ちょっと小話コーナーShort Story 保存参号館
ご意見などは、掲示板で待っています。

第074話 還暦 第075話 竃横跳び   第076話 柳に雪折れなし
第077話 親しき仲にも 第078話 早いが、遅い  第079話 菜種梅雨
第080話 寝るほど楽が 第081話 罰(ばち)は目の前  第082話 準備の良否
第083話 「マメ」   第084話 「ことわざ」   第085話 遠目、宵目
第086話 短気は損気 第087話 枇杷 第088話 初夜
第089話 因果応報  第090話 21年ぶり 第091話 お嬢さん学校
第092話 神無月 第093話 Z to Z 第094話 ホ−クス優勝 
第095話 ホ−クスを想うVer 1 第096話 ホ−クスを想うVer 2 第097話 ホ−クスを想うVer 3
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 第097話 南海ホ−クスを想う Ver 3

平成15年12月13日


昭和43年までの野球と監督野村の8年間とは、プロ野球のおかれていた環境が大きく変化した時であって、時代に遅れまいと野村が野球以外のことでも例えば興行面においても心を砕いていたと思われる。

そうなれば、問題はただ一つである。鶴岡一人を、そして師とあがめる比叡山の坂本の高僧を失い、なおかつ手にするに値する事象であったのかどうか。本人が良ければ私生活まで他の者が言及することは出来ないが、夢を売る商売人がそうであってはならず、南海ホークスファンを落胆させてはならなかったのでは、ないだろうか。

選手としての輝かしい数々の記録を残し、プレイングマネージャーとしても、立派にこなし、まさしくホークスの新しい顔として活躍をした野村が、ホークス史上から抹消された。おそらく球団との確執には鶴岡をはじめとして他に計り知れない圧力があったことであろう。

しかしホ−クスの監督としての終盤には気に入りの選手だけと自由奔放の時期があったように聞く。だからこそ解任劇となってホークスを追われたのであると思う。

生涯一捕手としてロッテ・ライオンズを経て、のち大監督となるのである。

昭和31年2月に、南海ホ−クスは、昭和30年の優勝した褒美として、21人枠でハワイ遠征をおこなっている。その遠征を鶴岡は手記で「野村の成長」を絶賛しており、遠征人員枠のやりくりの難しい中、野村を連れて行ったことで、使える見とおしが立ったことを、よろこんでいる。

やがて、昭和33年の杉浦投手の新人王にはじまり、ホ−クスの絶頂期となるのである。

いまなお家には「家風」というものがある。南海ホ−クスには、鶴岡一人という偉大な人に築かれた「球団風」があった。それに馴染めず反逆したドラ息子、折角よい跡取として育てたのに、親の言うことを聞かない、親不孝の物語。その家も今は潰れてよその家に。。。。。  ・・・おわり・・・


 第096話 南海ホ−クスを想う Ver 2

平成15年12月1日


大雑把な勝負師、鶴岡野球と緻密な ID野村 野球の差が二人の袂を分けたように思っている方も居るかも知れないが、これは少々的外れだと確信している。
鶴岡一人に最も近い方に直接「 (二人の間には) 野球に関しては何のわだかまりもなかった」と聞いている。
監督とその優秀な選手の二人は、ホ−クスを 日本一にするという、熱き思いを胸に、ただ一点を見つめて野球に精進していた。

2年目か3年目の野村に目をつけて、鶴岡はハワイキャンプに連れて行っている。松井・筒井の2枚キャッチャ−もいささかロ−トルとなり、若いキャッチャ−を育てることが、鶴岡の急務であった。この抜擢には、野村は大感激をしたと、当時のことを扱っている新聞や、雑誌には報じられている。

野村は、クレバ−な人。京都の峰山で、プロに入ってキャッチャ−をやるには「南海」が一番早くチャンスが廻ってくることを見定めていた。そして狙いどおりに、「南海ホ−クスの一員」となった。
昨日のドラフト会議(平成15年11月19日)でも、お分かりだと思いますが、何でもかんでも、力も、努力する気のない者ほど、G Gと言いたがる。やはり野村は、立派やな。特にこの時代は、賢い青年やったんやな。何でアホになったかは、わからんが、この時分には、いまのテレビによく出るご婦人と知る由のない時代であったことは紛れもない事実であった。

話しの筋道を少々外れましたが、今では偵察隊・スコアラーはどこのチームにも存在します。しかし一番早くこれを取り入れたのはほかならぬ鶴岡であった。毎日新聞記者であつた尾張氏を日本のプロ野球初の専属スコアラーとして招聘、整理された情報は当時、尾張メモと呼ばれホークスの勝利に大きく貢献したと言われている。
その他、守りにおいても外野手から本塁への返球連係プレーの構築等、数々の頭脳野球を鶴岡は実践している。 野村は、相手のバッターにマスクの奥から「子供の病気よくなったか ? 」などとささやき打ち気をそいでしまうような手段を使った.。これなど ID 野球ではなく人間味戦術ではないか。一方野村は何冊もの大学ノートにぎっしり覚書を記入していたと言われている。 両氏とも、野球の勝負に正面から立ち向かっていたことは言うまでもない。・・・つづく・・・


 第095話 南海ホ−クスを想う Ver 1

平成15年11月15日


最近、大新聞の2社が南海ホ−クスの「野村」の扱いについて書いた。とりわけ、なんばパ−クスの7Fにある「南海ホ−クスメモリアルギャラリ−」でのことが、それである。 鶴岡一人 VS 野村克也に何があったのか ?
まず、読売11月11日には、「かつての南海ファンなら、誰しも、あれっと首をひねるようだ。」っとある。アホか、(水)は !!!

南海ファンなら、誰も首をひねらない。せやけど残念でならない昔の出来事である。夢を売って商売するプロ野球集団が、己らの意地とか、私生活の問題をファンをないがしろにしたり、寂しい思いをさせてはならない。

野村がホ−クスに入団した夏に中百舌鳥でもらったサインを家宝のように大事にもっている。とりあえずサインをもらったのだが、誰だかわからない。家に帰ってメンバ−表をみたら自分の名と同じの「克」1字が読めた、他に克の字がつく者が居ないので「あぁ野村かっ」てなもんであった。しかし、サインをもらった縁で後々まで、心酔してファンを通した。その野村が・・・・・。


堺市にあった、ハリマ製菓の゛シスコ ゛というキャラメルの箱に、おまけで点数カードが入ってあった。たしか20点を集めて郵送すると自分の氏名ゴム印がもらえた。 そして、50点ぐらいで「南海ホークス」のシンボルである鷹のバッヂをもらえたのである。何個も貯めたものだった。
鷹の羽ばたく姿を図案化したもので、今竹七郎作、氏は当時大阪の有名企業の社章等を数々手がけいる。鷹のマークは、シンプルではあるが都会的なセンスで描かれて、ホークスファンに長く親しまれた。
カラーはもちろんホークスのイメージカラーであるグリーンで「走る電車は緑の電車、なーんなーん南海電車、南の海を走ってく」と歌われた。

こよなく南海ホークスを愛し、あげくのはて昭和63年10月15日、大阪球場での南海ホークスとしての最終戦で杉浦監督が「行ってまいります」と福岡に行ってしまった。 この時の挨拶「行ってまいります」が他の言い回しであったら、たとえば「さようなら」なんて言っていたら、この時にホークスと決別し、バッファローズとか、タイガースのように在阪球団に宗旨変えしたものが多数いたはず、それが前述のとおりで多くのファンが杉浦に、ホークスに付いていったとのこと。
最近出版された「南海ホークスがあったころ」にもそのことは記されている。かっちゃんも、その一人である。 昔話にしたりながらも今なお続く「南海ホークスファン」をないがしろにした事象について今回は考えてみたい。・・・つづく・・・


 第094話 ホ−クス優勝

平成15年11月1日


野球場で見る背番号21杉浦投手より、はるかに近距離で見ているはずなのに、それは物理的な距離ではなく、とても近寄り難い、この世の人とは思えない程、偉大な偶像として見ていた。

昭和34年10月31日である。同級生の阪神ファン゛ミツダ君゛と一緒に行った御堂筋パレ−ドのことです。

大阪球場発で、これには間にあわずまた大阪球場に戻ってくるというコ−スだったので、御堂筋の南端、南街劇場の西側あたりで帰りを待っていた。何台かのオ−プンカ−に分乗、杉浦と野村が2台目あたりに乗っていた様に思う。

昭和26年から昭和30年のうち5回もパリ−グの覇者となりながら、ことごとく G に負け続けた。「なんかい (南海・何回) やっても勝てない南海」と言われ続けて、やっと東京・ G に勝った。大阪の人は皆歓喜した。パレ−ドで4連勝の立役者・杉浦は「赤穂浪士が討ち入りした翌朝は、きっとこんな感じだったんやろな」 と言ったという。

明日は、博多でホ−クスが、3日には、御堂筋でタイガ−スがパレ−ドするという。

あの日、昭和63年10月「南海ホ−クスお別れ試合」後に杉浦監督が「さようなら」と挨拶したのなら、きっといま「バッファロ−ズ」か「タイガ−ス」に宗旨変えをしていたやろに、「行って参ります」と挨拶した。「ただいま」と帰ってくるのを信じてホ−クスファンを続けている人が沢山居るとは、最近出版された単行本「南海ホ−クスがあったころ」に明記されている。


 第093話 Z to Z

平成15年10月15日


平成15年10月8日、長年にわたって親しんで参りました、かっちゃんの愛車 Z32 が Z33 にと世代交代いたしました。

先週末には、秋祭りの「だんじり曳行」があったので、まだほとんど乗ってはいませんが、少しだけ感想を書けば、32より33の方がスポ−ツカ−になったのかなって思います。

これは試乗車で体験しましたが、NA であるのに、4千回転からの吹きあがりが凄い。MAX 付近では専門誌などでは、不満のように書かれていますが、かっちゃんとしては満足です。次にブレ−キが改善された。軽く踏むだけでよい。残念ながらハンドリングまでの様子を知る機会がなかったが、固いめのサスペンションといい按配になっているかのように思います。

アクセルを踏んで走り、ハンドルを切って曲がり、ブレ−キを踏んで止る。ごく当たり前のことですが、これが昔より言い伝えられている、スポ−ツカ−の要素です。

邪道の話しにはいりますが、新旧 Z を比較して、あまりにも内装・装備の悪さに、もう少し値段を上げても、ユ−ザ−の満足度を確保してもらいたかった。
内装は、軽トラック並です。メ−タ−類は増えて楽しいが、どうも安っぽくさい。

ま-あんまり言うと、Z33 が怒りますので、この辺で。

     


 第092話 神無月(かんなづき)

平成15年10月1日


40数年前に、神道系の高校で、「神無月」は、新年を迎えるにあたり、出雲大社に日本中の神々が集まって、今で言う総会・研修会に参加しているため、神有月という島根県地方以外は、みんな神のない月、つまり「神無月」というと教えられた。

最近、他の説があることを知った。それは「かむなづき」といわれ、「な」は、古文では「の」と同じ働きで「神の月」という意味があったとのこと。
いつの時代かに、その「な」が「無」に置き換えられて「神無月」となり、出雲大社に神が集まるという俗説が生まれ、今では一般にはそのようになっているようですね。

これは、いずれが正論かは知りませんが、何か先述の方が親しみがあって良いと思いますが、皆様のご意見はいかがなものですか ???


 第091話 お嬢さん学校

平成15年9月15日


ずいぶん久しぶりに「車中ウオッチング」を一題。

あの制服と独特の響きがある校名のお譲さん学校は、大阪では羨望の的である。かっちゃんも自分の娘は通わせたいと思っていた。残念ながら銭甲斐性がなかったので夢はかなわなかったが。

知る範囲としてだけでも、半世紀も前から生徒は皆、気品があり、ブライドの塊のような自覚心は群を抜いてた。

がぁ、それが 先週のある日の、通勤帰りの車中での出来事です。そのお嬢さん学校の5人程が、 膝を立てて、太ももをあらわに見せ、床に地下座りをしている目も覆いたくなる光景と出会ったのであります。
もっとも近年は、そのお嬢さん学校の生徒が 6人掛けシ−トに4人程で占領し、足を広げている姿とか、それに似た行儀の悪さはときどき目にするようになっていたので、この学校も特別ではないのだなぁって感じてはいたのですが。

先輩から永年にわたり脈々と引き継がれてきた誇りが 時代の流れという言葉で済まされたのでは、あまりにも寂しいものを感じるのです。

制服に status を感じさせるには、個々の集合体の自覚を高め、その指導者は並大抵の努力では保持できないことと察しるところです。また、他の学校なら仕方のない風景と受け入れ、この学院だけは我慢ならぬ乱行と憤慨するのも理の合わぬ話かもしれません。

それにしても、一部の生徒であってもこのようなことで、制服を汚すのを見たくない思いである。


 第090話 21年ぶり

平成15年9月1日


先日、8月26日に西武ド−ムで行われた、西武ライオンズ対福岡ダイエ−ホ−クス戦でホ−クスが勝って今季の負け越しがなくなり、翌27日には、9対5で連勝、これで今季のホ−クスのライオンズに対する対戦成績勝ち越しが確定した。

昭和56年に16勝7敗3分けの対戦成績を残して以来21年間負け続けたのである。この昭和56年といえば、「南海ホ−クス低迷時代」の真っ只中にあり広瀬監督から、あのブレイザ−監督に代わった年であった。コ−チ陣も外人で組閣され再建を図ったが5位に終わった年であるのだが、ともかくこの年には、勝ち越している。

それ以来昨年まで延々と負け続けた。ダイエ−に変わり、10数年その長い間もライオンズには、負けに負け、平成11・12年の連覇の年ですら年間にしては、勝てなかったライオンズに今年は勝ったのだ。

かっちゃんは、ホ−クスファンではあるが、もし、もしもう一球団をと言われば、バッファロ−ズでもなくタイガ−スでもない、ライオンズが好きである。

昭和30年代における、ホ−クスとライオンズの優勝争いには、執烈なものがあり、ある年には7連敗を喫したこともあった。そのほとんどが「稲尾」に負けたと思っている。

いずれにしても、両チ−ムはパシフィクリ−グにおいての名門チ−ムである。「名門・南海」と言って、名門の文字は南海の為にあった。

21年ぶりという数、なにか 杉浦の背番号21と因果めいたものを感じませんか。あの優しい目で杉浦投手が天国から「うんうんライオンズに勝ったかぁ」って笑っているかも。


 第089話 因果応報

平成15年8月15日


ちょっと恐い気がする今回のお題ですが、諸悪を抑止するのに存在があり、これ又よく的を得た語であると思います。

辞書などでは「考えや行いの善悪に応じて、その報いがくること」とされています。

「因果」とは、なにかがあってどうなったという具合に原因と結果を結びつける言葉ですが、あまり良いことには用いられていない様です。

「応報」は善悪の行いに応じてあらわれる、それにふさわしい報いとされています。

誰しも人は聖人にはあらず、多少なりとも悪いことと思いつつも、勢いとか廻りの情勢に流されて、エィヤ−と渡ってはならない橋を渡ったことは、一度や二度ぐらいはあることと思います。しかし、その場限りの些細な罪に因果応報という語は、用いられることは少なくて、「親の因果が子に移り、この・・・・・・・・」なんて、この季節昔のオバケ屋敷の客寄せ文句であったように、先祖代々にわたる悪業を戒めた語であった様ですね。

信長は、天下布武の為、まわりの者に耳を貸さず、叡山を焼き払い家来の手にかかり志半ばにて逝ってしもた。

秀吉は、智略で戦ったが、往年朝鮮出兵等の無理がたたり、二代目が育たなかった。

家康は、忍で世を平定し、徳川300年を築いた。しかし関ヶ原前後の悪行は、前の二者の比ではない、はるかに悪い。

三者の寸評には、かっちゃんの思い入れも、ぶれもあるが、こうして思えば、直接に手の下す悪行を重ねないようにすることが肝要だということですね。


 第088話 初夜

平成15年8月1日


つい最近、10数年前に「高野山」の、とある宿坊で泊ったおりのメモ帳が出てきましたので、その思い出を。

それは合宿研修での出来事でした。3泊程してその最終日の夜、夕食で出た少しのビ−ルが呼び水となり、講師・生徒が入れ乱れて無礼講が始まりました。いつのまにか、お坊さんも数人が加わりました。広間には、いくつかの話しの輪ができました。そして仏教について、滅多に聞けない色々な話もでてきました。どんな話しをしていたかは、読者の皆様の想像にお任せするとして、一つ言える事は、男ばかりでありました。

して、初夜とは仏教では一日を、晨朝(じんじょう)・日中・日没・初夜・中夜・後夜の6つに分けていて、初夜とは、午後8時から9時頃を指し、又その時間に行う読経のことも指すとのことでした。 お坊さんには毎日「初夜」があるのです。

今回は、お盆の月にちなんで仏教についての、お話でした。


 第087話 枇杷

平成15年7月15日


夏と言えば、「枇杷」の季節ですね。皮は剥けやすく、水がしたたるような枇杷は、美味しいものです。
しかし、かっちゃんの小話によく出てくる、祖父は枇杷を忌きらっていたようである。

枇杷には、大きな種があります。枇杷を食べ出すと祖父が近づいてきて監視します。それは「種」をどこともなく捨てるなということです。して、何故ともうしますと、枇杷の種は案外硬いものなのです。それを牛が踏むと、牛の足の裏は、二つの爪によって構成されており、体重まかせでその間に挟まります。そうなれば、足の骨折、爪の破損と、大変な怪我へと発展するのです。実際にこの様な事故の発生は、かっちゃんの記憶にはありません。しかし昔は牛を大事に可愛いがったものです。

あと一つは、「枇杷を屋敷に植えると病人が出る」と言いました。先述のように「種」をところかまわず捨てると、やがて芽がでてきます。よって枇杷を食べるときはそれは、きつく監視されたのであります。
祖父は、45年も前に他界していますので、もう聞けませんがなぜ枇杷の木を屋敷に植えたらダメなのか、分かりません。

勝手に推測をすれば、枇杷の木は葉がおいしげ、梅雨の時期に尚更ジメジメと湿気づけて、不衛生となるのでその様に考えられたのでは、ないだろうか。
今でも、枇杷を食べる度に思い出す、祖父「常太郎」。


 第086話 短気は損気

平成15年7月1日


早いもので、今年も中間点を通過しました。なにか年齢とともに暦の進み具合も、なぜか早く感じるのであります。
そして、年齢とともに難儀なことに、自分自身がどんどん短気となり、すぐに゛カッ゛となり、それを抑制できない今日この頃です。

普通、一般には年齢とともに、穏やかに、気が長く、円満な年寄りになると思われがちではありますが、その内実はと申しますと、けっしてそうではなく、おうおうにして、気が短くなるものです。
本当に高齢となって、短気を起こす気力、体力が欠乏すれば話しはべつですが。

とかくなまじっかの年寄りが一番処置なしであります。やはりそれは、自分なら、これこれは、どうしてきた、なんて自尊心みたいなものが、フツフツと頭と体に湧いてきて、そこで自身がやってきたことや、思ってきたこととズレが生じるともう我慢ができなくなり、 短気を起こしてけんかをしたり、つい゛カッ゛となって行動したりする。結局は自分の損になることがおおいのですが。

「今日言うことは、明日に言え」という言葉もありますが、ともかく分かってはいても、なかなか守る事の出来ないひとつですね。

これから、暑い夏本番ですね。ひとつ今年の夏は、短気を起こさないようにク−ルに行きましょう。


 第085話 遠目、宵目、傘の内

平成15年6月15日


あじさいの綺麗な季節ですね。いつの時期にも、それぞれ咲きみだれる花は、美しいものです。
この世の中で、美しいものと言えば、「花」と「女性」ですね。これには誰も異存のないはずです。

して、今回は「女性」が実力以上に、綺麗に見えるというお話。特定の女性に想いをはせたなら、これはもう「痘痕も笑窪」といいまして、もうどうにもなりません。(第59話参照)

まず「遠目」ですが、遠くはなれて女性をみれば、それはもう女性というだけで十分でして、足の運びなどが、しなやかであれば、もう Good です。

「宵目」は、黄昏時に出会ったひとは、顔の輪郭のみで詳しい情報がよみとれません。白いのか、肌が綺麗なのか、などなど想像が勝手に美人を仕上げてしまいます。
「傘の内」は、これまた、傘がじゃまして、十分に見えなかったり、傘のかもしだす色とか、影が絶妙に反映してイメ−ジアップに加担します。

ま-ぁ、考えて見れば、いずれの場合も、過大評価に勝手に陥るわけですが、それでも、美しいもの、綺麗なものを見たいというのは、人類不変の欲望ででもあるのですね。

嫁さんに、傘をきせても何の効果もありませんで。念のため、ハッハッハ。


 第084話 「ことわざ」  

平成15年6月1日


ことわざ」と、なんでもそうおもってきましたが、「故事成語」「四字熟語」「慣用句」とそれぞれ少しずつ、発祥とか意味のちがうものであるらしい。拘る必要があるのかどうかはよく分からないが、知っていて損のない日本の常識かな。

して、「ことわざ」とは、人が生きていくうえでのいましめであって、世間を見据えたことばである。そこには生活の知恵がうかがえることばである。「好きこそものの上手なれ」等がある。
故事成語」とは、昔にあった事実とか、経験にもとづいてできたことばで、「漁夫の利」等がある。
四字熟語」とは、字のとおり漢字四字で、ある意味を表すもので「百発百中」等がある。
慣用句」とは、二つ以上の言葉が合体されて、ある一つのまとまった意味を表すもので、「氷山の一角」等がある。

このコ−ナ−ではすべてを「ことわざ」としてきたが、これからはすこし考えなければならないなっと思っています。


 第083話 「マメ」  

平成15年5月15日


豆、ではありません、「マメ」なひとのことです。

最近は、ジャニ−ズ系とかなんとか言っていわゆる男前でなければ、女性にもてないかも知れませんが、それはほんの若い世代のことでありまして、現在でも一般的には、女性にもてる男性とは「マメ」な人に一日の長があります。

女性にもてる男性の条件をあげたとき、金・経済力や容姿をさしおいて、いつもトップの座を占めるのが、「マメマメしさ」であるといわれています。

なぜ、「マメ」がもてるのかは、女性心理を研究したわけではないので解りませんが、「マメ」の語源が「豆」ではなく、「真実」または「正身」で「まみ」と読みますが、これではないかと言われています。

なんとなく分かるような気がしますが、人に下心まる見えと噂されてでも、マメマメしく女性に尽くすには、やはり相当の心の真実とか、身も心も捧げる覚悟が必要なのですね。

決して男女の時だけではなく、ひたすらにせかせかと真面目によく働く人を指して言われることもあるようです。


 第082話 準備の良否が成果を決める  

平成15年5月1日


準備に入るには、前回のDATAが必要となる。 準備の良否を考えるには、前回の記録こそ大切なものになる。

記憶は、時には希望的な自分に都合のよいDATAとして残るもので、正格性には極めて乏しいと考えなければならないであろう。あらゆる行動中でも紙キレにでもMEMOをして、日々記録として整理しておくとよい。今はPCを初めとして便利な道具がそろっています。
もっとも生活習慣のように繰り返して、いわゆる体で覚える職人芸は別として、記録こそ準備に必要なものである。

したがって、経験・体験のない新しい事に対する準備には、書物とか、インタ−ネット検索でDATAを集めるのもいいであろう。

そしてまた、その道の先達に教えを乞うのも方法である。この場合は謙虚な気持ちで受け入れ、この段では自分の考えを持たない様にするとよい。

例えば、自分の概念としてそのものが「赤色」と考えていると、先達に「青色」と教えられても、頑固に「赤」と考えを変えないまのである。
これは、迷うだけで何にもならないことになる。まず、総合的にDATA集めて、次のステップに入ってから考えれば「赤」か「青」かが見えてくるものです。この例の場合、今までの経験からいえば「青」となることが多かったと思います。

このあたりが、一番難しく「成果」としてか、又はその逆となる判断所であるといえます。
一度、事を構えれば次に備えて正確なDATA管理をすることであり、すでにこの時から、「次への準備」の始まりとなります。


 第081話 罰(ばち)は目の前  

平成15年4月15日


「ばちは目の前、当たるが早い」

久しぶりに、祖父に教えられた言葉から一題。

この語も、調べてみると広く用いられているもので、決してかっちゃんの祖父が勝手に作り話をしていたのではないことが、最近になって知りました。
ただ、広くには「罰」と書かれていて、これを「ばち」と読むには少し無理がありますね。かっちゃんの地方では、「罰」のことは、「ばち」と言います。

さてこの話し、菓子を横取りして脱兎のごとく逃げ去ろうとしたら、草履の鼻緒が切れて足がもつれて、バッタリ転倒。
それを見ていた祖父がタイミングよく「ばちは目の前、当たるが早い、ハッハッハ−」と高笑い。
それ以来、かっちゃんは、悪い事をするときは、草履の鼻緒を点検してからにしています。このことは、今でも心得ているつもりです。

「悪いことをした者には、すぐにその報いがめぐってくる」として戒めた語ですが、現代は悪人が栄え、なかなか天罰は下されないのが現状のようです。

しかし、こうでも思わせないと、世に善行を積む者が居なくなりますね。古いタイプの道徳語ですが、どうです誰にでも少しは身に覚えか゜ある、今回のお題ではないでしようか。


 第080話 寝るほど楽が  

平成15年4月1日


「寝るほど楽があってこそ 起きて働くアホがある」

春眠暁をおぼえず。寝るにええ季節となりました。
1日が終わり、やれやれって、寝床に入るときの幸せ感なんて、かっちゃんには格別なものがあります。

しかし、これとて心身ともに健康やから言えることでありまして、身体の調子が悪いときは、そうではありません。病気になれば眠たくはなりますが、眠れません。やっと寝ついても、すぐに目を覚ましたり、朝も早くに起きます。それくせに一日中眠たいのです。10数年前に味わいました。

身体の不調は、いろいろ原因はありますが、仕事上や金銭・家庭・人間関係・などあげればきりがありませんね。

快眠・快食といわれるように、眠れるとは、生活環境すべてが順調ということですから、今回のお題と仲良しにしている時は、誠にありがたい状況にあると言えます。

この語は、亡き親父が、寝る度に言っていました。そして、いまかっちゃんも、やはり言ってます。


 第079話 菜種梅雨  

平成15年3月15日


ここ十数年来、この時期の季語として「花粉症」という言葉が幅をきかすようになりましたが、やはり「菜種梅雨(なたねづゆ)」がきれいですね。

3月から4月初めにかけて、高気圧が北に片寄ると、日本の南岸沿いに前線が停滞して、梅雨どきのような雨が降り続きます。これを、「菜の花が咲く時期に降る雨」なのでこのようにいわれています。

花といえば、日本では桜ですが「桜梅雨」と言わないのは、時期として桜にするには少し雨のほうが早かったのですね。そして野に一面に咲く「菜の花」がそれなりに春の訪れを運んでくる綺麗な花で、しかも多用途に重宝された種油のもとであることからして、農家にも大切なものであったのでしょうね。

昔の日本には、季節ごとの微妙な変化に敏感で、このような「気象用語」と言われるものがたくさんあり、情緒あふれるものが残っています。

現在の世の風潮として雨を嫌うことが多いが、進化した社会構造上のことでありまして、自然を主に考えれば、花を咲かせる、また山や野原の木や草にとって、新芽を出すために必要な恵みの雨なのです。

台風のように、あまり歓迎されないものもありますが、日本の四季に訪れる自然現象とは嫌うことなく仲良く共生できればいいなと思います。

今回は、きれいにまとまりました。hihi


 第078話 早いが、遅い  

平成15年3月1日


例えば、電車に乗る時刻だとか、会合に出席するために出かけるときに、すこしまだ時間があり余計なことをして、つい遅くなるというお話。

人それぞれの性格がありますが、私の場合にはこのことわざもよく当たります。

少し時間があるから、ちょっとメ−ルチェックでもするかとPCに電気を入れた。 するといつも、うまく立ち上がるはずのディスクトップが、そんな時にかぎりトラブリ現れず、なにかピ−ンと音がして、変な読めない英語の画面となった。えらいこっちゃと思いながら画面とにらみっこ。あれこれいじりたおしている間に予定時間をオ−バ−。
ほどよい時に出かけるのが肝心である。 油断してはいけないということ。

仕事をするのにも、せっぱつまらないとやらない人がいるが、遅すぎるとよい仕事ができず、ついエィヤ−と済ましてしまう。危険だ。

ウサギとカメの競争ではウサギはさんざん道草を食ってカメが決勝点のそばまで行ったときあわてて駆けだしたが、この勝負皆さんご承知のとおり。


 第077話 親しき仲にも礼儀あり  

平成15年2月15日


「類似」親しき仲にも垣をつくれ
人と人との付き合いには礼儀をわきまえるのが大事なことです。
親しいからといって慣れがつい先に出て無作法となり、友にうとまれてあげくのはては不仲になったという経験は誰にでも一度や二度はある苦い思い出だと思います。

子供の時代にも、それなりの失敗でつらい思いをしたことがあります。そしていま、もう人生の終着駅が、ついそこに見えているのに、子供の頃と何の進歩もない失敗をしています。

分かっているつもりではあるが、励行することの難しい語ですね。
年を重ねれば誰しもくどくなり、これでもか、これでもかと念を押す会話となります。そしてついポロッと言わなくともよい余計な口をたたき、相手にとっては傷口に、塩を塗られるような思いをさせてしまいます。

こうして考えてみると、やはり「礼儀」失するのは口がもとになるのが多いようですね。


 第076話 柳に雪折れなし  

平成15年2月1日


つい最近に、仕事上での会議運営に失敗した。
当方が、提案した事項に意見と言いながらも、かなり強烈な反対意見がのべられました。
こんどは、その意見に対して、当方を支持する立場での意見がだされました。
そこで、柔な会議運営を選択しなければならないのに、剛気をだしてその場を押し切ってしまいました。

今回のお題、季節はピッタリではありますが、どうも書き出しが、いまいちですね。

柔らかく、しなやかなものは、堅くて強いものにくらべて、かえって長持ちするという、雪にあえば強い木は折れたり、倒木するが、よわよわしい柳は、かえって辛抱強くよく耐えて折れたりはしないという、耐えることの大事さを教えてくれる言葉です。

先述の後、ある人が訪れて、かっちゃんに「一呼吸」の大事さを説いていかれました。
柳に雪折れなし、の語と相通じるものとして「柔よく剛を征する」のごとく、一旦その場は引いて、後日再度論議してみる、というような議事運営を身につける必要があるとおもっています。


 第075話 竃横跳び  

平成15年1月15日


へっつい よことび  と読む。
なんのこっちゃ、と思いませんか。
解説します。でも案外全国的に知られた言葉かもしれません。

へっつい、とは「かまど」のことです。昔はどこの家にもありました。うちにも3連になった竃があり、赤土で築いてありました。武家とか寺の竃は黒い、しっくいで上塗りされていましたが、百姓家では粘土そのままでした。 3つの内、真中は、主に人間様の「めし」炊きや、調理用。そして右側は、牛の餌を炊く用。左は客寄りなどの時に使うための予備でした。

竃のあるところは、「すす」で、まっ黒ではありますが、そこは調理場であります。そしてそこは女の働き場ででもあったのです。その調理場で、横跳びをしなくてはならない事態とは、さて何かと申うすれば、可愛い娘の婿がおいでなすったときの、母の狼狽ぶりのことであります。
なんとか婿殿のお気に入りの、ご馳走を並べたくて、一生懸命、形振りかまわず動き廻る親の姿を描写したものです。

それを見る娘はあり難くも感じながら親はバカだと思うのです。しかし、その娘も、やがては同じことをするのです。


 第074話 還暦  

平成15年1月1日


新年あけまして おめでとうございます。
本年も、JR3WAS'HomePage をよろしくおねがい申し上げます。

さて、「還暦」というのは、自分以外の諸先輩の方の世界で存在するものと思っていました。
それが、いつのまにか「かっちゃん」も、還暦を迎えたのであります。ま-このようなことはすべて数え年で考えるものとされています。

「還暦・・・ 60年で再び生まれた年の干支に還るからいう。数え年61歳の称。」と、ものの本には書いてあります。

では、何がそうなのかと調べれば、 十二支は、子・丑・寅・・・・という具合に12種類の動物で表されていて皆さんも良くご存知ですね。この12サイクルと十干という10サイクルの暦があり、普通、十干と十二支とは組合せて用いられ、干支(かんし)を「えと」と言われてきました。

本年平成15年は、「癸未(みづのとひつじ)」ということになります。

十干(じっかん)とは、甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)のことであります。そして これを五行に配し、それぞれ陽を表す兄(え)と陰を表す弟(と)になり、つぎのようになります。

甲(こう)   木の兄   きのえ        乙(おつ)   木の弟   きのと
丙(へい)   火の兄   ひのえ        丁(てい)   火の弟   ひのと
戊(ぼ)    土の兄   つちのえ        己(き)    土の弟   つちのと
庚(こう)   金の兄   かのえ         辛(しん)   金の弟   かのと
壬(じん)   水の兄   みずのえ       癸(き)    水の弟   みずのと

このように、60年かかって生まれた年の暦と再会するさま、そしてまたそれを祝って新たな出発として、赤いちゃんちゃんこを着て祝うのが「還暦」です。


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