、゛待ち゛ができないのです。真からの凡人なのです。 大きくなる男は、これができて、しかも瞬発力抜群なのです。

つまり「待ちができて、即座の状況判断ができる」、その過程に組織と資力をはじめとして、他を信頼し任せる包容力と、的確な素早いリスク回避の対応ができるのです。

なにか、すこしお話がぶれてきましたが、明日になればくれるという百文の銭より、今日くれる五十文のほうがありがたい、また明日はどうなるかわからないから、なんぼでもいいからいま、確実に手に入るほうがよいということの意味あいであって、人が生きていく術として当然かもしれません。

ふつう、歳をとれば気が長くなるように思われていますが、気が長くなったのではなく、思考力が鈍くなるだけです。

できれば思考力を維持して、「明日の百」を旨とした後世が送れればいいと思っています。


 第059話 惚れてしまえば、痘痕も笑窪  

平成14年5月15日


世にいろいろな、ことわざや故事・慣用句が存在しますが、これほど見事なものはない。
そして、「惚れる」というのにも男女間のみならず、有形・無形に限らず、そしてまた、人だけではなく、魂の持つすべての生き物がいだく自然現象といえます。

カタログを見つめ、CPUがなんだ・メモリ、RAM、ROMがなんだ・かんだと物色しているうちに、すっかり「惚れ込んで」もう、一番大事な値段なんて頭になく、無理をして買い込む。誰かが「他メ−カ−の別機種がもっとええで」とアドバイスしても、もう、聞く耳はなし。

まして、男女の好いたはれたともなれば、倫なんてハ−ドルも関係なく障害が高ければ高いほど燃えるもの。
相手に惚れ込んでしまうと、みにくいあばたもかわいいえくぼに見えるように、欠点でも美点に見えるから、もうどうしようもない。

いずれにせよ、かかる事態と遭遇したら、自分自身に嘘をつかないように、自分自身にフランクに生きることができればいいと思っている。


 第058話 六日の菖蒲十日の菊  

平成14年5月1日


夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る・・・・・。新緑のよい季節となりましたね。

五月といえば、端午の節句です。そして五月五日には端午の節句で菖蒲(アヤメ)をかざります、昔ながらのいいものです。
おなじく九月九日には菊の節句でキクをかざります。

「鳥もカラスも飛んでからもの言うな」という、すこしニアンスの違いはありますが、要は、時期おくれの物の意味であり、今回のお題は、それぞれ一日おくれたアヤメとキクのことから、時期遅れで「間がぬけた」とか、時の役に立たないもののことをいいます。

年齢とともに、何事にも先に先にと気をつけてはいるものの、「あっ、忘れた」と頭を抱えるタイムリ−エラ−の多さには、まいります。
カレンダ−に丸をつけ、見るのを忘れるのは、まだ良い方。なんのために丸をつけたか思い出せず、日が過ぎてから事の重大さに身の縮む思いをする、なんてことしばしば。
素敵な年のとり方を、誰かご教示をお願いします。


 第057話 春の風と40過ぎの恋      

平成14年4月15日


「春の風邪と40過ぎの恋は治りにくい」というお話し。
春もいよいよ終盤にとなりました。1年もすれば又、春は巡ってまいりますが、同じ春はありません。 そして、春といえば「恋」がつきものでございまして、ちょっと袖が触れたかなという感じのもあれば、夜な夜な寝付かれないほど頭の中を走り回るのがあります。

して、問題なのが冬という風邪の季節が過ぎ去ってからの風邪ひきと、ひとまず人生の峠を上り詰めて、下りにさしかかってからの恋であります。
どちらも、初めは遠慮がちに船出するものですから、その反動は徐々に大きなうねりとなって、気づいた頃にはもう少々の手当てではどうにもなりません。

体に毒といわれるものほど美味しく、見てはならないものほど見たいもの。゛禁断の恋こそ恋゛と一途になりまして、歌の文句ではありませんが「もぅどうにも止まらない」となります。

突き進むにも、もとに戻るための軌道修正にも、計りしれないエネルギーが必要となりますが、どこか誰でも゛あこがれ゛として抱いているのも確かであります。

どうせ短い人生、開き直って゛直らなくとも結構゛と堂々と向かいあったら、恋も打開して風邪もなおっているかも。


 第056話 呼ぶより誹れ  

平成14年4月1日


呼ぶより誹れ
(そしれ)は、 いろいろと数ある「ことわざ」の中でも、これほどよく当たるのも他にはないと思う。 そしてまた、これは時により道具として使える大変便利な「ことわざ」でもある。 誹るとは、悪口を言うことである。

何かの会合で誰か一人が時間を過ぎても来ないとする。 そんなとき、誰ともなく「誹れ、誹れ」と言う。
そして「時間にだらしない奴や」、ぐらいではまだ来ない。 「さぁ−、時間だけあったらええんやが、ちょっと聞いた話しやけど、・・・」「なんや、なんや」 と話につい力が入ろうとしたとき、決まって「やぁ、やぁ」とやって来る。 便利な道具です。

それにしても、今年の「桜」は早咲きでしたね。誰か「桜なんて入学写真のバック以外に何の役にも立たないアホ花や」なんって、誹ったんとちゃうやろか。


 第055話 下手の横好き  

平成14年3月15日


「下手の横好き」 類似語として「多芸は無芸」や「器用貧乏」があります。

いろいろなことができる人は、一芸に集中することができないので、かえってこれといったすぐれた ものがないものです。

ひしひしと自己批判を迫られる今回のお題。我がHPの TOP を見ていただいてもずいぶんと多角経営して いると自分自身でもそう思うのです。

よくよく考えて見れば全くの「下手の横好き」でありまして、極めたものが一つもありませ ん。では、飽きっぽいのかというとそうではなく、カメラは50年近くなりますし、アマチュア無線で も27年になります。

オ−トバイも40年以上も乗っていますが、 オ−トバイのことの話ができますが、オ−トバイ仲間で走れば遅いので、しゅん太郎です。

無線でも、ぼちぼち CW をたたいていますが、仲間が集まれば、速く打てずに、しゅん太郎です。

写真も一緒でして、典型的なのが模型ヘリでありまして万年初心者。

凝ったけれど物にならず止めたのも数々あります。 犬、金魚、ヨット、自転車等があります。

小話コ−ナ−がねた切れになったら、訳の分らぬ回顧でも書きたいと 思っています。

なのに又めずらしいものが目に入ればやりたくなるのです。 そろそろ人生も着陸点を定めて最終のアプロ−チに入っているところです。ここらで「下手の横好き」と決別して、何か絞り込んで、極め付けの一点を会得したいと思う今日この頃であります。      


 第054話 北海道 Ver 3  

平成14年3月1日


      

「駅はたいへん滑りやすくなっています、十分お気をつけて下車ねがいます。まもなく小樽です。」

札幌での雪まつり見物もすみ、小樽へと移動することになりました。 昼過ぎの小樽には雪が降っていました。駅舎のガラス細工が美しく輝いていたのがとても印象深く思いだされます。

とりあえず、運河沿いにあるはずのホテルノルドへと向かうことにしました。新雪がキュキュと鳴り、滑ってこける心配もなく、むしろこけて寝そべりたいような感覚で歩きました。
木作りの粋なお店がありました。ちょっと寄って暖かい牛乳を飲もうと張り紙を見て店内に入りましたが、なんと注文したのは、ソフトクリームでした。これがまた、なんとも美味かったのです。

ホテルに荷物をあずけて、運河の小道を歩いてガラス館・オルゴール館へと散策に出かけました。ボランティアの人たちが夜の光の演出準備を始めていました。

相方はガラスに時間をかけて、そして私はオルゴールに時間をかけました。それぞれ思いの一品を求めて満足げに外へ出たとき、あたりはすっかり暮れていました。一時止んでいた雪もまた降っています。積雪で道の境も明確ではありません。そんな道を観光客らしき人を乗せたタクシーが駅の方へと急いでいました。

夕食に入ったすし屋での、熱燗はなんともいえませんでした。あやしい足取りで、運河沿いのローソクによる火の祭りを見物しました。マイナス7度の宵闇に浮かびあがる、火・火・火。冷たいはずの川面に映える火の祭典、どこから集まったのか凄い人だかりの人々が感嘆の声をあげています。なだらかな曲線を描く小樽運河、同じ曲線で結ばれる火の点をしばし時を忘れてながめていました。

乗合バスで、天狗山へとむかった、夜景を楽しむために。バスの中は、当ご一行の二人のみでありました。運転手と会話を交わしながら、というよりも親切に小樽の案内をしてくれました。 山頂はマイナス10度の銀世界、ファインダーを通して見える下界の灯火は青白く、いっそう寒さを誘います。

暖かいホテルの湯で体を解かして、小樽の夜を閉じました。 翌日、函館で一泊して北海道の旅を終えました。


 第053話 北海道 Ver 2  

平成14年2月16日


            


平成14年2月10日午前3時8分゛ゴォォ−っという凄まじい爆音で目が覚めた。

「しまった−」と思いつつ急いで服を着て4号車のサロンカ−へと走った。 JR北海道の車掌が、「青函隋道」の案内を午前3時からしてくれるというのだ。
なぜ、「隋道」なのか、トンネルは片側から掘ったもの。隋道は両側から堀進んだものとの説明があったが??? とにかく、トンネル内には2駅あるし、1本ではなく数本のトンネルが掘ってあるとか、ユ−モアたっぷりのト−クで「トワイライトエクスプレス」を北海道に誘った。若い車掌は昔のことは、語らなかった。

外灯に照られた範囲のみ白く見えるが、あたりはまだ真っ暗なのに「ついに来たゾ−北海道」という気分の高まりを抑えることができなかった。

かつて、国の内外を問わずこのような気分になったことがあるだろうか ? 。真剣に北海道行きを考えて、なぜか行けなかった北海道、子供のころ近所のおっちゃんに聞かされて、あこがれの地であった北海道、♪小樽は寒かろ―♪ ♪は−るばる来たぜ函館へ♪ ♪恋の町札幌♪ 具体に何がどうかというのではない、理屈ぬきの゛あこがれの大地、北海道゛ オ−トバイで訪れるいわゆる゛みつばち族゛これも計画だおれであった。「第40話 北海道」参照

そんな思いが頭の中を駆け巡っている間も、目は景色を追っていた。やがて空がしらけてきた、案外雪が少ない。近代的な建物に混じって写真で見たような古い風景が見える。 苫小牧を過ぎて、内陸部に進むにつれて積雪量が増してきた。トワイライトは終着駅札幌へと勢いよくつっ走る。


 第052話 阿吽の呼吸 

平成14年2月1日


私にとっては、ここ10年程の間によく聞くようになった語です。自分自身は人一倍「あ・うん」の 呼吸で物事を進めたい性格であるのに、最近は年のせいかどうもその形に入るまでの手続きに 時間がかかるのです。それが仕事上の場合も私的であっても同じことなのです。

年がとれば、人間は丸くなるように一般には思われていますが、じつは年をとれば慎重に、また 頑固になるものです。よって「あ・うん」の呼吸の間柄になるには、それなりの尊重仕合えるこ とが条件になるのです。
いま簡単に誰か相手が「あ・うん」の呼吸でとこちらにボ−ルを投げかけ られても、「一寸待ち、あんたをそこまで受け入れてないでぇ」と尖ってしまいます。

だからうるさい 奴やと、うとまれますが、傍目にはポリシ−のしっかりした、信頼のおける人と写ることもあります。

「あ・うん」とは、手間を省いたり、無責任に簡単に事を済ませるためのものでないことを、改めて 考えたいと思います。

二人の気持ちや動きがぴったり合うことであり、無理するものではありません。 「阿」は吐く息、「吽」は吸う息のことで、お寺の仁王様や、神社にある狛犬は、これを表していま す。口を開けいるほうが「阿形」、閉じているほうが「吽形」ということです。

我がロ−カルでは、類似語として「もってこい、三吉」というのがある。時の間に合うとか、もう 少し広義な意が感じられますが、江戸っ子の「がってんでぇ」も同分類で、粋のいい気持ちのいい ものですね。


 第051話 知らんのは半値  

平成14年1月14日


知らない物を値踏みする時は、胸算の半値から話しを始めよということ。

店などで物を値切るときの要領で、値うちのわからないものは、およそ半分くらいの値を見当す ればだいたい当たる。

正札より、高い値を言うのは論外として、半値の半分等言うと、買うつもりのない、ひやかしと思われる。いずれにしてもよい売り手と買い手の関係がうまれない。

父親は、大阪商人として半生を送ったのであるが、私が子どもの頃に戦争から戦後という世の混乱期のなかで 商人を廃業して、農業と、ほかにもろもろの暮しをしていた。
そんな訳で、父親は物を買うには、必ず言い値ではなく値切って買うのが当然のこととしていたのである。 そして、口癖に「製造が三分一」「問屋が三分一」「小売が三分一」と言っていた。
したがって正札 で物を買うなんて考えられなかったのです。現在の流通機構ではすこし当たっていない分野があるかも知れませんが。

しかし、店のおっさんと喧嘩をしたらあかん、うまいこと言って負けてもらえと教えられた。
欲しいものを数店探したあげく見付けた。さぁそこで「別に今買わなくとも足りとるけど、ええ品や 、値が合ったら買ってもええでぇ」「それにしても、ええ物置いてるな」とか、なんとか言って、足 もとを見られないように頑張って値切って買ってくる。

ところで、最近になって大阪・日本橋の電気屋街で表示価格のみで商売をするという。そんなアホな 話はおまへんで。店主曰く「最近の客は、値切らん、よってギリギリを表示すれば事が足る」とのこと。
この話しちょっとちゃいまんな、 買い物の楽しみは、値切ることや、そやおまへんか、大阪の人。


 第050話 チャンスを迎えに行け  

平成14年1月1日


今日から真新しいダイアリ−を使いはじめる。週間日誌型で、マルマン社のものである。もう10年以上 も同社の同型ダイアリ−を使っているが大変使い勝手がよく機能的な日誌である。
そして、ペ−ジ毎に洋風の格言が挿入されていて、本年は「チャンスを迎えに行け」で始ま っている。

チャンスが廻ってくれば逃すことのないようにものにするというのが普通の考えかと思いますが、廻っ てくるチャンスを、ただ待つのではなく積極的に求めていこうというものかと考えられます。

幸運を呼び込むというのは、いったいどういうことか。万人誰もができることなら幸運に出会うことを 夢見ている。幸運は努力とか精進の賜物として向こうから巡ってくるものと考えられています。

では、どうして「迎えに行く」かであるが、具体的な行動としては、投資、情報収集、継続した願望な どがありますが、さらにもう少し強引に考えると、他人のチャンスを横取りするなど、限りなく犯罪 の世界へと突入していきます。当然リスクも発生するし、これでは話になりません。

年の始めから少し物騒なお話になってきましたが、今回のお題はけっして道をはずれてまで迎えに行け というものではないことは言うまでもありません。

せっかくチャンスから接近してきているのに、注意力散漫で見逃してしまうってなことがないように常 に配意しておけということです。
ボ−イスカウトのモット−に「そなえよ つねに」というのがある。このモット−のごとき今年は常に緊張感をもって生きる決意である。



  小話保存壱号館へ   小話保存参号館へ   小話保存四号館へ
  小話保存五号館へ   小話保存六号館へ   小話保存七号館へ
  小話保存八号館へ   小話保存九号館へ 小話保存拾号館へ
  小話保存拾壱号館へ   小話保存拾弐号館へ   小話保存拾参号館へ
  小話保存拾四号館へ   小話保存拾五号館へ   小話保存拾六号館へ
      小話 TOP へ