ちょっと小話コーナーShort Story保存四号館
ご意見などは、掲示板で待っています。

第 98話 行雲流水 第 99話 いかいこと 第100話 100里の道を
第101話 101 第102話 つかぬこと 第103話 六十にして耳順う
第104話 はるうらら 第105話 さくら 第106話 三下り半
第107話 朝きげんよくしろ 第108話 新撰組 第109話 恩は遠くからかえせ
第110話 110と言えば 第111話 雉子も鳴かずば・・・ 第112話 人生観 を表現
第113話 実家とは 第114話 RALLY JPN 04 第115話 RALLY JPN 04- 2
第116話 浪速三兄弟 第117話 千客万来 第118話 ホラ吹き
第119話 球団 第120話 四人の子供 第121話 岳楽隊
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 第121話 岳楽隊

平成16年12月13


おかげさまで、JR3WAS'Page は本日5周年を迎えることができました。この間、ご訪問いただきました皆様、いろいろとご指導をくださいました皆様に厚くお礼申しあげます。愚サイトですが、少しでも楽しんでいただける情報発信に邁進いたしますので、今後ともどうぞよろしくお願いもうしあげます。

さて、「がくがく隊」と発するこの隊は、男女七人で結ばれた山行の友の会名であります。
大した山行の技術も持たないグル−プですが、集まった七人はこれから経験を積み、向学心を持って山を楽しもうと燃えています。

このグル−プで数回目の山行きとなりました、11月21日の兵庫県・夢前町「雪彦山」での帰途に、更なる結束を固いものにせんとグル−プ名を決めることになりました。
口々に声は出してみたものの、決定打がないままに過ぎてしまいました。 そして、その日の別れ際に選考者を決め、その者の所へメ−ルにて2作づつ応募して、その中から選者が三作をピックアップして、あと全員で、その三作に投票して決めることになったのです。

人名、企業・会社名、製品名、あげくは、芸能界での命名と名を決めるには、繁栄、発展、安全、名の響き、名の字面とありとあらゆる角度からの検討が加えられなければなりません。

昭和62年に、我ら「大阪府南河内郡狭山町」が市制を施くことになったとき、町民に新市の名称を募りました。簡単に「狭山市」とならないのは、先に埼玉県狭山市が存在するからであり、何か新しい名を考え出す必要があったのです。「狭山」とは、新しい時代になってからの名称であって、歴史の重みはあまりありません。
山に挟まれて、広がりを感じない。いや、「狭山」の字は残したい。・・・様々な意見が街中を駆け廻りました。
全く新しい字で作り出された傑作も数多くあったと後には聞きました。「狭山」を冠にした「河内狭山」と応募した者が多かったとのことでした。
そのような中、「大阪」を頭に冠して「大阪狭山市」との案が浮上。町長はこれは名案としたものの、都道府県名を冠することの是非を当時の自治省へお伺いを立てたところ、差し支えなしとの返答を得たとのことで、かくして都道府県名を冠した市が誕生したのでありました。
自分としては全く考えの付かない名称であり、アイディアとは、かく出すものだなと、ショックをうけたり、感心したことを覚えています。

余談ですが、 アマチュア無線では、交信レポ−トに発信地を必ず入れ込みます。海外、国内とも、「OSAKASAYAMA」と発信すれば、都道府県名を改めて紹介する必要が無く、ええ名と喜んでいます。ただ電信交信において国内では、「OSA・・・」、あっ大阪市かと早合点されるケ−スも多々あります。

脱線が長くなりましたが、「岳楽隊」が、響きとして、字としての目映、ユ−モアありとして選ばれました。

特別な字も使わず、山を楽しむ、ごく普通の組み合わせからこんなに素晴らしいアイディアを皆で喜びました。
生み出してくれた゛りょうちゃん゛に感謝の極みです。ありがとう。


 第120話 四人の子供

平成16年12月1


久しぶりの車中ウォッチングを一つ。
大変微笑ましい中にも何かを考えさせられる、光景と通勤帰りの地下鉄で出会いました。

私は、 4枚ある車両の扉の進行方向から3枚目の付近に座っていました。 何度目かの駅に停車した時の事でした。
1歳にまだならないような男の子を乳母車に乗せた、それは若いお母ちゃんが乗り込んできました。
乳母車には、もう一人の2歳ぐらいの女の子が、その取っ手にしがみつくように、添っていました。

同時にドタバタと小学1年生ぐらいの、いかにも元気そうなワルガキ風が最後尾の扉から、母をめがけて走ってきました。
そして、もう一人は、母より一つ前の扉から駆け寄ってきました。 それはもう、一瞬に車中が騒然となりました。

車中には、座る空席はないけれども、立っている乗客もないという具合でした。

一旦母の元に集合した子達は、其の途端、また、思い思いの方向へと駆け出しました。

電車の扉が閉まるタイミングとなり、母は大声で「ま-」・「や-」・「た-」とか忘れましたが子達の名の第一字目のみを、3文字で呼び叫びました。
手には粒状のチョコレ−トみたいな菓子を持っていました。すると母を目掛けて一斉に集合。一粒づつもらった子達は母から少し離れた所に集まり、なにやら盛んに喋りだしました。

さて、これを見ていた乗客の反応である。
40〜50年前なら、誰か年配の親父風が「やかましいっ〜」と怒鳴ったか、それに近い注意をしたことと思います。

20年前後からは、この様なことに出会っても、子供の数は別としても、ともかく何の関心も示さず、おそらく無視の時であったと思います。

そしていま、かっちゃんもそうでありましたが、若い母が4人の子供を育てている、その肝っ玉・その逞しさ・その活力にただただ感心と、ややもすれば、尊敬に似た眼差しで見つめているのであった。
今の時代、子供4人を育てあげる難しさは想像に絶するものがあるだろうし、現在の年齢よりも4人が成人するまでの道のりは、40〜50年前よりも険しいことだと思われます。
悪い言い方かもしれませんが、四人もいれば、親も小々大雑把に、大らかに子育てができます。そうです昔の子沢山時代のように。
現在、諸条件はあるものの、この辺りが世がつまづいている一番の原因なのです。

そうした状況を見つめて、子供を作ることに二の足を踏む現在、逞しく4人を育てている母親に、文句なしに無事の子育てにエ−ルを送っているかのように感じたのは、かっちゃんだけではなかった雰囲気でした。


 第119話 球団

平成16年11月15


今年のプロ野球はセ・パの優勝争いよりも、日本シリ−ズの覇権よりも、「たかが、選手」発言でグランド外の話題に終始した形となってしまった。
古田が率いる労働組合の史上初のストライキ決行。 オリックス、近鉄の球団合併に発端した球界再編、万年身売り話題のダイエ−、楽天の参画、不透明の西武、 グランド内には、これという魅力のある出来事がなかったので、せめての話題提供にとグランド外がハッスルしたのか。

東北楽天ゴ−ルデンイ−グルスが船出して、そしてダイエーのホ−クス身売りで今年は終わるのか、もう一波乱、西武もか。

いまプロ野球とは、なんでしょうか。
球団経営側から見れば、もともと、球団を持つということは、旦那の道楽であった。 いつの間にか、広告塔へと変革して行った。 関西では、南海・近鉄・阪急・阪神と鉄道会社が球団をもった。もっとも、鉄道会社といえども、現在とは社会が異なり、都市開発こそ、その使命であり必然的に人が集まり街が出来て、電車の乗客も増える。それなりに相乗効果は期待のできた時代であった。

安定した大企業が、人よせの効果として球団を持つことは、一つのステ−タスであったことは事実である。しかし都市基盤が出来上がった関西においては電鉄会社の企業成長も横ばいから下降時代へと移り、もはや球団を扶養する資力の維持が不可能となった。加えて選手の年俸が高騰、娯楽の多様化という時代趨勢が重なり、この近年20年ぐらいは、球団を手放ざるをえないこととなった。

昭和63年 オフ、50年の歴史と「名門南海ホ−クス」の冠をもつ球団を、南海電気鉄道からダイエ−が買収して、本拠地を福岡に移した。そしてダイエ−16年の歴史の中で、年間300万人を動員するまでになりました。

今年は、低迷するプロ野球界にあってホ−クスは唯一4.5ゲ−ムもリ−ドしてパのレギュラ−シ−ズンを終えて覇者となるべくところがプレ−オフで破れ、長年にわたり馴染んだリ−グ優勝という花が咲かずに終わった。
プレ−オフは日本人の心には理解のし難い機構です。これがゴルフの様に同スコア-なら理解し易いのであるが、今年から取り入れた3位までの仕組みには問題が残る。

この制度が10年なり経てば常勝チ−ムというものが無くなります。つまりレギュラ−シ−ズンにおいては、3位と4位の界こそ大事となり1位となる意味がなくなるのです。その結果、暑い夏など努力せず適当に暮らして、涼しくなって 6チ−ムが団子状態でシ−ズンの帳尻合わせが展開される。このことの功罪は改めて、このコ−ナ−で考えます。


それにしても、近鉄とオリックス問題、あまりにも時間をかけ過ぎたというか、時間のかけることは、ファンにも緩やかに事の流れを相談するがごとく推移していくので、あながち悪いことでは無いかもですが、グランド内でも落ち着かないのか今年の両チ−ムの成績が顕著に物語っています。

鉄道会社の時代が幕となりましたが、新しく IT 産業が球団保持に乗り出したのは、時代背景としては理解はするものの、プロ野球という夢の売る仕事を安定して供給してくれるかが心配です。
いまのままでは、どうしても若年層の野球人口成長が望み薄であったので、 IT 産業の参入で、このあたりは大いに期待ができて喜ばしいことです。 いずれにせよ、わが国の娯楽としての野球が栄えてほしい。

高校野球、大学リ−グ戦、都市対抗、そしてプロ野球、これらを支える少年野球、日本人は皆野球がすきです。 野茂・イチロ−・松井秀と本場アメリカで、それも記録づくめのプレイヤ−が出現したのも、日本野球、特にここ50年の成果です。

南海ホ−クスから、福岡ダイエ−ホ−クスに変わって16年、銭甲斐性のある者が、次々とバトンタッチして球団経営しても、文句はいえないが、しょせん点の集まりとなり、線としての構築がない。
ソフトバンクの孫社長は先月18日に球団買収を表明した際、球団名に「福岡」と「ホークス」を残すことを示唆した。 高校野球が、あれほど国民的行事となって燃えるのは、夏で熱いからではなく、地域密着であるからである。あと一つ、50年は保持すると表明してもらいたかった。

「福岡でやることが大事。ファンとのいい関係を保てればいい」との監督・選手の思いもあり、決着の日を待つ。



 第118話 ホラ吹き

平成16年11月1


「ホラを吹く」とは、昔、山伏が修験道の修業のため山に入るとき、猛獣から身を守るために獣の吼える声に似た法螺貝を吹いて大音声で身を守ったことから、゛大声を出すが大言を吐く゛に意味が変わったとされています。

かっちゃんの祖父が山上さん、いわゆる大峰山詣でのときは、山伏姿に身をやつし、腰には「法螺貝」を吊り下げていました。プゥオ−ンと鳴る音に小さい頃は恐怖を感じたものです。

ホラを吹くことと、嘘をつくことは、当然ながらもとは別々のものでありました。しかし、いつの間にかホラを聞く側の方が、ちょっと冗談混じりにホラ話を突っ込んでみたところ、ホラ側は引っ込みがつかなくなり、ついに嘘の世界へと踏み入れてしまうことになってしまったらしい。

ほんの少しの自慢話が、ホラにと進展、ついには嘘つきへとだんだん止まることのできない、境地へと突入してしまったのであります。
やはり現在では「ホラ吹き」は、さも詐欺師のごとく悪い意味にと、とらえられていることが多いようです。

猛獣と言えば、間もなく冬眠世界へとのアプロ−チに入ったクマさんも、こう人間達に騒がれては身の置き所がないと困っていることでしょう。
前回の台風のお話に似ていますが、今年はことのほかクマの出没が続出しています。 紀伊山系でもニュ−スになっていましたから、たとえ近くの山といえども法螺貝が山登りの必需品かもしれませんね。

つい先日に大台ケ原で野生の鹿と出会いました。鹿はめったに向こうから攻撃を加えてくることは無いであろうと安心しているので、いい関係が保たれて可愛い仕種を披露して楽しませてくれましたが、写真を撮ろうと近づいたら、そこは野生、スス−とその姿をくらませてしまいました。

「誠実」をモット−に硬い話はなんの味も楽しみも生まれませんが、「ホラ話」の非現実も一度は許せても、二度目は聞きたくありません。

会話に味を持たせ、少しは冒険もして、ほんの少し「ホラも吹く」。この世、ちょっと悪が混じるくらいが丁度ええのかな。


 第117話 千客万来

平成16年10月15


たくさんの客が入れ替わり立ち代り来たる、商売繁盛の様を表す、 もともとは、プラス指向のいい意味合いの語ですね。

ところが、ちょっと遺脱しますが今年は「台風」の千客万来ですね。 招かざる客がたくさん来ても千客万来とは言いませが、もう 今年日本に上陸した台風は、10月9日の22号で9個目となり、年間最多上陸となりました。

その度に数人の死者、そして数人の行方不明者が出て、家屋の流出や数々の被害が続出しました。その数だけを思えば、千や万の台風が来た様に感じるのです。

その度に安普請の我が家が大丈夫かと気になり、どうか大した事にならないようにと祈るばかり。

台風といえば「二百十日」、昔の台風は節度というか仁義をわきまえていましたね。その頃に見計らったように来ました。しかし今年では5月頃に、全くの時期はずれに始まり次々とやってくる。 もはや季節をあざ笑っているごときであります。

今は有難いことに、気象予測は正確ですが、いかんせん台風の進路を変えたり、消滅をさせることは出来ません。あのエネルギ−を蓄積させる手立てはないものかと、いつも考える。大きな大きなビニ−ル袋をつくり、ちょっと海面を借用して、閉じ込め置いておく。して小出しして風車を回して発電する。

バカ話となり、まとまりませんので、今回はここで止。


 第116話 浪速三兄弟

平成16年10月1


大阪に、凄い三兄弟がいる。
まず、何より男子を三人も産んでくれた「かぁちゃん」に感謝するこっちゃな、えらい。
二番目には、男三人を掌握している、おとうちゃんが、えらい。
三番目には、両親に従っている、兄弟が、えらい。

俺らが生きてきた時代を振り返れば、上記の三行は極あたりまえで、なんの目を向ける事ではないかも知れません。

ご承知、今売り出し中の三兄弟である。もちろんファンやし、いずれ世界に羽ばたいてくれると信じている。ここいらあたりは、ちょっと並みの子達ではない。

今、新聞に目を向ければ毎日のように幼児・子供のご難が報じられています。何が問題なのかと言えば、明らかに子を育てるという事を知らない年代層の者が子を育てているということです。それに加えて、連れ子とか、先妻の子とか、ややこしい事象が多すぎる。夫婦という字を軽んじすぎる。

もちろん、殆どのご夫婦は健全な子育てに勤しんでおられる事はいうまでもありません。

では何が問題だと言うと、今子育て中の親の親、これが終戦直後の団塊の世代と言われて、文字どおり大人口が形成された。学校で・社会で過当競争で生き残ることこそ使命として生きてきた。

そのような世相の中、半分は勝者、残り半分は敗者。そして訳のわからぬ学校教育、はき違い、勘違いの人権という人間本来というか、よき競争心をも抹殺されて、無気力と自己中心の社会が次第に根付いてきたのである。

そして、その親に゛しつけ・礼儀゛などくそくらえの勝手な自由奔放な環境でそだった、現在の子の親には、子育てという「倫理」なんて、社会なんて全く我関せずであろう。

新聞では、「児童相談所が相談をうけながら・・・」とか、「学校の対応が・・・」とか必ず活字がおどる。児童相談所が熱心に対処したら、人権を侵略したと新聞が書く。いづれにしても今の世の中諸悪の根源は、ペンの暴力、商業マスコミにある。そのマスコミに手厚く擁護されたのが、占領軍に押し付けられた道徳をなきものとした「教育基本法」を50年も崇めてきた。その付けがいま噴出してきたのである。少し前にもこのコ−ナ−で書いたが、この歪んだ時代を是正するには、また50年否、100年かかる。

書き出しのごとく「家庭」「親」こそ、社会の原点。誰でも頭で分かっている原点を一人でも多くの人に実行してもらいたい。


 第115話 RALLY JAPAN 2004 Ver 2

平成16年9月15


伊丹には、帯広に行くんだなと一目で分かる人が大勢いました。結局、旅行社に申し込みした時点で帯広の近くにはホテルを確保することができませんでした。そして富良野へと。
観戦者のほとんどが飛行機で行き、レンタカ−で移動をしています。凄い数のレンタカ−が帯広中を行き来きしていました。SS を追って、また、ラリ−カ−が沿道を通過するのを追いかけているのです。

大阪人のかっちゃんは、駐車場の心配をしていましたが、そこは大会運営者の素晴しさ、いくらでもスペ−スがあって、しかも無料、さすが北海道、でも必ず駐車場から、観戦ポイントには、シャトルバスの利用が必要となり、これが一日千円。

第2日目、目指すは「陸別」の SS 、結局午前中には間に合わず断念、なにせ富良野から陸別までは、4時間ほどかかるのです。今後の観戦には、提議1 宿は「帯広」界隈で確保すべし。
午後4時からの SS17 をスペッシャルエリアで観戦しました。7〜8メ−トルの至近距離を疾走する WRC カ−を見ることができて感激です。ゼッケン1・Petter のスバル・インプレッサ−が、WRCカ−を含みほとんどのラリ−カ−が減速の所を、前輪で激しく土煙を上げて、なお加速ですりぬけて行ったのは極限のテクニックを披露してくれたものと思います。

帯広市の粋な計らい、ラリ−支援として、体育館を夜間解放してくれた。大勢の若者が、皆礼儀ただしく、有難く利用していた。かっちゃんも、泊めていただいた。次の日、札内の SS をいい場所を確保したかったので、富良野までは帰れなかったのです。

河川敷に特別に作られた、超短距離ス−パ−SS は2台が同時スタ−トして、途中ジャンプ台のある立体交差でアウト・インを入れ替える。まぁお遊び場の感もありますが、ドリフト走行・ジャンプが確実に見えるので、一見の価値充分にあります。

林道SSを見たかったが、今回チケットが取れませんでした。提議2 林道SS は、少なくとも一箇所は確保しておくべきである。

サ−ビスパ−クへは最終の表彰式を見に行きましたが、人がいっぱい。ペッタ−・ソルベルグはサ−ビス満点、車に乗らず歩いてファンに手と手のタッチをして回りました。

トミ−・マキネンのゼロカ−も、見ました。やはり速かったです。  

スズカのオ−プニングレ−ス・富士スピ−ドウェィでの第3回(?)日本グランプリ・めちゃくちゃ高かったF-1日本初開催の券。だいたい節目のものは見てきました。
そして、今回の WRC 日本初開催。それに加えて絶対帯広に行きたかったのは、ゼロカ−、トミ−・マキネンを見たかったので、それがかない、大いに満足の ラリ−ジャパン2004 でした。

(嬉しかった事)
ゼロカ−なのに、Petter SOLBERG より速いと感じた、マキネンの走りを至近距離で見られたこと。
やっぱり速かった Petter SOLBERG を生で見た。
LOEB の CITROEN を見た。

(考えなければならない事)
観戦ポイントを研究しておく。無駄な待ち時間を作らない為に。
何としても、帯広でホテルをとる。


 第114話 RALLY JAPAN 2004

平成16年9月1


日本中のラリ−ファンが熱望した WRC の国内初開催が北海道・十勝地方の雄大な自然の中でいよいよ、明後日から三日間に亘って開催されます。

RALLY JAPAN 2004 の名のもとに90余台のラリ−カ−が疾走するのです。

2004年は、1月のモンテカルロに始まり、11月のオ−ストラリアまで計16戦が開催され、その第11戦が***RALLY JAPAN 2004***として世界選手権争奪のもとに行われます。

ここに至るまでは、関係者の大変な努力によりこぎつけたものと推測されます。WRC にたどり着くまでの試金石として開催されてきた、アジア・パシフィック選手権の第4戦も併せての開催となります。

かの、トミ・マキネンが0(ゼロ)カ−をドライブするとの情報が、公式サイトで流されています。これも是非とも見たいものの一つであります。

ワ−クス(メ−カ−直径チ−ム)は今年の WAC には、スバル・シトロエン・プジョ−・フォ−ドが参戦しています。

今回の参加状況としては、 国内メ−カ−の車がやはり多く、三菱系が37台、スバルが25台が目立ちます(概数)。ここ15年程は、日本車が WRC の中心的な存在であり、今回の日本開催は、全くの遅きの感があるのです。
自動車王国日本の矛盾点でもあり、一方では、モ−タ−スポ−ツとは、簡単にできるものではなく、歴史と国民性の上にたつ文化であるといえます。

夏休みを我慢して溜め込んだ、かっちゃんは、帯広へと行きます。


 第113話 実家とは

平成16年8月15


「実家に帰る」とか、「実家では」というように゛実家゛という言葉をよく耳にしますが「実家」とはどこでしょうね。

盆明けには、嫁にとっては待ちに待った、゛薮入り゛の時期となります。といっても今では何のことか解らない方も多いのではと思います。 今風に言えば「実家」に帰るとでも言うのでしょうか。決して離別してではなく、休暇が付与されて里帰りをする訳です。

嫁ぎ先の家風にしばられ、それは厳しく辛い日々を送る嫁には、盆と正月の明けに里帰りをさせてもらう、これが゛薮入り゛であり、本当の意味での「実家」に帰るです。

実家は、婚家で疲れた体や心を癒す場所であるのです。

して゛薮入り゛はと申しますともともとは、奉公人が盆・正月に主人から休暇をもらって親もとに帰らせてもらうのがそれにあたります。

゛実家゛とは、そもそも婚姻または養子縁組によって他家に入った者から元の家を指していうのが本来の言い方であり、嫁に行った者、養子に行った者が実の父母の家に行くことが「実家に帰る」であったのです。

しかし情けないことに、嫁をとった一家の主人も、近頃は゛田舎に帰る゛というかわりに「実家に帰る」と言うようになった。 今は、一家の主人も奥さんから逃れて実家でくつろぐようになったのかもしれませんね。

昭和22年には、戸籍法にいう家制度は、家から夫婦へと変革されました。「家」がなくなり、「家族」もいまに、「夫婦族」と言うようになるかも。


 第112話 人生観 を表現

平成16年8月1


先日、読売新聞の朝刊にちょっと面白い「人生案内」が載っていました。

妻が夫にいくら懇願しても、50歳になるまでは、2ドア−のスポ−ツカ−をやめないと言い張るという内容である。
そのために妻子は車の乗り降りや、荷物の運搬などに大変な不便をきたしているとの訴えである。

当サイトの管理人にしても、かなりドキッ−とするお話ではあるのです。

して、総じて言えば新聞のアドバイザ−は、その夫は「愛車」という媒体物で「人生観を表現」しているのである。もし、それを無理強いしたならば夫婦、家庭すら維持が難しくなるかもしれない。異性問題や賭け事にのめり込むのと異なり、そっと傍観したほうが良いであろう、と結んでいる。ありがたい、正解です。

車についての考え方は、古今東西、それはそれは千差万別なのであります。

フランス人の車は、農機具の延長上にあると言われている。鍬とか鎌、そして車。だからこそ今の時代においても車を使うという観点からすれば、世界一です。かのシトロエンのように全くの実用車が代表的ですね。もっとも同車は砂漠を猫のように沈まず駆け抜けることを開発のコンセプトとして作られた車なのですが。
ファッションやインテリァで世界をリ−ドする同国が、なぜ超豪華な車がうまれなかったのでしょうか。ル・マン、モンテカルロで知られるように、遊び心は旺盛なのです。

工業国である隣国、ドイツでは数々の高級車が生まれました。イギリスのロ−ルスロイス。イタリヤのフェラリ−。スェ−デンのボルボ。国民性とか風土がモ−タ−リゼイションの発展に大いに関係があったのです。

このように車とは、国とか地方によっても状況があり、いわんや個人個人によっても、思い入れがあるのて゜す。
単なる移動のための道具としては、決め付けられないものなのであります。 特に日本社会においては、所有している車がステ−タスとして現在まで歩んできたと言ってもいいくらいです。

そして人生案内のように、オ−ナ−は持ち車によって人生観を表現しているケ−スが少なくないのです。

逆な見方として、四輪駆動が流行れば、そればかりが街に溢れていました。そして今はワンボックスが流行。 車の利用価値としては、人数も乗れ荷物も載せれるワンボックスが優れているのは誰もが認めるところですが、自己主張のない右に習えの風情は、さみしい限りであります。


 第111話 雉子も鳴かずば撃たれまい

平成16年7月15


どのような場面で使われるのが、最も適しているのかは解りませんが私は次のように思います。

ただ、この語は「口は禍の門」と同様であると考えられていて、よけいなことを喋ったばかりに自ら禍を招くことの例えとされているようです。

命を懸けたような大げさなお話ではありませんが、子どもの頃に夏休みを前に学級会で朝顔に水をやる当番を決めていました。
先生は成り行きをじっと見ているだけでなにも言いませんでした。 もちろん子供心にも、休み中に学校に行くのはイヤなものです。
硬直状態のなかで誰もが下を向いたままになりました。仕方なく「僕がする」と開口してしまいました。

このように、じっ-としていれば猟師も雉に気づいていないのに、雉にすれば見つかっていると思い込み、追い詰められた状態の中で声をだしてしまう。元来、雉はクレバ−な鳥とされているのですが。

さて、前述のとおりかような場面には何回も出会いました。ひっこみ思案で声の出せない性格の者、損得を考えて声を出さない者、頭の上の嵐を過ぎ去るのをじっと待てる者、人それぞれに性格とか、他からみた人格とかがあります。

手を挙げて役を引き受けてくれる奇特な方々によって世は回っているものです。分かりながらにも、「鳴かずに」済むものなら、そうしたいと考えている、今日この頃です。


 第110話 110と言えば

平成16年7月1


最初に当サイトの管理人である私は、警察関係者でもなく、三親等内にも関係者はいない。
今回で第110話となりまして、それにちなみ、110番についてすこし語ってみます。

先週には、東京の駅で遇い続いて発砲事件や凶悪犯罪が発生しました。
また最近の我が街大阪の様子はと申しますと、ミナミで飲み歩くこと何十年、なんの怖さも遠慮もなく、アホ言いながら歩いた昔。

その頃海の向こうニュ−ヨ−クでは、地下鉄は乗れないという話を聞いたことがある。何のことか全く理解ができないほどであったが、先の四月にニュ−ヨ−クに行き、地下鉄にずいぶん乗った。夜のミナミでは人の顔を見ないように、うつむき加減でそくそくと歩くが、ニュ−ヨ−クでは、恐怖の気配はなく、下を向く必要なく、普通に前を見ていればよかった。なぜ、日本はこんなことになったのであろうか。

いつの時代からか、犯罪も凶悪化して、まるで映画や TV の世界そのままである。
この小話コ−ナ−でも、家庭教育、学校教育、そして社会教育(以前は、よその子供でも悪いことをしかり注意した様なことを意味していて、行政が行う形式的な社会教育ではない。地域の抑止力のこと。)について述べたことも記憶にある。いま、我が国ではこの3教育が崩壊寸前と言っても言いすぎでもないであろう。

さすれば誰が治安・秩序を守るのか、各自それぞれが西部劇時代のように家庭毎にライフルを備えて守るのか。人権尊重、言うまでもないことではあるが、歪んだ人権尊重が、あたかも当たり前のごとく取り扱われる社会にこそ根源があるのです。

ミニバイクにヘルメットなしで二人乗り、発見したパトカ−が追走。転倒したミニバイクより、追走したパトカ−がマスコミの餌食になる。なんという誤った見地がまかり通るのか。まったく腹立たしい。

一方多発する外国人犯罪、これとて同様の感がある。

いまこそ年金も大事ではあるが、まずやらなければならないのは、警察官の数を倍にし、給料も倍にすることである。先述の3教育は、戦後50年かかって、ここまで堕落したのである。これをまたよき日本の風土に育てるには、倍の100年の計で臨まなくてはならないであろう。

その間の治安保持は警察力以外に何があるだろうか。いま、人権尊重がゆえに警察の仕事が時間がかかり過ぎるのです。加えて事案が倍増しており、どの部署においても気の毒なほど働いておられるのです。警察署は、当然組織で動いています。中央のことは分かりませんが、いわゆる現場といわれる市町村にある警察署では、二重三重の仕事をかかえて奮闘しています。

暴対法の浸透が社会の流れを変えた節もります。

ひとりひとりの自由と人権が、自己中心・勝手気ままでなければ生きて行けないように、易きに流れる日本社会、110番だけに期待を掛けるのは気の毒千万なれど、ほかに誰が受け止めてくれるのだろうか。


 第109話 恩は遠くからかえせ

平成16年6月15日


「親父の意見」シリ−ズから。
これは難しいお題やと思います。正解と申しましょうか、これが本当の意とするところやと、お分かりの方は、是非ご意見をください。

さて、中身の深浅があるとしても、常に人は自身以外の人にお世話になり、また、物心にわたって施しを受けるものですね。
たとえば 改札口で定期券を差し込むのに左右から同時になり、先を譲っていただいて、軽く頭を下げて会釈をする。朝のちょっとした出来事で一日が気分をよくします。これとて誠にささやかではありますが、うけた「恩」を頭を下げるという行為で返したことになります。そして、このことは即実行することで意義があるのではないでしょうか。

さて、本題の意とするところはと申しますと。受けたご恩をすぐに菓子箱を手土産にお礼を述べに行くというものではなく、以後人生続く限りにおいて恩人と崇めて生きてゆく心を大切にせよということと思うのです。

恩を遠くからとは、先述のように時間的なもの、すなわち「恩」即「恩返し」ではなく、一生受けた恩を忘れることなく大切にする。という意味といま一つ思いつくのは、例えば「縁の下の力持ち」のごとく、目立たぬ行為として恩を返す。これは凡人にはなかなかできない奇特な行いかと思われます。そして、これこそ「遠くから返す」ではないでしょうか。

実践することが非常に難しいお題ですが、今後はこの語を大切に忘れることのないようにしたいと考えています。


 第108話 新撰組

平成16年6月1日


「新撰組」が NHK の大河ドラマとして5ヶ月が過ぎました。

「撰」か「選」なのか解らないが、総じて言えば、結構楽しんで視ています。いままで大河のなかでも、いわゆる戦国時代が好きで番組の感想文を書いてきましたが、宮本武蔵、そして今回の「新撰組」は、ほとんど本も読んではいないし、背景の時代についても関心を持ったこともありませんでした。

ドラマの内容としては、特に「坂本竜馬」・「桂小五郎」との関わりや、何点かについてほんまかなと思わせられます。「尊皇攘夷」て誰が何をしたのか、分かり難いお話しですね。ま−時代趨勢の説明描写ととらえれば問題ないかも。

先日には、いよいよ「誠」の旗もできました。当初は「近藤勇」に扮する「香取慎吾」がたよりなく思え、新撰組の頭として役にはまることができるのかな ? と思いましたが、当初から誠実と優しさを一貫して演じてきた「近藤勇」が、いまでは本当の「近藤勇」に見えてきました。武士という名に命をかけた男一匹。去年の大河宮本武蔵より上に思います。

ただ、 NHK 大河も年々下降気味で今年はどのように評価されているのか分かりませんが、すくなくとも新撰組って何をした人々であったのかという所をゆっくり見せてもらうことにします。


 第107話 朝きげんよくしろ

平成16年5月15日


誰が書いたか分かりませんが「親父の意見」シリ−ズから、お題を頂戴します。

もう何年にもなりますが朝の通勤電車の中で耳にした、どこかの父子の出来事です。

小学校の低学年の兄妹らしきふたりが、さほど気にならないくらいのペ−スで楽しく会話を交わしていました。それを父が突然ヒステリックに「朝は誰でも機嫌が悪いんや、ちょっと黙ってき」と子を窘めた。

母親らしき人の姿は、そこにはなかった。これから、楽しい旅行に出掛ける兄妹にしてみれば、大勢の人前でしかられて、たぶん春休みの思い出としても、楽しさ半分であっただろうて思うのです。

家庭でも、学校・職場でも、朝いちばん、ブス−とするよりも、「オハヨウ」の明るい挨拶ほどいいものはない。少々おもしろくない朝でも、勤めて機嫌よくすること。これは誰でも百も承知であるのに、所詮人間は悲しい生き物、ちょっとした感情にも弱く、顔、態度に現してしまう。

朝、元旦、月初めの一日、等など、出鼻はとにかく、機嫌よくいきましょう。


 第106話 三下り半

平成16年5月1日


昔の日本男性は良かったのですね。「三下り半」とは、ずばり皆さんご存知のとおり夫が妻に対しての゛離縁状゛のことであります。

そして、これには離婚する意思の文面はもちろんのこと、妻の再婚を許可する旨の文言も記載されていたと言う。結構、別れる妻への後の幸せを願う優しい心遣いが含まれていたらしいですね。

「三下り半」という語が、離縁状のことを指すようになったのは、離婚と再婚許可の意味合いを含んだ文面を゛ 三行半で書く ゛のが慣わしであったことからその様に言われるようになったらしい。

昔も、離縁に際しては、そう円満に事が運んだとは思えませんが、男性に主導権があったことは確かなようですね。
現在は、知る限り女性側に主導権が移っているケ−スが多いと思います。

もちろん、現在は慰謝料を含めて償いを求められるのは決まって男性側であるために、出来るだけ被害を少なくするために、嵐が吹きぬけるのを、そっと待ち、積極的に離婚話しを進めないようにする、男性の自己防衛策かも。

それにしても、それにしてもなお男性に主導権があった昔が、羨ましいですね。


 第105話 さくら

平成16年4月13日


大阪地方の「さくら」は峠を越して、一雨ごとにその力を借りた野山がいよいよ新緑の季節を醸し出そうとしています。

今年は、割と満開の期間が長く人々の目を楽しませてくれました。3月20日過ぎの暖かさで、遅れじと咲いた「さくら」が時ならぬ寒さで、行き場を失い、ただじっと暖かくなるのを待ったからですね。

して、「さくら」なる語。最近の言葉でいえば「やらせ」というのでしょうか。つい先日もとあるテレビ局のお偉方が処分をうけていました。魚屋で買ったエビを網に入れて捕ったように見せかけたとか。今時そりゃないでっと言いたいが、少し前には考古学の権威が同じことをしましたね。

なんで「さくら」やて言うのかなと思えば、江戸時代の芝居小屋に端を発するらしい。役者に派手な掛け声をかける雇われた盛り上げ屋、そしてその者達の為に用意した、桟敷を「さくら」と呼んだらしい。だから語源は、人ではなく、席そのものを指しての呼び名であったらしい。

最近は、ケ−キ屋とか、ラ−メン屋、なになに屋の前に行列ができて、それにつられてまた並ぶなんて光景がよく見られます。「さくら」が暗躍しているのではないのでしょうか。

それにしても、今年も散り行く「桜」さんに名誉回復の小話、また来年よろしくねと願いを込めて。


 第104話 はるうらら

平成16年4月1日


正午というから時間をかけて昼飯を食い、腹が一杯になったから箸を置いて、肩に力の入らない時を過している。口を開いているのか閉じているのか、自分でも解らない

子供の頃、隣接する遊園地から春風に乗って、大河の流れのような旋律で聞こえてくる「李 紅蘭」が歌う「夜来香」、池の堤には、古木の桜が咲き乱れ、厚手の肌着を薄手に着替え、少し冷気を感じながらにも爽快感は最高。

就職した年の春、不安感も少しはあったが暖かい春の日差しのもとで自分たちが造成地に勝手に作ったモトクロスコ−ス場で、休息の間に感じた何とも開放的な気分。

何をしようにも、予定もなく起き上がろうにも、手も足も動作に入らない、ただ頭の少しの部分で次への展開を求めて模索をしているが大部分の脳はゴロンと横になって働こうとはしていない、そのことに時計も太陽も同調している。

どこかで「春の うららの 隅田川・・・・・・」という歌が聞こえてきた。

あ--やっと、こんな日が来たのだぁ-。


 第103話 六十にして耳順う

平成16年3月15日


孔子が人生をふり返って述べたと言われる言葉です。

○ 十有五にして学に志す(十五歳で学問に志す=志学)
○ 三十にして立つ(自立する=而立)
○ 四十にして惑わず(迷いがなくなる=不惑)
○ 五十にして天命を知る(天の命ずる使命を知る=知命)
○ 六十にして耳順う(人のいうことが素直に聞ける=耳順)
○ 七十にして心の欲する所に従えども矩をこえず(自由にふるまっても道を外れない=従心)

いろいろな意味においても今、自分の人生をふり返り、そして将来を考えなければならない岐路の時期となりました。
凡人として生きてきた六十年、先に記述しました大学者のようには人生を区切ることなど到底できるものではありきせん。しかし、一先ず日本社会においての就労人生にあって、いわゆる定年という大きな節目を迎えるいまこそ、いい機会と考えています。
上述のごとく、その時期の折に、いささかも我が生き様を考えることなく過してきたいま、なにをか思わんではありますが、とりあえず年齢だけは朱書した時と相成りました。
もっとも現在社会の年齢と同じとして考えるのには、無理もあることですが。
第74話「還暦」で述べましたが、 生まれ変って新たな出発として生きる狭間です。そして今こそ、人生諸先輩の導きに「耳」を傾け、後輩からの相談事に親身になって、他人の事と考えずに、自らの迷いと反省ととらえて聞けるよう、そのような「枯れた人間」を自ら創りあげていかなければならないと思っています。


 第102話 つかぬこと

平成16年3月1日


「花の三月でんなぁ-」、「今年は、やっぱり暖冬でしたんやろかな」、「ま― 春になれば寒かったことも忘れて、はっはっはっ」、「ところで、つかぬこと を伺いますけど、・・・」。

と言うように、つかぬことという語を発しますが、
会話の流れを変えるときに、前の話しと後の話しが途切れて゛あとに続かない゛つまり゛つかない゛ことになるので゛つかぬこと ゛として断りを入れるものですね。

しかし、
これはもう年寄りの会話用語となってしまったような気もしますね。どうも男女を問わず若い者達の会話を耳にしていると、お互いが好き勝手に喋るように思えてなりません。つまり会話の内容に連続性というか、会話の゛やりとり゛が成立していなくて、それぞれが相手をかまわず、自分の思いばかりを口にしているてな具合ですね。
そこに相手への思いやりとか、思考の存在が希薄となって、人間社会そのものが繊維質のない固体の集まりと化してきているように思えてなりません。

会話というのは、じっと相手の話しを聞いて返答する、それでこそ成り立つものではないのでしょうか。


 第101話 101

平成16年2月15日


YAESU TRANSCEIVER FT-101

第101話にちなみまして、またまた101をお題に頂戴いたします。

JR3WAS これは、かっちゃんに与えられたアマチュア無線の呼び出し符号です。これは世界中で唯一つの符号です。JOBK と言えば NHK 大阪第一放送です。このように電波を発射する局には符号を与えられています、コ−ルサインとも言います。

電波を発射する装置を送信機 = transmitter と言います。そしてその電波を受ける装置を受信機 = receiver といいます、日本では受信機を一般的にはラジオ = radio と言いますが、ラジオとは無線とか無線装置全般を指すものですね。

その、
transmitter(トランスミッタ−) と receiver(レシ−バ−) を一体とした物が transceiver トランシ−バ−と言います。このように送信機と受信機はもともと別々の機具でありましたが、科学の進歩と必要性から一体となり、その上に携帯可能な機具として発展してきたのです。

自動車など車載用とか、軍用はもちろんとして
トランシ−バ−は多く用いられましたが、アマチュア無線の世界では、固定(家とか一定の場所に据付)では、そして短波帯にありましては、送受別の装置がいつまでも重宝されました。これには当時のオ−ルドマンには、自作の装置こそ、アマチュア無線であったからです。

その様な背景で生まれたのが、八重洲無線の高性能・車載可能固定機 FT-101 なのです。
101・・・ワン・ノ−・ワン・・・一つではない一つとして、 世界の名機 FT-101 は
一世を風靡しました。

昭和48年11月5日に20回月賦で買った FT-101 、31年間に渡ってアマチュア局 JR3WAS とともに歩んでまいりましたが、先日から新機種を導入いたしました。YAESU FT-1000MP MARK-V です。

この30年間の技術進歩は、例えば PC の世界などを例にとれば、もう比較のしょうなど全くできません。アマチュア無線機器でも同じですが、それは趣味の世界として立派に楽しむことができるのです。しかし、電気機械器具として部品に限界があるのです。もちろんメ−カ−サ−ビスが受けられる最終期にいろいろと部品を買いこんでいたので、ここまで使えたものと思っています。

101話に FT-101 に感謝をしながら、これからは趣味の中の趣味として 2nd 機 FT-101 を保守していきます。



 第100話 100里の道を

平成16年2月1日


100里の道を旅行くものは、99里をもって半ばといたす


第100話にちなみまして、100をお題に頂戴いたします。何題かについて出てまいりましたが、これまた父親の好きな語の一つでありました。

ものの本などでは、「百里を行く者は九十里を半ばとす」と書かれています。父親は多少のアレンジをいれて言っていたのでしょう。

この語は旅に例えていますが、どのような事をなすのにも、ほんの後僅かになってからヤレヤレという気の緩みから取り返しのつかない失敗をしでかす事を戒めた、ことわざですね。

少し意味の違いがありますが、植木屋の主は若い者が木に登って仕事を済ませ、ハシゴを降りるときに後一段となったときに「気をつけろ」と声を掛けるという。高い所ではだれでも必死になって気合を入れている。しかし、下まで降りるとついつい気が緩む。

また、一方、胸つき八丁といって、あともう少しと言う所に難所があり、それを乗り越えるのが難しいものである。よって最後の頑張りを果たしてこそ、事の半ばとすることが肝要なのです。

自身の事として振り返ったとき、1つ1つのユニットとしては心掛けてきたつもりではありますが、人生の大きな流れとしては、これを守ることが難しいというか、だいたい100里そのものが頭になく、従って実践できていないと反省しきり。就労人生では見事に落第であった。よって、今後の余生にあっては、第100話を旨に生きていかなければならないと思うのです。


 第099話 いかいこと

平成16年1月12日


「こんな [いきゃいこと] もろて・・・」とは、こんなに沢山頂いて・・・という意味になる。

明治8年生まれの祖母が「いきゃいこと」という言葉を使っていた。それを家族のものが、そのようなマイナ−な方言を使ったら、かっちゃんら孫や皆の教育上悪いから、いかんと親達がしきりに口止めをしていたことを思い出す。

先日、電子辞書なるものを買った、そして何を引くともなく見ていると「いかいこと・・・多いこと」とでているではないか。祖母は標準語ではないまでも、全くの「狭山語」を使っていたのではないのだっと急に懐かしく思い出した。もう他界して46年になる。

近頃は、近所の高齢諸先輩も自家で百姓を専業としていた者も少なく、昔話しを聞ける機会も少なくなりましたが、言葉一つでも何か諸所方方、少しずつ違う言いまわし、発音、そして微妙に違う意味合いなどがあったことだと思います。

TV の発達や、社会動向が人の社会から面白さを奪ったのですね。


 第098話 行雲流水

平成16年1月1日


「宗史」から、一題いただきまして年の初めのお話を。
行雲流水 (こううんりゅうすい) とは、誠に聴く響きとしても、また、活字をみてもいかにも自由な、のびのびとした広さを感じます。

正月をすでに何十回も迎えたわけですが、なぜか正月になると思い出す「ザ・正月」があるのです。10歳ぐらいであったと記憶していますが定かではありません。

その元旦は、それはもう春を思わせるような暖かい結構な日和でありました。
当時は祖父母・父母・兄・姉二人・妹と9人家族でした。家族全員でささやかな昼食の宴を座敷で楽しんでいましたが、あまり暖かいので、障子を全部開け放してなにやら歓談しておりました時に、村の所どころに設置されてあります有線放送のスピ−カ−から「君が代」が流れはじめました。
続いて町長の年頭のご挨拶が流れました。その内容は10歳の私には当然理解の出来るものではありませんでしたが、家族の話から 今にして思えば狭山町政は、他市町村よりも 抜き出た「教育文化都市」を目指してまい進するので町民のご理解・ご協力をいただきたいという所信表明であったように今でも思っています。

それ以来、我が町も市制をしいて17年になるが、コンセプトは変わっていない、住民として誇りに思うし有り難いことです。

して、お題の行雲流水を、個人の生き方から市政にあてはめてみて、自由にのびのびとした市を作ることができたなら、どんなに素晴らしいことか。
これは、なにも市政でなくとも個人でも同じことが言えると思いますが、本来の「行雲流水」には、他に迷惑をかけたり、他に害を及ぼすことなど、全く想定のしていない崇高な社会における考えであって、現在のような社会情勢でのお話ではないのですね。

今年は、ひとつ「行雲流水」を実践しても、他から認知されるような「枯れた人間」をめざして精進してまいりたいと思います。


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