ちょっと小話コーナーShort Story 保存五号館
ご意見などは、掲示板で待っています。

第122話

借りをつくらず 第123話 大河ドラマ 第124話 3ちゃん商売
第125話 特攻兵 第126話 でも、しか商売 第127話 百姓の来年

第128話

春は 第129話 さくら Part U 第130話 端午の節句
第131話 下手の道具立て 第132話 酔いに 第133話 茶碗を投げ
第134話 十分はこぼれる 第135話 名神高速道路 第136話 夏は日表
第137話 相談事は 第138話 木六竹八塀十郎 第139話 長寿を祝う
第140話 阿蘇日記 @ 第141話 阿蘇日記 A 第142話 紺屋の明後日
第143話 口と財布は 第144話 ファンの気持ち 第145話 臍を噛む
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 第145話 臍を噛む

平成17年12月13


「臍(ほぞ)を噛む」は「ほぞ」とは「へそ」のこであって、自分のへそを噛もうとしても、どうしようもない到底叶わぬことである事から、すんでしまったどうしょうもないことを後悔し残念がる様を表した中国から来た言葉です。

今年も残すところあと少しとなりました。この一年をふりかえってみて程度こそあれ幾度かは「臍を噛む」思い出があります。

思い出す一つは、地方の高速道路をそれなりに気を配って*30キロほどで走行していた時、ボルボが当方より約50キロ超えで追い越し、ウインドウ−ウォッシャ−で水を撒きちらしながら挑発してきました。数キロで追い越しましたがバックミラ−に写るボルボは凄い勢いでサ−ビスエリアへとそれました。そのエリアの出口では覆面が獲物を狙って手ぐすねを引ていたのです。
どれ程ひどいめに合ったかは言い表せないほど悔しい思いをしました。

「臍を噛む」のは、努力したが結果がでなかった時ではなく、先述のように気のゆるみからくる失敗をしたときの自己反省ですね。

あんまり感心のしない実例で今年の小話コ−ナ−の締めくくりとなりましたが、新しく迎える年には、「臍を噛む」できごとが一回でも少なくなりますように精進をいたしたいと思います。


 第144話 ファンの気持ち

平成17年12月1


11月22日にホ−クスの城島が FA 宣言し行く先として、シアトル・マリナ−ズを発表しました。

子供の頃には日本人気質として、今や風化しつつある「終身雇用」がプロ野球の選手とチ−ムにもだぶらせていたものでした。

しかし、あの鶴岡一人監督の有名な言葉に「グランドには、銭が落ちている」と「銭になるうちに、他所にだしたる」があった。まだまだ他チ−ムへの移籍はチ−ムを放りだされるというようなとらわれかたをしていた時代でありました。自球団より月給の高い球団があれば、値の付く間に送りだしてやる、という考えです。飯田ほか何人かは南海から移籍していったが、あまりその後の活躍ぶりに印象の残るものはありませんでした。

そのうちにトレ−ドなる語がスポ−ツ新聞紙上を賑わす時代が到来してプロ野球界に選手のチ−ム間の往来が頻繁に行われるようになりました。なかなか馴染めなかったトレ−ドも時代が進むにつれて野球ファンとして容認するようになりました。

そして次に来たのが FA です。もちろんドラフトもその間に生まれましたが、ドラフトはちょっと別の話ですね。

そして、今や球団も親会社ぐるみでめまぐるしく変わっていきます。

つまり、プロ野球という一つの世界が凄いスピ−ドで止まることなく動きのあるものとなってきたのですね。しかしどこかファン無視の気がしてならないのです。そんな中でもソフトバンク・ホ−クスのオ−ナ−は、こよなくチ−ムを慈しんでいるように思えて嬉しい次第です。

プロ野球ファンの方々は、大半はチ−ムを応援していて、個々選手は次に来るものと思います。とは言うものの贔屓チ−ムを支える選手が抜けていくのは何とも寂しいものです。 ここ近年では、小久保の G 行き、井口の W 行きとホ−クス育ちの、ホ−クス固有の選手がチ−ムを後にしました。そして城島が出ていくのです。

尾花高夫も出ていきました。 なんとなく寂しいこの気持ちを癒してくれるのは、来春の快進撃の以外にはないと思う今日この頃であります。


 第143話 口と財布は

平成17年11月15


黙っていればよかったのに、ついうっかり余計な事を言ったばかりに、予定外の金が出て行くことになった経験はありませんか。

だから口と財布は締めるほうが得策というのです。これは消極的な保身の道でありますが、事業に成功して金を自由にできる甲斐性者も世には沢山居られます。しかし普通は勤め人であるいわゆるサラリ−マンが圧倒的に多数であって、入る金よりも出る金をしっかり管理するほうが蓄財の近道とするのが普通です。

自分が心に秘めたことに金を使うのは誰しも惜しまないし、満足感一杯にしたたれることと思います。とはいうものの人の世で生きていくには思惑とは逆の作用がはたらくことのほうが多いのではありませんか。
人はそのような時に備えて蓄財するのです。備蓄は人間に備わった本能的知恵です。一般に他の動物でも上等になるほど持ち合わせているものです。

また金を貯めるのは容易ではないが、いったん財布に入れた金でもうっかりしていると簡単に流れ出て行きます。口だけではなく人生何が金を喰うか予想がつきません。有る様で無いのが「金」で、無いようで有るのが「借金」と人はもうします。 これまた、的を得た言葉のように思えます。

最近、マンションノ売れ行きが好調だと聞く。それも東京、次いで大阪と大都会での売れ行きがいいとのことです。景気の上向きを論じられてはいますが、現在個人の蓄財は膨れあがって澱み傾向にあって、それが一気に噴出して標的がマンションへと向いたとの説もあります。そんな裕福な人々には無縁の今回のお題でした。


 第142話 紺屋の明後日

平成17年11月1


人は几帳面に暮らすのがいいのか、少々ル−ズに生きた方がいいのか考えさせられます。
誰にも何の迷惑もかからない自分自身の事ならば、少々ル−ズに生きたほうが言うまでもなく良いであろう。しかし自分以外の者との約束事、その中でも「期限」を定める約束は、完璧に励行すべきものですね。これを違えますと「信用・信頼」というものが崩壊します。

今回のお題「 紺屋の明後日(あさって)」とは直には、 約束した期日があてにならないことを指します。

「紺屋」は染物屋のことであり、布を染める仕事は明後日に出来上がると言っても天気次第で、延び延びになり易いことからこのように言われるようになりました。

「紺屋」は「紺屋の白袴」というのも皆さんご存知ですが、忙しい家業であったように思いますね。 ただ「紺屋の明後日」と「紺屋の白袴」とでは、少し意味合いがかわります。前者では微妙に、だらしなさも感じますが、後者の場合は寝る暇も惜しんで仕事に励む様子を捉えているかのように思います。

往々にして人は自分には優しく、他には厳しいのが普通です。これが自分に厳しく他に優しく、それも陰日向なく出来るようになればいいのですが、至難の業です。

さほど肩を張って生きようと思わないし、ヌケヌケの生き方も性分として出来ませんが、あいつの言うことは「紺屋の明後日や」と指されることのないようにと思う。


 第141話 阿蘇日記 A

平成17年10月15


(前話のつづき)
次に、古い発動機を慈しんで居られる方々にも廻ればよいとするか、オリジナルこそ大事とネジの一本にも拘りを発揮するかは、石油発動機だけではなく、どのような骨董趣味にも共通した課題です。

石油発動機の世界では個人の考えはあるものの、それぞれの地方単位とした拘りの傾向があるようで、面白い現象だと思います。このことは一つの要因として、例えば旧車を趣味とする人々には、地域とか地方と言われる区域性の必要はありませんが、石油発動機には、もともと先述しましたが農業とともに発展したものであるから、今現在のコレクタ−としても地縁色がでてくるのではないでしょうか。

次に、石油発動機には浅学のかっちゃんが、その魅力を語りますと。
クラシック石油発動機の3大カテゴリ−に分けてみますと、「焼玉」「ワンバルブ」(後述参照)「箱マグ」になるかと思います。ほかに国産か、輸入されたものか、2か4サイクルか、ホッポ−が四角か丸か、などなど多方面にわたって分類することができますが、また近い将来に勉強して述べたいと思います。

さて、ここからは全然石油発動機に興味のない方は読まないでください。読んで嵌ってしまっても助け出す手立てが全く無いからです。

「焼玉発動機」
伏田の焼玉engine ほか大小5〜6台ぐらいが出展されていたと思います。超大型でした伏田の焼玉engineは、今回その大型からして一度に運び込まれずに本体と、クランク付き動輪に分けて搬入されました。( HP 石油発動機 → Enjoy 阿蘇で動画を見てね )
 最終の組み立て、調整は現地での作業となりまして技術者6人がかりで続行されました。
点火プラグにあたる、いわゆる焼玉部をガスバ−ナ−で炙って、先述のとおり超大型のため別の小型発動機で曳き回し始動となりました。
しばらくして「パシュン パシュン」と廻ったときは、取り巻く様に見守っていた数百人の人々から一斉に大きな拍手が沸きました。
皆さん、見るべき物は何かをよくご存知なんですね。
またこれとは別に小型の焼玉発動機が数台出展されていました。縦型の焼玉発動機が、頭部で炭を熾して、愛嬌の感じる始動となります。さすがにオーナ−の皆さん手入れよくピカピカで調子よく回るのです。

「ワンバルブ」
《ワンバルブは、ワンロットという言い方が正しいのかもしれません。吸入圧追従開閉弁(かっちゃん語)、いずれにしてもプッシュロットが一本の4サイクル石油発動機のことです。》
普通、4サイクルエンジンには、吸入と排気の二本のバルブがあってカムシャフトで持ち上げられた力をプッシュロッド、ロッカ−ア−ムを通じて、それぞれのバルブを開閉します。ところが千回転以下までぐらいですと吸入は、吸い込み圧とバルブスプリングの働きだけで、いけるのです。
ワンバルブとは、吸入バルブに押し上げる装置がないという意味です。
現在のように高速回転のエンジンでは無理ですね。

「箱マグ」
点火栓(ブラグ)に高圧電気を送ってスパ−クさせて爆発を得ているのが、ジ−ゼル、焼玉以外の内燃機関には普通の装置です。そしてその電気を湧かすのがマグネットです。
これまた現在の自動車エンジンでは異なる構造となりますが、内燃機関の基本はこれです。 そしてその電気を湧かす発電機の構造が普通は磁石か、コイルのどちらかを回転させていますが。回転によらず、コイルの真ん中を磁石棒が往復運動して電気を湧かします。

この発電装置が弁当箱ぐらいの箱に収まって、発動機の側面に取り付けられています。 時代としては、戦後にはまだ残っていましたが、その後徐々に回転式となり、箱マグは姿を消したかに思います。


この三つが、石油発動機愛好家の最も拘り要素です。今まで見たことの無い三要素(1台に三要素を備えることはありません、)に係る石油発動機が約150台、ジ−ゼル他が50台という今回の並びでした。

また、特筆すべきは航空機エンジンが一基特別出展です。 その存在感はすべての人の目を釘付けにして、ひとたび火が入ればその轟音は耳を劈くありさまでした。 これとて大会に出展すべく M 院長をはじめとした方々の大変な努力があったと思料されるのです。

書き尽くせませんが記述した一部だけでも、いかに凄い運転会であったかをご理解していただけるかと思います。

(竹原牧場)
今回の会場となったモ−モ−ファ−ム竹原牧場は、ぐるりを阿蘇連山に囲まれた素晴らしいロケ−ションの中にあります。竹原社長と今回大会のフィクサ−でありますミスタ−エンジン氏とは、5キロ程の生活圏にあり、「梅に鶯、松に鶴」と言うような関係かと思います。
その社長氏は旧車や旧単車の有名なコレクタ−でして、常時カ−ボ−イハットにGパン、格子のシャッ姿は、足の長さも手伝ってそのまま西部劇の役者という印象である。豚にトウモロコシを与えているかと思えば、柵の杭打ち、イモ掘、客の接待、とりあえず一箇所には止まらずに動き回って移動にもメグロ500cc を筆頭に普段あまり見かけない乗り物ばかりでした。軒下には最新のベンツ・ツ−シ−タ−も無造作に停まっていました。

ちょうど連休の日々でありましたので、エンジンフェステとは関係の無い家族連れや、若いカップルも大勢来ていました。

これまた大会には関係の無いフェラリ−ほかス−パ−カ−グル−プが10台ほど連ねて来ていました。同様オ−トバイグル−プも来ている。そんな中、2〜3歳位の幼児が、「乳しぼり体験」コ−ナ−を楽しんでいるのがいかにも微笑ましく感じました。


ともかく広い場所にいろいろな人々が、わんさと集まり牧場の犬達が駆け回っている。華やかなカップルも発動機会場に足を運んで初めて見る゛発動機゛に関心を示しています。

期間中は好天にも恵まれて発動機の爆音とは反比例して、なんとものどかな時間だけが流れていく。牧場のスタッフと、大会主宰者のミスタ−エンジン氏だけが額に汗している。

阿蘇連山の360度パノラマを楽しみながら、今回知り合った Z7 氏と伊予の M 氏の三人で朝風呂にも行きました。

M 院長さん・石油発動機さん・T 丸さん・S さん・大阪人で阿蘇で知り合った K さん、ミスタ−エンジン氏の HP に書かれている「円陣の輪」を有難く抱きながらフェアレディZ33 快調の1600キロツーリング無事の帰着です。


 第140話 阿蘇日記 @

平成17年10月1


阿蘇日記(発動機全国大会)
石油発動機に嵌って約半年、この度ミスタ−エンジン氏(以下諸氏を、この世界のハンドルネ−ムにて表現)のご案内にて、火の山の麓「モ−モ−ファ−ム 竹原牧場」にて9月24日(土)と25日(日)の二日間にわたって開催されました「全国エンジンフェスティバル in 阿蘇 2005」へと行って参りました。

趣味の発動機として始めてまだ約半年ですが、ここいらで井の中の蛙になることのない様にと、大海(大会)へと足を運んだのです。

計画では9月23日の夕方に大阪・南港からフェリ−に乗って別府まで行く予定でしたが、折角23日休みなので、22日の夜に家を出ることにしました。大会前日となる23日には、出展される発動機の中でも珍品は前もって会場に運び込まれて現地にての調整されるのではないかと思ったからです。愛車 Z の80リットルタンクを満タンにして一路熊本・阿蘇へと旅の始まりです。

(石油発動機)
先ずはお目当てのお話からですが、時代錯誤に陥りました。だいたい石油発動機は戦後、それも自分の認識としては、昭和25〜30年にかけて発展をとげていたものとばかり思っていました。 それが今回の出展品を見ても大半が戦前に製造されたもので、大正時代のも数台ありました。 なぜこんな時代錯誤が生じたのかと申しますと、昭和23年頃には村に一台の発動機があって、六月の麦かちと、十一月の臼挽に各農家を運転者付きで回ってきました。荷車の車輪を履いて、台木に据えつけられた発動機が、やってくるのです。

それから約10年間ぐらいの間には、やっと各自の家で一台の発動機を買い、田圃での脱穀に使い始めたのです。 したがって、これより古い時代にはあっても村に一台と考えていたのです。
しかし、岡山県を中心とした中国地方や、四国がもっとも盛んであったと思われますが、全国的に想像をはるかに超える数の発動機が利用されていたのです。

なぜ、大阪なんか遅れていたのかは、一つの論として一戸あたりの作面積が小さかったのが原因の一つではなかろうかと、先日聞きました。

日本は戦争で、立証されるように工業技術の水準は飛行機や軍艦で世界を圧倒していましたのです。よって農業用発動機はシンプルな物体なので戦前からかなりの発展をとげていたものと思われますが、戦後においても、この分野での先進諸外国に一日の長があったようですね。
国内には、400社にものぼる発動機メ−カ−があったらしく、今も存在する「クボタ」「ヤンマ−」は、草分け時代から君臨していて、現在も変わることなく存続しているのです。

農業の立場ばかり考えましたが、工業の動力源や漁業、林業はどうであったのかは全く自分としては分からないです。ただ石油発動機については主に農業とともに発展したものと考えられます。それは田から田へと移動して使う農業用は、発動機の重量を軽くすることを求められたと思われます。他の産業は据え付けて使用する為に、堅牢なジ−ゼル発動機が担った部分が大きいと思います。

次回につづく


 第139話 長寿を祝う

平成17年9月15


昔は「人生わずか五十年」といわれて、長生きはめずらしく、おめでたいことであったのですね。
そして、今も続いてそれを祝う言葉として次のように用意されています。

「還暦」・・・数え年六十一歳、干支が一回りすることから。(第74話参照)
「古希」・・・七十歳、中国の杜甫の詩、人生七十古来稀なり、から。
「喜寿」・・・七十七歳、「喜」の草書体(七を三つ書く)を、七十七と読んで。
「傘寿」・・・八十歳、「傘」の略字 (八の下に十を書く)から。
「米寿」・・・八十八歳、米を分解すると八十八となる。
「卒寿」・・・九十歳、卒の略字(九の下に十を書く)から。
「白寿」・・・九十九歳、百から一を取ると「白」となるから。

あらためてこうして見ると、なるほどと頷くことができます。

9月は「敬老月間」でありまして、九月の第三月曜日、今年は19日が「敬老の日」です。 もとは9月15日で、人をうやまい長寿を祝うため昭和41年から「老人の日」と称して祝日と制定されてきました。

いますでに自身が第一関門を通過したわけですが、これからの生きていく様こそ大事であると考えています。

ではどうすれば、いいのでしょうか。人に例え配偶者であっても世話をかけないように心がける。そしてそのことを自慢することなしに、ごく自然体としてふるまえる術を見につける。

だからと言って、決して遠慮することなく意のままに口にして、行動にする。イヤがられることの回数を極力少なくすることであると思います。

それと、清潔感を維持するために自身の手入れに手間を惜しまない。

わかっていても、少々のことに、こだわり、すぐに腹をたてる。

あぁ---、どうすれば、長寿を祝ってもらえる人となり、また日々を送ることができるのだろうか ???


 第138話 木六竹八塀十郎

平成17年9月1


木六竹八塀十郎 読みは普通に「きろくたけはちへいじゅうろう」です。
今年も、一年中で最も気になる、やらなくてはならない作業を八月に行いました。そして今、ふっと思い出したのが今回のお題なのです。

旧暦ですが、木は六月に、竹は八月に切るのがよく、土塀は乾燥している十月に塗るのがよいという昔の人々の生活の知恵を、語呂よく人の名に例えて言った言葉なのです。

家や野山などの手入れについても、効果を考えて一年でも最も適した時期に行うように、このような言葉を日々の糧として生きていたのですね。 もちろん、籾まきをはじめとした、農作物の種まきも、かように考えていたことと思います。

たしかに祖父などは、よく小冊子となった暦を手に「そろそろやなぁ」と何のことかは分かりませんでしたが、つぶやいていたことを思い出します。
雑木でも、生垣でも、大きく育てている時期の剪定と、育ちきって年一回の整えるための剪定とでは、時期も違ってくるようですが、我が家の場合は後者の手順で剪定しています。
これが、真夏の盛りに時期がくるもので、苦になるのです。

五年ほど前には思い立った日には、早起きして頑張れば一日仕事で終わったものを、木が育ち反比例して己が年とともに体力を落としているために、表一日と裏一日の二日でやっとの始末です。

竹も塀もありませんので助かっていますが、祖父に教えられた「旬には旬の仕事」の言いつけを思い出しながら、今年も暑い夏を貫徹した次第であります。


 第137話 相談事は

平成17年8月15


相談事は多分に付け

なんでも多勢の言うとおりにしていれば間違いがないというが、昨今この語を考えさせられる難問が発生しました。

郵政民営化関連法案採決は、108票対125票で否決、廃案となった。参議院本会議において、扇議長が「採決にはいります、議場閉鎖」宣言。白、又は青の札を持った参議院議員が次々と投票していく。先の8月8日午後1時過ぎのできごとである。

今回の語は、人の世渡りを示すものですが、無理して目先を広くして今、わが国で起きている問題にダブらせて考えてみます。国会での最大の焦点であった郵政民営化法案審議において先の7月衆議院では、233票対228票の、たった5票差という僅差で可決しました。

おそらく多くの議員の胸には、国の行く先もさることながら、本心は己のバッチが可愛くて迷いに迷ったことであろうと思うのです。

これは世渡りの方法の一つではありますが多勢の意見がどちらなのか判断に苦しむ事例が国の最高議決機関で起こってしまったのです。

戦後長年にわたって、少々の諍いや方向性の違いを政党政治の名のもとに一定の判断をつけてきた。しかし、その長年の歪が噴出したのか、あるいはリ−ダ−小泉総理が強引すぎるのか、ここに至っては国会という場においてすら、なにが「多勢」なのか分からなくなってきたのでてある。

政党政治の崩壊が国民にとって幸せをもたらすのなら、それも良いことかも知れませんが、早速今選挙に絡んで党公認という子供の陣地取遊びが展開されているのであります。 やはり、多勢で押し切ろうとしているのです。ならばなぜ造反と言おうか、反対者を説得できなかったのか。個々議員の選挙母体が最大の要因であることは言うまでもありませんが、国民には分かり難い事が多すぎるのです。

身近なとらえかたとしての「寄り合い事は多分につけ」という教えは、地域の自治会や、青年会などの集まりで何かを決める場合を想定した語でありまして、一時の思いや意地を通して心まずい一生を背負って暮らすのはいい選択と言えないのです。


 第136話 夏は日表

平成17年8月1


夏は日表、冬は日陰 

体を丈夫にするには、夏は暑いところに出るようにして、冬は寒いところにいるようにするのがよいというのがストレ−トな意味です。

しかし、人の生きていく有様として、夏は日陰を、冬は日向を人に譲るようにし、何事にもでしゃばらないようにせよというのが本来の意とするところなのです。

人は゛易きに流れる゛と申します。誰でも楽なように楽なようにと進むのは自然の欲望であります。 暑い時には日陰を人に譲って、また寒い時には日向を人に譲るという篤志は、そう自然に行える業ではありません。

ここまで来れば、宗教論になるかと思いますが、神道でいう天照大神と、仏教でいう弘法大師を多くの日本人は崇拝しています。
皆は手を合わせて拝みはすれど、また教えを守り善意をつくせど、神は神であって一つの善意が神に一歩近づくという考えはありません。また、優しく微笑んで褒めてくれるというような事もありません。
日本の多くの宗教はこの様に神と生身の人とは区画されていて、線の延長上にあるものではないのです。

しかし、キリスト教に代表される欧米の宗教は、一つの善意の行動が一歩、神に近づくと教えられている、とかんがえられます。 神が高い所からいつも優しく見届けていてくれる、だから人が見ていようと、誰も見ていないでも、善行ができるのです。

一銭にもならない「表彰状」が、日本人の心を捉えてやまないのは、善行を形に表してこそ価値があると考えているからです。

盆の月となりました。難しい宗教も大切ではありますが、先祖を尊ぶこそ日本人の宗教の原点ではないのでしょうか。


 第135話 名神高速道路

平成17年7月15


昭和38年7月に名神高速道路の栗東〜尼崎間の71.1キロが開通し日本の高速道路の幕明けとして歴史に大きな一歩を踏み出しました。

そして2年後の昭和40年7月に、愛知県小牧と兵庫県西宮を結ぶ名神高速道路が全面開通しました。 最後の工事区間・小牧〜一宮が開通して約190キロの日本で初めての高速道路が 完成して、四十年が経ちました。

いま、NHK の大河ドラマは「義経」ですが、大河ドラマの始期も高速道路と同時期であり第一作目は昭和38年4月から始まった「花の生涯」です、昭和39年の「赤穂浪士」で大フィバ−となり、続く昭和40年の「太閤記」、これは緒方拳が主演で忘れられない一作となりました。そして昭和41年には「源義経」、尾上菊之助でした。藤原秀衡の篤い加護のもと、素晴らしい平泉での環境のもとで育つ菊之助・義経が40年を経た今も印象に残ります。

さて、「日本の道路は信じがたいほど悪い。工業国でこれほど完全に道路を無視してきた国は、日本しかない」と全開通9年前の昭和31年に来日し、日本の道路事情を調査をした米ワトキンス調査団の報告書に記されている。
先進国の道路の様子は、雑誌では見ていたがそれ以上のことは知るよしもありません。よく言われた日本の道路は悪いというのは、狭い、未舗装のデコボコ、曲がりくねり等のことがそのように言われていたと当時は考えていました。効率的な物流を図るための役割を果たす道路として失格であるとまで中学生になったばかりのかっちゃんは考えつかなかったのです。

しばらくして 名神高速道路開通より数年前に、大阪・奈良を結ぶ阪奈道路が開通されました。これからの道路とは飛行場のように真っ直ぐで広く安全に走れる時代が来るんだと喜んだものでした。単車でウロウロとよく行ったものです、カミナリ族という言葉も生まれました。

高速道路建設のきつかけは、戦後日本を統治した GHQが、日本の復興は自動車メ−カ−の振興と道路整備が最重要課題としてあげました。 自動車は昭和40年代には世界のトップクラスに成長し、高速道路の方もたゆまぬ発展を続けて距離が延び便利になりました。 しかし、現在通行料金が高い上に、建設や運営も依然不透明なところもあって「建設費を償還したら無料」とされていた当初の考えはどこへやら。開通当初は10年ほどすれば名神高速道路は無料となると信じていたものでした。


 第134話 十分はこぼれる

平成17年7月1


食欲、住欲、性欲、金銭欲、名誉欲、・・・etc 欲には止まることの知らない無限の間口と、奥行きがあります。だからこそ万物は生きていけるのです。そこに進歩・進化が記録となり、また文化として伝えられるものなのです。

その中で一つの例として、スポ−ツでの記録を更新すること等は、欲をもって励まなければ決して達成はしません。しかし記録達成の後に期待する欲が表に出てしまえば、うまく成就することも、周囲が認めて祝福してくれることも、遠縁となってしまいます。

深く考えなくとも、 おおかたは、物に対する欲を戒めた言葉であり、人間は 「八分は足らず」で十分を望むものです。容器のふちまで水をいれれば、ちょっと動かしただけでも水はこぼれます、 人の世のこともまた同じで、ほどほどにしておかないと失敗をするから、あまり欲ばらないほうがよいということです。

満ちたるは欠ける、という言い方もありますが、これも人間の欲を制したことわざですね。

何事においても、八分からの後の二分には、絶大なエネルギ−が必要となります。欲をもってなすその努力は、おうおうにして他人の目からは、少し斜めから見られていることの方が多いと考えなければなりません。 十分を達成するべくものか、あるいは先述のように、莫大なエネルギ−を費やしてなお人から感心されないものでも己の欲の為に突きすすむのかが、この見極めこそ大事であると考えなければなりません。

そこに存在する、見栄、意地、を自制心で制御できれば言うことはないのですがね。


 第133話 茶碗を投げ

平成17年6月15


茶碗を投げたら綿で受け

今回のお題は、まず自分の家の中、つまり家族との交わりの中から実践をしていかなければならないと思うのです。それは「茶碗」という日常生活の道具がうたわれているとおり、夫婦喧嘩を先ずの教訓材としているのですね。

相手が強く出てきた時には強い態度で応待せず、やんわりと受けるようにせねばならない、それは同じように熱くなったら、まとまる話もまとまらず、ますます泥沼化するのが目に見えているからです。 こんな時には、一歩下がって相手を観察して、当方の活路を見出すのが得策であるように思います。

誰でも平常時は言われなくとも分ってはいるのですが、 どうしても、こだわりや、面子を必要以上に重んじて、つい相手の出方を読むことができずに、争いに歩幅を合してしまうのです。
さすが年齢とともに、大声で喧嘩することはなくなりましたが、その分だけ策略に固執してしまうことになります。これなら大口論をするか、もう少し過激になっても、かえって後スッキリかなって思うこともしばしば。それにしてもだいたいは、年齢、地位、損得等によって話の方向は難なく流れていくのが普通なのですが。

現在の世の中「茶碗」ではなく、鉄砲の弾はまだ少ないとしても、刃物はもちろんのこと、いわゆる、IT とかで、インタ−ネットによる中傷や虚偽による攻撃も氾濫しています。
それに加えて最近の粗暴さは、止まることを知らず、とくに若年者や、外国人との揉め事には気をつけなければなりません。

人間、年を重ねると温和になり、思慮深くなるように思われがちなのですが、実はそうではなく、短気で癇癪持ちになるものなのです。ただ衰え行く自身の体力を自覚しているからこそ、怒りを堪えるものなのです。


 第132話 酔いに十の損あり

平成17年6月1


酒の上の話やからとか、酔いが回り記憶にない、という話は今までイヤになるほど聞いてきましたが、 人一倍そのような言い訳を卑劣と考え、自分は決してその手は使うことなく生きてきました。
しかし、近年になって、いい訳にこそ使いませんが、時々その様なこととなるのです。 だいたい冷酒をいただいた折に、現れるようになりました。

思い起こせば、飲んでいる時に度を越している自覚はあるのです。そしてある時点で何か苦しくもあり、また、頭がふわっと軽くなり、続いて黙っていられず口から次々と言葉を発してしまうのです。

決してデタラメを言っているのではなく、心の奥深くに、ほんの少しだけある思いが次々と口に出るのです。全く思いのしない事柄ならいいのですが、どこか根にるから処置が悪いのです。

自分が相手の心を傷つけたり、反対に傷つけられた時のことを、振り返れば、だいたいこんな事です。

まぁ-、今までは決定的な大失態には至っていないかと思っていますが、この先がだんだん不安になる今日この頃です。

理性が働いている時は、気持ちの中で大人しくしているが、やっぱり本当はどこかでアピ−ルしたいと考えているのですね。だからブレ−キが効かない状態、つまり我を失したときに、支離滅裂になってしまうのです。

人は、信頼を得るには長くを必要として、それを失うのには、一瞬の言動で 終わってしまいます。 つい先日も一緒に飲んだ人から、指摘されて平衡しました。

酒が狂い水である以上は止むを得ないことではありますが、功徳もないわけでありまして程ほどにしておけば「酒に十の徳あり」となるのですが。


 第131話 下手の道具立て

平成17年5月15


いま、町のいたるところでホ−ムセンタ−があります。現在では日用雑貨・衣料・などありとあらゆる品揃えとなっていますが、走りは職人が使う道具を日曜大工の人々が買い求めることが出来る店であったと思います。
道具と材料、少しの材木・セメント等、昔はこれらを素人には、なかなか入手にすることの出来難いものでした。いつの時代か「日曜大工」という言葉も生まれ、今では少しのことは自分で施工するようになりました。

かっちゃんがなぜ、道具好きになったのかと申しますと、子供の頃に祖父が1×2尺ぐらいの木箱、そうです大工の道具箱を所有していて、中には、鉋、鋸、丈などなど玄人はだしの道具が揃っていたのでありました。興味深々でそれを祖父の目を盗んでさわってみる、しかし子供のなすこと、なぜかすぐにバレて、怒られる。やがて小学校の高学年になった頃に、祖父は別に道具箱を作り何点か道具を分けてくれました。それはもう、かっちゃんには、宝の箱であったのであります。その箱はオ−トバイに凝りだした頃まで使っていました。
意味は遺脱しますが、木箱は金属の「TOOL BOX」にと変わり、鋸からスパナへと年齢とともに指向も変わりました。

たしかに今も自他ともに認める道具好きで、時間と金があれば、大阪・五階百貨店へと足を運んだり、縁日の古道具屋の前では、その先へと足は進まなくなります。つい数ヶ月まえ、不動さんの古道具屋で、ちょっとしたものを買ったら、店主が大工の両刃鋸を、おまけにくれました。なかなか年季の入ったその鋸を家で試し切りしてみたら、それは素晴しい切れ味。それに加えて、まっすぐに切れるではありませんか。だいたい板を切ってもすぐ曲がるのが、かっちゃんの腕前の程です。

何をしても腕前は下手のくせに、言うことだけは一人前です。自分の大事な、オ−トバイとか、車の整備には、決して安物のスパナなどは使いません。それはネジを痛めるだけで、十分な締め付けをすることができないと思っているからです。

このように、道具立ての話だけで熱くなるのは、あたかも結果重視の優れ者のように思われますが、一つのプロセスに傾注のあまり、結果に至るまでテンションが持続できないのです。
やはり何事にも下手な者ほど、あれこれと道具にうるさいという、いわれは当たっていますね。

最後に一言、 「弘法筆を選ばず」。


 第130話 端午の節句

平成17年5月1


勢いよく「鯉のぼり」が泳ぐ、一年中でも、最もいい季節となりました。そして五月と言えば「端午の節句」、男の子の節句となりますが、もともとはそうでもなかったとか。

一年には五節句と申しまして、正月七日の人日(じんじつ)、三月三日の上巳(じょうし)、五月五日の端午(たんご)、七月七日の七夕(たなばた)、九月九日の重陽(ちょうよう)があります。

そして、端午とは 「端」という字には、もののはしという意味とともに、初めとの意味があるらしい。それに「午」は、五の音通によって五月の初めての五の日が端午の節句の日となったらしい。

端午の節句には古来、邪気を払うため菖蒲や、よもぎを飾ったり、ちまきや柏餅を食べたらしく、その中の菖蒲が近世になって尚武と通じて男子の節句となり、武者人形や鯉のぼりを立てて男子の成長を祝うことへと進化していったとのことである。

かように考えますに、始めから現在のように必ずしも男の子の為の節句でもなかったということですね。


 第129話 さくら Part U

平成17年4月15


自然というものは不思議なものなんですね。1年前の「さくら」はどうであったのかと思い出してみますと、・・・
なんと、満開の時期が長かったのです。それは気温の影響するところが顕著にあらわれたということです。3月20日ぐらいに一旦暖かい日和が続いたので桜は、我先にと咲きほこったのですが、その後、寒の戻りと相成りまして桜は散ることもできずに、じ-っと持ちこたえて小学校の新一年生に見送られて散っていったのです。

で、今年の場合はと申しますと、四月になっても一週間ほど暖かくならずに、じっと待たされてその挙句に一挙に気温が上昇しました。結果、九州北部から環太平洋、関東に至るまで一斉に満開となりました。結局4月9・10日の2日間の超短期決戦となったのであります。

さくら研究の大家の話によれば、必ずしも気温によらずに、さす光の角度によって咲くという説もあります。しかし、気温に依存するところが大きいということが去年と今年を比べれば言えます。

「霞か雲か・・・」と歌われるごとく山が野が一面に染まるその様は、まさしく絶景ですね。短い命だからこそ、さくらは綺麗なのか、それとも持てるエネルギ−を一瞬に噴射しきるから綺麗なのか様々な見かたと感動を与えてくれた今年の「さくら」も峠を越えました。

散り行く「さくら」さんにまた来年の思いをこめて。


 第128話 春は

平成17年4月1


春は晩飯食って三里

よその国では春のことを、スプリングとも申します。なにか気分の軽やかな季節となって参りました。

そもそも昔の人々の生活習慣は、早寝・早起きであって、時間的にも規則正しく生きていたと思われます。厳しい寒さも和らぎまして、春分の日を迎えるころには日も長くなり、どこともなく暖かさにほだされてウキウキとしてまいります。 もっとも今年はつい一週間ほど前の戻り寒波には閉口させられましたね。

して、この語には季節もよくなって機嫌よく暮らせという意味あいの、のんびりんぐと、春になって日も長くなったので何の目的ももたずに過ごすことなく、晩飯の後でも有効な時を持てという、一寸の光陰軽んずべからずの二通りを感じます。

私の思いとしては後者でありまして、若い頃から行動力のつく春をきっしょに有効な時間を持つようにしてきました。まぁ寒い冬季には弱くて早寝・遅起きで、まるで熊の様な暮らしぶりですが。

春の日は長いから夕飯をすませてからでもまだ三里ぐらいは歩けるという教えに従いまして、いざ Spring has come !!!


 第127話 百姓の来年

平成17年3月15


久しぶりにロ−カルなお題をひとつ。
物事に失敗しても、決して臆することなく、未来に向かって明るく生きようという、諺です。

大豊作の秋に「また来年」とは言いません。満足のいく収穫がなかった折の言葉として「また来年」と用いるのです。
もっとも米のように大事な収穫物よりも、例えば゛西瓜゛とか、゛白菜゛のように副産物的な作物がうまくいかなかった時に、「あ-あ-また来年」という様な感じで用いることのほうが多いようですね。

肥料の加減に失敗した時のように、己に責任がある場合と、日照りや、多雨など自然に起因する場合がありますが、そこはくよくよしても仕様がない「あ-あ-また来年」と清く諦め、来年に思いを託すのです。

また、この言葉には約束された、こころ強い未来への希望も感じます。必ず訪れる春夏秋冬に馴れ親しんで、恵みを受けて生きてる人々の大らかさも感じとれます。
なんの努力も工夫もせずして、ただの逃避としての言葉ではないのです。

一生懸命やったが不幸にして報いられず、そんな時の慰めの言葉として「あ-あ-また来年」と自分に言い聞かせて頑張る。

万事に通じる有難い語です、「百姓の来年」。


 第126話 でも、しか商売

平成17年3月1


前々回に続きまして、商売のお話です。

「喫茶店でも、始めるか。」とか、「喫茶店しか、やれるものがなかったんや。」と言う様に、「でも、しか、」がつく商売のこです。

喰う為に何か仕事をせねばならない場合や、遊んでいるのにはもったいないので、何か仕事をと、考えた時に経験もなく、金もないし、よって手っ取り早く開業ができる商売と言えば、喫茶店であったのです。

最近うんと数が減りましたが、一昔前の時代には、街角や駅前に、喫茶店は沢山あったのです。

当世、でもしか商売と言えば、何でしょうかね。どこでもよく目につく店としては、昔にはなかった携帯電話屋がありますが、個人が気楽に開業できるものでは、ありません。 言えることとしては、個人が気楽にとはいかなくても始められる商売がなくなったと思います。

30年も前から商店が大規模化して以来、「でもしか商売」という言葉も死語となったのでしょうか。 では、この種の志者は今は何をしているのでしょうか。

「パ−トにでも、行くか」 あるいは 「パ−トしか、なかった」 ということに、なりますかな。


 第125話 特攻兵

平成17年2月15


13日(日)放送の NHK 大河「義経」でそろそろ分別の分かる年にと成長した゛遮那王゛こと義経が、平家から警戒されるようになった。都を離れるか、仏門に帰依するかを求められた義経は、離れ離れに暮らす親・兄弟が一緒に暮らせる世を作るため、平泉に向かう決心をする。

あの、「信長」も民が安心して暮らせる世を作るため、天下統一を目指した。

そして今回、「知覧」「加世田」の特攻平和会館・平和祈念館を拝観する機会を得て行ってきました。

とても一度に言い表せるものではありませんが、一番強く感じたことは、「平和な未来を願い、特攻隊兵として命を捧げられた」とされる文面が多く展示されていたということです。

両館とも、一時間余の見学でとても貴重な手紙などを、その一部しか読むことが出来ませんでしたが、高い理想だけではなく、もっと現実味を表す別れの手紙も多くあります。もっとも現在の世に沿った内容のものを選択されているかもしれません。兄に親を頼む手紙や、姉妹に母親を頼む手紙には、涙なしには読めません。

遺書に「いよいよ明日大空に飛び立ちます。悲しまないで誇りに思ってください」とは自分自身への奮い立たせたか。特攻銅像「とこしえに」にある、「・・・ああ、開聞の南に消えた勇士よ。」には、その光景を想像して、強く胸を打たれました。

現在、今なお9.11事件を初めとして自爆テロによる痛ましい現実がありますが、つねづね、今の世で実行される自爆テロには腹立たしさを感じます。それは軍人だけをタ−ゲットにした戦争とはあまりにもかけ離れた無差別攻撃にあるのです。

いずれにしても、戦争とは、直接不幸な人々を作ることです。とても、短い小話の題目では、言い尽くしをできません。是非、鹿児島に行く機会がありましたら、両館に足を運んでいただきたいと思います。


 第124話 3ちゃん商売

平成17年2月1


いま、ネットで検索しても「堤 義明・中内 功」が、多く語られています。大企業の栄枯盛衰とまで言えないまでも、これを類推させる記事が満載である。

前者は、 帝王学を父から学び大学在学中すでに事業を展開していたと言われています。父康次郎が死去の後、周囲は、次男の清二が継ぐと噂されていましたが、西武鉄道グループを引き継ぐことになり、帝王へと登っていったのです。
一方、後者は名実ともに一代で大企業の帝王になって栄華を極めたのでずか、いまは皆さんご存知のとおり。ホ−クスもお世話になりましたが、結局ほりくられました。

人間として、男として誰でも大きくなりたいという野望はあります。ところが皆がそうであるとは言い切れないのが、今回のお題です。

3ちゃんとは、「とうちゃん」・「かあちゃん」・「にいちゃん」、または「ねえちゃん」の3人が力を合わせてやる商売が最もええという、お話です。

どのような仕事であっても、家族の範囲でこなせるなら、利益回りは最高ですね。なぜならば、経費が最小限度にとどまれるのと、無理が利きます。

3ちゃん商売が軌道にのって、夢を追いかけて事業を拡張します。人手も増やし、商売の間口も増やします。当然事業主の気遣いも倍増して、気が付けば体を悪くしているか、あらぬことか、気がついたら取引相手に手を噛まれて痛い目に。 それに負けない気迫・根性の持ち主はいいが、商売に成功しても、例外なく家庭はボロボロ。かあちゃんは、昔の方がよかったと、嘆きます。

結局のところ、人が最も豊かな生活ができる状況とは、どの様な状態かと申しますと、健康であり、銭もそこそこあり、家庭円満かと思います。3ちゃん商売、万歳です。


 第123話 大河ドラマ

平成17年1月15


大河ドラマ第44作目がスタ−トしました。

義経とは、あまりにも第4作目の、「源義経」の尾上菊之助の印象が強すぎて、40年も経つのに今もなお脳裏に残る雄姿なのです。
若い頃の義経が平泉の藤原秀衡に加護を受けて、青年期の人格形成においては、秀衡の絶大なる影響を受けたとされています。とりわけ一年通してドラマの中で平泉の澄んだ綺麗な風景と、凛々しい義経が未だに頭にあるのです。

その姿を、40年間も頭の中で美化された思いを、滝沢義経に求めるのは無理であることは承知の上ではあるが、1月9日放映された面長の義経にはあまりにも強烈な違和感を覚えてしまいました。

第31作の東山紀之にはじまり、最近の若手起用に NHK の苦慮は理解するものの人気取り番組ではなく、しっかりとした物を見せてもらいたいのです。
第38作の勘九郎蔵助は、目が死んでいるとの不評を受けた。あれは世を欺くために山科で遊んでいる蔵助を演じたもので、あれはあれでよかったと思っている。大河では主演者の熱演に期するところと名脇役、それに第2作での「堀田隼人こと林与一」のような役者がクロ−ズアップされることに、大いに期待したい。

露出度が少なかったけれども6年前での吉良上野介の養子役を演じた滝沢については、下手やなという印象しかないのは寂しいかぎりです。

とは言えど一年通して見ていると、小生はきっと滝沢こそ義経だっ、と思っていることやろうし、またそうであってもらいたいと願うところです。

宮尾登美子が描く、義経と清盛、若者と老練、源氏と平家の二分された日本、これらを対比しながら今日の日本社会の在り方を考査するという今年の大河、面白くなりそうです。

一年という長馬場を視聴者の目を釘付けにするには、至難の業であるが面白ければ皆が見ます。
初回放映で六波羅殿が常盤御前を口説くあたり、渡が地でいくようなセリフでした。おそらく優しい清盛を演出しようとしているのですね。

とにかく風当たりのきつい NHK 。だからこそ、NHK しか取り組めない民放では真似のできない圧倒的な力のある「第44作 義経」であることを望みたい。


 第122話 借りをつくらず

平成17年1月1


借りをつくらず貸しをつくれ
借りとか、貸しと言えば金銭的なものに直結しそうな感じですが、新年の一作目として生きる様を、時間とか気の持ち方について考えてみることにしました。

自分自身の一日を考えてみても、時間の貸し借りがあります。明日は、あれとこれを用事してと寝ます。

さてその朝、あまり寒いので寝床と仲良くなり、1時間を寝過ごし。頭の中のタイムスケジュ−ルは、1時間先を走っています。
それを追いかけて午前中に済ませる用事を遂行中、横目で見たテレビに昔懐かしいシ−ンが映し出されています。立ったまま見ていたら、さらに懐かしい話が。本格的にテレビにクギ付けになり終われば、そこには昼飯、また明日しようと午前中の用事を先送り。

まぁ-ええか別に気にせずに済ますことの出来る性格と、この時間を必死に取り戻そうとする性格に大別出来ると考えますが、普通は後者に「うんうん」と頷ける人が多いかと思います。

その時点で自分自身に、時間的借りができたのです。

反対に手際よく思いよりも早い目に用事を済ますことが出来た時には、気分もよくお茶の一杯でもという気になります。

つまり、時間に追われて一日を過ごすのか、余裕をもって過ごすのかという事を考えてみても、どちらがいいのかわかります。

一方、何でも、先にさきに物事を運ばないと気になり頭に抱えてしまうのは、精神衛生上よくないことです。
なかには時間なんて無縁という性格の方もあるわけで、ほんの一例としてみました。

よく似た意味の持つ「世話にならないように、世話をせよ」という言葉を聞いた事があります。 これは自分以外の外に向かっての要素が絡みますので、少しは遺脱するかも知れませんね。

いま時の言葉で言えば、「借りを作ってネガティブ」に暮らすりも、「貸しを作ってポジティブ」に暮らすほうが人生が楽しく、また、有意義と考えますが。

年の始めにあたり、今年はひとつ、身を軽く動くことを心掛けることにしてみます。



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