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第170話

一富士二鷹三茄子 第171話 人的補償 第172話 一分
第173話 一眼二足 第174話 一言居士 第175話 今年の予感

第176話

スト−カ−の春 第177話 八百長 第178話 裏金

第179話

木を見て 第180話 角を矯めて 第181話 ごますり
第182話 七夕 第183話 天売島 第184話 真室川音頭
第185話 宗谷 第186話 無限ループ 第187話 がばい姉さん
第188話 小佐々という所 第189話 有田 第190話 鳴りもの入り
第191話 生者必滅 第192話   第193話  
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 第191話 生者必滅

平成19年12月13


生者必滅 会者定離
生者必滅という漢訳仏典の言葉は、平家物語では会者定離という言葉とセットで「生者必滅会者定離」と使われています。 平家物語の冒頭では、驕れる平家を暗示するために、「生者必滅」の「生者」を「盛者」に変え、「盛者必衰」としています。

なぜこんな崇高な言葉を軽々しく小話のお題にしたのかは、順に述べますが二つの思いがあります。
六十歳を過ぎた自分が、先祖代々信心してきた宗教であります「融通念佛宗」(宗祖 良忍上人、開宗 平安末期、総本山 大阪市平野区、 主に河内・大和に信徒が在する。)の聖典を最近に入手しました。
まだ、表紙をめくったばかりでありますが、勉強を進めていく中で自分がどのように変わっていくか、その一つに生者必滅会者定離をあげてみたいと思います。

この言葉が融通念佛宗に説かれているかどうかは今は知ません。 ただ生者必滅会者定離は一般常識の範疇においては、例えば青春時代において恋に破れた折の慰みとして、会った者は必ず別かれるものであるなんて解釈をしたものでした。

そして今、年齢的には生者必滅とは消極的には今まで生きてきた年月よりもはるかに少ない時期をして滅していくものだという理解を改めて心に言い聞かせることであります。一方そうであるならば積極的には己の余生期間を見積もり、その間に世間的にも、自分自身にも有益な生き方をせねばなりません。これを空想に止まることなく実行して、その跡を残さなければなりません。

こうして己を開示して生きてゆけるほどの自信家では全くありませんが、開示することによって決してこの想いを投げ出さないようにして、そして何年かした後にこの生者必滅会者定離という言葉をどのように捉えているか、今回聖典を入手して己がどのように変化をしたかを知る為にしたいとも思ったからです。

後一つは、去る12月2日に熊本県在住であった趣味の世界の師を55歳という若さで亡くし、続いて12月7日に静岡県在住であった20年来の親友を66歳で亡くしました。
この両名の間には全く関係はありませんが、それぞれ生きる世界は別としても、自らは寝食を忘れその道に没頭して先達を勤めて、多くの崇拝者を得て、決してその崇拝者達をそらすことなく生きてこられました。私にとっては肉親以上に、そして竹馬の友以上に大事な方々でした。
生者必滅会者定離とは頭で理解できたとしても、両名とも滅するにはあまりにも早すぎます。年に数回、あるいは数年に一回というような割合でしか顔を合わせない友なのに、離れたことでこみ上げる寂しさは、とても言い表しようの無い深いものです。

天国の入り口で新入者が集まり、あの世への入会心得を一緒に並んで聞いているかも分かりません。班分けではおそらく同じ班であるだろうと思います。早速、酒を酌み交わしていることでしょう。


 第190話 鳴りもの入り

平成19年12月1


11月19日の大学生・社会人選手を対象にしたドラフト会議で東洋大の大場投手を6球団が競合する中、抽選で王監督が当たりくじを引き交渉権を獲得しました。
今年は希望枠がなくなり元のドラフトに近い形に戻り大場投手を引き当てたと言う事になります。
王監督は、ここしばらく4年か5年ぐらいくじ負けばかりでした。去年の高校生もホークスに入りたいのに、くじ負けでロッテへと持っていかれました。

さて、今年は大場投手を、そして 昨年は大学、社会人ドラフト希望枠で近大から鳴りもの入りで「大隣憲司」投手を獲得しました。がぁ今年は2勝4敗。江夏2世・江夏再来とはやしたてられたが、宿舎はいるなりつまづいて転倒、はたまた持病の腰痛が重なって、夏の終わりに出てきて江夏ならず餌夏となった。
ホークスは4本柱にガートムソンと大隣、今年は100勝するかと思われたが、御覧のとおり。

大場投手に期待を掛ける気持ちは球団・監督・ファンも皆同じ。 稲尾の“鉄腕後継者”として期待を寄せ、 無類のタフネスぶりを誇る右腕の加入で来季V奪還へのムードは最高潮。
監督がドラフト会議場から直行で都内の東洋大キャンパスに駆けつけ、運命の対面では早くもユニホームを着せた、なんぼなんでもちょっとはしゃぎすぎです王監督。もっと落ち着いて「松田」に4番を任せる腹を固めな胴上げはない。

2年連続の鳴りもの入りの投手を迎え、若い力でホークスを強くしてもらいたい。

鳴りもの入りは、歌舞伎語で 歌舞伎には、歌と舞が欠かせない、特に歌は重要で舞台のそでで三味線や太鼓などの鳴りものが奏でられて賑やかにはやし立てて、舞台を盛り上げます。
歌舞伎の常連観客は目が高く、新人役者がなんぼ鳴りもの入りでデビューしても下手やと見向きをしないと言われています。

野球こそ力勝負の世界です、鳴りもの入りで入団した大場・大隣の大大コンビに加えて、そろそろ芽が出る松田、本多・高谷・井手・江川らの若い力で 来年勝ち進んでもらいたい。


 第189話 有田(九州の旅)

平成19年11月15


昭和30年頃、毎年のように「茶碗市」と称して数人の陶磁器商が組んで村の広場で市を立てていました、その頃はどこから商人が来ていたのかは全く知りませんが、今考えてみるには信楽など大阪に近い生産者や仲買商人ではなかったのではと思っていました。
さて、市は何故か夕方から始まるものでして午後3時ごろには 市をふれて回わります。その風景は少し大きめのどんぶり茶碗を楽器のシンバルの様に両手に持ち、それでカキィーン、ともチィーンとも陶器独特の音をならして「茶碗市やーでぇ」と人寄せをしていたのを思い出します。

今回の九州旅行の最後に有田に寄りました。だいぶ前に団体旅行ではありましたが有田を見学したことがあります。その折には予め申し込んで大窯元の見学もありましたが、露天に少し手を加えたような店が並んでいる場所がありました。その雰囲気が好きで今回地元の方々に聞いてみたのですが、その場所は見つかりませんでした。

有田も変わり、今回最初に行った所は名称の程は忘れましたが有田陶磁器卸売り団地が山手に出来ていました。行って見るとなるほど整然と並ぶ店は立派なもので、とても「これなんぼや」という様な雰囲気ではありません。どちらかというと絵画を見歩いているようで一歩引いてしまいます。店員さんは親しく接してお茶など汲んでくれますが、どうも今一買う話しに入れないのです。最も陶磁器屋で買い物をするスタンスが自分がずれているのかも知れません。 結局みやげを買うことも出来ずに、また古い店並みを探してウロウロすることにしました。

やがて紅白幕で店を囲った大きな店舗を発見、2メートルを超えるような大壺が目に入り500万円の値札が下がっていました。実は後でよく見ると5000万円でした。
「見たいけど車を停めるとこないか」と聞けば、「そこで結構」と軒先を指差し店の真前に停めさせてくれました。プレートナンバーを見て女将らしいひとが「和泉って大阪か」と話しかけてきた。「一人旅ですか、よろしいね」とか、我が車に載んでいるテントや炊事具を見てしきりに関心を示すのです。
よく話しを聞いてみると、先述のごとく昔は店を構えていても売れるものではなく度々大阪方面にも売り歩きに出かけたとの事です。そして道中旅館に泊まる程の利益もないので、トラックでの車中泊をしたものですと昔話を聞かせてくれました。
トラックに世帯道具を積み込んでの苦労話しに耳を傾け、今は自分の気の向くままの旅を楽しむための装備をしてのこの姿を重ね合わせて女将と時代の移ろいを有難く回想していました。

やがて当方から「ちょっとみやげに何か見せてんか」と言うまで商売の話しにはいりません。実はこんな店には弱いのです。
満足という「おみやげ」を新聞紙で丁寧に荷作りをしてもらい、有田を最後に九州旅行を終えて一路大阪への帰途につきました。


 第188話 小佐々という所(九州の旅)

平成19年11月1


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有名な長崎・平戸大橋から直線で約15kmの南方に「神崎鼻(こうさきはな)」があり、そこが日本本土最西端の地でありまして写真のシンボル塔が建っています。

佐世保から平戸大橋を目指して海辺に沿って車を走らせていますと緩い右カーヴの小高い地に地所に似合わない4階建ての新しい大きな建物がありました。そこを一度通り過ぎましたが役場かなと思い最西端の地のことを聞こうと引き返してみました。

聞けばそこは元「小佐々(こさざ)町役場」であった建物で 、現在は「小佐々行政センター」として機能しています。よほど裕福な町であったらしくとても一地方の町役場とは思えない立派な建築物でありました。また、その建物のぐるりには各行政機関がやはり立派な建物で存在していました。 昔は炭鉱の町として栄えたとのことでしたが、今は地元産業としては、イリコ(煮干し)の生産が有名です。 平成18年3月31日に小佐々町他が集まり市町村合併して新佐世保市となったとのことでした。

さて、センターに入ると建物の内部も清楚な中にも機能美が伺える立派なものでした。 カウンターに男性二人と女性が一人いてガランとした感じです。そして最西端の場所に行く道を教えてもらいました、すると申請してもらえば最西端地訪問証明書を発行して記念品を贈呈するとのことで、早速手続きをしました。そして証明書を用意しておくので帰途もう一度寄ってくださいとのことでした。
少しわかり難い箇所もあるが、まぁ近くだしすぐわかるでしょうと見送ってもらって出発。自分とすれば宗谷・根室・佐多をイメージしていますのでそんなに力を入れて聞かなくとも、簡単に分かるものと思っていました。

すぐ近くと聞いたはずなのになかなかそれらしき場所には出くわせません。 一応カーナビが付いてはいるのですが、それらしき表示もしません。仕方なく地元の人を探して聞こうとしましたが誰も見当たりません。すると小さな峠らしき道に入った時、何とも綺麗な女子高生が一人歩いているではありませんか。人気が無く声を掛けるのも気がひけそうな場面である。なにか夢でも見ているのかなと舌を噛んでみると痛かった、「あのぅ最西端を探しているのですが」と聞いた。そのままテレビドラマにでも出られる容姿の女子高生は立ち止まって親切に道を教えてくれました。あの場で自分が犯罪者にならなかったのが不思議なくらいに思えるのです。

小さな漁港をぐるっと廻って目的地に到着。車なら4〜5台で一杯の無料駐車場にトイレと自動販売機だけがあり、そこから しばらく歩くと記念切手の写真のモニュメントが海辺の岩にしっかりと建ってありました。

この上ない快晴の10月3日午後、一人で西方を眺めていると平戸が目前に見えてさらに左手奥に五島の島影らしいのが見えます。絶景という言葉は知っていますが今までこれ程絶景と思った風景に出合った記憶がありませんでした。目の前に開ける長崎の空・島・海はなんて凄いんやろうか、北よりの優しい風が少しでも遠くが見えるように水蒸気を取り除いてくれています。
辺りには人の気配は全くありません、潮騒と鳥の鳴き声以外には何も聞こえません。暫くの間、西海国立公園を独り占めしていました。

かような気分に浸るのも一人旅の産物かと喜びを大に、遥か五島を望んでいました。 ずぅと居つづけたかったけれどセンターの閉まる時間までに再び訪れなければなりません。

センターでは立派な建物の経過や、平成3年5月3日、日本本土最端地の北海道稚内市、根室市、鹿児島県佐多町、長崎県小佐々町の4極で、文化産業各分野における4極交流の盟約を締結したとのことも聞き、さらに市町村合併の良し悪しをも論じて「日本本土最西端訪問証明書」と上記写真の記念切手を有難く頂戴し、小佐々町をあとに「生月」へと進みました。


 第187話 がばい姉さん(九州の旅)

平成19年10月15


「がばい 姉さん」 ・・・がばいとは、佐賀で使われる言葉でして、平戸で使う言葉かどうか分かりません。湾岸ハウス (主宰者の別宅) に訪れたときに、ふと目についたのが例の「がばい ばあちゃん」という本。まだ読んだことがなかったが、ちょっと読み始めるとすらすらと活字が目に入り滞在中に読破しました。似ているのです「がばい ばあちゃん と 姉さん」。
ただ、大筋としては「ばあちゃん」は・・・明るい貧乏を描いていますが、「姉さん」は・・・バイタリティーあふれる人なのです。両者ともスーパーレディーなのです。

「アイルオブ生月」というビッグイベントの主宰者である姉さんは発想として、長崎・平戸の西に位置する「生月島」をかのイギリス・マン島にし立てようと汗をかいているのです。

そして何より凄いのはこのイベントの名誉会長として、レーサーの高橋国光さんを招聘していることです。3年ほど前に福岡の発動機愛好家の方からこのイベントを知らされて是非一度は訪れたいと思っていましたが、ついにその機会を得て、10月の3日から8日まで生月に滞在して、6日・7日のイベントに参加してきました。

姉さんの手ですべての準備がすすめられ、実行委員会形式なので大勢の姉さん取り巻き隊の人々によってイベントが組み立てられます。最も強力な支援者は言うまでもなく姉さんの夫であります。
全く様子の分からない自分としては、何かお手伝いができることがあればと思い開催前3日に生月入りして姉さんに連絡を取り、立看板の用意からお手伝いを始めました。

2005年の市町村合併によりまして、生月町も平戸市となって以来イベントに対する公の支援体制が難しくなってきている様ですが、資材の貸し出し等、いろいろとバックアップをしてもらっている様です。これも姉さんの熱意と交渉力によるものと推測されます。

さて内容はと言いますと当日は新車、旧車まじりのオートバイまたは車で続々と会場に到着、ざっとオートバイが200台、車が100台といったところでしょうか。バンド演奏、フリーマーケット、クニさんのトークショー、そして「生月島一周ツーリング」が行われました。
トークショーでもそうですが常時クニさんが会場に居て、誰かれなしに話しかけて、写真を撮ったりサインをしてくれます。質問には丁寧に返事をしてくれます、とても世界的な有名人とは思えないほど気さくに接してくれるのです。
その間も、姉さんと愛犬「だいちゃん」は接客やイベント運営にてんてこ舞いです。姉さんの足は「スーパーカブ号」、詳しくは分かりませんがともかく速いカブ号です。先述の夫の「サニトラ」も速いのです。
終了時にはイベント参加者達は、大満足を胸にまた来年を楽しみに家路につきます。丁寧に姉さんを始めスタッフは見送ります。
先に石原知事の F1 誘致での論議のとおり、日本にあっては新たに公道使用のレース開催は針穴から天を覗くが如く至難の業、しかし夢を追いかけることはファン万人の望み。その火種を消さないように奮闘する、スーパーレディー。この姉さんにひと時でも接した者には永久に頭から削除できない魅力を持っている人なのです。 


 第186話 無限ループ

平成19年9月15


最近はプログラムを書くことなどは滅多にありませんが、書いていた頃の失敗として「無限ループ」をよく作りました。
簡単な例え話しとして、新幹線で博多から東京に行くプログラムを書いていて、サブルーチンを作って大阪で途中下車して大阪環状線に乗って「もみじ饅頭」をゲットして、再び新幹線に乗って東京に向へと命令します。もみじ饅頭は広島の名物で大阪にはありません。いつまで経ってもゲットが出来ないので環状線ばかりグルグル廻って新幹線に乗れません。まぁ普通は何回か廻ってゲット出来なければ新幹線に手ぶらで乗れと命令するものですが、ここでは例え話です。
このようにプログラムの記述において、文法上のエラーをするか、成立してループを抜ける条件が成立しないために無益に同じプログラムをグルグル廻ることを「無限ループ」とよびます。

さて、サラリーマンを卒業して早や三ケ月がすぎました。
先の例とは少し意が異なりますが、とりあえず同じパターンの日々を送ることなく変化を創造した暮らしをしたいと考えていました。無限ループに入り込むような事だけは避けなければと考えていたのに、どうもその兆候が出てきています。
約一ヶ月の旅行を終え、帰るなりホームスティーを受け入れて、それが終了した時にちょっとゆっくりしたいと思ったのが悪るかったのです。
旅行中の習慣で当分は早寝早起きでやっていたのに、忙しいのが過ぎてホッとしてついついはめを外し、メリハリのない日々へと嵌り込んでいます。

日課表を作って、その日の暮らしを計画的にやって行こうかとも思いますが、あまり自身にしばりをかけては早くボケるとも聞くし、そこに甘えてダラダラして無味な習慣が身についたらあかんと思っています。
船出したばかりの無職人生において最初の舵とりこそ肝心と、出もしない名案を模索中の今日この頃である。


 第185話 宗谷(東北・北海道の旅)

平成19年9月1


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「宗谷」、私の人生の中で最も響きのよい言葉であります。
それは、昭和31年11月8日東京・晴美埠頭を離岸して南極に向かう観測船「宗谷」の雄姿に心底惚れこんだからです。もう50年なりますね。日本が戦後の復興を広く世界に誇示する大行事に国民が喜び心から声援を送りました。
中学校1年生であったその頃には、兄の影響を受けて山やスキーに憧れたものでした。南極観測と山は直接に関係の生まれるものではないかも知れませんが、当時南極に関して何の資料も持ち合わせない日本にとっては、山の達人に第一次越冬隊を任すしかなく、今としてもそれは正解だと私は信じています。 そもそも隊長の「西堀隊長」は著名な登山家やし、立山の案内人「佐伯」さんも参加しています。
私の山歩きは25歳ぐらいで途切れましたが、誘ってくれる人がありまして、ここ5年ほど前からまた山歩きを再開しました。今回の(東北・北海道の旅)では、宗谷岬に立った10日後の7月21日に一日を費やして単独行で「八甲田山」に登ってきました。宗谷に憧れた若き日の山行きを思い出しながらの登山となりました。

さて、平成19年7月11日この日は、羽幌町を早朝に出発しました。左に日本海を眺めながら、ただひたすらに北上する。やがて利尻富士の裾野がぼんやりと見えてきましたが、この日はあいにくの曇天、それに加えて寒いことこの上なしでとうとう車のヒーターを入れだしました。「野寒布岬」を経てついに「宗谷岬」に到着となりました。
小雨混じりの宗谷岬、気温は正午で13度と低く他の観光客の皆さんも、このモニュメントで記念写真を撮るとそれぞれバスや車に戻っておられました。冬の気温なら暖かいのに、真夏の気温としては、寒くてたまりませんでした。犬の権太郎もこの写真を撮った直後に車に乗り込んでしまいました。なぜか私だけが、じぃーと海を見つめて日本最北端の地に立っていました。

この「小話コーナー」で第40・53・54・114・115話で北海道を題材とさせてもらいました。そして今回の書き出しのとおり我が人生において「北海道」とは、バイブル的な存在です。厳冬の北海道に厳しさを感じてのことでもなく、北の大地に悠然さを感じたものでもなく、第40話で書いたとおり、とてつもなく力強い、働き甲斐のある地方だと思っていました。若い頃から何回か北海道旅行を計画しながらにも、行き着くことの出来なかったことが、今の年齢になってもなお飽くことなく聖地のごとく想い続けているのかも知れません。

今回、「千代の富士記念館」の案内嬢・小樽の駐車場管理人さん・滝川でお孫さんと遊んでいた爺ちゃん・天売の漁師さん・陸別の酪農夫婦、その他いろんな方々に親切にしていただいたのを忘れることは出来ません。それとあちこちの温泉でもいろいろな人と話しをしたなぁ。

私の胸の中は、「北海道」 = 「宗谷」 = 「強さと優しさ」です。

追伸、昨年の11月25・26日にお台場で開催されました発動機の運転会(第168話 お台場)の折に船の科学館に係留されている「宗谷」を見学して参りました。


 第184話 真室川音頭(東北・北海道の旅)

平成19年8月15





♪ 私しゃ真室川の 梅の花 コーオリャ
あなたまた このまちの鶯よ
花の咲くのを 待ちかねて コーオリャ
蕾のうちから 通って来る  ♪

現在のようなカラオケがない時代の昭和37年に社会人となりまして畳の上で酒を呑み始めたころ、決まって私は「真室川音頭」を歌っていました。 この粋な文句につられて大いに「真室川」へ恋の夢を馳せたものでした。 そして「真室川」もまた、一度も行ったことのない地でした。
今回、山形県を通る限り寄ってみようと考えていました。それは煌びやかな温泉街が今でも存続していて、綺麗な「梅の花」が大勢居るのかなと万感のイメ−ジを抱きながら、7月3日の朝、国道7号線を右に最上川に沿って海辺から山間部へと、軽く鼻歌を歌いながら真室川町を目指しました。

やがて、カ−ナビが「真室川町」を指しているのにどこにも、真室川温泉なる看板が見当たりません。さしたる大きな町とも思えないのに案内板がありません。仕方なく車を停めて、とある事務所に入り聞いてみました。30歳前後の男性が応対してくれましたが、「真室川温泉街て知りません、そのようなものはありませんです」とのことで、そこで「♪ 私しゃ真室川の・・・」と歌ってみました。ところがやはりご存知ありませんでした。そして、町には健康ランドはありまして風呂もあるとのこと、それは親切に教えてくれました。あぁ歌の真室川というのは山形県ではなくて、ほかにあるのかいなと落胆しながらにも、その健康ランドの風呂にでも入ろうと行くことにしました。

やがて立派な施設に着きました。広い庭や、土産物屋、そして写真の看板が架かった温泉も。そして中に入ると壁に「真室川音頭」の歌詞を大書にして壁面に貼ってあるではありませんか。早速カウンタ−嬢に聞いてみました。この歌に惚れて大阪から来ましたとも言いました、喜んでくれました。
聞けばもう過去の遺物で今では寂れてしまったとのことでした。数人が湯に入っていましたが、おかまいなく下手な「真室川音頭」を思い切り歌って自己満足の「かっちゃん」でありました。

誰でも名所というものには、それなりのまだ見ぬ夢の様な想いを暖めているものなのです。しかし、いざ現地にてあまりにも抱いていたイメ−ジとの差に愕然とすることはありませんか。例えば私がそう思ったのはイタリアの「真実の口」と札幌の「時計台」。そうです、想いを馳せるのは自分の勝手です。
              


 第183話 天売島(東北・北海道の旅)

平成19年8月1


                 
7月28日の朝刊に掲載された、漁船の火災事故。それによりますと「27日午前9時過ぎ、北海道天売島(羽幌町)の西約74キロ沖合の日本海で・・・」とあった。

写真は7月10日の写真である。7月1日に出発して約1ヶ月に渡って東北・北海道を車で旅をしました、その中でも特に印象に残ったのが天売島です。わずか3時間ほどの滞在でしたが、いまも又行きたいと思うスポットです。そして今まで知らなかった「天売島・羽幌町」という響きに皆さん、ご無事でありますようにと祈る心境なのです。

まず、羽幌の港に着いた時間が都合が悪く次の船まで2時間程待たなければなりませんでした。
しかしおり良く地元では夏祭りで、神輿がくりだされていて、その待ち時間を楽しませてくれました。この町にこんなに沢山の若い衆がいるのですかと聞いたところ、主に漁師をされているとかで、強面の若い衆が大勢いました。でも皆さん気が優しく缶ビールをご馳走になりながら、祭りについてあれこれと案内をしてくれました。

次に、羽幌の港の若い社員さんの親切です。天売行きの連絡船には籠入りの小型しか犬は乗れないとのことでした。しかし今日は空いているのでデッキでよければ船長に交渉してやるとのことで、何とか天売に行かせてやろうという構えです。見た目には海は静かだと思っていましたが、社員氏が言うには波が高いのでとのことでした。天売島に行っても何もないよ ! との一言も思い出に残ります。 やがて高速船が入港してきて社員氏が船長と交渉してくれましたが、本日波高く船外禁止とのことでした。仕方なく犬の権太郎と家内は羽幌町の祭を見に行くこととなりました。 静かだった海も1時間ほど進むと、船内でもとても歩けないほどの揺れだしました、空は青空なのに。

さて、天売島に着いて最初に波止場の食堂で「うに丼」を食べました。うにの香りと甘みは抜群でした。

一軒隣のレンタル屋で、ミニバイクを2時間2千円でゲットして島の見学に出かけることにしました。女将さんが言うには、キックしか掛からないのでキックが出来るか目の前で試してくれとの言い草。「バイクはキックをするもんじゃ」といい放しスタート。女将は心配そうに見送っていた。

丘の登りでレンタル自転車の青年を抜きさる。
すこし風はあるが乗った船の揺れに対して、何と素晴しい天気か青い空と海、乱舞する海鳥の群れ、何枚も何枚も写真を撮った。そして海鳥観察小屋に到着した。そこには先ほど追い抜いた青年が望遠鏡で鳥の観察をしていた。「ここでも珍しい・・・・」と覗かしてくれた。残念ながら鳥の名は忘れましたが、2羽が仲良く波に揺られていました。

約12キロの島の外周を2時間弱で廻り、ミニバイクを女将へ返却した。その折に自分は今もオートバイに乗っていることや、漁船の機関を見たいとの申し入れに、夫が所有するイカ釣り漁船を見学させてくれることになりました。
主の親が新造したとのことでそろそろ新造船を欲しいと言っていましたが、そのイカ釣り漁船はヤンマーの6気筒で100馬力ぐらいとのことでした。漁業のことをいろいろと聞きながら、決して楽でない現在の状況に共感しながら、別れ際には、女将がソフトボールぐらいの大きさのガラス製の浮きこを一つ土産にくれました。

写真の左に白く波立つ岩の下に「ウミガラス」の巣があります。この鳥の鳴き声から「オロロン」といい、いろんな方面でこの名が使われていました。


 第182話 七夕

平成19年7月1


♪ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎん砂子♪

竹薮に入り、ちょうど格好の良い竹を探す。今にして思えば長さは2メ−トルぐらいのが適当であった。 千代紙で作った鎖状の飾りや、野菜等をぶらさげます。しかし肝心の願いを込めた「短冊」がなかなかできないものでした。

さて七夕は五節句の一つで、正月7日の人日・3月3日の上巳・5月5日の端午・7月7日の七夕・9月9日の重陽の一つです。

しかし、七夕とは読み辛い字とは思いませんか。もとは「棚機(たなばた)」であったらしく、棚は横板のことで、つまり横板の付いた織機であったらしい。
そして織女星と牽牛星が年に一度天の川で出会う、いわゆるラブロマンスとして7月7日の夜に星を祭る年中行事として行われてきました。

中国伝来の風習と、日本の神への信仰とが習合したものらしく、古く奈良時代から行われてきたとのことである。江戸時代に入り民間にも広がったらしく、庭先に笹を立てて、五色の短冊に歌や字を書いて書道の上達を祈ったらしい。

女の子は浴衣を着せてもらい、近所の笹を見て回る。そして日が暮れて夜ともなれば満天の空に「天の川」がくっきりと現れ、「あれが彦星」「あれが織姫」と口々に空を見上げる。

それからもう60年近くになります。住んでいる場所は変わらないのに、変わったことは天気がよくても空に星が見えないことである。


 第181話 ごますり

平成19年6月15


つい先頃に大スタ−であった植木等があの世へと旅立たれました。クレィジ−キャッツが大ヒットしたのは私が就職をして間もない頃の時代でありまして、「ごますり」「無責任」と銀幕いっぱいに踊りまくっていました。他に 勝 新太郎の「悪名」「座頭市」など当時は面白い映画が沢山ありました。

その頃は当然のこととして、ごますりとは卑劣な行為として捉えられていました。ところが同じ課の2年先輩から、「人から何と言われ様と、ごまをするのも実力の一つ」として教えられました。

さて、「ごま」はと申しますと、ごく小粒でありますが栄養価は高いし、お菓子に使ったり、油を採ったりして用途も広く、小さい割には大いに役に立つ物であります。
ところが「ごまをする」となると、一転して悪い意味になり、毛嫌いされることになります。それは すり鉢でごまをすると、経験のある人なら分かると思いますが、すりつぶされて、すり鉢のあちこちにくっつきます。 これに似て、周りの人たちのあいだを飛び回っては、へつらい、迎合する小粒な人間のことを「ごますり」と呼ぶようになったのです。
そして、口先だけで相手をごまかそうとするがごとくと毛嫌いされてしまうことになったのです。

類似した「長いものには巻かれよ」とか、サラリ−マンの生きるための手引き語をいろいろと教えられ、実践してきました。

今、サラリ−マンを卒業して思うことは、技術や知識を取得したことは日々忘れていきます。それなのにあれほどイヤであったゴマスリ技術はしっかりと身についているではありませんか。
これからは、家庭の中でこの技術を駆使して安楽な時を過ごすことにしたいと思う今日この頃です。


 第180話 角を矯めて

平成19年6月1


「角を矯めて牛を殺す」

いよいよ我がサラリ−マン人生も本日から、毎日が日曜日となりました。
もう朝早くから起きて時間に追われることもなくなりました。

さて、これから急流が岩や石に当たりながら勢一杯の流れを形成していた時とは打って変わって、ゆっくりとした大河のごとくの時を過ごさなければなりません。

しかし、このコ−ナ−にて度々語ってきましたように人間年を重ねると、穏やかになるように思われ勝ちですが、決してそうではなくて拘りや、意地を抑えることができなくなるのが普通かと思います。

ただ少し言えば加齢とともに記憶力が、また体力が衰えていくのはごく自然のこととして自らが受け入れていくものです。 したがいまして、自分以外の家族であれ、また他人に対しては穏やかになったかの様に見えますが、自分自身には決してそうではなく、些細なことにも拘りを持つようになるのではないだろうかと、今から心配でなりません。

今回のお題は、牛にとっては、角は生命に関わる大事な部位ですが、少し曲がった角に拘って、無理に直そうとして、牛を殺してしまったことから、わずかな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうことを戒めた諺です。

ではどうすれば、穏やかな日々を送れるかを一つ二つの具体例として考えれば、「今日出来る事でも、明日に回す」その事がストレスとならないような日々を送る事が出来るようにのんびりとした時間の流れを形勢すること。決して明日の仕事を手早く今日に済ませるようなことをしてはなりません。

あと一つは他に対して「義理を欠く」事を常とする。義理を硬く守ったら、義理返しを期待するのはごく当たり前のことです。したがいまして「義理」と出来る限り関わらない時間を過ごす。不義理者と人伝えに耳に入っても「わしの生き方」と気にしない。

いくら考えても、六十数年生きてきた我が性格なんて、そう簡単に軌道修正が出来るはずがありません。しかし、今こそ一大転換期であることをしっかり捉えて、「小さい拘りが、大きなビハインド」とならないような余生を送りたい。


 第179話 木を見て

平成19年5月15


木を見て森を見ない

人間には器というものがあります。なんて話をよく耳にしますが一体「器」とはどの様なことを指してそう言うのでしょうか。

その一つに「木を見て森を見ない」という諺があります。木の一本一本に目をうばわれて、森全体の様子が見えないということです。 つまり、細かい所に気を取られて、物事の全体をとらえることができない事を指しての語です。

しかし、この様を会社組織に例えれば、社長は「森を見る」洞察力が必要だし、係長は木を見る観察力が必要です。課長は限りなく係長に近い能力と、少しの社長の能力を持つことを期待され、部長は社長の能力を備えつつ、少しの係長の守備範疇も把握しておく必要があります。と言うのが会社にあてはめて見てのことですが、今回のお題について言えば個人の性格についてでありまして組織を指すものではありませんが説明としてはこの様ではないかと思います。

一般的には、自分もそうですが大局を見つめて生きていかなければならないことは十分に頭では解っていても、それが実行できないのが世の常です。

そこで、自らに課してこの語を借りて、本来の意味から少しは遺脱しているかも知れませんが「体重の減量作戦」をしばらく実行してみようと思います。 一日を木、一月を森として一日をどう生きるか、日々については、時の過ごし方を含めてよりよい方向で過ごせるように工夫をすることが出来るような気がします。が、それが連続した月、あるいは年となるとなかなか緊張を保つ自信がありません。

この作戦を通じて今後の物事を見る目を養うための挑戦ですが、さて何時から実行するかだ。


 第178話 裏金

平成19年5月1


「裏金」には、大きく分けて二つの意味があります。

その一つは、例えば西武が選手獲得の為に業界で任意に決めた約束事に反して、いわゆる金にものを言わせて交渉ごとを自らを有利に運ぶように表向きに公表できる金額の他に、いわゆる裏に回って追い金する事である。この場合、金の出所を含めて総じて言えば法的な違反はなく、人道的な道義違反と考えます。(以下「民」と表現)

あと一つは、例えば大阪府の問題が明るみに出たように、公の機関が公金を予算立てに反して使途する、いわば法的にも義務違反が伴うものです。予算が100円の工事を70円で済ませて、100円の報告書を作り、30円を裏金として保有するのです。その30円の使途こそ不適切として指摘される場合が多いのです。(以下「公」と表現)

お話を分かり易くするために、一つの家庭に例えてみます。この家庭は今風の妻が実権をもつ悪しき家庭ではなく、昔の良き時代の日本の家庭を想像してください。

お父さんは「財務省」、お母さんは「他の省庁」、高校生の長男は「都道府県・政令指定都市」、中学生の次男は「市町村」、小学生の長女は「西武とか巨人、まあ会社」と、まあその様な格好。
お父さんは全ての一家の収入を得て、お母さんの支出に応えます。長男は高校生になってからは多少のアルバイト収入を独自で得ることが出来るようになりました。次男はお母さんに頂くお小遣がすべてです。長女はここではちょっとお休み、後で出てきます。

ここで注目をしてもらいたいのは、お父さんやお母さんの「へそくり(裏金)」が一向に問題視されることなく、なぜか長男ばかりが矢表に立たされている事実です。

そもそも「へそくり」てなんやかな。ものの本によれば「へそくり」とは、麻糸を丸く巻いたものを綜麻(へそ)と言って、それを繰ってためた金であるとされています。後にそれを人間のへそと混同して「臍」の字を当てたらしく一般的には主婦などが、小まめに誰にも知られないように少しずつためた金としての意味に使われています。 へそくり上手はいい女房とか、先の大河ドラマに出てくる「千代」さんのように「へそくり」を貯めて夫の一大事に用立てる事のできる優れ者としてあがめられてきました。

裏金は、役人が組織的に行う「へそくり」なのです。ご存知のとおり役所は単年度予算として回っています。予算立てしていても1年のうちには凸凹が当然生じてきます。 リンゴが10個必要と思っていたが、5個で済みました。残った5個分のお金でパンを2個買い、なお残った金を現金に換えて、こっそりと保管しておきます。 急に米が不足するとリンゴ代が米代として使われます。 このように表せたら何か何の問題も無く、むしろ臨機応変のいい使い方に思えるのですが、これは綺麗な例ですからいいのですが、実際は不適切な支出に回ることが多いのです。

さて、もっと大きな問題として財務省である実権者のお父さんはと言うと、夜な夜な高い所で誰にも気を使うことなく、また「へそくり」しなくても金を使い放題です。そして余った金を、他の省庁であるお母さんに渡します。いわばお父さんの持ち金全部が裏金みたいなものです。そしてお父さんからもらったお金をお母さんは、家計に使ったり子供の要求に応じて分配いたします。

長男も次男も、もっと金を貰いたいが文句を言えば貰える金が少なくなるだけなので、言いたいことも我慢して賢い子供でいるのです。 そして先のリンゴのお話になるのです。このお金は普通には税金として集められた公の金でありますので、ひときは風当りの強い批判となるのです。 公の機関が行うへそくりが、不適切に使われる事の多い「裏金」なのです。

もう一つ長女が使う裏金は、「民」の世界ですから、社長と社員(株主も含む)が納得していれば、用意する金そのものには問題がありません。 しかし、誰もが欲しがる飴玉を皆で10円を限度として買いましょうとして決めているのに、どうしても欲の皮が突っ張り、10円にべらぼうな追い金を付けて裏取引をすれば、独占禁止法等に抵触する場合もありますが、むしろ道義遺脱として世の中から相手にされなくなります。

金の勘定は、きっちり杓子定規に行うことこそ尊いのは言うに及びませんが、何と無く「裏金」も許容の範囲ならば、よき日本人気質好みの一面でもあると思うのですが。


 第177話 八百長

平成19年4月15


いま、「裏金」「八百長」「談合」は、格好の新聞ねたとして、君臨しています。

談合は丁度一年前にお題として頂戴しました(第151話)ので、今回は「八百長」を考えてみることにします。裏金は次回登場予定です。

さて、八百長は最近大相撲界において盛んにご贔屓となって活躍中ですが、遠い過去にプロ野球界においても取り沙汰されたことがあります。

書き出しから少し過激な意見ですが、八百長は相撲界では目くじらを立てる程のことではないと考えます。
しかしプロ野球界では絶対にあってはならんことと思うのです。

八百長という語はあまりにも有名ですが、根が相撲界にあるとはあまり知られていないのではないでしょうか。
しかし相撲そのものではなく、相撲取りの娯楽・趣味の世界に根源があたったのは、なにかちょっと救われる気もします。
語源は明治のはじめ頃に相撲部屋を相手に商売をしてた囲碁好きで大変強かった、いわゆる谷町でもあった八百屋の根本長造という御仁が親方衆を相手に囲碁を打ち、わざと負けて機嫌とりをしていたらしく、そこからきたということである。
しかし、現在本当に存在する相撲界の隠語には「八百長」はないということです。もちろん類似する同意味の隠語はあるのです。

さて、そもそも推測するところでは相撲の発祥は神事の一環として始められ、現代においても立派に受け継がれている日本固有の文化であります。

多分、東が勝てば豊年で、西が勝てば大漁というようなことであったのではないだろうか。 そこで、豊年ばかりでも困るし、大漁ばかりでも困ります。まぁこれが相撲というものです。

ここらあたりのことを、春場所のあるどこかの知事さんは、ご存知でしょうか。

同じ様でも、剣道は国と殿様を守らなければなりません。柔道はいつの間にか発展しすぎて世界に進出、そこに階級別という邪道に嵌りこみもはや日本文化と決別してスポ−ツとなりました。

まぁいずれどのスポ−ツも戦争の命を球などに置き換えて発展してきたと思われます。
かように考えれば相撲は、スポ−ツとしてよりも日本文化として愛好者によつていつまでも絶えることなく引き継がれることを望むのは、私だけではないはずです。

舞の海が小錦に勝つ相撲なんか、他には見当たらない醍醐味です。

「これより60キロ級 東〜♪ ○○山〜、西〜♪ ××海〜」なんて呼び出しがかかる相撲なんて見たくもありませんね。

スポ−ツには八百長は許されるものではありません。でも相撲は勝ちたいという気迫に満ちたほうが勝てばそれでいいのです。


 第176話 スト−カ−の春

平成19年4月1


スト−カ−と指をさされ、世には全くの悪者のごとき決め付けられている者にも、それなりの誠に口惜しい経緯があることを、わかってほしいのです。

何の手続きもすることなく、勝手に好きな人が出来ましたと一方的に離れていく。木の葉の上で揺られているような不安定な仲ならまだしも、大きな丸太船に乗っていて、時には親友も同乗しているというような環境にあったというのに。

離れて行った方は、暖かく花の咲き乱れる春の野で蝶の様な気分になって舞いながら謳歌しています。いくら呼び戻そうと声をはりあげても、振り返ることすら「おっくう」とうそぶきます。 一方では寒い枯野に取り残されて一人じっと空腹に耐えて涙に暮れて生きた屍と化しています。

幸せ一杯の春の野では、 捨てた者への 哀れみなんか全く頭にはありません、「悪いけど、何も思わない」の一言である。そんなことは無いやろう、引越しするにも使い馴れた家具や、壁に貼った二人だけの思い出の記録を外すして、借家なら大家さんに挨拶もせねばならんやろう。

やっと漕ぎ付けた「約束」も反故にされ、思いのままに花から花へと蜜を求めて勝手三昧。もはやその恨みは歯医者の比ではありません。 フィリピン海プレ−トが南海トラフで日本列島の下に潜り込む、歯軋りのようにキリキリとゼンマイは確実に巻き上げられていきつつあります。

一発必中で必ず仕留めなければなりません、ネクロフィリアもサディズムも無く、純粋な百倍の憎さだけです。仕留めた後には、冷たく狭い牢獄のなかに居たとしても、華やかなダブルベッドの真ん中で裏切り者が絡み合う姿を想像する必要がありません。外には憎き者の魂も肉体もなければ、出獄の希望すらないであろう。狭く冷たくても、ほんとうの春だ。

安堵という世界に滴りながら静かに迎えの時を待つ。もはや踏み躙られ悔しさを怨念というエネルギ−に変換して蓄えた量もマグネチュ−ド XXX。


 第175話 今年の予感

平成19年3月15


いよいよ今日も含めて10日後の、3月24日(土)にはパリ−グ公式戦が開幕されます。

4年ぶりの V 奪還をめざして、熱く燃える今年のホ−クスナインは、野球解説者をはじめとして少しでも野球を知る者には最強軍団と認めるところであります。
南海ホ−クス時代に打ち立てた年間99勝の金字塔を更新して、圧倒的強さで、まずリ−グ制覇して、続くクライマックス・パを通過します。 残る、日本一・アジアも制して今年の覇者として輝きます。

王監督は、昨シ−ズン3番不在に泣きました。バティスタを解雇したが、期待の松田が伸び悩み思惑を外しました。
今シ−ズンそれを補うべく絶好の人、多村の加入です。それは丁度1年前の WBC で活躍した、監督好みの選手です。
監督に見初められて、また自身も大監督のもとでやってみたいとの想いがあって「ホ−クスの多村」が誕生したのです。
そのあたりを多村も理解して、ガラスの大砲ではなく、鉄の大砲として今シ−ズンを乗り切るべきして、励んでいます。

小久保は、何も言うことはありません。王監督の胴上げの為に自らホ−クスに復帰。この人のチ−ム参画は選手全員を奮い立たせ、キャンプ初日からの特打ちは首位奪還への強い思いがあるのみ。

松中は、今をときめく三冠王を 「信彦」 と呼ぶことのできる先輩小久保と手を組んで、強いホ−クスを復活すること以外に考えることはありません。結果は後からついてくるものと思っています。

斉藤和巳ほか、和田・新垣・杉内の自他ともに認める日本一先発4枚看板も、目指す目標は、王監督の胴上げただ一点に見据えての今シ−ズンとなります。

新井打撃コ−チの復帰により、元気づく川崎宗則くん、やっと何かを掴んだ松田くん、成長著しい江川くん。

選手の実力的にも、また数字の上でも、誰にも強いと認められて、チ−ムの選手全員が今年こそはの明確な目標が存在する、今年のホ−クス。まずは144試合の闘魂と必勝を祈る。


 第174話 一言居士

平成19年3月1


いちげんこじ
「一言」は、ちょっとした意見で、「居士」とは男の大人のことであると辞書に出ています。
この語について、もう一言付け加えるならば「一言文句居士」と一般的には使われているのではないかと思います。

どんな事でも、必ず自分のちょっとした意見を言わずにはいられない人のことで、褒め言葉ではないようです。
社会一般とすれば、「あいつは一言居士やな、なんか一言は言うなぁ」と、ややもすれば変わり者のごとくにされてきたものです。

ところが、私がまだ若かった頃に、ある信頼のしていた大先輩から「正式な会議にしろ、どんな集まりであるにしても、必ず少なくとも一言は言わんとアカン」と教わったことがあります。それは流れに抗した意見ばかりではなく、話しを補強する意見でももちろんよく、その場に関心を持って参画していることの示しを態度で表すべきとの教えであったと思っています。「一言居士」と呼ばれない程度において、この教えに従ってきたと自分は思っていますが、十分に一言居士の範疇に嵌っていたかもしれません。

村の会合や、何かの説明会でも、趣味の会でも、何か質問がありませんかとの司会の問いに「ハイッ」と手を上げて何か一言を必ず言う人がいてますね。
おかしなもので自分が司会をしていたり、またその会を主宰している時には、誰一人として口を開かないよりも、何がしの意見をもらいたい時もあります。時として的を得たいい質問や意見もあります。
ただ、今回のお題となっている居士さんは時や場を考えずに、その場で言っても意味の無い発言であっても一言を言うのです。

「有言は銀、沈黙は金」との諺もありますが、それは過去のこと。現在では必ずしもそうとは言えずにタブ−とされていた物事にもズバッと口が入ります。 長い経験や風習にも簡単に覆す一言も多々あるかのように思います。

かように考えてみると、やはりその場で一言を発する難しさ、重さを感じなければならないと言うことですね。


 第173話 一眼二足

平成19年2月15


「一眼二足」という この語はある地方に昔から伝わるもので、体を大切に達者で暮らすための格言であることをまずお断りしておきます。

老いて達者であるためには、体のどの部分も皆丈夫でなければならないことは言うまでもありませんが、強いて極論すればお題のとおりではないだろうかと思うのであります。

そう言えば、小学校の頃に「目を大切にしよう」「歯を大切にしよう」と習ったことを思いだします。そして歯ブラシを学校に持って行き、歯の磨き方を教わりました。

そして覚えていることは、 目を大切にせよと先生が言いますが歯ブラシのごとく行動にあらわしたり、具体な指示がありません。どうすればいいのかと疑問に思ったものです。
暗い箇所での読書は目を悪くすると言う事はわかっていましたが、明るい所でも本など読む柄でもなかったので、テレビも無い時代のこと目を大切にするということが理解できなかったのです。
それに比べれば、現在の子供は、目を酷使していますね。 そしていま、何と言ってもパソコンのディスプレ−を見ることの害を考えなければなりません。
一度、眼鏡の普及率というか、目の昔と今を数字で眺めたいと思っています。

それにしても、今回のお題は老後に備えての健康保持からしての心得であります。誰しも老いとともに比例して目が衰え足が弱くなって、その行動範囲が狭くなるものです。いつまで日常生活に必要な行動を保てるかが、切実な問題かと考えます。
例えば、貯金のように限られた数値から減っていくものなのか、ダムの貯水のごとく、雨が降れば増えて、日照りとなれば、思いもせず早く涸れてしまうものなのか。

一般には老いていくなかで、体のどの部分がいつまでも達者でありたいと望むかは、全く個人のそれぞれによりますが、総じて一番大切と考えるのは、目であり視力こそ一番であると考えます。
それに続くのが直接行動力に影響するところが大である足ではなかろうかと思うところです。

つまり「一眼二足」の格言とおりとなるのでしょうか。


 第172話 一分

平成19年2月1


時代物も含めてあまり本を読まずに過ごしてきた自分にとって、「一分」とはどういう意味をもつのか分からずに、いま映画「武士の一分」をきっかけに「一分」ってなんやろう考えてみました。

武士の時代に使われていた語なのかどうかは、にわかに調べてみても見当がつきませんが、映画の解説等では「武士の一分とは、人が命を賭けて守らなければならない名誉や面目」とされています。

生きていく上での面目、または職責をまっとうする為に曲げることのできない実直な思いや行い。それらがひいては意地となり一歩も譲れない有様を総称しての意味ではなかろうかと思います。

そしてこの語の使われかたとしては、華々しく大儀名分のたつ敵討ちなどと違い、一人の人間がそれ以上の尊厳を踏み躙られたにも関わらずに、誰にも口外できずに腹が煮えくりかえる程の恨みを抱き、己の面目と意地を通さんが為に思いをなしとげんとすることではないだろうか。

もともと「一分」とは、長さや重さの単位として用いられた語であって、ごくわずかなと言う意味が示すように、マイナ−な範疇になる。 よって一歩も譲れない意地であって、密かに逆襲の遂行を目論むに適しているようです。

映画では、果し合いで妻をもて遊んだ悪剣豪に剣で勝つが、一気に止めをささずに片腕を切り落としたところで果し合いを終了する。悪剣豪は生きてはいるものの武士の面目も誇りも根こそぎ奪われてしまう。
一番大事なこととしての自身の悪行に気をつかせて、その後に盲目の相手に斬られたとも言えずに空しく自ら腹を切らせる。誰が悪剣豪を斬ったのかとの噂話の中でさえ、盲目の武士の名が出てこないという見事な物語。


 第171話 人的補償

平成19年1月15


工藤選手が「野球が出来るなら、どこででも」とサバサバと語ったとスポ−ツ紙に載りました。
この記事を容認できるのは、数少ないいわゆるプロ野球通か、工藤のことなら何でもオッケ−の親衛隊ぐらいのものである。

今回は特に G に対する怒りではないが、野球協約ににうたわれている FA の人的補償に対する日本人に馴染み難い悪制度について考えてみます。

制度そのものを簡単に言えば、FA 選手を獲得した球団は、その選手の元球団に対して金銭および選手を補償しなければならないことになっています。

ここで補償は金銭に限るべきと強く主張したいのです。なぜなら選手の場合には、獲得球団の外国人選手とプロテクトした28人の支配下選手以外の中から元球団は選手を求めることが出来ることとなっています。人的補償を求めず金銭となる場合や、他にも詳細な取り決めがありますが、あくまでもプロ野球ファンや28人枠に入らない選手の心情を想った時、あまりにも割り切れない野球協約なのです。

はっきり言って、プロ野球選手として大貢献のあった工藤選手をこの様な扱いをしていいものなのだろうか。 球界を代表する左腕としてのプライドが傷つけられたことは間違いないが、人的補償に指名された選手は移籍の拒否は許されず、仮に拒否した場合は資格停止選手となるらしい。工藤選手は「引退」は頭になく、新天地で頑張るという。

実績のある選手に対しては、いわゆるプロテクト選手外として、例えば35歳を超えた選手にあっては当該するシ−ズンに於いて野手なら何打席、投手なら何回以上の実績選手は人的補償外という条件を、協約に加えてもらいたいと考えるのです。35歳を超えて現役で続けているだけでも表彰ものなのです、そういう選手を粗末に扱ってはならないのです。

一方、寺原の様に期待を担って入った球団でこれからと言う矢先に他球団へと変わっていくのに、本人もファンも言い尽くせない寂しさがあります。先に書いた条件だけでは網羅し切れませんが、寺原の放出には有り余る惜別の念があります。

こうして考えてみても、 FA は金銭補償に留めるべきであろう。 トレ−ドの場合は等価価値交換の感もありますが、人的補償対象選手は放出の感を強く受けます。 選手の商品化が、現在の砂を咬むな世相をよく反映しているかのように、思えてならないのです。

放出と言えば今回、南海ホ−クス以来の大道選手の突然の戦力外通告も、今やどこの球団にあっても、血も涙もない編成部のもとで、チ−ムが形成されているのでしょうか。 フリオ・ズレ−タ−の事も推測されますが、チ−ムにとって何が本当に必要な選手なのか難しい。引退の華やかな場を演出してもらった T の片岡にD の立浪や福留が胴上げに参加している場面を見ると、手厚く引退セレモニ−等を開催してくれた球団に選手もファンも又来年いいことがあるような気がするのです。

FA による選手の球団移動もシ−ズンオフの行事としてだいぶん慣れてはきましたが、獲得球団のいい補強が出来たと喜ぶその陰で釈然としないファンとプロテクトに外れる努力の選手が居ることを忘れてはならない。

実力主義のプロ選手界にあって、男の力が物を言う世界であったとしても、それを見て楽しむファンが己の夢すら簡単に持てない現在社会に於いてせめて好きな野球観戦を心から安心してチ−ムや選手に惚れ込んで、勝利という夢を見させてもらうことが出来ないものなのだろうか。


 第170話 一富士二鷹三茄子

平成19年1月1


--------------新年明けまして おめでとうございます--------------
---------------本年も 「小話」コ−ナ−をよろしく お願いいたします---------------



                                   Photo by Katchan

 年の初めに景気のよい、「一富士二鷹三茄子」をお題にしてみました。
正月の初夢で見ると、その年の運がよいと言われるものを、順番に三つならべた諺で、語調もなかなかよろしいようです。
これは江戸時代の諺で、徳川将軍家に縁のある駿河の名物をならべたものとされています。

「富士山」
 写真は、昨年11月25日に「のぞみ」の車窓から撮影したものでして、大阪人である我としては富士山の見える所を通過する折には、電車であろうが、車であろうが必ずシャッタ−を切ります。ただ機嫌のいい富士山に出会うことは少ないものです。おそらくこの日の富士山は、かつて見たことのない好天気でした。 写真に凝っていた頃に、何回かいいのを撮ろうと通ったことも、ありましたがなかなかいいのが出来ませんでした。日本のパワ−スポット富士山、やはり何と言っても日本一。

「鷹」
 これは言うまでもなく、我らが「ホ−クス」であります。 王監督の胴上げは今年こその正しく夢でありまして、小久保が復帰しての今シ−ズン、これで松中も気楽に打てて、川崎の突撃と守備、斉藤和・和田・それに当り年の杉内、新人の大隣が投げて、選手と全国のホ−クスファンが気持ちを一つにして、唯一つの目的である「王監督の胴上げ」に邁進します。

「茄子」
  茄子は、「なすび」として伝わってきたと言われています。大阪・南河内では現在も「なすび」と言います。駿河名物も今や大阪の「泉州水茄子」として全国的に有名となって君臨しています。 また、茄子に関わる諺も少なくなく「親の意見と茄子の花は、千に一つの無駄もない」、「茄子の豊作は稲の豊作」「秋茄子嫁に食わすな」などは皆さんご存知のところですね。 ナスは連作を嫌う野菜のようです。ナスを連作した時もそうですが、同じナス科のトマト、ジャガイモ等とも相性がよくないようです。

 こうしてサラッと書いてみても、富士、鷹、茄子とはええもんばっかりが揃っていますね。皆様方にはどうか今年もよいお年でありますように。



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