ちょっと小話コーナーShort Story 保存六号館
ご意見などは、掲示板で待っています。

第146話

風林火山 第147話 第45回 大河ドラマ 第148話 桃栗三年柿八年
第149話 ひもじさと 第150話 知らぬ顔の 第151話 談合

第152話

根回し 第153話 上り一日 第154話 成らぬ堪忍

第155

腹が立つなら 第156話 湯布院フェスタ 第157話 雨垂れ石を穿つ
第158話 羹に懲りて 第159話 多芸は無芸 第160話 六根清浄
第161話 山彦 第162話 なんでや 第163話 ねんごろ
第164話 阿蘇日記B 第165話 西と言ったら 第166話 つかの間
第167話 W 第168話 お台場日記 第169話
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 第169話 7

平成18年12月13


「さぁ 今度はホ−クスのラッキ−セブンです、ホ−クスファンのみなさま なお一層のご声援を お願いします」
♪ タンタラッタ タッタッタ タン−−♪
グランド照らす太陽の
意気と力をこの胸に
野球に生きて夢多き
南海ホ−クスさあ行こう
ああ金色の羽搏に
蒼空に鳴る鳴るひるがえる勝利の旗
ホ−クス ホ−クス 南海ホ−クス

当時、歌謡界のトップスタ−として国民的大歌手であった、故灰田勝彦が軽やかなリズムに乗って歌う球団歌、氏も大のホ−クスファンでありました。

本日、JR3WAS'HomePage は開設7周年を迎えました。7という字を思った時、まず子供の頃に大阪球場で野球を見ていると、ラッキ−セブンになると書き出しのようなセレモニ−となるのを思い出すのです。
今はジェット風船を飛ばすのも流行ですし、そしてやはり応援歌を歌います。野球を考えると7回といえば疲労も溜まり、攻守ともにしんどい時です。そして結果的には得点に結びつくことの多い回と言えます。そこでファンは期待をこめて応援をするのですね。
しかし、まだ子供であった頃は、なぜ「ラッキ−セブン」なのかわからず、7というのは「吉」とイコ−ルとしてのイメ−ジを抱いたまま年を重ねてきました。

そして「七五三」「 七五三縄」というふうに、めでたい数として、七は位置付けられているように思います。
何か娯楽の世界でも、7が並ぶと大儲けするとか、自動車の希望ナンバ−でも77-77が一番人気やし、とにかく「7」は、3とともに人気数字だと思います。余談ですが、モ−ルス信号による交信では「73」は、さようならの略語、「88」は、女性オペレ−タ−に対して打つ、さようならの略語です。

自分としては、好みの数は「8」でした。なにか円満そのもののように思えるのです。色は緑、数字は「8」が小さい頃からのお気に入りでありました。ところが自動車レ−スに凝った頃、世界的なレ−シングドライバ−の、たしかスタ−リング・モスだったと思いますが、伝記にゼッケンナンバ−には「8」を使わないし、ピ−ナツッは食べない、というのを読んでから、次第に8好みが薄らいできましたのを、今でも感じています。なぜ8がと言いますと、ゼッケンに、つまりレ−シングカ−に「8」を書いてアクシデントで逆さまになっても、8は8として読めるから、ひっくり返るナンバ−だということらしい。
そして皮付きピ−ナツッの形も 8 のイメ−ジとつながります。超一流のレ−サ−も゛げん゛かつぎは避けて通れない道なのです。それにしても 日本古来の考えとしては、「八」は末広がり、と申しまして非常に縁起のいい数字として扱われています。

なにか、まとまりのない第169話となりましたが、この「小話」コ−ナ−を見ました、とメ−ルにてインプレッションをくださる方が、たまにあります。それを楽しみに7年もやってきました。
来春にはもう少し時間をかけて書ける環境となりますので、勉強をしてもう少しまともな内容を発信出来る様に頑張りたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。


 第168話 お台場日記

平成18年12月1


つい先日の、11月25・26日の両日に東京のお台場にある、船の科学館で「回して楽しむ! 懐かしき発動機(エンジン)展」が開催されました。
船の科学館・発動機遺産保存研究会・産業考古学会の共催、西日本工業大学の後援ということで、東北から九州までの広い間から、100台を越える発動機の出展がありました。

船舶用の焼玉やディ−ゼルエンジン、そして農業用や工業用など陸で使われたもので、多くは石油発動機ですが、ガス発生器を完全レストアされた木炭瓦斯発動機、焼玉やディ−ゼル発動機、外国製発動機等など、ジャンル毎に整然と展示されていました。

お世話をされた方々の熱心さと意気込みが、そしてまた参加された方々の協力体制がこのような立派な催しとなったと思います。

かっちゃんが今回一番のお楽しみは、昭和11年製「小林式木炭瓦斯機関」の運転を見ることでした。香川県のコレクタ−所有で瓦斯発生装置まで完全レストアされての出展でした。 おまけに、同日午後に羊蹄丸船内にて開催されましたシンポジウムには、小林兄弟鉄工所のご子孫にあたる女性発動機研究家の同家の歴史講演がありました。小林兄弟鉄工所は広島県であり、当時は広島・岡山など中国地方にある中小企業社が競って発動機の製造に携わっていたとのことでした。

そして、特に今回は若いコレクタ−が沢山おられるということを感じました。ややもすると自分も含め壮年層の方々による趣味の世界と思っていましたが、西日本工業大学の研究生の方々以外にも、多くの若者達が発動機を持ち込んで活躍されていました。

工業国日本の名を絶えすことなく発動機という産業遺産を後の世までの継承を託す頼もしい青年達の姿を見たように思います。

出展品の夜の警備を名目に現地で泊り込み、そのついでに大宴会が催されました。
かっちゃんは阿蘇の教訓が生かされてマイペ−スにてのお楽しみということで飲み過ぎずに楽しい発動機や、よもやま話で過ごしました。
一番遅くまで飲んでいた人達が眠る頃には、一番早い人が起床という、ここでも輪が繋がっているのかなぁと変な感心をする一幕もありました。

お台場という場所柄、人がドッと押し寄せてということにはなりませんでしたが、逆にメディアによる取材攻勢が目立ちました。

全国のあちこちで開催される運転会の内から、今回は選りすぐられた逸品が集結されたような格好となり、聞けばお世話の方が出来るだけ同じ機種が集まらないように時間をかけて調整されたとのこと。こころあたりにも今回のご苦労が伺えるところです。

高知から、大型トレ−ラ−による重量船舶発動機の参加は圧巻でした。なにしろ今回は船の科学館での開催ですから、きっと船舶発動機も鼻高々と喜んでいたことでしょうね。

今回の運転会を単なる催しとしてではなく、参加した発動機達が大国日本の成長の一翼を担った検証の場として、今後のあらゆる産業開発スピリットの礎となるように生かされることを念じてやみません。


 第167話 W

平成18年11月15


大変お恥ずかしい話をひとつ。
( CQ CQ This is JR3WAS ・・・) まだ、無線電話で盛んに交信を楽しんでいた頃に、W を 「タ゜ブル( double)」と発音していたら、ある OM さん(オ−ルドマン、熟練者)から、「ダブリュ−」と発音しなさいと教えてもらいました。30年以上も前の事でした。
それ以来「ダブリュ−」と何も考えずに発音してきました。

そして先日、イギリス人の兄ちゃんに、あることで (double) のことについて話をした機会に「ダブル」と「ダブリュ−」とはどない異がいまんねん、と聞いてみました。
いやそろそろ先も短い年齢になって本当に知らなかったのです。
黒板に U と U を並べて書いて UU これが W ですと。いわゆる目からうろこ申うしますが、納得するやら、恥ずかしやら。

それでも、知らん事を教えてもらった嬉しさと、いままでの勉強不足を反省するやら、複雑な思いの今日一日でした。
念のため英辞で W を引いたら、「2つの U の意」と書いてある。 


 第166話 つかの間

平成18年11月1


つい先日、眼医者の待合で耳にした、そこそこ年齢のご婦人方の会話で、どうも国内パック旅行のお話らしい。
「・・・つかの間の休憩で・・・」お目当ての土産物もゆっくり物色できなかったと言っていました。

はて、「つかの間」って、何やろうかと考えてみました。

昔からあった、ものの計る長さの単位として、「尋」(ひろ)というのがあります。 海の深さを表わしたり、釣り糸の長さに、尋という単位は現在も、よく用いられています。
これは、両手を伸ばしたときの、指先から指先までの長で1尋は約5尺で1.5メートル目処のことです。釣り人は、浮き下何メ−トルとは言わずに、何尋と言います。アバウトな、味のある長さ表現ですね。

そして、尋より短い単位として「束」(つか)という単位が用いられていました。これも長さの単位で、親指を除いた4本の指の幅を1束といいました。このように、束は短いものを指す単位でありましたが、それが時間にも使われるようになり、ごく短いことを「つかの間」と言うようになったとのこと。

高度に入れ込んだ現在社会にあって「つかの間」の時間を発想転換に使ったり、次の行動ステップに備えての準備などメリハリのある「つかの間」の活用こそ大事ですね。


 第165話 西と言ったら

平成18年10月15


「西と言ったら、東と悟れ」

史実は分かりませんが、信長はいつも短い言葉で家臣に命令や指示を与えたという。
そして光秀は信長から「西」と言われれば、それに従順に従い西に向かう。或いは疑問に感じた時は聞き正した。
一方秀吉は信長が「西」と言う前から、そろそろ甲高い声で「さるっ!西」と発するのを待っていたという。そして東に向かった。その結果として失敗しても信長は秀吉の失敗には末に大きな成果を実らすことを知っていた。

仕事の上で渡り合う人々との間には、商談、交渉などありとあらゆる場面で相手側に加えて同僚にも目に見えない、口にはすることの出来ない思惑が積もります。外に対しては言うに及ばず戦争です。
人の言うことには、裏に隠されている意味やさまざまな駆け引きがあり相手の言うことをまともに受け取ることができません。 仕事を始めとして世のなか何の駆け引きもせずに生きて行ける人は、まずその人自身が天使のように素晴らしい人でなければなりません。

すべてとは申しませんが趣味の世界では、技量、技術の差がライバルとなって競うことはあっても、地位、名誉、金儲けと無縁の空間が形成されます。そして意に反して争いがあるならば、身を引けばそれまででなんの後腐れもありません。この辺器用にこなせない人もあるようですが。
趣味を持つことで大抵の場合は楽しい仲間達と集えます。現在は直接に体を使うスポ−ツ等を除けば、インタ−ネットという媒体を通じて地域や距離を気にせずに広く輪を広げることも簡単ですね。
今回のお題の様に、人が西と言ったら表面上のことで本当は東だと勘繰りをせずに楽しむことができるのです。


 第164話 阿蘇日記B

平成18年10月1


今年もまた、昨年と同時期となります、9月23日(土)・24日(日)の二日間にわたりまして、
「第五回 竹原牧場祭」とのジョイント開催として、発動機の運転会及び旧車会が開催されました。

直前の16日には台風13号が九州地方を縦断して大きな被害をもたらしました。主に古い農業用発動機を保有して研究する仲間達の集まりであります関係上、当然農家の人も多く実りの秋の時期だけに被害の心配をしていましたが、聞くところ幸い最小限で済んだとのことで安堵した次第です。

阿蘇日記@Aは、昨年の記録で第140,141話で掲載しています。

9月23日(土)の初日は80台ぐらいで昨年にに比べれば寂しい感じをうけましたが、昨年は「全国エンジンフェスティバル in 阿蘇 2005」と銘を打っての開催でありました。 今年は同じ日に九州の他の会場でも運転会が開催されているとのことで、それでも二日目の24日(日)は100台以上の参加がありました。

今回、小林兄弟鐡工所の木炭瓦斯發動機の試運転を期待していましたが、この一週間の後に高知で開催される運転会で展示されるとのことでした。

さて、今回の3大インプレッションと申しますと、・・・・

@ 昭和六年に製造されたサト−式焼玉發動機を所有者であります F さんの手でネジの一本に至るまですべて分解されて展示してありました。2サイクルエンジンということでかなり部品点数は少なく出来てはいますが、これだけの貴重品をここまで分解される F 氏の技量の高さが伺えます。


A 小林兄弟鐡工所製として、筑後市の S 氏所有の箱マグ発動機が主催者の「作業機を廻して当時の再現工夫を」との要望に答えて水上げポンプを廻している展示がありました。S 氏の工夫された展示には、毎回人気が集まります。

B 今回、会場で注目を集めたのは、変量式発動機が、日向(ひむか)エンジンさんのイエガを始めとして他に2台展示されました。いずれも Made in USA です。また、写真集で紹介しますが、とにかく発動機全体から受けるデザインのすばらしさ、いわゆる機能美が特にすばらしく、綺麗なのです。古い発動機の時代にもこのようにデザインに傾注していたのですね。
一方日本製は、戦後には他の産業製品もおなじですが性能としては急激に発展しましたが、当時は全ての製品にあっては輸入品に一日の長があったといえます。

もう一つの見所として船舶用のディ−ゼルが展示されていましたが、調子が悪くて一日目はぐづついていました。それを翌日、M外科院長先生を始めとした名医の方々が終結して青空手術室とリハビリテ−ションエリアへと化した所に大勢の研修生を集めて治療が行われました。この研修こそ運転会を価値あるものへと位置づけるものかと思います。

かっちゃんとはと申しますと、今回は低速で回す調整の仕方をテ−マに、参加されている方々にいろいろと教えてもらいました。またこの調整には必需品でありますタコメ−タ−を Z7 さんに譲ってもらいました。早速試しに展示されている発動機の回転数をチェックしてまわりました。

夜の部では、美味しい竹原牧場のお肉をふんだんに頂き、日向のengineさんから頂いた35度の焼酎も出ました。 初日は不覚にも勧められるままに焼酎をいただきまして、酩酊いたし気が付いたら自分の車の中で夜明けを迎えていました。 村の中にある、自然温泉へ朝風呂に冷えた体を温めに行きました。 昼過ぎから幾分か楽になり、少し時間を割いて「阿蘇山火口」見学に出かけました。牧場から車で30分ぐらいです。よく晴れて綺麗な阿蘇連山を満喫することができました。

二日目の夜も宴会は続きました。夕方までには大半の参加者は会場をあとにして家路につきますが、二日間に渡って開催される大運転会の余韻に別れづらい面々も少なくありません。発動機も見たいけれど、九州男児との語らいが、abut 発動機の語らいがいいです。そりゃ男の集まり多少脱線して色気話も出てまいりますが、いつのまにかまた本線であります発動機に戻るのです。
夜が更けて牧場の犬達も、もはや寝床に着いているのに、何人かは時を忘れているかのように・・・・・・・・。


 第163話 ねんごろ

平成18年9月15


昔の人は、仲のいい男女を見ると、すぐに「ねんごろになった」などと言いましたが、今の若者達には必ずしも、これはあてはまりません。 一見深い仲に見えますが、じつは単なる友達同士、というのが少なくないようです。

「ねんごろ」とは、゛根も凝る゛から変化した語だそうで、根が入り組み、凝りかたまっているという意味から それが転じて、心が通い合い、仲睦まじい様子を指すようになったとのことです。

書き出しに、今の男女について少し述べましたが、軽い気持ちでの出合いと申しましょうか、仲良くなるのに時間を掛けないのも事実かと思います。合コンとかで初対面で意気投合して、即一直線などというのも極自然の成り行きらしい。ただ 今の男女、枝は絡んでいても、根(心)まで通じ合わせているかどうかは、分かりません。

男女の仲もそうですが、世の中のすべてに当てはまる風潮なことも確かですね。ただ全ての人に当てはまるとは、決して言えません。いざ一緒になる相手を選ぶには、石橋を叩いて渡っている男女も実態としては、大多数ではないかと考えています。

ただ、将来なんてそこまで深く考えずに軽く「恋」をする、つまり将来抜きの「ねんごろ」カップルが街に氾濫しているのも否定できません。

「恋」と言えば、 かの太閤秀吉でさえ、よる年だけはどうにもならずに落葉していきました。年も、地位も、名誉も「恋」の前には抑制力に関しては無力のようですね。

男と女、古今東西これほどいいものはありません。誰もが羨む恋があれば、涙を誘う悲恋もある、片恋慕もありますが、 ある様でないのが恋の筋書き。男女の仲も、 いい時ばかりではありません。想い・想われ・振り・振られ・浮気・移り気と、いろいろな恋愛語が存在します。その挙句に新聞沙汰の多いこと。事件を起こすほど真剣な想いで「恋」をしているのに、片方が手続きなしに力を抜く。「ねんごろ」に成り易しだが、終わりは富士山を移動さすほど難しい。

若い彼女をつくり「ねんごろ」になるのは、男万民の夢であります。女性からしても、もはやイケメンと「ねんごろ」になることを示唆する風潮の中にあります。「ねんごろ」という語の繁栄を願わずにいられません。


 第162話 なんでや

平成18年9月1


「なんで、皆寝てるんや、ママ」、「なんで、皆寝てるんや、ねぇママ」と3歳ぐらいの男の子が、繰り返して母親に聞いている。

あまりの難問に、母親は黙り込んでいる。そこで横から何か答えてやろうと思いましたが、これまた妙案がなく、その母親に助舟を出すことが出来ませんでした。 皆さんだったら、かかる場面ではどう答えますか ?

久しぶりの電車中ウォッチングです。残暑の厳しい盆過ぎの帰り車中の出来事です。 盆の空いた電車もいつしか元の込んだ状況に戻った日、天下茶屋から下り急行に乗りました。

ドアーの近くで先述の坊やと若い母親がドアーの取っ手につかまりながら乗っていました。椅子には30歳位の女性・もう少し若く見える女性・オッサン・・・・と、6人位が掛けていましたが、新聞を広げる者もなく、皆寝ていました。

誰か勇気を出して坊やに席を譲ってやればいいのに、それができない。仕事で疲れてやっと座った席なのに譲れない。年寄りや病人ならいざ知らず、また赤ちゃんならともかく、3歳ぐらいやし座らせてやろうか、まぁいいかと非常に難しい。 寝たふりをするしか他に方法が無い。

かっちゃんは、余程ずうずうしい年寄りでないかぎり気持ちよく席を譲ることにしています。しかし、3歳では迷ったことと思います。子連れや、お年よりは可能なかぎり通勤ダッショ時は避けるべきであろうが、個々事情もあることとも思います。

電車を降りて家路を歩いている時にも名案がないままでした。「疲れてはるから・・・」とウソをついても、いずれ3歳坊やにもウソがバレるし、「3歳坊やに代わってやるのイヤやから・・・」とも言えず・・・・・ ?


 第161話 山彦

平成18年8月15


゛ヤッホ−゛と、山に向かって叫んだ自分の声が゛ヤッホ−゛と反響して返ってきます。 これを「山彦」とも「木霊(こだま)」とも言います。

反響という物理現象であることを知らなかったころは、実に不思議なことであったに違いない。
だから昔の人は、これは山には神がいて、返事をしてくれるのだろうと考えていました。

神は神でもこれは男の神だ、「山彦」だと命名しました。「彦」の字は゛りっぱな男子゛を指し、今でも名前の一部に好んで用いられています。

そしてもう一つの考えとして、声を返してくれるのは、樹木の霊だろうと考えて言ったのが「木霊」です。

なぜ「ヤッホー」なのかと、いろいろと調べてみましたが、どうやらヨーデルのかけ声「イヨッホホホー」からきたのではないかと考えられています。

どうも時代背景のまとまらないお話となりましたが、 先日いつものように金剛山に登りました。
夏休みの期間中でもあり元気な子供達の声が登山道に響いていました。するとやがて「ヤッホ−」「ヤッホ−」と叫び声がしました。一つ違う尾根筋を歩いていましたが、じつに懐かしい様な、嬉しいような気分となり、しばし足を止めて耳を傾けました。 きっと引率者の方が子供達に教えているのでしょうね、いつまでも語り繋いでほしいと願わずにいられませんでした。

そう言えば最近は山でもヤッホ−の叫び声が少なくなったような気がします。腹の底から喜びを込めての「ヤッホ−」はじつに清清しく山登りの楽しみの一つなのです。


 第160話 六根清浄

平成18年8月1


夏山の最盛期となりました。我々岳楽隊は、この最盛期を待たずして、7月15日から二泊三日の行程で 「加賀・白山」 を目指しましたが、折からの大雨に行く手を阻まれ、市ノ瀬から引き返さざるを得ず帰阪しました。

さて、山登りに於いてとりわけ苦しくなった時に唱える「六根清浄」についてであります。

♪♪ ろっこんしょうじょ お山は晴天 胸突き八丁 えんやらさぁ 亀さん遅いぞ 元気をお出し なんのこれしきまだまだ行ける 歌を歌って 山を行く ・・・♪♪
歌詞の最後あたりを忘れましたが、まだ若い頃に山に行けばよく訳もわからず、歌ったものです。

ちょっと調べてみましたら、「六根の迷いを断ち切って、穢れをなくし清らかになること」「清浄は清く穢れのないこと。信仰のために登山するときなどに唱えることば」、と書かれていました。

また仏教語で「六根」は、われわれが世界と接する六つの器官。目・耳・鼻・舌・身・意(心)の迷いを生じる六つのもと、それによって感知されるのが六境で、色・声・香・味・触・法のことであるとのこと。
おまけとして、立ったりすわったりするとき、「どっこいしょ」と言いますが、この言葉のもともとは「六根清浄」がなまったものだと考えられるとも書かれてます。

何事もそうではありますが、山登りもまた、老若男女・低い身近な山から登頂至難の超高山まで千差万別のものであります。そんな中で個々一人について思えば、山登りの一つ一つが、苦しくしんどいのです、背中の荷物が重たいのです。でも、頂上の無い山は無いのでありまして、いつかは頂上と歯をくいしばり、先述の「六根」を一つにして同一指向となって無心の心中でただひたすら、頂上を目指すものなのです。

その胸突き八丁では、「ろっこんしょうじょ」を唱えながら前へと身をやるのです。 そしてやがて来る頂上での成し遂げ感に滴るのです。

雄大な景色・鳥や花との出会い、よき仲間との切磋琢磨など数え切れない楽しみ。

雨に打たれたり、怪我やそれ以上のリスクも抱えます。 山に行ける己の体力に感謝をしながら、六根清浄に出会うことの出来る山登りは、素晴らしい人生の一時なのです。


 第159話 多芸は無芸

平成18年7月15


例えば、日曜日に天気がよければオ−トバイを引き出して金剛山へと山登りに出かけます。そこで鳥を見付けては写真を撮り、頂上に着けばアマ無線機を出しては「ハロ− CQ」。帰途、愛車が家で待っていると思えば帰るなり、車に乗ってミニミニドライブ。ドライブ中なのに心は発動機を廻したいと早々に帰って用意する。側では犬の権太郎が散歩に誘う。あっと言うまに日暮れとなります。
パソコンに本日の記録写真をファイルして、友にメ−ルしたり、ホ−ムペ−ジに載せる。大河ドラマを見て、柱時計に一週間のエネルギ−を与えるべくゼンマイを巻きあげて寝床に着く。

ほぼ、この様に休日を過ごします。つくづく自分は時間貧乏やと思います。
それは上記で紹介しましたとおり、一点に集中して物事をやり通す強い意思を持っていないということです。一般的に 多芸は無芸と言われるとおり、い ろいろなことが出来る人は、一芸に集中することができないので、かぇってこれといったすぐれたものを持っていないのです。

もちろん、芸というものと趣味というのは別々のものですが、プロの芸でない限り広義には、差のないものと思います。 一つの趣味を一つの芸として考えたら多芸であるし、自分自身の趣味は自他ともに認める多角経営であります。この場合に正確には「趣味」と言っても、したいと興味を示し手をだしてしまった物事であって深い思慮の伴うものでもありません。

決して卑下するわけでもなく、後悔するものではありませんが今回のお題のとおり、どれ一つをとっても「ろくに出来る」ものが何もないのです。下手の横好き、多芸は無芸を地で生きている我が人生であるのです。

よく人から、定年退職しても多趣味やから人生楽しいやろね、と言われます。しかし自分自身が不安に思うのは、時間が無い中でいろいろなことをやってみたいと興味を示し、辛抱することなく、すぐに手を出してきましたが、 これが限りなく自由な時間ができたら、はたして忙しく趣味に没頭できるのだろうかと言う不安が今からあります。その日を迎えたら 放心状態に陥りかえって何も手がでずに暮らすのではないかと思っています。


 第158話 羹に懲りて

平成18年7月1


羹に懲りて膾を吹く (あつものにこりて なますをふく)

いよいよ七月、夏本番となって参りました。しかし当分は梅雨も本番とばかり頑張ってます。まぁ-七月ということで昔を懐かしんで夏の食べ物を今回のお題と重ね併せて考えて見たいと思います。

「膾」は野菜や魚をきざんで酢で味付けした冷たい、今が旬の料理です。祖父の好物でこの時期はよく食べていました。しかし子供のころの口には大して美味しい食物とは思いませんでした。いま、当時の祖父の年齢となった今、酢の物が大好物として懐かしく思い出す祖父の在りし日の姿であります。

「ひずかし」と言って、いわゆる間食のことですが、祖父は箸で丸めるように「膾」をつかんで一気に口には運ばずに手のひらに載せて食べる、この光景が今でも瞼に焼き付いているのです。もう50年も前の出来事であるのに。

この小話コ−ナ−でも度々登場する、祖父。今、自分の性格、人生観、クセ、どれ一つも間違いなく祖父ゆずり。「おいさん(自身のことをこう呼んでいた)は、かつじのようなええ加減な人間ちゃう」と、今でもどこからか、叱咤の声が聞こえてきます。

尊敬する祖父の懐古と合わせて、お題とした「膾」ですが、 昔、中国で熱い吸い物でやけどして懲りた人が、冷たい膾にまで息を吹きかけて、さまそうとしたという話から 、 失敗に懲りて、必要以上に用心深くなることで 「あつもの」とは、野菜や肉などを入れた熱い吸い物 のことです。


 第157話 雨垂れ石を穿つ

平成18年6月15


雨垂れ石を穿つ  ( あまだれ いしをうがつ )

梅雨の季節にちなみまして、雨に関わるお題を考えて見たいと思います。

昔は家の屋根などから雨しずくが落ちるところには、土が掘れないように「雨垂れ石」という石が置かれていました。現在のように「とゆ」を通って即下水に流れ込むのではなかったのです。

そして、雨しずくといえども年月をかければ、石に穴を開ける様を、 小さな努力でも、根気よく続ければ必ず成功するという人生訓として用いられています。 大がけすることなく地道に努力して生きることこそ、人の道であると説いた日本人特有の人生美学であるといえます。

最近、インサイダ−取引の疑惑で、二大投資家が相次いでの逮捕劇となりました。テレビニュ−スを見ていると街の声として、「こつこつ働いて地道に生きている者から見れば当然の慣れの果」「真面目な者が馬鹿を見ている」という、株買いに負けたような顔をした人の意見を取り入れて両投資家を見下した扱いをしている。

一度落ち目をみせると傘にかかったようにテレビ報道は、踏みつけます。

株の世界を百パ−セント知らない者として、インサイダ−取引とは、それほど悪いことなのかと言う疑問を感じます。それは多くの欲呆けした、投資家が損をして丸裸になって社会秩序が保てなくなるのも困りものだが、健全な民には関わりのない世界での出来事である。インサイダ−取引が世の常となれば、アホみたいに株に凝る者も激減する。

テレビインタビュ−に答えて「こつこつ働いて・・・」と発言していた人々の意見もなくなり、皆が雨垂れの様に働く世となります。


 第156話 湯布院フェスタ

平成18年6月1


第4回 engine festival in 湯布院 2006

発動機の運転会に参加すること今回でまだ二回目ですが、九州愛好会男児との素晴しきふれあいについて語らずにはいられない心境です。

今回のフェスタは 5月20日(土)に、ご存知の方も多いと思いますが、あの湯布院の「岩下コレクション」の駐車場で開催されました。同ミュ−ジアムは、戦後の日本を風靡したオ−トバイを中心に数々の展示品とともに訪れる人々の心を癒してくれるオアシスなのです。
今回の運転会を主宰する氏とミュ−ジアムのオ−ナ−氏とが親友であり、 ここ数年はこの場所にて開催されている由。湯布院へお出での節には、「岩下コレクション」を是非見学されることをお勧めいたします。

さて、今回の特筆はコバヤシの出展と、そのメ−カ−のご子孫が参加された事と思います。出展者はコレクタ−の大御所である高知の M 氏です。場内アナウンスの紹介で始球式ならぬ、運転会の始運転です。一番感心したことは、古い発動機はここ一番の大事な時に限ってなかなか始動しないものなのでが、それが M 氏の手によって一発始動。さすが高知の M 氏と感心いたした次第でした。
大正10年イギリス生まれの LISTER  大正12年アメリカ生まれの ヘルクレス。これらに勝るとも劣らない日本製の数々の発動機がところ狭しと並び、見ごたえのある運転会となりました。

岩下コレクションを訪れる観光客は、いずれもエンジンに関連する興味の持ち主であり、時ならぬ催しに歓喜の声が聞かれました。

日本製の発動機も戦前の物が多く並び、今回の催しそのもののグレ−ドの高さを感じたところです。愛好会の方による「有明海のムツゴロウ」の展示と、釣あげ実演は大変興味深い一幕となりました。

大会の終了後に開催された懇親会では、日本石油發動機アカデミーの上田主任による講義がありました。題材はインタ−ナショナルについて、石油発動機の変遷を中心として、PC プレゼンテ−ション方式でわかり易く有意義な時間を過ごしました。

参加者の中には、先述のご子孫様や、出展者 N 氏の孫、それも小学3年生の男児が熱心に講義を聴いていたのが印象的でした。

講義のあとはいつものお決まり、九州男児の終わりなき「酒盛り」の始まりとなりました。この宴会での会話こそ愛好会のエキスなのです、部品作成の話、山奥の道が壊れた場所で見つけた発動機を道を修復して運び出す苦労話、等など話題は尽きません。また、どこかの運転会で会うことを約束して、お開きとなりました。

愛車 Fairlady Z 1600 q の旅、快調なり。


 第155話 腹が立つなら

平成18年5月15


腹が立つなら親を思い出すが薬

この諺も今では、親を思い出したらなお腹が立つと、言い換える必要があるのかも知れませんね。いゃこれは冗談です。。。

まぁ-ほんの一部のことであったとしても、親が子に手をかけたり、子が親をというような痛ましい事件が後を絶ちません。

欧州の文明・文化をちょっと横に置いて、今日の日本社会に大きな影響を与えたのは、戦勝国アメリカ以外の何ものでもありません。そのアメリカといえば世界歴史から見ればつい最近の出来事として西部開拓時代があります。
当時は女性といえば、それはもう Gold や 宝石よりも神に近い存在でありました。女をめぐって男が争い、女はその存在値が大変高かったのです。一方わが国の風土として、男尊女卑そのものの世として推移してきました。

大雑把は話となりますが、戦後は徐々にではありますがアメリカ文化の影響を受け始めた日本は、それでも、いわゆる戦前派の人々の影響で、特に家庭教育や社会教育は急速な変化もすることなく時代が進みました。この時代の前後に育った戦中・戦後派は、いわゆる団塊の世代と言われ日本経済の急成長に大きく寄与しました。しかし寝食を忘れて働いた結果として我が子によき日本文化を継承さすべく家庭教育を怠ったのです。
一方、女性達は消費美化経済や、子の教育費支出の増大のもと、夫の収入だけでは家計がなりたたなくなりました。多方面にわたっての女性の進出が古き日本家庭のあり方に変化を生み出し、女性の地位向上のみ性急な形として出来上がりました。 やがて、このような年代の親に育てられた子が今では思春期を迎えようとしている子の親として存在しているのです。

女性を大切にせねばならなかった背景のアメリカ400年のあゆみ、その結果だけを見て60年で急速な社会変化を遂げたわが国。この辺りの歪こそ、親の存在感をながしろにする今の日本社会の風潮があると考えられるのです。

子から見た「親」とは、父親ではなくて、母親こそ親なのです。賢母こそ、腹の立つのを諌めてくれる存在なのです。


 第154話 成らぬ堪忍

平成18年5月1


成らぬ堪忍するが堪忍

「かんにん かんにん」とか、「もう、かんにんしてや」とか日常よく用いる言葉ではありますが、これはなかなか重たい意味のある言葉です。

そして堪忍の中でもできない、許せない堪忍があります。もうこれ以上我慢ができない、堪忍ができないというときに、それをじっと我慢をするのが本当の堪忍なのです。 堪忍とは、こらえしのぶこと、我慢すること、できない堪忍をするのが真の堪忍であるという厳しい人生訓です。

堪忍の難しさには怒りを抑えて、人の過ちを許さなければならないことが多いのです。 時とか時間以外には怒りを癒してくれるものは見当たりません。

では、耐え切れない場合はどうなるのかと言うと、怒りの爆発にも、即その場で前後の見境無く、いわゆる瞬間湯沸し的なものと、理詰めの挙句にだんだん怒りがこみ上げてきて、もうどうにも止まらない怒りとなって爆発するものとがあります。 どちらが大きな事件となるのか、またどちらが耐え忍ぶのが難しかったのかを比べられるものではありません。

刃傷松の廊下は、後者でしょうね。赤穂三代50年、家も家来も捨てての刃傷にも、あと一歩の「堪忍」があったら殿中の事件にならなかったのに。


 第153話 上り一日

平成18年4月15


上り一日下り一時

上りには一日かかるところでも下りにはいくらもかからないということわざです。

これは山登りでもよく経験することですが、上りよりも下りの方が楽なのは確かです。
しかし下りは足の置き場が難しく体重が膝に重く掛り思わぬ体力の消耗や、また下りには油断をして怪我をすることもあります。したがいまして、実際の山登りではすべてにこの言葉があてはまることでもありません。

むしろ日常生活の中にある例えとして、物を作ったりこわしたりするときや、富をたくわえたり失ったりするとき等のほか、人生のことすべてについて言えることです。

苦しいことのあとには楽がある、いつも苦しいことばかりではないという格言にも通じています。


 第152話 根回し

平成18年4月1


談合とくれば、やはり「根回し」でしょうね。

もともと多くの日本人は、人前では己の意見を十分に口に出せない民族であります。特にいわゆるイエス、ノ−の意思表示が下手なのです。

ともかくにこにこと笑顔でその場を過ごし、後であれこれと蒸し返す。 蒸し返すのが、地位とか金持ち、あるいはその道の実力者であってその人物の意見を無視すると後々の運営が成り立たないというような状態にと陥ることになります。だから何かを意思決定する前に、力の持つ者に予め情報を流して内諾を得る。

先の例にかぎらず、不利な体制を少しの先き付け話をみやげに、有利な体制に導くために関係者を訪ねて口説きや、お願いに回る。それを受けた方は、頼りにされているんだなぁ〜と気分を良くして与力を約束してくれる。もちろん対価として、金・地位・等などがつきまといます。

近年、世界的に広まった日本語として nemawashi という言葉があります。 会議をするまえに関係者を回って了解をとりつけておく、日本的経営学を真似をする外国の会社がよくあると聞きます。

「根回し」はもともと、大きな木を移植するときに、木がびっくりしないように前もって広がった根を切り落として、水分の吸収を慣らしたり運搬を容易にするために根全体を藁で包んだりしておきます。そうしておけば、移植後うまく根がつくのです。

時代も変わり何か日本人気質も「根回し」を過去の語として扱われていくような気がしてならないのでありますが、資源のない日本が世界で生き残る為には、決して忘れてはならない忍術であります。WBC 王Japan のように、一糸乱れぬ団結と、「根回し」を始めとした日本古来の術を駆使した勤勉こそ、日本の行く末の指針であります。


 第151話 談合

平成18年3月15


談合

すこし前になりますが、防衛施設庁の官製談合事件で元技術審議官が競売入札妨害容疑で逮捕されて、談合が世間の感心の的になっていますが、度々繰り返され新聞ネタにあがる談合はそれほど反社会的行為なのかということであります。

「談合」とは、一般的には国や地方公共団体等が行う公共事業の発注、物品、工事等の調達先を決める入札において、入札参加者間の中で事前に調整をして予め受注予定者を決定しておき、この受注予定者が落札できるようにするため、受注予定者以外の者はこの受注予定者の入札価格よりも高い価格での入札を行ない、受注予定者に落札させる行為を言います。


特定の企業が暴利を貪るのは許されないが多くの企業が限られた利益を薄く分け合っているのであれば許されてもええんとちがうやろうかと思うのであります。

談合は日本古来の商習慣と言えるやろうし、強い者が一人占めすることなく、適当な時期とかで皆が公平に落札ができれば日本人ならではの知恵と言えないだろうか。

最大の難問として、入札談合においては、入札参加者間で共通の意思の連絡により共同行為と相互拘束が行われる為に、市場における競争の実質的制限が発生するので、独占禁止法上カルテル(不当な取引制限)に該当することとなります。

あとひとつは、談合の舵とりを行うものが純粋に業界発展の視野に立って世話をするならいいが、特定団体の横ヤリ的暴利に繋がっている現状があります。

また、入札談合に関しては発注者側である国や地方自治体等の職員が入札談合等に関与するいわゆる官製談合が問題となっています。  そこで、この官製談合を防止するために、「入札談合等関与行為の排除及び防止に関する法律」が平成14年7月24日に成立し、平成15年1月6日から施行されています。

十数年前に明るみに出た官製談合は政治家の介入であったが、それ以来政治家を排除して官公庁 OB を介在させて間接的に談合を仕切るようになった様であるが。

建設業界に限らず談合はいつの時代にも存在する商習慣なのである。前面否定せずに、その善悪面を取捨選択して、活用を考えることは無理であろうか。単純な考えとしても新規参入者には非常に困難な壁がはだかっていることになりますが。


 第150話 知らぬ顔の

平成18年3月1


知らぬ顔の半兵衛
今年のNHK 大河ドラマでは「功名が辻」が順調に進んでいますが、視聴率がいまいちとのことである。
まぁ何というか大河ドラマのファンである、かっちゃんにとってみれば面白くない年であったとしても、何が面白くないのかを見ているので、テレビ局にしてみれば視聴率の点では非常に結構な常連客であると思います。

それはともかく、現在ドラマのお話では「竹中半兵衛」が秀吉の熱心な口説きによって、織田方となり美濃攻略、信長の上洛に大きな戦略上の力となっているところです。

一昨年前の「新撰組」で会津公・松平容保を演じた、筒井道隆が今回は半兵衛をやっていて、会津公と半兵衛のイメ−ジによく沿ったピッタリの役者で嬉しく思います。

戦国時代に、美濃・斉藤家の家臣竹中半兵衛は病に侵され、また斉藤家世継ぎの龍興に嫌気をさして、伊吹の庵に隠居しました。
この時代には、名参謀と言われる武将は数多く存在しますが、数ある参謀の中でも、竹中半兵衛の存在は際立っています。
名前が知られるようになったのは、美濃を治めていた斉藤義龍が亡くなってから、跡を継いだ龍興が遊びほうけていたので、諫言の意味を込めて、半兵衛はクーデターを起こしました。加担した人数はたった十数人でクーデターを成功させてしまいました。 「難攻不落」といわれていた稲葉山城を手に入れた半兵衛は龍興を城からは追い出しましたが、半兵衛はこのまま領主になる気などはなく、しばらくして龍興に城を返し、隠居生活に入ったのでした。

それを「三顧の礼」で秀吉は庵に通い「わが軍の軍師になってくれ」と頼んだが、初めは知らぬ顔をされたとのことです。 しかし、秀吉の口と熱心さに、もう一働きを決心したのでした。

このように誰かに顔を合わせた時や、何かを聞かれた時に知っているのに知らないふりをすることを「知らぬ顔の半兵衛」といわれるようになりました。


 第149話 ひもじさと

平成18年2月15


ひもじさと、寒さと、恋を比ぶれば、恥ずかしながら、ひもじさが勝つ。

人の本質的な欲というものを描いたことわざですが、これにはいろいろと奥の深さを感じます。

「ひもじい」とは、腹のへった空腹時の物ほしさ、つまり「食欲」です。
「寒さ」とは、衣と住を併せた、「住欲」です。
「恋」とは、そのもの「性欲」となります。

生命欲、あの秀吉でもどうにもできなかった欲。金銭欲や名誉欲、欲には千差万別種々存在しますね、しかしつきつめればこの三欲は最大公約数としてくくれるのではないかと思います。

いまの世は、総じて考えてみれば、性欲以外はさほどの不自由なしに満たされているような気がします。いや性欲こそ自由に得れるという意見もあるかも知れませんが現実には、そのようなものではないと信じています。
物事には例外というものがあり幼児や病に苦しむ人もありますので、すべての人々にあてはまる訳けにはいきませんし、 そもそも欲を比べられるものではありませんが、強いて三欲の中から軍配を挙げるならば、「食欲」こそ欲の王者かと考えます。

では、なぜに「恥ずかしながら」なのでしょうか。それは人とは本性を隠して生きることの尊さを知らなければならない生き物であるのです。

昨年末からの寒さといえば、近年経験のしたことのない気候でありました。

寒さも後暫らくで今年も春を迎えようとしています、ただし気候の寒さもさることながら、心の寒さに嵌り込まないようにしたいものですね。


 第148話 桃栗三年柿八年

平成18年2月1


皆さんよくご存知のこのことわざ、 桃と栗は芽が出てから三年目に、そして柿は八年目に実がなるという。
この後に「梅は酸い酸い十三年」とか「梨の馬鹿野郎十八年」などと土地によって、いろいろちがう言葉が付くようです。
意味するところはあまり語られていないように思いますが、物事には順番とか、しかるべく手続きを経てこそ成就するものであって、急いだり手抜きして近回りしても無駄であるとの教えかと思います。
この語についての笑い話。
性犯罪は何も今に頻繁になったものではなく昔から有ったらしい。 甲男が若い女をなぎ倒して着物の裾を掻き分けて、白く伸びた目映いばかりの腿を上え下えと、くり廻した。それを垣間見ていた乙男が堪らずに、かき(自慰行為)をした。 ところが御用の知れるところとなり、裁かれることになった。して奉行の下した言い渡しは「甲男は3年、乙男は8年の刑に処する」であった。
モモクリ3年、カキ8年。悪い奴ほど得をしてのさばっているのは、今に始まったことではないらしい。


 第147話 第45回 大河ドラマ

平成18年1月15


大河ドラマ第45作目がスタ−トしました。

かっちゃんの大好きな戦国時代ものとしては、第41回の「利家とまつ」以来の4年ぶりとなり、時代背景や尾張、近江の土地圏も戦国時代物語の真っ只中にあります。

山内一豊といえば、 土佐25万石の大名からして土佐イメ−ジですが、生まれ育ちは尾張で国持ち大名として土佐に赴任していたのです。

親を信長に殺されて、やがてその信長に遣える一豊。秀吉に、そして家康にと。 節操のない御仁であったのかと思えるがそうではない、妻千代の支えがあったからこそ戦国時代の超三大武将に等しく仕えて、最後は土佐25万石の国持ち大名になるのである。

どうして超三大武将に仕えることが出来たのかは、一年間かけてじっくりと観させてもらいますが、槍一筋の愚直な山内一豊と、夫の操縦術 No,1 の妻千代の夫婦相乗効果で生き抜いたものは何んであったのだろうか。簡単に考えればまるで性格の違う三人には、それぞれに命を賭して仕えた生粋の家来がいたはず。それなのになぜ山内一豊は信長と秀吉に重宝されて、最後の家康には 土佐25万石までに引き上げてもらえたのか非常に興味深いところです。

現在は男女雇用機会均等法とかで女性が法的にも保護されるようになりました。しかし戦国時代の女性は一般的には日本古来の男尊女卑の風土の中にあったと思われますが、武士階級の子女は戦略・政略の対象として使われることが、少なくなかった。その様な時代にも活躍する女性もあります、先の大河に出てきた「北条正子」、そして今回では、信長の妹お市、正室濃姫、秀吉の妻ねね、前田のお松さん。これらの女性と肩を並べるのが、山内一豊の妻「千代」である。 千代を扮する仲間由紀恵の大ファンであるかっちゃんはその持ち味に大いに期待するところです。

先の滝沢義経も回を重ねる度によくなりました、特に「喜三太・伊勢三郎・弁慶・駿河次郎・うつぼ・佐藤忠信・金売り吉次」など義経をとりまく側近の熱演が光った一年でした。最後に頼朝が義経を想い涙する場面、「なぜもっと早く・・・」と怨みました、中井貴一がうまかったんかなぁ。

今年の「功名が辻」には、現在の世にも通じる世渡り術の手引書として楽しんでみたい。


 第146話 風林火山

平成18年1月1


新年明けまして おめでとうございます
本年も 相変わりませず「ちょっと小話コ−ナ−」をよろしく お願いいたします

年の初めにあたりまして、今年はこのように生きていけたらいいなっという思いを述べてみます。
「風林火山」とは ご存知戦うときの作戦または心構えを表すことばですね。動く時は風のように、静かなときは林のように、侵略するときは火のように、動かないときは山のようであれということです。

もとは中国の兵法書「孫氏」の「その疾きこと風のごとく、その徐かなること林のごとく、侵掠すること火のごとく、動かざること山のごとし、」の文を四文字に略したものですね。けっして武田信玄が発案したことばではありませんが、 武田信玄はこのことばを好み、軍旗にした。孫氏の思想は戦わずに勝つ、弱をもって強に勝つを理想としており、まさに武田信玄が目指した思想であったのです。

戦国時代において名将としてずば抜けた才能を持った武田信玄は、これらの教えを愛用し、優秀な参謀や家臣達の意見を重用して実践したとつたえられています。

国持ち大名とは全くの生き方が違う己の日々にスケ−ルダウンして当てはめてみれば、この大きな語の中にも個人に教えを感じるものがあります。

自身の日々生活を考えたとき、いわゆる腰が重たいということです。碁の言葉で「下手な考え休むに似たり」というのがありますが、最近は何事にも先のことをあれこれと頭で思いだけを馳せて実行にはなかなか移れないのです。

また、やったことを後で必要以上に、それも先には繋がらないことを思い起こしている。

結論は頭の切り替えが出来なくなっているということです。節度のある、減り張りの効いた時間を送ることを今年の目標として日々を重ねて参りたいと思っています。

過ぎ去った栄華は、もう二度と訪れることは、ありますまい。確実に老い行く心身を自分に厳しくすることで少しでも、緩やかな勾配でフェ−ドアウトするには、「風林火山」の文字を兵法としてではなくて、自分の中にある敵と対峙する旗印として生きていきたい。



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