ちょっと小話コーナーShort Story保存八号館
ご意見などは、掲示板で待っています。

第192話

十遍 第193話 転がる石 第194話 大きな耳
第195話 お粥先から 第196話 春季キャンプ 第197話 一人娘

第198話

乞食の朝謡 第199話 右は京道 第200話 200

第201話

一病息災 第202話 五風十雨 第203話 六月無禮
第204話 おめでとう ホークス 第205話 一髪 第206話 三五の十八
第207話 かがみ男 第208話 秋の入日と 第209話 草履はき際
第210話 見たら巻き 第211話 ポインター 第212話 妹の縁談
第213話 当てが外れる 第214話 掃溜に鶴 第215話 百八煩悩
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 第215話 百八煩悩

平成20年12月13


おおよそ煩悩とは止まることのない連続した点が線となって、さらに線が面となって己を取り囲むようにして、付きまとっています。

しかし、付きまとわれているのかと申しますと決してそうでもなく、そもそもその点は、これまた難儀なことに己が発信しているのです。

いや、もうすぐ年の暮れ、一つの区切りをする一瞬を迎える時がきます。
まだ若かった頃には、年の暮れも新年も連続したというよりも、区切りとして考えることはありませんでした。しかし今になって気付いたものの、いつしか年の暮れには、その年の生きてきた様を回顧して、来たるべく新年に多少のエネルギーを申し送ろうとしている自分があることに気が付いたのです。

簡単、端的に言えば今年に成し遂げることのできなかった欲望を、来年こそはとか密かに考えているのです。それがまた、あまり褒められた立派な想いではなくて、自分以外の人に物心のいずれかを与えようとするような奇特な想いではなく、自分が得ようとしている貪欲という二文字であるから始末がわるい。

さて、自分自身の生き様のうち「欲」の一切から解放されたとしたら、多くの迷いからも解放されると思いますが、生命がある間は最低限でも精神を宿しているところの肉体を維持しなければなりません。その為には生命を保持する最低限度の活動力を得る必要がある・・・・・・。

仏教の教えでは、眼・鼻・耳・舌・身・意の六根にそれぞれ苦・楽・不苦楽の三種があり、この十八種類にもまたそれぞれの貧・不貧の二種類が加わり、その三十六種類を過去・現在・未来にあてはめたならば合計百八になるとされている。

私も、日本人男性の平均寿命のラインが、望遠鏡を使わなくとも肉眼で見える位置まで進んできました。やがて生命という字が、我が頭の中で一番大きな場所取りをする時が来ます。

年の暮れには、毎年百八つの除夜の鐘が聞かれます。思考力も記憶力も低下の一途にある我が頭の中の煩悩から、過去の迷いははすべて決算済みとして削除をして、また現在は迷うことなく時が推移していると自己満足を強くイメージする。強いて葛藤の余地があるとしたら、未来に向かうまだ見たことのない未来の場にのみ存在しているかのように、百八煩悩がら過去と現在を除いた、三十六煩悩とすることが出来たなら、余生に向かう肩の荷が軽くなるのだが。

 


 第214話 掃溜に鶴

平成20年12月1


「掃溜に鶴」・・・はきだめに鶴

掃き溜めというものを、皆さんご存知でしょうか? 現在では、箒で掃くという作業すら行う機会が少なくて、一般的には電気掃除機でヴオ〜ンと吸い込んで、掃除機の中が一杯になったらポンと取り出して、そのままゴミ袋に入れて、ゴミの日に出す。これが今の家庭に於けるゴミの処理方法であると思います。

しかし、昔からの都市部でない限りは、清掃車がゴミ回収に回るなんて数十年前からのことでありまして、それ以前とは申しますとどこの家庭にもゴミ溜めがありました。現在の様にプラスチック製のバケツ形式ではなくて、庭の片隅に四角く囲った「掃溜」なるものがあったのです。

掃溜のあった昔々の頃に「掃溜に鶴」なる言葉を聞いた覚えがあります。当時を思い起こすと、鶴とは高貴でかつクレバーな鳥というイメージを抱いていましたので、何か似合わないものの例えとして、つまり「梅に鶯 松に鶴」の反対語であるかのように思っていました。 松に鶴は、ベストマッチを形容していますが、掃溜に鶴はミスマッチを形容しています。

ではどうして掃溜と鶴が同じ土俵に上がることになったのでしょうか。例えば、「泥沼に鶴」ならば意図する意味は違っても、何となく姿を想像できますが、どう考えても掃溜とは結びつきません。

そして私がこの語を知った昔から今でも、そうであったのではなかろうかと推測するのが、 掃溜に溜まった紙屑のゴミの中にそっと紛れている折鶴が誰かの目に留まり、その綺麗に輝く折鶴が まわりの状況に当然とふさわしくなく、その情景から、平凡な場に目だって優れたものが現れた場合にそれを描写する語として生まれたのではないかと思うのであります。

この語の使われる場面としては、何人かの中に、際立って目立った女性が現れた時でありますが、昨今は女性に対する評価基準も多様化しているし、セクシャルハラスメントの御旗のもとに、うかつに口にすることが許されません。せめて心がときめく美人には自由に「掃溜に鶴ですね」とぐらい大声で言いたいのであります。


 第213話 当てが外れる

平成20年11月15


今年最大の「当て外れ」は、何と言っても誰もが優勝を予想していた「ソフトバンク ホークス」が最下位に沈んでしまったことではないでしょうか。

対イーグルスとの今シーズンの最終戦に両チームが最下位を懸けての、超低レベルの天下分け目の関が原、この大勝負は延長戦まで戦って、それも12回の裏に馬原が打たれてサヨナラ負け。その結果が最下位確定、「あぁ 当てが外れた」となりました。

この小話コーナー第196話春季キャンプの時分には、この結果を誰が予想したことであろう。

今年は、144試合を戦って、勝が64で負けが77、3つの引き分けで勝率0.454であった。しかし、得点はといえば、ライオンズの715点に対して556点、ホームランにいたってはライオンズの198本に対して99本であった。チーム打率と失点は、他の5チームと比べても悪いことは悪いが、最下位に沈むほどでもなかった。

いかにタイムリーヒットとホームランが欠乏した年であったかがうかがえる。この数字を残した超 A級戦犯である、小久保・松中・柴原が秋季練習を免除となっている。いやすでにあきらめたのかも知れません。多村も要らん。 それにしても、サード松田も一流選手にならんと、このまま二流選手のまま選手生命を終わるつもりなのか。

小久保、松中では戦えない、キヤッチャーの不出来・・・結果としては何とでも分析はできるが、他にもっとチームが一体となれなかった要因があるのではなかったのかとも思うのである。

一昨年のロッテ、昨年の日ハム、今年のライオンズ、それぞれ中心となって活躍する若手選手の名前が新しく次々と出てくる。ホークスは当分の間、あの10数年まえの B クラス時代に戻るのであろうか。

総じては、この春に健康面を理由に最後の指揮となるであろう王監督の胴上げを合言葉にしたことが、固さ、窮屈さを呼んで、最悪の事態となってしまったとも評されてはいるが、本当の諸悪は選手の年俸肥満こそが最下位となった最大の原因である。

そろそろ選手の契約更改であるが、選手から「当てが外れた」と言わせるぐらいバッサリ契約金をカットして、最下位となった野球人に河原の枯れススキに吹く冷たい風の中で、来シーズンの戦い方を考えてもらいたい。


 第212話 妹の縁談

平成20年11月1


妹の縁談・・・ねえ(姉)と相談・・・値と相談

1年ほど前のある日の九州は薩摩半島の南端にある長崎鼻の、みやげ物屋での会話である。
「この薩摩焼は、逸品中の逸品です」と亭主らしき人が器を薦めてきたので、こちらは知らぬは半値とばかりに値をつけてやった。そのほんの2〜3の会話で、「大阪から来られましたのですか」と問うてきた。
旅行の思い出 みやげにいい薩摩焼があれば一つ買う心積もりはしていましたが、本心は観光地のみやげ物屋では買う気がなかった。
結局はそのみやげ物屋では買わなかったのであるが、何故大阪の人は値切るのかという話となり、買い物の楽しみであり、「妹の縁談」次第では買ってもいいし、また目を養うだけでもええし、売り手と買い手の攻防なのであり、昔から伝わる大阪文化の一面なのであると話しは落ち着きました。しかし、これにはルールがあって、売り手を怒らせてはあかんと常々思っていますが、まぁ昨今は、買い手を怒らす売り手も少なくないので、世が変革の途にあるということです。この辺の呼吸を読めない商売人とは、はなから相手にしないのが、一つの見極めでもあるのですが。

また、この語は物の売買だけではなく、条件のやりとり話しの様な場合にあっても、その条件が直接に金銭ではなく、精神的や労働対価として取引するとしても、事の大小を値段に置き換えて「妹の縁談やな」という具合にこの語を使うことがあります。

例えば日常の会話のなかにも、「パソコン教えて」 と言えば 「なんぼ、くれる」 と深く対価を求める意が無くても、その場の会話としてなされます。その「なんぼ くれる」 が 「妹の縁談」 も同じく会話のツールなのです。

近頃、何々語として、隠語なのか、新語なのか分かりませんが耳にする大人には理解に苦しむ  「KY」 なる用語がどんどん作られています。後世に残る、万人が喝采を送るような親しみとユーモアに満ちた語の誕生を期待するとともに、人を愚弄するような語を作らせないことが大切なことと思うのですが。


 第211話 ポインター

平成20年10月15


前回の第210話では、古い昔の思い出話をいたしましたが、その勢いでもう一話おつきあいをお願いいたします。

ポインターは、愛犬家のお話でも、現在のコンピュター語でもなくてオートバイのお話しであります。当時の会話を思い出します、「〇〇のおっちゃんが、ポインターに乗って来やはったでぇー」と言う具合に、現在の言い方なら、バイク。もうちょっと古くはオートバイ、又は単車でありました。そしてその前はポインターで昭和30年代の後半になってからは、HONDA車の ドリームやベンリーが大量に出回ってからは、その販売で鎬を削っていた YAMAHA とともに「オートバイ」と言われるようになりました。この頃から、次第に二輪車のことをポインターと呼ばれることが急激になくなりました。

ちなみに、昭和35年ごろには、HONDA のスーパーカブ号がこれまた爆発的な販売台数を誇り、追従するがごとくにスズキやヤマハが、いわゆる50CC のモペットを繰り出すのであるが、 関西では、原付をメーカーの関係なく「カブ」と言っていました。もともとカブとは、自転車に後付のエンジンでした、「白いタンクに赤いエンジン」というキャッチコピーで売り出されていました。そして後年自転車に付けるのではなく、オートバイスタイルでもなく、またスクーターでもなく、斬新的なスタイルの4サイクル50CC、エンジンに粘りがあり、耐久性も抜群、3段変速付きなのに、クラッチはオートマチック。それはもう凄い凄いのが、世に出現したのでありました。半世紀が経った今でもなお、実用車として新聞配達や、銀行の外交さんの足として活躍しています。ちょっと変わった使いかたとして、昨今それこそ若い女の子に根強い人気を博しているのも、「スーパーカブ」です。

さて、ポインターに戻りまして、作っていた会社は、 新明和工業でありまして昭和35年ごろまで製造していたと思っています。ポインターの故郷は西宮鳴尾にありました。旧川西航空機の焼け跡が発生の地と聞いたことがあります。やはり飛行機作りの技術者がオートバイ作りをしたのではないかと思っています。
それだけに、関西ではオートバイの代名詞として、一世を風靡したのですね。

今回は、何の資料も調べずに私の15歳ごろの思い出を書いてみました。読んでいただいて、何か間違いや、お気づきの箇所がございましたら、掲示板か、メールにておしらせ願えたら、有難いと思っています。


 第210話 見たら巻き

平成20年10月1


「見たら巻き」

今回は、 ことわざでもなんでもありません。それにしても、見たら巻きという言葉を聞いたことはありますか。
たぶん、現在60歳ぐらいより若い人にはあまり耳にしたことのないことと思いますし、また誰もが知っているとも思えません。
これは、巻上げ式の腕時計のことでありまして、ふと時間を見る、そして時計を見たらその都度腕時計のリュースを親指と人差し指で5〜6回巻き上げるのです。つまり、見たら巻くのでこの様な言葉があったのですね。リューズを巻くその仕種がまた格好がよく見えたものでした。

その昔といえば、駅などでトンビのコートにステッキを持った紳士が、懐から懐中時計を取り出して、時を確認したら、やはりゼンマイを巻き上げていました。つまり、当時はゼンマイをいっぱいに、つまりフルに巻き上げてもせいぜい12時間ほどしか、いやもっと少ない時間しか作動をしなかったのではないでしょうか。

さて、そのステータスであったゼンマイの巻上げ仕種も、オートマティクの、いわゆる自動巻きの腕時計が一挙に世に出回ってきて、時代遅れのものとなってしまったのです。当時は平均的な一日の使用運動量で翌日の24時間はゼンマイが持続するのが自動巻腕時計の性能であったかのようです。一般的には、ここまでがいわゆるメカウォッチとしてよばれています。

さらに次世代の腕時計として、電池のエネルギーによって作動する、クオーツ時計が出現しました。この時計の心臓部には水晶発信器用いられて、これは一定の電圧を加えることで、決まった回数を発振するという特徴を利用して、機械式時計のヒゲゼンマイに取って代わって、時をきざむことになったのです。正確さは抜群で、いわゆる省エネ、腕時計としては画期的な変貌をとげたのです。


そして、現在の主流は電波時計ですが、特に腕時計ではソーラー付きであれば、全くのメンテナンスフリーで使用ができます。時間の正確性としては、誤差は10万年に1秒といわれていますが、実際には セシウム原子時計の精度では、30万年以上でようやく1秒になるらしい。しかし、表示したり、JJY での電波発射のための送信設備で生じる誤差を勘案してきりのいい「10万年に1秒の誤差」と言われるようになったとのことである。
現在わが国では、総務省の管轄の下に福島県からは、40khz 50KW と 福岡県と佐賀県の境目から 60khz 50KW  で電波が発射されていて、それぞれが 1,500km の範囲に電波が届いているので、日本国中を網羅していることになります。この電波が電波時計の針を正確にきざむための監視しているのですね。

ちなみに、 JJYは、日本標準時を放送する日本の無線局で、その呼出符号である。私、かっちゃんが運用するアマチュア無線局の呼出符号は、JR3WAS でありまして当サイトのドメインにも使っています。なお、かっちゃんが無線局を始めた頃の無線機は、その周波数が現在のものとは比べ物にならないぐらいに不安定であったので、標準電波の JJY を受信して、周波数チェックを行ったものであります。

見たら巻きのように、機械式時計を書くつもりが横道にそれてしまいましたが、現在においても、男のオモチャとして君臨するスーパーウォッチのおおくは、相変わらずゼンマイ仕掛けのようです。
宝石をちりばめたり、時計のケースに高級な金属を使って高価な腕時計はありますが、それは別としまして、西洋の貴族がこよなく慈しんだ歴史のある、そして現在の世にも超高級品として、静かな場所でしっかり輝いているのが、ゼンマイ仕掛けの腕時計です。

いま、お気に入りとしている巻上げ式の腕時計の中に、セイコー舎の最新 GS シリーズの一品があります。おそらくムーブメントの性能としては世界一ではないかと思っています。この腕時計は一杯に巻き上げた状態からは、48時間は作動します。そして、時計のためには、見たら巻きはしないで、一日に一回、だいたい同じ頃にゼンマイを巻いてくださいと、説明を受けています。

かっちゃん所有の何本かある腕時計のなかで、せいぜい7時間前後しかゼンマイが持続しないうえ、1日に2分は進む、見たら巻きの腕時計があります。この不便な時計が一番の宝物です。


 第209話 草履はき際

平成20年9月15


「草履はき際で仕損じる」

仕事を無事にすませて、さあ帰ろうと草履をはきかけて、はきそこなってしまうの意から最後の最後に失敗して、それまでの努力のすべてを駄目にしてしまうことをいいます。

これは、誰にでも事の大小があるものの、苦い経験として持っていることではないでしょうか。

草履の履き際とは、つまり大事な話しとか、大事な商談で相手方をこちらから訪問したこととがうかがえます。交渉事が思いの外にうまく運んで、内心は喜び一杯。その様な時には、自分自身に落ち着け落ち着けと戒めてはいるものの肩が微妙に上下して、心はその場にあらずして次のステップへと移ってしまっています。かかる折こそ用心しなくてはなりません、最大級の落とし穴が大きな口を開いて待っています。

ほんの一瞬の気のゆるみが、注意力を散漫にして取り返しのつかない失敗に連がることがよくあります。

最後に失敗をしないように戒めた言葉として「百里の道を旅行くものは、九十九里をもって半ばといたす」というのがあります。ゴールが見えたときこそ一層気を引き締めて行動せよとの教えですね。


喜びのあまり、余計な無駄口を叩かないのが心得かと思います。仕事を無事にすませて、心軽やかになるのは誰でも同じですが、軽くなるのは、心だけにしておいて、決して口まで軽くなるのは、要注意ですね。

終わり良ければ、すべてよし。多くの人々は日本人気質として、物事の終わりを大切にします。


 第208話 秋の入日と

平成20年9月1


「秋の入日と 年寄りは だんだん落ち目が早くなる」

やっとあの猛暑もゲリラ豪雨の襲来とともにどこへやら、と思えば今日から秋、九月となりました。 秋とは、誰にでももの悲しさを連想させる響きがあるものですが、年寄りにとっても、もの悲しさに浸っている訳にはいかないお話しをちょっとばかり書いてみます。

さて、九月初めの日没は六時半ごろですが、三か月もして十一月の終わりごろには五時ごろになります。このように秋の日の入りは、先へいくぼど加速がついたように早まるものですが、人も年をとると目にみえて弱っていくものではないでしょうか。

しかし、そのような常識を撥ね返すがごとく、先の 北京オリンピック第15日目に36歳の「朝原宣冶選手」ら四人が、トラック種目で日本陸上男子に歴史的なメダル獲得を果たした。 陸上競技のうち、トラック種目で短距離となれば、何歳ぐらいまでアスリートとして活躍ができるものかは、全く知りませんが、どう考えても短距離界の定年はとっくに過ぎていることと思います。

その朝原選手が出場した、男子四百メートルリレーですが、例えばどこかの小学校の運動会でも、必ずといってもよいほど、リレー競争では、バトン渡しの失敗は目にします。

その失敗が今回のオリンピックという大舞台の予選で強豪国に相次いで発生しました。だが、普通はそうなればもしかすると我々にチャンスが回ってきたと、いらぬ欲が湧いてきて、いわゆる欲ボケで、自らもまた失敗するものではないでしょうか。誰しも一つや二つはこの様な場面での苦い経験をしているのではありませんか。

聞けば今回のオリンピックで銅メダルに輝いた四人は、バトンの受け渡しも、強い他国の選手とは異なる方法で、1年前の世界陸上大阪大会の後から練習に練習を重ねてきたと聞きます。
精進を重ねて、万全の備えの中に回ってきた大チャンスであったのですが、滅多にない絶好期を、それを見事に手に入れたことこそ、今回の価値は値千金かと思います。

一般世間では、朝原選手の年齢である36歳は、まだまだ若い世代ですが、オリンピックのトラックでは年寄りのはずです。
柔道も、レスリングも、ソフトボールも、水泳も、野球以外は皆立派でした。しかし、男子陸上400メートルリレーには、自分自身が年を取っていくにも、何かの時には、立派に持てる力を発揮できるように、常に備えなければならないことを教えてもらったのです。



 第207話 かがみ男

平成20年8月15


かがみ男に反り女  ウソウソ 「かがみ女に反り男」が今回のお題です。

女はすこしかがんでうつむきかげんにしているような姿がよく、男はすこし胸を張った反りかげんの姿が男らしくてよいということです。

かがみ女は見られなくなりましたが、反り女はよくみかけるようになりました。おなじく、反り男は見られなくなりましたが、かがみ男はよくみかけるようになりました。

男と女の外観から受ける印象から、今では死語となりつつにある、゛らしさ゛を説いたものですが、おそらくこの語が誕生したころには、現在にみられるような気性までが男と女が入れ替わるなんては、思わなかったことでしょうね。

もっとも、日本人の若者達の体格そのものが時代とともに変化しています。細身の体は、肩幅は広い目であり、腰は細くて尻は小さい。そして何より細く長い足は、反り男の時分の姿とは変革しています。細い腰から上半身は、前かがみ気味であります。
当世のビジネスマンの若い世代が決まって着用している、細い印象のスーツと細長の靴が良く似合っているのです。
でありますが、その姿からはかつての強い男の印象は消えてありません。
いわゆる猪突猛進を感じさせるものがないのです。

ごくまれにはかがみ女を見かけることがあります。貴重な優しい人であろうと推測しながら、そっとエールを送ります。それにしても、反り男が、もっと巾を効かせてもらいたいと考えています。

街を行く男や、女の姿勢だけでは的確な時代の趨勢は困難であるかも知れないが、その内に秘める気性が姿勢に表れているとするのなら、最も憂いする現象なのです。



 第206話 三五の十八

平成20年8月1


こう暑い日が続きますとケアレスミスの連発ですね、まぁそれにも増してじっと頭をかかえて考えていても、いいアイディアが浮かんできません。そして考え抜いてやっと出てきたのが、とんでもない「三五の十八」であったりして、ガッカリってなことはありませんか。
私の場合は、暑さだけではなく、年のせいでもあるのですが。

さて、今回のお題は、勘定が合わなかったり、見込み違いをしたり、思い込み違いして「三五の十八やな」と照れて事を済まそうとする魂胆について少しばかり述べてみたいと思います。

まず、見込み違いをするのは、どのような時かと申しますと、案外自信のある経験に基づいた事柄で間違いを犯すことがあります。これも結局のところ不注意による、軽はずみな判断によるところの失敗かと思います。

つぎに、思い込み違いをするのは、 己が固く信じて疑わないことに、結果が違う方向へと行ってしまうことなのです。

少しピンボケかも知れませんが、つい先日の土曜日に早朝から体を動かしていましたので、シャワーを浴びて歯医者にでかけました。
丁度9時に診察券を入れて待つこと数分、看護士さんが「どうかしましたか、他の先生に診て貰いましょうか」と話しかけてきた。
ハッと気がついたのはその時。その土曜日はかかりつけの先生の都合で、休診日であったのです。なのに毎週土曜日の朝9時は治療に行くのが決まりではあるが、その前の週に、次週はお休みの旨をあんなに、先生にも看護士さんにも念を押されていたのにもかかわらず、土曜日というだけで、思い込みだけで行動をしてしまったのです。
また、来週に来ますと告げて歯医者を後にしたのですが、恥ずかしいやら、自らに情けないやらでした。


 第205話 一髪

平成20年7月15


「一髪、二化粧、三衣装」

女性の美しさを表す描写として、長い黒髪を用いるのは、古今東西変わることない世の常です。今回のお題は、ややもすると忘れられがちな女性の美のアイテムについてであります。
女性が美しく見せるのには、まず第一が髪の毛の美しさ、二番目が化粧、そして衣装は三番目であるという諺が古くからあります。

それではなぜ、長い黒髪が魅力的なのかと申しますと、それは、あまりにも手間と、時間のかかるからではないのだろかかと、考えます。 長い髪を維持するには、その手入れに費やする時間は膨大なものとなります。寝食を削って没頭せねばならないのです。それまでして、美にこだわるからこそ、自らも美しいと誇れるし、見る人々にもその努力が伝わるものなのです。

その表れとして、男性は長い髪の毛を好のみます。それは朝、起床の時間が迫っても寝床で、もうちょっともうちょっととぐずぐすと寝ているような生活では到底自らを魅力的に見せることは出来ないはずです。

ただ、昨今は黒髪の女性と出会える機会といえば、女子高校生にあって、それもたまにしかお目にかかれないのではと考えます。非常に残念な社会現象ですね。例外なく成人された女性群には短くて染め抜いた髪しかありません。その分、二化粧に逃げ込んでいるとか、三衣装に逃げ込んでおられます。世の中、金余り現象なのでしょうかね。

もっとも、家庭に入って育児を初め主婦業に精をだしているとか、出さねばならない女性には仕方のないことなのですが。それにしても、当世はすぐに専属のお相手が決まるのと、二や三、あるいは整形なんぞ、美しさの表現は金の有る無しで決まるものであって、自己努力とは違う時代なのでしょうか。

しかし、日常の社会の中にあっては、たゆまぬ努力こそ、綺麗になりたいと願う想いがこそ尊いのではあるまいか。それが乗り移るのが、髪の毛の美しさなのです。


 第204話 おめでとう ホークス

平成20年7月1


ちょうど今年のペナントレースの真半ばとなる72試合目が、日本生命パ・セ交流戦の優勝決定戦となりました。6月22日の東京ドームです。

平成17年から始まって、今年で4年目にして、我らホークスが、やっと交流戦の頂点にたちました。
過去には、交流戦に負けこんで苦しいペナントレース後半もありました。
しかし今年のホークスはちょっとちがいます、なんといっても西武に7.5ゲームも離された現状を、例え交流戦であったとしても、もうボヤボヤしてはいられなくなったのを、左三枚 杉内 和田 大隣がいち早く自覚しました。それに若鷹 中西 長谷川 辻 久米 達がつづきます。

交流戦最終 G 戦の9回表、満を持してマウンドに立つクルーンの剛速球が送りバントの構えをする山崎の顔面をめがけて一直線、顔面で受けたら命がない、そんな場面でも逃げずにカッと構えたまま、球はバットに当たってファルになった。そして4球目にバント成功させ、クルーンの一塁悪送球を誘った。
あとは皆さんご存知のとうり、その犠打が生きて本多が1点をもぎとりました。

その山崎が、9回裏の守備で2盗を指す大活躍をして、その後の優勝セレモニーで号泣した。 王 監督は、その山崎の号泣こそが、後半戦巻き返しの原動力とみている。

いまやっと城島・井口や強いときの和巳・ペトラザのいないぶんを補おうとする若鷹が羽ばたきだした。

小さくてもかまわない、交流戦優勝という勝つことの喜びを身で覚えたホークス戦士が、勇猛果敢に後半戦を戦ってくれることを願っている。


 第203話 六月無禮

平成20年6月15


暑さの厳しい夏にはちょっとぐらい服装が乱れても、うるさく言ってはいけないということです。なおここでいう六月は旧暦の六月のことで今風には七月のことです。

つい先日の五月末、職場のパソコンにメールが入りました。今年も例年にならい六月から、いわゆるクールビズの励行を促すものであった。ただし書きとして、T シャツや半ズボン、さらにはゴム草履のような風紀を遺脱したものはイケないと示されていた。おそらくその組織規模は日本一を誇り、ましてええ年をしたおっさんがほとんどである職場であるのに、ただし書きが必要なのは、なんちゅうこっちゃと腹が立つ。

クールビズなんて近頃はハイカラに言いますが、昔はクーラーとかエァコンなんて無くてそれなりに工夫のされた立派に規律正しい快適な夏向きの服装があったのです。開襟シャツといって首周りがひらかれて、第一ボタンまで襟になっています。夏には最適ですが今はあまり見かけませんね、かっちゃんは開襟シャツ愛用者でありますが、買い求めるのに品不足で難儀をします。

まあ、六月無禮のお題にちなみまして、服装の乱れについて、ちょっとばかり。
自分としても決して服装をとやかく言える優等生ではないと自覚しています。ところがやね、少なくても他のひとに不愉快な思いはさせない範疇にあることを心がけています。では何が不愉快の限界なのかと考えてみたら、着こなしとしてシャツの裾はズボンの中に入れるもであり、それが外にはみ出しておまけにその上に何かを重ね着をしている。この姿ほど醜いダラシのないものはない。
それでも例えば、半ズボンの上に半袖シャツを着て、その裾を外にだしている。同じシャツをズボンからだして着ても、その TPO からして全然異なるものなのです。

型にはまったファションに限定されるのは、個性を伸ばすのに支障があるからと、学校や社会の場に置いても制服が遠ざけられている現在にあって、「烏合の衆」と呼ばれるスポーツ観戦応援団は、皆が同じレプリカユニホームを着て何の主張も個性も無い、もんぎり集団と化しています。ええ年をしてからの烏合の衆ではなく、幼少から少なくとも人間形成に大事な中学生時代までは、制服姿で育てて、その後に個性を生かせる教育へと移行することが、最も大事な教育ではないかと言いたい。

六月無禮、暑いこれからの夏を快適に過ごす工夫の中にも、どうか先ず規律のある服装こそ、これからのよき日本を築く出発点として各人が肝に銘じてもらいたい。


 第202話 五風十雨

平成20年6月1


六月になりました。六月と云えばやはり連想するのは「梅雨」ですね。自然とはいろいろな分野において、そのなすところに現在の先進科学をしても解明することの出来ない事象が多くあります。

異常気象と呼ばれる現象もその一つですね、異常気象とは高温、大雨、日照不足や冷夏等の通常とは異なる気象のありさまを、過去30年の気候に対して著しい偏りを示した天候と定義されているそうです。ちなみに 世界では25年とされています。

さて、農耕民族として発展してきましたわが国、日本にありましては、その発展で梅雨と稲作は最も重要な必要条件であったことは云うまでもありません。夏の強い日照りと乾燥した爽やかな穫り入れの秋と云う具合に自然と共に生きてきたのです。

今回のこの語は、後漢の頃に記された当時のあらゆる習俗から出たものであって、大陸気候に基づいていて、必ずしも日本の気候に合致するものではないものと思います。それは風に関して例えば、西風とか、北風のように風の吹く方向を示した使い方はよく見かけますが、何日に一度と云う具合にその期間を引用している語とは出会うことは、稀なのではないだろうかと思います。
それにしても、 農作物や草木に具合のいいように、五日に一度風が吹き、また十日に一度雨が降るという気候が順調で理想的なこととされていたのですね。それゆえにもう一つの意味合いとして、世の中が穏やかによく治まっていることの例えともされていました。

ミャンマーのサイクロン、そして中国四川省の大地震と大きな災害が続いています。どうか六月には「梅雨」というように、毎年繰り返される万民にとっての「五風十雨」のごとく自然と融合した日々を過ごせるように願いたいものです。


 第201話 一病息災

平成20年5月15


一年中でも、最も過ごしやすく気分が上々の季節と相成りました。そのような絶好の時期にあってこそ、今一度健康について少し考えてみたいと思います。

社交的な言葉として「どうぞ体に気をつけてください」とよく言います。それは普段から誰でも自分の体にはあまり気をつけていないということではないでしょうか。若いはつらつとした肉体の持ち主には体に気を付けることなぞは無縁の事のようにも思えるし、またそれが若さというものではないかとも思います。

しかし病気と怪我は別のものでありますが、例えば手の指が一本、それもほんの少しだけ怪我で傷を負っても、朝の歯磨きから始まって一日暮らすにはずいぶんと不便なものです、よってその時には改めて指の一本一本に感謝をせずにはおられません。このように些細な体の出来事でもあれば、それは一つの自身への警鐘として受け入れますが、これまた喉元が過ぎれば健康体への感謝はどこへやらとなります。

そこで肉体的には当然ながら万全の健康体の方がよいのは当たり前のことですが、 何か一つぐらい病気のある人のほうが、常時忘れることなく体を厭い気をつけるので、元気過ぎて健康に留意しない人よりもかえって息災であるということであります。

さらに 精神的な強さというものは、ただ強いだけでは万全とはいえず、優しさとか、他に対する思いやりの心が宿っていなければなりません。それがゆえに人しれず苦労を重ねてきた者ほど優しく、人間としても立派なのです。

たまに旧知が集いますと、メインとなる話題は体のどこが悪いとか、どんな病院・医師にかかっているかの会話が続きます。最後には、もう少し若い頃から気を付けんとあかなんだんやな、が話しの落ちどころ。これからの日々は「一病息災」を旨に達者で何より人生を送りたいものです。


 第200話 200

平成20年5月1


我が人生も、いよいよ水平飛行から高度を徐々に下げて着陸態勢に入ろうとしています。
そのような今、生きてきた年月で200という数字に何か印象に残るものはと言えば唯一つ。それは昭和30年、11歳の夏8月の出来事であります。

毎日新聞社主催か、後援か定かではありませんが「浜寺水練学校」での200メートル平泳ぎ試験に挑戦した思い出です。
翌年には10キロの遠泳と1500メートルのタイムトライアルもクリアしましたが、今も忘れずに心に残るのが200メートル平泳ぎ試験に合格したことです。

当時の様子を申しますと、南海本線「浜寺公園」駅を下車、西に100メートルかもう少しで国道26号線に出ます。それを超えると左右の巾が約10メートルの歩道が金網で仕切られ、夏の間のみ海水浴場用通路として設置されます。それを西に300メートル程歩きますと、青い海と白い砂浜が展開されます、そこが浜寺海水浴場です。

さて、この金網の外は広大な土地で青々とした芝生に白い家が点在するアメリカ駐留軍の、多分偉い軍人の高級住宅地となっていました。

浜寺水練学校を通称で「浜水」といいます。よく知りませんが当時としても、かなりの歴史のある学校でした。小学校や中学校が夏休みに入ると「浜水」は開校です、それは大勢の生徒が集まります。千人は優に越していたと思います。

すでにいくらか泳げる者もカナヅチも初めて入学する者は最初は皆が赤帽を被ります。ただし前年に「浜水」の学歴があれば階級によって白帽なり黒帽を被ることができます。つまり帽子の色で階級分けをされていました。また帽子の色に加えて、帽子に巻いた帯状の線の色でも更に細かく分かれていました。

いわゆる通常の学校のようにクラスはなく、日々帽子によって階級分けされた生徒達が先生を囲むように並んで、同じ階級の生徒数に凸凹が生じないように先生が人数を調整します。

さて、振鈴で授業が始まり、まず全体で入念に準備体操を行います。授業の内容はと申しますと、だいたいは 入学した時は赤帽です。最初の進級試験は砂浜に砂を盛り上げて腹這いになり、平泳ぎの型をするのです。徹底的に基礎をたたきこまれて、まあこれだけでも約10日は習います。海に来ているのに、陸で汗を噴出しながら、毎日毎日泳ぐ型の会得に励むのです。「先生、海に入れてください」と口々に懇願したものです。これが上級者になれば、投水台といって沖約70か100メートルに巾50メートルと100メートルの間隔で駅のプラットホームのような飛び込み台が設置されて、そこはそこで毎日泳ぎ続けるのです、生徒は丘にあげて休憩させてくれと悲鳴をあげながら泳ぎ続けるのです。

さて、砂浜での型をパスしたら赤帽に、5X20ミリほどの白いリボンを縫い付けることが許されます。次は水に入って、また平泳ぎの型を習います。そして白いリボンが2本になれば、いよいよ200メートル平泳ぎに挑戦すべく練習に励むのです。こうなれば毎日が楽しくてなりません。

試験コースは先生達が自分の背が立つぐらいの深さで、直線200メートルに10メートル間隔ぐらいで並び、その目前を泳ぐのであります。
海のことでして突然波を被り思わず足を着くこともあります、底に足を着けば即に腕を捕まれて引き上げられ不合格。疲れてきて型が崩れたら不合格。スピードに乗れずアップアップしていたら不合格。子供心に十分なプレッシャーがかかるのです。

めでたく、200メートルを突破すれば、赤帽から白帽へと進級するのです、それは格好がええのであります。 まあ、小学校卒業といったところでしょうか。

人間万事について最初の関門が大事であり、後にも思い出深いものとして記憶に残るものではないでしょうか。


 第199話 右は京道

平成20年4月15


右は京道左は伊勢道

この語から連想するのは、のどかな弥次喜多珍道中の場面ではないでしょうか。喧しく賑やかに旅をする道すがら、必ず出くわすのが追分であります。追分とは今風に言えば分岐点であり道が左右に分かれる所です。

東海道と参宮道とは関の追分で右と左に分かれますが行き着く先は遠く離れて京都か伊勢となってしまいます。

しかし、この話しは笑い話ではなく教訓を含んだ厳しい戒めで、ちょっとした違いがあとでは大きなちがいとなってしまうことの例えです。まあ、人生大きな岐路もあれば、日々小さな分岐点もあります。何回かはこの小話コーナーでも書きましたが、大切なのは己の人生において岐路に立ったなら、人に意見を求めて、時には十分に時間をかけて悩み貫いても最後は自分自身にウソをつくことなく自分の信じる方向へと舵を取ることです。なぜならばその道が間違いである悟った時に、引き返すも、または間違いでないための軌道修正にかけるエネルギーを惜しまないことと思うからです。
ここで一番いけないのは、自身に間違いの責任を要求して、自暴自棄になることと思います。

「選んだ道が間違いであっても、自分が選んだ道やから」と自己制御が出来ることが大切な生き方ですね。

カラッとした関連話しで、左右に分かれる分岐点で困るのは知らぬ地での自動車専用道路です。大きな立派な案内表示がされてはいるのですが、書かれている地名を読んでも目的とする地はどちらなのか全く見当がつかない場合です。大きな高速道路では、このような事は滅多にありませんが、馴染みの少ない地に出て行った際に近頃よくある新設されたバイパス道路で出くわす事がよくあります。今はカーナビゲーションという心強い味方を帯同していますので、かかる心配も少ないかもしれません。
しかし、予め地図をしらべて後は自分の六感を駆使して、行く先々で道を尋ねたナビのない時代の旅が地元との人達とも出会えて良かったと、ふと思い出す今日この頃です。


 第198話 乞食の朝謡

平成20年4月1


「こじきのあさうた」という言葉があります。自分にとっては若い頃から憧れにも似た生き方でありますが、一方これは大変な強い精神力がなければやり通せない誉のある人生かもしれません。

この語からして昔から、乞食は呑気だという見方をされてきました。それは朝からでも歌を歌い気が楽であるからで、雨が降ろうが世間の変動には我関せずで、己の世界の中で自由に生きているがごとく思われてきたのである。

また小話しとして、火事だといって右往左往する人を見て、橋の下で寝ていた乞食がその子に「こうして安心しておられるのもみんな親のおかげだぞ」と、恩に着せたというのが残っている。

しかし、考えてみれば、乞食として生きていくには世間を見ずしては成り立ちません、やはり今時風に言えば食い物や外敵に備えて情報を的確に捉えていなければなりません。

乞食とは、野盗、盗賊のように群れをなすことなく、多くは単身かせいぜい夫婦とその子でなす家族形態で生きているところに共感を覚えます。

現在のいわゆる青テントは集団生活です。これはプロ野球の観戦にしてみても昔は個人が選手・チームを野次り、そのプレーに一気一憂したものです。それが現在ではスタンド全体で群集をなしています。かように考えれば昔のプロ乞食は、赫々たる生き様を会得していたのですね。

約1年弱の間、乞食の朝謡まがいの生活をしたけれど憧れを成就することなく、また縁があって本日から朝の通勤電車に揺られることになりました。


 第197話 一人娘

平成20年3月15


「一人娘と春の日はくれそうでくれぬ」
いつになく厳しい寒さもやっと春が見えてきました。あと数日で「春の彼岸」ですが、暑さ寒さも彼岸までとは、良く言ったものです。

さて、冬至での日の暮れ、つまり日の入りは一年中でも最も早く、一方夏至での日の入りは最も遅くて、その差は約3時間、分で表しますと180分であります。夏至が過ぎれば1日1分の割で日が早く沈むようになって180日で冬至がきます。
その各々の中間に春と秋の彼岸の中日があり、彼岸には昼夜の長さがほぼ等しくまるのです。
でありますが、これは極めて雑駁な概念でありまして、実際には 日本での日の入りの時刻が最も早い日は、冬至の半月前頃であり、 日の入りの時刻が最も遅い日は、 夏至の1週間後頃になります。

しかし、春の彼岸時分になると身に沁みた冬の寒さと日暮れの早かった時期から徐々に脱却したことを知り、多くの人々が暖かさとなかなか暮れぬ日に楽しさを感じるのであります。

一方一人娘はと申しますと、親御さんの立場としてはこれはもうどうにもならない程に可愛いものでして、縁談があっても待ってましたと話しに乗るような気分にはなれません。されど折角の話、どうしたものかと思案に思案を重ねるだけで、 なかなか嫁にやる決心ができないものです。

何か間延びを感じながら、けだるさの中にも歓びを含んだ二つの「暮れぬ」と「呉れぬ」を掛け合わした語として使われてきたのであります。


 第196話 春季キャンプ

平成20年3月1


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2月15・16・17日に今年も宮崎春季キャンプをのぞきに行ってきました。
キャンプを見学するのは公式戦を観戦するのと、またちょっとちがう味のするものであります。 まず超一流選手を間近に見たり運が良ければ話かけたり、サインをもらったりできます。
写真のとおり王監督と短いけれど、かっちゃんは会話をすることができました。ホークスファン一筋50年ですと言えば監督は、今年はホークス誕生70周年、九州移転20周年の節目です、今年は是非とも闘魂こめて進みます記念行事も含めてお楽しみに、ということでした。

さて、キャンプの見所はレギュラー所の選手の仕上がり具合を見ます。例えば今年の松中選手はバットスイングはこの時期としては例年並みかなと思いましたが、今年はよく走っています。他の選手の打撃練習中にそのスイングに合わせるように、一塁ベースから二塁に向かっての走塁練習を繰り返していました。極端に例えば昨年なら本塁打を打てば走る必要がないやろてな感じでブンブンとバットを振っていたが今年は走っていました。

何と言っても今年は松田の体が大きく思いました、守備練習にしっかりと取り組んでいました。シート・ノックでは森脇コーチのバットは松田に対しては、それはそれは厳しい攻めで打たれていました。打順3番、サード松田の雄姿を早く見たいものです。

昨年のドラフトで王監督が引き当てた時の大場投手の印象が今回のキャンプで目の当たりにして変わりました。少年ファンに囲まれて満面笑顔で返答している姿は、どんな若者にも負けない優しさを備えている人だと感じました。今後の活躍を祈らずにいられない好印象を得ました。

ピッチャーのブルペンは素人には調子を伺えられる環境にはありません。ただし16日の午前中の守備練習にはレギュラー所の内野手とバンド処理のフォーメーション練習があって、新人の大場や久米も元気に声を出していました。

一説では、王監督の最終年ともささやかれています。監督自身も4年分の悔しい思いを晴らす年とも言っています。 昨年の今頃にはホークスが100勝ラインを軽々と突破して、パ・日本一・アジア一と何の憂えもなく栄光を手にするものと信じていた。おそらく今年のホークスにはそのような奢った気運は、選手にもファンにも無いと信じています。

午後4時半ごろ選手もキャンプ見学ファンもそろそろ帰り始めるころ、松中と川崎が特打ちを始めました。一振り一振りを確かめるように黙々とやっています、きっと打球の先は3月20日ただ一点を目標に己に戦いを挑んでいるのでしょう。


 第195話 お粥先から

平成20年2月15


「お粥先から 善哉後から」
寒い季節の善哉は美味しいですね。善哉とは主に大阪を中心とした関西でのたべもので全国的には、汁粉と言うのでしょうか。 搗き立ての餅を善哉に入れて食べるのは、特別に美味しいものです。
して、善哉は炊きたてのものよりも、釜に残り煮得詰まったような方が美味しくいただけるというものです。

そしてお粥とは、「河内の茶粥」で知られた日本古来の主食メニューであります。 今ではお粥は体調を壊したり、老人の食べ物の様に思われていますが、決してそれだけではありません。

私なんぞは生まれて以来60数年間朝食は必ずお粥であります。
最近の国内ホテルでは朝食メニューにお粥を用意されている事が多いですが、外国に出かけた折なんかは、帰宅してからのお粥は特別に美味く思うものです。

このお粥は、善哉とは反して炊き立ての新が美味しいということです。

まぁ中には温めお粥ほど美味いという人もいますが、一般的には新です。 もっとも、夏には朝の残り粥を井戸に吊るしておいて、昼に冷お粥を食べるのも最高のメニューです。

この語は河内地方で古くから使われている食文化の言い伝えと思われます。


 第194話 大きな耳

平成20年2月1


「大きな耳 小さい口 優しい目」
NHKのテレビ番組で、 土曜の夜午後9時に1月19日から6回連続で放映されている物語、「フルスイング」に出てくる格言で、これは実話を題材にした書「甲子園への遺言」(門田隆将著)をドラマにしたものであります。

して、この人物とは昭和19年に岡山で生まれた「高畠導宏」で昭和42年のドラフトで5位指名を受けて南海ホークスの一員となりました。
高畠は高校卒の後、社会人野球を1年して大学に入り、再び社会人野球から先述のドラフトでプロ野球の選手となったのです。
ホークスでは新人からホームランバッターとして絶大な期待を寄せられながら、シーズンを前にしての練習でケガに遭い、外野手ではありますが満足に球を投げられない状態となりました。

当時のプロ野球選手をとりまく環境は現在とは話しにならないくらい厳しいもので、ケガ即クビみたいなもので、また相当期待をされての入団と、人一倍負けん気もあり、ケガをひた隠して無理して頑張ったものの、それが原因でたった4年という短命な選手生活を余儀なくされたのです。同じホークスの選手で昨年の今頃に寮で転んで、大事にされながらケガの治療に専念して、たった2勝しかできなかった投手とは、いかにその環境に差があるかお分かりいただけることと思います。

守れない高畠は、野村青年監督のもとでいわゆる一振り人生「代打要員」として昭和43年から昭和47年の間ホークスの選手として活躍しました。 当時、大阪球場では、ここ一番のチャンスには「代打 高畠」が告げられ集まった南海ファンは勝負強い高畠に期待をかけたものでした。 ケガの後遺症が段々と悪化の一途にあった為にレギュラー選手どころが一振り人生もままならず、昭和47年に28歳という若さで打撃コーチになったのです。

しかし、その苦しい選手時代とひと一倍野球好き、負けん気気質がその後に、打撃コーチとして花を咲かすのです。
高畠も最初から上手くコーチができた訳でもないと思います。高畠は選手には押し付け指導をすることなく、選手が聞いてきたら、つまり救いを求めている選手を耳で把握して、口では控え目に、そしでじっくり見守ってやる指導方法を取ったという。 たぶん最初の門下生は、柏原であったのではないかと思います。

その後昭和52年に野村・江夏・柏原とともに南海ホークスと決別するのであるが、この件は杉浦ファンの私には残念なホークスの一ページとして、ここでは触れないことにする。

高畠は小久保を始め日本人大リーガーも含めて数々の大選手を育て、58歳という年齢をして、高校生に夢をもらい、また夢を託すべく教師となりましたが、志半ばで60歳という若さで病魔に侵されて他界しました。

この高畠の用いた「 大きな耳 小さい口 優しい目」こそ、指導者としては言うまでもありませんが、人の生きる道において大いに活用したい語であると確信するものであります。


 第193話 転がる石

平成20年1月15


「転がる石には苔が生えぬ」
ことわざには、ちがった二つの意味があるものもいくつかが存在します。時代とともに捉われかたの変わるものや、使われる状況によって変わるものもあります。
今回のお題としましたことわざは、どうも初めから二面を持っていた様です。どちらの方が 本家本元なのかを調べてはみましたがよく分かりませんでした。

その一は、よく働く人がいつも生き生きとしていることの例えで、勤勉な人を褒めるときに使い、よい方に使われます。
また、その二として、いつも仕事を転々と替えている人が、経験をつむことができなくて手に職を持てずにダメになることの例に使われる場合です。

私の使いかたとしては、その一派でありまして「使う鍬には、錆がつかず」というのと同じ、まめに働く人への褒め言葉として考えています。また類似することわざとして「流れる水は腐らず」もあります。

サラリーマン社会にあっても、自らが目ざとく転がって業績を上げる人と、周りに押し流されて転がる人があります。同じしんどい思いをするならば、自らが転がる方が気分もよく、いい結果に繋がることは言うまでもありません。いわゆる仕事に対する積極性を評価したことわざですね。

日常生活にありましても、この寒い季節どうしても積極的に体を動かすことなく、炬燵やテレビの番人と化する時間が多くなります。心して「転がる石」になりたいものです。


 第192話 十遍

平成20年1月1


--------------    謹   賀   新   年    --------------
---------------本年も 「小話」コ−ナ−をよろしく お願いいたします---------------

「十遍読むより、一遍写せ」・・・10回読むよりも、1回書き写せということ。

年の初めにあたりまして大そうな事ではありませんが、今年はこれを
実行しようと思います。

近頃はこの「一遍」、いっぺんと言う言葉をあまり使わなくなった様に思いますが、「久しぶりでんな、いっぺん呑みにいきまひょか」とか、あるいは即答が出来ないような申し出でに「いっぺん よく考えておきまっさ」とか言う具合によく使った言葉です。

さて年齢も60歳を過ぎますと覚えるというか記憶力が凄くにぶります。
皆さんもこんな事ありませんか、例えばルスの息子に電話があった時に相手さんが「和田です、電話があったことを伝えてください」と言われました。ああ、親戚の和田さんと同じ苗字の人だという風に頭のなかで置き換えて、和田・和田、と2〜3回唱えて記憶します。キーは親戚の和田さんです。ところが「貫地谷です、電話が あったことを伝えてください」 と言われると、かんじやさんでは、当てはまる人がありません。頭の中で記憶をさせるきっかけが出来ないまま時間が経過し、すっかり忘れ去ってしまいます。さあ困りました、挙句の果て帰った息子に電話あったでぇ、誰からあったか忘れたというのが精一杯。 ・・・NHKの 朝ドラ ちりとてちんのヒロインの名をお借りしました。

兎も角、覚えが悪く、忘れるのは速いのです。 そこで今年はこのことわざを守り、覚えなければならない事は直ぐに字にすことを実行します。

お題の十遍読むよりとは、10回口で唱えるのと同様の意味で、つまり読んだり唱えることよりも、書くことは有益であるとの教えです。筋肉の作業にうったえると、空んじたのとは比較にならぬほどよく覚えられると一般には言われていて、これは記憶術の秘訣ででもあるのです。そして保存することによっては記録となって残ります。

今年からは出来る限り、紙に字を書いて脳の劣化を少しでも食い止め、ささやかな老化への抵抗をしてみたいと思います。


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