ちょっと小話コーナーShort Story保存九号館
ご意見などは、掲示板で待っています。

第216話

丑と牛 第217話 思い立ったが吉日 第218話 駆け引き
第219話 屋根屋 第220話 一度始めたら 第221話 三寸の舌に
第222話 知らぬが仏 第223話 うだつが 第224話 目白押し
第225話 お猿の電車 第226話 うなぎのぼり 第227話 しらみつぶし
第228話 雀の涙 第229話 猫のひたい 第230話 猫舌の長風呂
第231話 寝ていて 第232話 奇想天外 第233話 亀の甲より(1)
第234話 亀の甲より(2) 第235話 一もた、10分 第236話 236

第237話

火の車 第238話 娘を見る 第239話 10周年記念
小話保存壱号館へ 小話保存弐号館へ 小話保存参号館へ
  小話保存四号館へ   小話保存五号館へ   小話保存六号館へ
小話保存七号館へ 小話保存八号館へ 小話保存拾号館へ
  小話保存拾壱号館へ   小話保存拾弐号館へ   小話保存拾参号館へ
  小話保存拾四号館へ   小話保存拾五号館へ   小話保存拾六号館へ
      小話 TOP へ

 第239話  10周年記念

平成21年12月13


平成11年12月13日に、当サイトであります「JR3WAS'Hp」 を開設しまして、丁度10年となりました。これを機にサイトの10年を随想いたしてみたいと思います。

その頃はと申しますと。2000年問題が全世界で大きく取り沙汰されていた時でありました。パーソナルコンピューターはあまり気にはしていませんでしたが、仕事上のコンピューターは、あれこれと対策をしたものでした。
もう一つ、世には、セクシャルハラスメントという元来の日本文化に馴染まないフレーズが、どんどんと巾をきかせて浸透し続けた時期でもありました。「戦後強くなったのは、女と靴下」と、昭和30年代にささやかれたが、それ以来の大きな変革として、男女雇用均等と共に、セクシャルハラスメントは男達を骨抜きにし震撼させる土壌育成をなした時期でもあったと考えています。

さて、パーソナルコンピューター(以下 PC)の世界についてみれば、一般にはOS がベーシックの時代と、引き続きのDOS の時代。しかし今にして思えば何も出来ない、せいぜい住所録管理か、小遣帳程度で、一部のハイアマチュア以外には、PCの勉強するだけの域を出ずに、利用することとはほど遠いものであったのではないでしょうか。

それが、Windows の出現でインターネットが誰でも使える身近なものとなり、個人の志向として趣味の世界に情報網を構築するとともに輪を広げることを目的に HP を開設する人々が、鰻のぼりに増えて行ったのです。当の私といたしましても、 HP を開設するにあたって、趣味の羅列で何とかなると目論んではいましたが、記事内容の更新ができるだろうかと不安に思いつつも、とにかく船出と始めた思い出があります。

10年前には、ローカル、つまりHP を作るには先ず自分のPC の中に、一通りの用件を備えたHP を作ります。それをWeb にアップするには、FTP なるものの道具のお世話になる訳でありますが、これがまた難問でありまして、書き物を読んでも、先達に教えを乞うても、簡単に理解ができないものでありました。3回目のFTP ソフトで、やっと Web にアップ成功したことを覚えています。当時には自分のPC の中には、一応の HP は出来上がっているのに、どうしてもアップが出来ずにHP 作りを断念したという話はよくありました。
また、自分の URL にCOM を取得するには、当時は国内では個人の懐から出せる金高ではありませんでした。プロパイダーの10メガほどの一室を借りて、HP を開設するのが10年前の実情でした。
その後、1か2年で、ドメインに COM 使用が出来て、しかも100メガまでを、月15ドルでOK との情報を得て、早速 COM を取得。今では、それがどうしたというような話ではありますが、自分のアマチュア無線のコールサインにCOM を付けたURL は非常に嬉しかったのです。昨今は、手軽に情報提供のできる「ブログ」なるものが多く利用されていますが、10年前には無くて、HP 開設には難儀をしたものでした。

開設主体が個人であり、しかも直接に金銭的な利益や、非営利として運営するHP を魅力のあるものにするには、偏に管理者の知恵と熱意が必要とされます。例えば、私の師匠のように、同時期にHP を開設しましたが、師匠は卓越した知恵と努力で、Flash のバイブルである ActionScript を執筆して、世の書店の本棚に並びました。到底真似のできる技ではないことは言うまでもありませんが、とにもかくにも何とか、HP を永く維持管理していたいとう想いだけを頼りに10年過ぎたと思っています。


当時は、模型ヘリコプターに熱中しておりまして、「ラジコンヘリ」のサイト」も設けていましたが、ラジコンヘリコプターの機械的な調整と、プロポを操る指先のテクニックは、なかなか表現が難しく、人様に見ていただけるような内容のサイトを書くことが出来ませんでした。もちろん文書表現もさることながら、自身の理論と、技術がレベルニ達していなかったことは言うまでもありませんでした。

そして、ラジコンから農業発動機のレストアへと、つぎ込む時間の比重が移行してまいりました。こちらは HP では扱い難い内容と思っていましたが、いざ「石油発動機」のサイトを始めてみれば、日本全国に同志の方がおられて、HP を通じてレストアについての情報交換や、運転会の開催情報が沢山交換されることになり、その御陰でいまでは、ネットの情報なしでは、石油発動機の趣味も成り立たないのではないだろうかと考える次第です。
今では、レストアだけではなく、当時のレプリカを製作されている事業主の方もおられて、最近の運転会では、中年から初老の男性に混じって、青年のコレクターの姿も見られるのですが、やはり、ネットの力によるものが大きいのではと思う次第です。

当「ちょっと小話コーナー」は、当初は大阪・南河内に伝わる、ことわざを中心に地方に残るお話をと考えて船出をしたのではありますが、すぐに題材の品切れとなりまして、多方面からお題を頂戴しながら、駄作の積み重ねであります。ときどき頂くメールにての叱咤激励は、ああ見て頂いているんだとの喜びと有り難く思う次第であります。 最近は内容を吟味せずに、ただ想いのままに書くだけという格好が多いのは大いに反省しているところです。

今後といたしましては、大好きな「カメラ」コーナーに、写真作品を充実させながら、愛好家の皆さんに教えを乞いながら輪を広げられたらいいなと思っています。


 第238話  娘を見る

平成21年12月1


「娘を見る目は 糸より細く 嫁を見る目は どんぐり目」

我が娘には、なにもかも許して、全て良しと、ただただ目を細めて姿を見ているだけでも満足の母が、一方嫁を見る目には、その仕種を始め、なすこと全てを、目を丸くして点検する様をいう。

父親は娘を可愛がり、嫁にやりたくなく、いよいよ嫁がす日には涙します。がぁしかし、その後は何故か、父と娘の間柄についての語り草となるようなことはあまりありません。それとは逆に母親は息子を可愛がり、息子の結婚の後にもいろいろと家庭不和の種をつくります。マザコン、これは息子が結婚しなくても起こり得る現象でもありますが、結婚してからも、嫁に息子を取られたくないがゆえに、かのようなことになるのです。嫁いびりとは、大事な息子を取られた嫉妬であると言えます。あと一つは、自分が姑のいびりにに耐えてきたものを、順に嫁に家風の引継ぎの名のもとに繰り返す場合もあります。

このように男と女の差が、功罪として古くは嫁と一緒に暮らす家族の中に、「辛抱」又は「忍耐」という、日本の良き文化が育まれてきたのです。

さて今の世の中、新婚と同時に親と同居という例は、まず見当たりません。しかし、別居していても嫁いびりはあるように聞きますが、当世嫁も素直に姑に負けているわけではありません。
おそらく、かえって嫁の方が強気と言わなければならないようです。

明治の後期から大正生まれ、せいぜい昭和初期の女性が、嫁になった頃には、姑にいびられて、それでも、その姑や舅を家庭介護の挙句に見送ったものでしたが、やがて自分が姑となって嫁を迎えたものの、時代が変わり、腫れ物に触れるがごとくに嫁を大事にしなければならない風潮と変わり、いつの間にか年を重ねて身が不自由になった途端に嫁によって老人病院へと押し込まれて、寂しく臨終を迎えたという、大変気の毒な人生を歩まれた方も少なくないと思います。

ある、年配者が多く集まる会合で講師から、今回のお題とした語を聞きました。ドッと場は沸きましたが、おそらく聞いた人々の頭の中では、10人10色の思いで、沸いたものではないだろうかと思います。

いずれにしても、家族、家庭という中で形成されてきた日本文化は、父親は多くを語らず、母親の影響を強く受けて子供は育てられてきました。父親は強いものであり、子供には背中を見せるだけで、母親はその父親を尊敬して子育ての糧としていましたが、今や父親の存在は、母親によって無能化されている現状では、健全な子育てができるはずがありません。

いつの時代にも、嫁、母、姑、と女性の生きる立場の難しさと、その大事さが求められているのは、今更言うに及ばないことなのですが。


 第237話  火の車

平成21年11月15


「火の車 作る大工はないけれど 自分で作って 自分で乗る」

火の車に陥るのは、必ず己の意向で進んだ末に迎える結末である。他から、どのような作用が働いたとしても、それが己の欲望や、あらぬ邪念から生じるものであり、火の車に乗った己の責を他に求めてはならないのである。火の車に落ち込むのは、他でもない 自業自得、自らつくった悪業の報いを自分自身で受けることなのです。

ここで言うところの火の車は、 一般的に生計が極めて苦しいことを指す言葉のほかに、悪業の果てに首が回らなくなっている、追い詰められた状況にある場合も含んでのことであります。
火の車の本来の意味は、地獄にあるらしく、火で燃えさかっていて、その車は罪深き亡者を地獄に送る役を担っているとのことである。

さて、火の車と陥るには、人それぞれに理由と、時間を経てなるものと考えられますが、一旦その方向に向かって発車をすれば、もうどうにも修正が効かない状態にあるらしい。
例えば、極短時間の出来事としてみれば、 誰でも一度や、二度の経験があると思いますが、自転車に乗っていて、ぬかるんで轍のできた泥道に出くわし、まるで夢の中にいてる様な気分となり、ハンドルを必至に切ろうと頭は考えているのであるが、手足、体が全く何も出来ずにただただ、事の成り行きに任すほか、何の手立ても出来ずに、転倒してしまったことがあるのではないでしょうか。

おそらく、人生窮地に追い込まれる折には、その多くは窮地に向かって敷かれた窮地行きのレールを進み行くことになるのです。その時点では、立ち止まることも、なおさら逆戻りすることも許されない状況となっていて、いわゆる終着駅に行き尽きるところまで行くほかには、なすべく手立てが全くなくて、どうにもならないのである。 組織的に悪の道を走る場合でも、一人の人間が何かの動機で人の道を踏み外すのも同じであると考えられます。

義理が絡んで窮地行きのレールに乗ることも、あるいは、お人好しが高じてレールに乗ることもあるであろう。しかし、火の車 作る大工はないけれど 自分で作って 自分で乗る である。


 第236話  236

平成21年11月1


随想 「236」

時は37年前の5月であります。お遊び道具で欲しいものがありました。先達に教えを乞うたり、雑誌で調べたりしながら研究を重ねて、ついに手にいたしました。

何々ごっこ、という風にお遊びの道具でありまして、そのお遊びは人畜無害ではありますが、ほんの少し法律に抵触するところでありました。が、そう大したこともなく、例えば、時速50キロの道を60キロくらいで走るようなものです。しかも、賭け事でも、色事でもありませんでした。

さて、この遊びには、コードネームが必要となりまして、私に割り当てられたそのコードネームが、「236」 であったのです。以来、236 という数字の並びがお気に入りとなって現在でも、任意の数字が必要な時には、よくこの数字を用います。

当時は、仕事が終了すれば、一直線に家に帰り夜な夜な友を誘っては遊びに興じたものでした。

何日も何日も夜更かしを続けて、自分でも体調を崩していることが分かっているので、今日こそは早く寝るぞと思いつつも、ちょっとだけ、今日はほんのちょっとだけと、スイッチオンにする。気がついたら、もう日付も変わってからでも何時間も経っている。おそらく麻薬とは無縁の自分ではあるが、麻薬を繰り返す者はこの様な事なんだろうなと、当時も思いました。

このお遊びが、私のその後の人生において、会話あるいは、多人数を前にしての説明会を行う時の話法には大いに役立ったと思っています。次々と止まることのない口調で話を進めるには、頭の中では、ちょっと先のストーリーを創りあげながら、それを口に出して喋る術が必要となるからです。今から10年程前に、パソコンを使ったチャットという遊びが大変流行りました。チャットも、頭で考えていることを、他の者に理解してもらう為には、気転の利く表現力が大事なのですね。チャットが出始めたころにはインターネットも接続中は、今とちがって使った時間によって接続料が課金されていたために、チャットに嵌ると大変高額になったものでした。

お遊びが、ほんの少しだけど雄弁になることに繋がったと、今になって考えることができるのなら、有り難いことです。

たわいもない小話ですが、今回で236回目。更にたわいもなく、また内容もない、第236話に一人で悦に入っている秋の夜更け。


 第235話  一もた、10分

平成21年10月15


用意が出来て、「ほな、出まひょか」、標準語で表せば「それでは、出発しましょうか」と、事務所から外に出ようと相棒に声を掛けてカバンを提げた途端に、「ちょっと待って」と便所に駆け込む相棒。
せかせかと地下鉄乗り場に行けば、目の前で電車の扉が閉まって、乗り遅れ。それが響いて次の乗り替えの私鉄駅では、目的の電車は出発した直後のガランとしたプラットホーム。

まぁ、サラリーマン社会でも、どのような社会にあっても、この様な身近な出来事は常について回ってくるものですね。

一もた、つまり一つもたつくと、10分は費やすというか、損をするとの事で、先述の例では、一寸した出遅れが実質20分以上の時間ロスに繋がりかねないという今回のお話しです。

しかし、これにも人間それぞれの性格というものでありまして、用意万端、念には念を押して出発に備える者も居れば、出掛ける場面にならなければ、何もできない、予め気になることを済ませておくと言う様な気転は回らない、気楽とんぼのいい性格をしている者も中には居ます。

もたもたするのは、能力な部分と性格からの場合がありますが、もたもたする当の本人には自覚がありません。例えば団体のバス旅行をした場合には、各ポイントでの集合時間に遅れて来る者は、大体決まっています。
中には、集合に遅れるのが気になって、バスから降りることも出来ない、もたつき者の正反対の人も、見かけることもあります。

これからは、我が人生も高齢の域にと突入して参ります。当然「もたもた」することは必至と今から考えていますが、自分のもたつきが、周囲のひんしゅくをかうことのないように、心がけたいと考えているところです。


 第234話  亀の甲より(2) 

平成21年10月1


亀の甲より年の劫

正確な調査をすればわかりますが、私の記憶では昭和35年と言えば、その頃によく一緒に遊んだクラスメイトが、丸ハンドルのダイハツミゼットに乗って、我が家にやってきたのです。
そして私は町内一週の運転をさせてもらうことになり、何度目かの丸ハンドル車に乗ったのです。そして当時はまだありませんでしたが、現在の「亀の甲」交差点附近を北の方向を向いて少々登り気味の砂利道をミゼットを快調に走らせていたのですが、突然くぼみと轍に出くわして、助手席を下にして、横転してしまいました。二人には何の怪我もありませんでしたが、ミゼットは左後輪が歪んで、どうにか走行はできるものの酷いダメージを蒙ることになったのです。その折には友人は、自分が転倒したと親に告げて処理してくれました。
この苦い経験は、それ以来自分が責任を果たせない他人の車のハンドルハは握らないとしてきました。この己に課した掟も、2年前に破り、知人のフェラリーの新車を運転したのです。

さて、ミゼット事件の翌年と思う時に買った、ホンダスポーツカブに乗る写真が存在します。
同じこの HP の、オートバイ履歴書のサイトに写真が出ています。これは「亀の甲」交差点の南1キロメートルあたりで撮ったものと記憶しているのですが、すでにサントゥ線は、コンクリート舗装がされています。
当時スポーツカブは、最高時速は90キロまででましたが、今のように豊富な改造パーツがまだ無い時代でして、友人とオートバイ雑誌等で研究を重ねて、また、オートバイ屋の店主に教えを乞いながら、改造を重ねて、ついに時速100キロ超えを果たしたものでした。その頃には関東では、すでに浅間山で火山灰レースが開催されていたのです。
その前段として関東では、米軍基地などで草レースも盛んに行われていたようです。
しかし、関西では、大阪と奈良を結ぶ阪奈道路でのカミナリ族のレースごっこと、六甲山ドライブウェーでの、現在風に表現するのなら、峠族の集まりです。ここで言う「カミナリ族」と、今の「暴走族」とは、全くの異物であることは力説しておきたい。カミナリ族は、己のテクニックを争うものであって、暴走族の組織を暴力で維持するものとは、根本的に違います。

やがて、昭和40年を過ぎたころに、前回で記述しましたところの、 富田林市と泉北ニュータウンとを結ぶ府道森屋・狭山線の工事が進み、いよいよ「亀の甲」交差点が誕生することと相成ります。この道路にも、当時の社会性というのか、先に出来た団地の北端をかすめて、また、後発の東団地の真ん中を通るために、いろいろと地元との間に摩擦があったようです。ところが当時の大阪南部には、南北に通じる道路は、歴史的にも高野街道で知られるように、地形に沿った道路しかなくて、東西に通じる道路は、まるで放任状態であったのです。よってこの府道森屋・狭山線の需要は、鰻登りに通行量が増大して、従来のサントウ線と交わる「亀の甲」交差点は、常時渋滞状態の悪名高き交差点として、名を馳せるのであります。 現在は、渋滞緩和の為に、 府道森屋・狭山線は上部をまたぐ、立体交差点として、昭和61年9月に竣功されているところであります。なお、「亀の甲」の名称は、交差点の存在する集落名から由来しています。

今回は、お題の諺とは直接に関係する内容とはなりませんでしたが、「亀の甲より年の劫」として、懐かしの交差点誕生の一巻でありました。


 第233話  亀の甲より(1) 

平成21年9月15


亀の甲より年の劫

「亀の甲」といえば、我が家から直線で五百メートルほどの距離にある、ちょっと有名な交差点であります。大阪の南東部では、特に交差点としての名を馳せているものは、昔は河内長野市の「七つ辻」がありましたが、幹線道路の整備によって、今では名も寂れており、亀の甲の他には見当たりません。亀の甲の正確な位置は、富田林市と泉北ニュータウンとを結ぶ府道森屋・狭山線と国道310号線が交わるところである。通称「サントゥ線」は、30年ほど前には産業道路として、かなりの交通量がありましたが、現在ではもしろ各メーカーの自動車販売店が目白押しでひしめいています。つぎに多いのは外食産業であり、それが並んで賑やかな、サントゥ線となっています。

定かではありませんが、昭和30年ころには、そのサントゥ線も田圃の中に土を盛り上げただけの、道路とはほど遠い姿をしていました。今、サントゥ線は「高野街道」と称されてはいるものの、実は三代目の高野街道なのです。初代は、かの弘法大師が、高野山に行く時に通った道で、部分的には歴史街道として、現存しますが、ほぼ消滅しています。そして二代目は、私がまだ子供の時代に、主要道路として存在していました、高野街道。その道を秋になると祭りの「だんじり」曳きのために歩いた時の事を、明確に記憶しています。ある年のこと、激しく方向転換した「だんじり」が転倒したのです。怪我人が出て、私の同じ年の子供が、だんじりに乗っていた為に、額を切る怪我をしました。その子の兄、多分10歳も年上のその兄は、気が狂ったように弟を、だんじりから救い出して、胸に抱えて医者を目指して猛スピードで駆け出して行った様子がいまだに目に焼きついて残っています。当時には、大変な事が起きてしまったのだと恐怖を覚えたものでした。

やがて、三代目の高野街道であるサントゥ線も道らしい姿として整っていきました。まっすぐに伸びて、しかも広々とした新道は、ちょうど今の子供が、高速道路を見るような思いでした。その新しい道も凸凹道で、雨でも降れば、小魚でも住んでいるような水溜りができていました。

そのような道も、やがて私が中学校に通う年齢となったころに、まだ現在の「亀の甲」の交差点が出現する15年ほど前に、その地点の北1キロメートルの辺りまで、何と舗装されたのであります。まぁそれ以後はどんどん南へと舗装されていくのですが、急激に道が進歩した背景には当時、堺市の臨海埋め立て工事のために、我が里から山土を採取することになって、臨海埋め立て地へと、おびただしいダンプカーの行列が出来たのであります。そのような訳で、サントゥ線も、にわかに栄えていくのです。

ただ、「亀の甲」交差点が出来るのはまだまだ先のことなのです。・・・つづく・・・


 第232話 奇想天外

平成21年9月1


お題目は凄いけれど、中身は至って、たわいないお話し。

ものの本によれば、アルキメデスは、風呂の中で「アルキメデスの原理」を思いついたらしい。偉い人の発想も生まれる舞台は意外なところにあるものですね。

「奇想」とは、普通の人には思いつかないような考えをいう。また、天外とは天の外から降ってくるとされている。しかし、本当は天の外よりも、風呂の中のごとく意外と身近なところを指しているのかも知れないのです。

つい先日の、各駅停車の電車中での出来事ですが、おおよそ50歳の婆が、それこそ体力も知力も総動員して、額に汗しながら、口の達者な孫を連れている場面と出合った。孫はもう充分歩ける年格好ではありますが、比較的軽量そうな乳母車にのせられていて、今にも体が小さな乳母車から落ちるぐらい身をよじりながら、婆と会話をしていた。その様は誠に微笑ましいのではありますが、婆は必死の形相である。
「ねぇ、電車は何を食べて走ってんや」と聞いた。これは面白いとばかりに、周りの4、5人の人が顔は向けずに耳だけをピーンと立てた。一呼吸おいて、婆は「電気」と直球を投げ返した。よく聞こえなかったが孫は自分の名前らしい言葉のあとに「電気を食べたことがない」と言った。電車が長い鉄橋にさしかかり、その騒音にさえぎられて会話が聞き取れなくなつた。電車が鉄橋を走り抜けたあと、二人は機嫌よく次の停車駅で降りていった。

少し閉じた目を車窓の外に向けながら、先ほどの幼子が電車に抱いた疑問に似た思いをした記憶をたどっていた。

どれくらいの年齢であったのかは、なかなか比べる対象となるものも思い浮かべるものがない。しかし、家から300メートルくらいを自力で歩いて行ったことは間違いない。自分自身の目で初めて見た電車である。もし、それ以前に親に抱かれて電車に乗ったことがあったとしても、それは記憶には何もない。
その初めて見た電車は今、現在も鮮明にその部分が記憶に残っている。
その部分とは、郊外電車は普通、一車両には8個の車輪と4本の車軸で形成されていて、その半数に当たる4個の車輪と2本の車軸が1セットとして、車両の前後に配置されている。その1セットの構造をさらに詳細に分解すれば、2本ある車軸を縦の関係で支えている部材である、丁度、となかいが曳いているソリに似た部材があります。ただしこのような形をしていたのは、せいぜい昭和40年から45年くらいまでの電車に見られた姿であって、ディスクブレーキーが採用されるようになってからは、ソリに車輪が付けられた風な電車は見られなくなった。言い表したいソリのような部材の正式名はわかりませんので、今回は「ソリ」と呼ばせてもらいます。
線路脇の少し高い田圃の畦から見ている位置では、鉄の塊であるソリに隠れて、その中に位置する車輪は目に映らなかったのです。それで電車はあたかもソリがレールを滑りながら走って行く様に見えたのです。

家に帰って、蒲鉾板を使って敷居の上を滑らせて、その光景を想い起こして楽しんでいた頃を今でも鮮明に記憶に残っている。その時以来何回かは線路際に電車を見にいったが、祖父から線路には行くなと叱られて行かなくなった。祖父に叱られたぐらいで行かなくなった根性なしだからこそ、この年まで凡人として暮らして来られたのかも知れないとも、思う。
電車に車輪が付いている事を知ったのは、だいぶんと後になってからである。そこでであるが、なぜ何回か見に行ったのかは、走っている電車がレールから少し浮き上がっているのに、どうしてレールからはずれないで、まっすぐに進んで行くのかと疑問に思ったからである。当然まだ、磁石の原理なんて知る由も無かった。ではあるが、ではあるが、現在のリニアーモーターカーのイメージは抱いていたのである。昭和20年ころの出来事であった。

いよいよ、リニアーモーターカーの到来する時となってきましたが、何も知らない幼い時期に、見た目の誤りであったとしても、レールから浮かび上がって走る電車の発想は、まさに「奇想天外」であったと自賛している。 「電車は何を食べて走ってんや」と考えたあの幼子が、60年後に私と同じ年となる頃には、電車は何を食べて走っているのであろうか。


 第231話 寝ていて

平成21年8月15


「寝ていて転んだ例はない」

よく「体には気をつけてくださいね」という挨拶を交わします。さて、体に気をつけるとは具体的には何をどのようにすればいいのでしょうか。
簡単です、美味しい物で体に適度な栄養を与えながら、寝床で寝ていれば一番安全なことは、当たり前のことです。それでも人は、寝ていても先日の豪雨の時のように土砂が寝床を襲ってくると言うでしょう。しかし、レアーなケースを、さも常時起こっているが如くに言いふらすのは、月末の総選挙で第一党を目指している人々の言い分でありまして、二流の考えということができます。

では、寝床で寝ているわけには参らないと言われる方々は、どうすればいいのでしょうかと、考えたらやはり、これしかありません。よくこの小話コーナーで述べておりますが、自分以外の人々に対して不義理をすることなのです。
酒に誘われても断る。自分が心底納得が出来る場にしか顔を出さない。例え少しでも腑に落ちなければ、ノーときっぱり断る術を会得しておくと、金銭的な損失も、時間的な損失も派生しません。これによって、イライラがなく、極めて健康的な安定した精神が保たれます。

一つの例えとして、酒の誘いを考えましたが、万事につき、このような人と人の付き合いのなかに、人間社会は形成さりています。

では、挨拶語を尊重して社会で生きて行けるかとすれば、これは極めて実現性に乏しいことなのです。今回のお題の反対語としては、火中の栗を拾う、とか、 虎穴にいらずんば虎子を得ず 、のように勇ましい、士気を鼓舞することばもあります。

身近にある例えとして、役員とか世話人を選ぶ集会において、一向に埒が明かなく話しが進まないと言う時に、「寝ていて転んだ例はない」と、じっと俯いて辛抱を通し続けられる性格なのか、はたまた、誰かが手をあげなければ、仕方が無い、俺がやるとばかりに「火中の栗を拾う」思いで、手をあげる性格と二通りの生き方があります。
今までの生き様としては、どうも自分は後者の様に思えるのです。しかも、役割を全うしたとしても、終わってみれば、人から感謝されるどころか、悪評が残るだけ。

残り少なくなってきた我が人生。体に気をつけて、参りたいと考える次第です。


 第230話 猫舌の長風呂

平成21年8月1


駄洒落ではありませんが、ここのところお題は動物がらみの連続でありまして、量と面積をやってきましたので、次は長さを表すいいものはないかいなと考えていましたら、これが結構考えた時間の長さの割には、いいものがありませんでした。そんな時ふと前回の猫にまつわる今回の御題が頭に浮かんでまいりました。しかし、前回の結びで猫には引退をしてもらう方向を示していたのに、また猫とは非常に恐縮いたすところではありますが、御題にこそ「猫」が出ていますが、これは「猫舌・・・」の人間でありまして、決して猫には、悪気はありませんので、ということで始めます。

そもそも、猫舌の人はと申しますと、熱い湯を呑むことが苦手でありまして、ぬるい湯が好みとなります。連鎖をいたしまして風呂もぬるい湯につかることになりますが、ぬるま湯では、湯から出るきっかけをつくりきれずに、ついついと長風呂とあいなります。

昔は、特に日本の兵隊さんは「早めし、早糞」が絶対的な必要条件でありました。平和な時でこそ、よく噛んでゆっくり食べることが良いこととされていますが、戦時下ではそうはなりません。日本人男子たるは、早めしが美徳と心得ている人が以前は多くおられまして、まずその様な方と食事をしたら、食事中に喋ったら叱られます。そう昔のお話ではありませんが、30から40年前の職場には、時々居られました。今、ある超先輩の事を思い浮かべていますが、そう言えば職場の慰安旅行に温泉へ行った時にも早かったなぁと、回顧しております。ただその超先輩の単なる性格であったのかも知れませんが、入隊されて戦地に行くことなく終戦となったとの話はよく聞きました。

まあ、猫舌の人が、必ずしも長風呂であるかは分かりませんが、この語から受ける印象としては、とにかくシャキッとしていない人を指している趣があります。いまの世の中には猫舌であろうが、長風呂しようが悠々自適、他人からとやかく言われる筋合いはないとばかり、人間社会での生きる規範をものとせずに、一人悦に入って生きている勝手人間が激増していると感じています。このままでは善良なる社会がの維持できなくなる日も、そう遠くはない時期にやって来そうに思えて仕方ありません。たまたま猫舌と長風呂という、そのこと自体には、何の問題もなく人の個性なのではありますが、このような些細な自己主張が、やがてどうにもまとまらない社会となっていくことを憂慮せずにはいられません。

猫舌の長風呂が、蟻の一穴となって秩序のない、繊維質が存在しないバラバラの気まま勝手な社会へと突進している様に思えて仕方がないのです。暑い八月の到来となりましたが、かつてない盆休み返上の総選挙と、終戦の日も迎える今月、暑い暑いとばかり言っている時ではないような気がする。


 第229話 猫のひたい

平成21年7月15


「猫のひたい」とは、非常に狭いという面積の例えとして用いられます。先の「雀の涙」は、少ない量の例えとして用いられていました。面白いものですね、動物、鳥、虫などを人間どもは本人達に何の断りも無く勝手に、都合の良いように例え語の材題としてしまいます。

あらためて猫のひたいとは、どこからどこまでが額かと、考えてみても、家には犬は居てますが猫は居りません。そこで犬の権太郎の顔を見れば、たしかに犬は猫にくらぶれば、まず鼻が長いし、目から両耳を結んだ線までは猫には比較にならないほど長いのが分かります。総じて猫は丸顔であり、犬は面長となっていまね。どうして動物の顔は形成されていったのでしょうかと考えてみても、にわかには、いきません。知っていると言っても頭に浮かぶ動物なんて、人間、犬、猫、と数えてもせいぜい20〜30種類ぐらいしか思いあたりません。鳥と魚を別とすれば、大体動物は似たりよったりではなかろうかとも思うのですが。
その根本は、目、耳が2つ、鼻、口が一つで顔が形成されています。そして、眉とか耳が多少の形が異なりますが、象の鼻のように極端に形が変わるものは案外とないものですね。
だとすれば、わざわざ猫だけをつかまえて額が狭いなんて言わなくても、M県の知事のように特に額が大面積を占めるような動物は居ないのではないでしょうか。
それにしても、猫は十二支からも仲間はずれされているし、額の多少の狭さから、あまりいい方向の例えに用いられていないし、受難の多い動物ですね。犬は三日飼ったら一生恩を忘れないのに、猫は三日の恩を一日で忘れる、とかのような具合にされています。しかし世は太平、空前のペットブームでありまして、高価な猫ももてもての有様です。

そこで、世の愛猫家のみなさんの為に、永年にわたりどちらかと言えば不名誉な例え草を勤めてくれた猫に引退してもらい、狭いことを表す新しい例え草を皆さんの思いで、動物以外にも広く目を向けて、探しだそうではありませんか。


 第228話 雀の涙

平成21年7月1


どのような例えとして「雀の涙」を用いるのが一番適当なのかと言いますと、やはりこの語は金銭について用いることが多いようですね。ともかく分量を表していて、ごく少量を表現します。
たとえば、ほんの少しだけ月給が上がった場合に、「月給が上がったが、雀の涙ほどです。」という具合に。しかし例え雀の涙ほどにしても月給が上がるなんて結構な話とせねばならないのが、近年のわが国の姿である。

私も、月給が上がるだの、上がらないだのという世界から離れてもう5年がすぎました。そして今、かつて生きてきた仕事の世界は未曾有の難局に直面しています。月給が上がらないどころか、反対にカットカットで減給の一途となっています。であるのに働く条件は厳しさが増すばかりであるのに加えて、法令順守の文字に縛られて、極端には一緒に働く隣席の輩ですら気を許せないほどであると聞く。

世は時代と共に大きなアンジュレーションの中で推移していくものであることは言うまでもありませんが、明治以来永年かけて育んできた慣行が、そしてやっと本当の民主主義が、聞こえはいいが、法令順守という日本人気質をないがしろにする縛りは解かなければならないと考えるのです。封建制度の時代にあった「五人組」が如くの、相互監視の体制が構築されつつある節もあるという、 全く憂慮する事態であると思います。

雀の涙のつもりが、あらぬ方向に進んでいますが、何卒働く職場の仲間同士が監視の目で睨み合うことだけは回避してもらいたい。


 第227話 しらみつぶし

平成21年6月15


もともとは、 虱は凄く小さい生き物で一旦人に寄生すると退治が大変でして、虱を取るのに頭の端から端まで、それこそ髪の毛を一本一本調べるようにして、虱をつぶしていくことから生まれた言葉であります。
しかし、本当のところ虱の取り方と、蚤の取り方の明確な差は知りません。

蚤はその生体も、明確に知ってはいますが、虱のことはよく分かりません。昭和25年ころの学校で、保健所かどこかわからぬ白衣を着た人がやって来て運動場に女子を一列に並ばして、頭の髪と背中に白い粉、DDT とか言ったと思いますが、散布していた場面を今でも覚えています。もう60年近くも前の出来事ですが、今の世の中、小学生にこのような行為をすると、モンスターペアレンツはどう言うことになるでしょうね。モンスターが怖いか、虱が怖いかどちらに軍配が上がるのでしょうかね。

さて、「しらみつぶし」とは、 些細な物事も見逃すことなく、すべてを残さずに片端からひとつひとつを処理することを指す言葉として使われています。

最近ある TV ニュースで、どうやらこの不況も底をついて、上昇に転じたと報道していました。あらゆる分野において働く人々は、景気回復を目指してそれこそ、しらみつぶしで可能性を求めて日夜努力を重ねておられることかと思います。

何も個々の人たちが悪いわけでもありませんが、世の中、景気が悪いと耳にするだけでも、気分が意気消沈します。そうならないように、誰もがそれぞれの道で、しらみつぶしの精神をもって景気回復に寄与してもらいたいと願うところである。


 第226話 うなぎのぼり

平成21年6月1


季節は夏となり、「水銀柱が、うなぎのぼり」という活字と出会う時期となりました。まあ、もっともわが国においては、梅雨が明けてからとなるのですが。
今回の、うなぎのぼりとは、 うなぎがくねくね、すいすいと水中をさかのぼるように、ものごとがみるみるうちに急上昇することの例えであり、反対語としては見つけ難いですが、しいて言えば「急落(きゅうらく)」かなと思います。

さて、ふと我が人生において、うなぎのぼりと言えるような事柄に出合った時はあっただろうかと考えてみました。一筋の職業で生きてきた自分としては、しかもその仕事の内容が、うなぎのぼりとはあまり縁のない内容であったと思っています。
その中でも今にしてふり帰れば、昭和35年時代に池田勇人による所得倍増計画の恩恵が、実感として現れた、40年から45年頃にかけての給料がうなぎのぼりであったことが思い出されます。しかし給料が増えだした当初はまだ安月給でして、2〜3万円であったかと思いますが、みるみるうちに増えた時代でした。その頃、先見の目がある同僚は不動産の価格上昇を見据えて、上がる給料の先読みをして何回も買い換えて家を大きくしました。

高度経済成長時の我が日本は、終身雇用と年功序列が日本型経営とされて、その事をして資源のない日本が世界に打って出るには必要な労働者気質とされてきました。しかし、 実際には日本型経営なんてものはありませんでした。 なぜなら欧米でも日本が高度経済成長期に入るまでは、年功序列・終身雇用の方式であったのです。 しかし、日本は「安価な人件費」を背景に世界に進出して行き 欧米でもシェアを拡大して行ったのです。現在の中国と同じ様に、当時のわが国は世界の工場の役割を果たしていたのです。それにより欧米の製造業は日本との競争に負けることになり、現在のような雇用形態になったのです。 そして30年後の現在、日本は中国の追い上げによって当時の欧米と同じ憂目を演じているのです。

当分は、わが国の経済推移としては「うなぎのぼり」と距離をおくこととなるとは思いますが、この語はもともとはお目出度い時の言い回しでもありますので、「うなぎのぼり」という語があちらこちらで忙しく活躍することを願っています。


 第225話 お猿の電車

平成21年5月15


今回は、ことわざでもなく単なる同僚との会話のなかで出た言葉であって、あまりにもそれが面白く思ったので、お題に頂戴してみます。

皆さんご存知、お猿の電車は子供達が利口なお猿が運転をしているように思い込み楽しんでいます。

つまり同僚は、子供達のように何も深く考えることとなく、お猿が運転をしていると思い込むことが、今の仕事を遂行するためには、必要であると言っているのであろうか。

そうではない、私共が作成した報告書を読んで、右だとか左だとかを 判断しているつもりのお偉らさん達こそ、お猿でありまして、私共が報告書を作成する段階で、すでに線路も走るスピードも決定していると言うのかである。

ここ近年、官僚政治のあり方をよく取り沙汰されています。しかし、国であれ地方自治であってもわが国の行政実態は、まさしく官僚によって左右されているものなのであります。

総理大臣を始めとして大臣や、地方自治での首長が議会で行う答弁は、すべてが官僚と言われる者の手によって発案作成されます。そしてあたかも持論のごとく演説されているだけです。

それでこそ、わが国は安定した加護のもとで国民生活が成り立っているのです。してみれば総理大臣以下、政治家は皆、お猿さんであるのですね。

 


 第224話 目白押し

平成21年5月1


「メジロ押し」


青葉、若葉の五月となり、鳥さんでは目白の季節となりました。時は今、大型連休のまっ最中、そして今年はどこまで走っても1,000円という高速道路の応援もあって、日本全国どこの観光地も「メジロ押し」の状態となっていることでしょうね。

新聞やテレビ報道が、ゴールデンウィークの様子を伝える記事には、「メジロ押し」とか、「数珠つなぎ」がありまして、夏になれば「芋のこ洗う」と海辺の様子。暮れの帰省ラッシュには「すし詰め」という具合に、いい回しが季節を感じさせてくれます。

さて、メジロ押しとはどのようなことかと申しますと、メジロが木の枝にとまるとき、繁殖期のほかは群れをなすことを好み一つの枝にたくさんとまります。そしてその中の一羽が飛び出すと、すぐに左右から押し合って間をけっしてあけておくことはしません。このように、押し合うように沢山並んでとまる様子のことを、「メジロ押し」と言います。

なんとも、可愛らしく、ほほえましい限りの描写ですね。 目白は夏の間は山地の潅木林にすみ、小枝のまたの間に苔やスズキの穂を蜘蛛の糸でつづりあわせて巣を作ります。やはり、眼の周囲が白いので目白と呼ばれるのでありますが、さえずりが美しく、籠のとりとしても飼われています。

今年あたり、いまだかつて世界中が経験をしたことのない大不況が吹きまわっていますが、日本国中どこに居ても、寒い冬から春にと移り、最も過ごし易い五月を迎えて、この大型連休には、どこの観光地や繁華街においても、「メジロ押し」現象になれば、世の中少しは元気づくと思うのですが。


 第223話 うだつが

平成21年4月15


===========================================


「うだつが上がらない」

日本の社会は、4月の初めに入社、退社、入学、卒業に加えて人事異動という大きな節目を向かえます。そして、今年もそれから半月、やっと節目を通過してひと段落ではありますが、人事異動で「うだつが上がらない」真面目人間にとってはつらい季節となっています。

世に言う「うだつが上がらない」とは、上からおさえつけられたり、進むべき道がなかったりして、職場での地位やそれによる生活が向上しない様を表して言います。

語源は、日本建築で、棟木を支える短い柱のことで、これが上がらないと、屋根をのせることができない最終章の大事な部分であります。一般に、日本建築の木組についてあらかたを言えば、まず柱があります。その上に柱に支えられた「はり(梁)」がありまして、その真ん中あたりに短い縦の柱があります、これが「うだつ」でありまして、その上には棟木が横たわります。屋根の一番高いところですね。

勤め始めてずいぶん経つが一向に「うだつ」があがらない。書き出しにもあるとおり、うだつが上がらない人をみれば、真面目がゆえにそれに嵌ることが多いかと思うのです。なぜそうなるのかと考えれば、会社であれ例え一人で事業を営んでいたとしても、もともと人間とは社会という組織の中で動いているもの。その中で己のなすべく役割とか、方向を読むことができなければ、それは組織人としてはダメ人間となってしまいます。 もともと能力の乏しい人は、うだつが上がらない以前の問題であります。ごますりも実力の内と、陰では悪く言われても、それ相当の働きをすればそれなりの処遇を受けるのが常であります。

しかし、一般的に社会でうだつが上がらない人とされている人の多くは、別世界で一物の持ち主であることがめずらしくありません。人知れず世の役に立つ奉仕を続けている。また、絵画や音楽に長けているという具合に、結構息を抜くすべを知っているのです。

つまり、人の持つ能力の容積には大差のあるものではないし、その差は有っても地球の大きさに比べれば微々たるものであると思うのです。周囲や組織に迷惑をかけないのであれば、「うだつの上がらない」人の生き方も、捨てたものではないはずである。


 第222話 知らぬが仏

平成21年4月1


四月は希望の志をもって、多くの人が社会へ、又は学校へと進んでいかれることと思います。そこでよく考えなければならないひとつに、以前なら「知らぬが仏」として、何事にも我関せずで悠々と生けていけたかも知れませんが、今はその様には参りません。

今回、お題にした「知らぬが仏」の意味は、世間の雑事や中傷も含んで、自らが心よしとしない事象については、自らが知らなければ、つまり自分が耳にしなければ心安らかに、仏の様に過ごせるということである。つまり 腹立たしくなることやうらめしくなることも、知らないでいれば、何のこともないが、裏返して言えば、知れば腹の一つも立つのが道理であります。

ところが、学校や職場において人間関係を作る為に必要な、目と目を合わせての会話がますます希薄となっていて、うまくコミニュケーションが出来ずに、例えばその逆に携帯電話を一時も手から離せない異常な現象が、小・中学生の年代にまで及んで存在すると聞く。昨今は、その情報量が求めれば無限のごとくに存在していて、知りたいと思うどの様な事にも応えてもらうことができます。したがって、人と人との人間形成の為の繋がりを求める必要も少なくなります。 もはや「知らぬが仏」ではなく、誰にも、何事も、他には知らされない社会となっていきます。

なにも知らなければ、仏のような平静な心でいられた時代とは変わって、これからの世で「知らざる者は幸せなり」と言えるだろうか。

ことの大小、重みや深さ、一言には到底言いあらわせませんが、知らぬが仏を旨として他の誰よりも内面には強い精神力を備えつつ、外面には穏やかに孤独を楽しむがごとくの人間像を形成して生きていきたいと思っています。


 第221話 三寸の舌に

平成21年3月15


「三寸の舌に 五尺の身を亡ぼす」

日本古来の度量衡法によって表現される今回の語は 、それは昔から言い伝えられてきた戒めの人生訓であります。それなのにこの語は、なぜ古びることもなく、現在も元気に活躍をしているのでしょうか。

三寸の舌とは口先の弁舌ということで、ちょっとした失言のために五寸の身を亡ぼすことから、口を慎めということです。また、他人の口によって落しいれられる時にも、使われます。つまり、人に陰口をたたかれる様な生き方をしないようにせよとのことでもある。

さて、私も 最近は、年とともに頭の回転も思わしくなく、それにつれて口も少し重たくなったと感じています。しかし、話が得意分野にはまり込みますと、とめどもなく喋り、後で後悔千万ということになってしまう性格は、親ゆずりでありまして、どうも治りません。

では、私も含めて具体的にはどのような場合に人はよく失言をするのであるのかを考えてみると、一つの例として、極端に緊張をしているような場合で、何か自分が率先して場を盛り上げなくてはならないと勘違いしてピエロを勤め、ついついあらぬ余計な事を口から発してしまう様な時です。そして、その逆として張り詰めていた緊張から開放されて、心が緩んでしまった場合に、ついポロッと余計なことを言ってしまう。

また、よく酒の上での話しやからと逃げる失言があります。どうしても、黙っていれば酒の酔いも増してきて、酒飲みはついつい言わぬともいい事をしつこく繰り返します。それも聞いている側からして許容の出来る話題ならいいものが、口から出た言葉が限界を超えて同席している者の誰かに傷をつけてしまい、いわゆる酒で失敗というやつである。この種の癖を持っている人は、失敗の後は自重しますが、時とともに反省したことを忘れて、又失敗を繰り返すのが常ですね。

他には、悪気はないのですが、軽いホラを吹く、それが人伝えにホラの口先発信人に回り回って帰ってくる、そうなれば発信人は、引っ込みがつかなくなって嘘の上塗りをしてくまう。嘘もそうですが、見栄をはる話しにも、少しは意味あいは異なるとしても、やはり身を自分で亡ぼすことになりかねません。

しかし、中には三つほどあげた例にしても、カラッとそのような事を言ったかなぁと簡単に、いとも軽くかわすことの出来る人がいます。この様な人は詐欺師向きの優等生でありますが、一方口に出したことには、強く責任を感じる真面目人間も決して少なくはありません。

人が意思表示をするのに、最も大事なのは「三寸の舌」。何かを言わんとする時には、常に、まず口の中でプレビューしてからとするのが、五尺の身を守る良い方策かと思います。


 第220話 一度始めたら

平成21年3月1


「一度始めたら 行き着くとこまで行く」

今回は、すこしばかり物騒なお話しとなります。やっと尾車部屋の元若麒麟問題も新聞から姿を消そうとしている時、今度は京都大学。そうです悪事を一度始めたら、何らかの決着または終結を迎えなければ止められないと言う意味のある言葉です。そしてこれは悪事を行う側ではなくて、むしろ取り締まりを行う側からみた常識語として用いられていると言うことです。

世の悪事にも千差万別がありますが、薬物、色事、盗人は顕著に現れるらしい。例えれば最近は少し新聞沙汰からはなれてはいるものの、かの大物女優の息子の大麻事件もそうであるし、今回の元若麒麟も、ロシア人問題の時に、すでに尻尾をつかまれていたとする報道もあったとおり、もと若麒麟もその時に自覚しているのです。にも関わらず「一度始めたら 行き着くとこまで行く」と、あの人の良い尾車さんをも裏切ったのです。この罪は到底許されるものではありません。

それでは、この種の悪に嵌り込んだ者を感知した場合はいかにするべきか、どの様に対処するべきかを考えれば非常に難しくてすぐには思い浮かぶはずもありません。法治国家のもと、法律で厳しく取り締まられてはいるものの、法によるところの罰則だけでは、今回のお題のごとく、鼬ごっことなるだけでそう簡単にはまいりません。

一方、社会教育、学校教育、家庭教育とことごとく、その教育領域の中で繰り広げられる犯罪行為にあっては、何をか言わんでありますが、私としては好きではない人ですが、いま大阪府知事は、まず学校教育にあって、成績の公表や、体力向上など極当たり前のことを精一杯やろうとしている。子供のあるべき姿を学校教育から取り戻そうとする最良の方針は、誰もができなかった政策であります。戦後60年、個人の自由を守り過ぎて、もはや個人の生命すら脅かされそうになった現在の世で、一度始めても、行き着くとこまで行かなくても、常に誰かの抑止力でてよき国を築いていた時代を一日も早く取り戻せるようにしたいものである。


 第219話 屋根屋

平成21年2月15


「屋根屋の井戸填り」・・・やねやのいどはまり

屋根屋は家の高いところで仕事をしています。その屋根屋が不幸にも転落する場合には普通は地面に叩きつけられます。ところが不幸が重なって、落ちた所が井戸であったら地面を通り過ぎて更に奥深く井戸の底へと落ち込むことになります。このように不幸が重なることを指す語として「屋根屋の井戸填り」があります。

ただ、この語は人の不幸を陰口でコソコソと囁かれる時に使われるよりも、むしろユーモアをもって不幸に遭った人に直接に、カラッと慰めを込めて伝えるような場面で使われているように思います。

「屋根屋の井戸填り」は、一つのミスが、二つの連続したペナルティーを負うことであると考えます、それは 一種類の不幸であるが、一つ目の不幸が更に奥深くへと進展してしまう場合です。

よく似た語に「泣き面に蜂」や「転けたら 糞の上」がありますが、これは別々の二つの不幸が重なる場合にあてはまると思います。一つ目の不幸をウジウジしている間に、さらにもう一つ別の不幸が襲ってくるような時を現しています。

昨今、世界中の出来事も、国内のこともあまり感心のできない事象が多すぎます。どうかこの重苦しい流れが、更なる事態に落ち込むことなく、上昇の途に向いてもらいたいと願う。


 第218話 駆け引き

平成21年2月1


この「駆け引き」とは、ものの本によると、戦場で攻め進むことを「懸」といい、退くのは「引」といったところから、機をみながら自在に攻めたり退いたりする様を、駆け引きといっていたそうである。

現在のサラリーマン社会では、駆け引きに長けた者は、交渉能力があるとして高く評価されていると思います。そしてどのような分野においても、求められる人材であるかと思います。

相手方が激昂して怒鳴り続けている間は、どんなに此方に利がったとしても反論せずに、じっと次の一手を頭で暖めておきます。この辛抱が出来るかどうかが、次の一手として大きな「懸」になることは言うまでもありません。

しかし、若い年代層に結構多いのがネチネチ型の文句言いで、いわゆる駆け引きの相撲が取れない場合があります。先述の辛抱の次に大事なのが膠着した場面を動かして、手前有利に導く、きっかけを見出す話術を会得しているがどうかです。昔は誠心誠意があれば、どのような場面にあっても何とか打開したものですが、現在ではそれが通じないことも多々あるかと感じています。

いずれにしても、交渉事は、100 対 0 にしないように、相手にも有形無形を問わず必ずお土産を持って帰らす事かと思います。何も金銭を渡す意味ではなく、次の一歩が出るようにヒントを与えてやったり、退路を整備して与えるとか、そこは誠心誠意で尽くすことが肝要です。

駆け引きの上手なことは、必ずしも褒め言葉ではなく、端的に言えば、ずるいとか、けちん坊といった意味で人を誹謗する場合にも使われます。

なんだかんだと言っても、この世すべてが「駆け引き」で成り立っているものです。いい人は短命というのは昔からの通り相場ですね。つまりいい人の生きている様が、「引き」が多くて「駆け」が少ない控え目であるとするならば、「引き」は、命を削る業なのですね。


 第217話 思い立ったが吉日

平成21年1月15


何か事をしようと思い立ったら、その日が最良でありすぐに始めようということです。
昔は占いがあって一年中の一日一日について吉日と凶日があり、そして人々は何をするにもそれにしたがって事を起こす日を選んだものです。それは何の根拠もない迷信であったとしても、今日でも多くの人々の間にはまだその風習は残っています。

たしかに、祝い事をするのに暦を見て、大安、赤口、先勝、友引、先負、仏滅の日柄にしたがって事を進めるのが、日本のよき文化であると思っています。それはなるほど先述したとおり、何の根拠もないことは、これまた大多数の方々は認識されていることではありますが、あえてこれに逆らって生きていくほど人々は強くないのではないでしょうか。

しかし、人間生きている間には、これを超えてでも事を運ばなければならない時に出くわすことも、しばしばあるのです。

そこで、なにかをするのにそのような吉日を選んでいたのではなかなか実行にかかれないし、時にはそのために時期を失したりします。そのような時にすぐ実行にとりかからせるために、思い立った日を吉日と自身に言い聞かせて祝の日であるとするのです。

これに類似する信仰として、方違さんというのがあります。旅立ちの方向や、屋敷内での建物の配置、縁談をまとめる時の方向の関係等、どうしても流れに逆らうわけでもありませんが、心に納得のできない事に出会うことは、人生の間にはあるものです。そんな折には方違の神さんに詣でてお許しを得るのです。

人というのは、強いようで弱いもの。日頃強がりを言っている豪気な者ほど一方においては、信仰心を大切にしているように思います。

いまよく使われている言葉に「気合」というのがあります。そうです自身の気合で、思い立った日を吉日と信ずるのもいいことではありませんか。しかし、それにも加えて傍若無人に生きるよりも、常に一歩引いたところから自身を見て、日柄や方向にも気を配るところに、素晴しい人生があるのかもしれません。


 第216話 

平成21年1月1


---------あけまして おめでとうございます-----------
---本年も、「小話コーナー」をよろしくお願いいたします---

丑と牛

もぅ〜、60年も前のお話しです。おおよそ荷台が、半間×1間半位で深さは2尺位の大きさです。それに瓦の材料となる粘土を満載して採取先の山から約半時間の道のりを、一日に何回か往復するのです。なぜか牛が曳いているのに、その荷車のことを「馬力(ばりき)」といい、操っている人を「馬子」といいました。

その馬力の荷台後方の裏には「飼葉桶」といいまして、直径が1尺五寸ぐらいで、深さが1尺ぐらいの桶が吊るされておりまして、まぁ言えば牛の弁当箱ですね。暑い時などには、馬子が水を汲んで牛に与えます、 それはそれは牛が喜んで水を飲むのです。その馬子と牛のコンビネーションの様を羨望の眼差しで追いかけて、やがて自分も大人になったらその馬子のように、牛と共に生きる馬力曳きになるんだと考えていました。ただ一つその馬子は、赤毛の牛を好み、以後何代かは赤毛の牛と暮らしていましが、私は黒牛が好きでした。

さて、牛と人との付き合いは長く、従順な家畜として古くから人に親しまれてきたのには、外観的には何とも言えない丸い優しい目をして、いつものどかに口を動かしていることですね。一旦食べ物を胃に飲み込んで、それを口に戻してゆっくりとしたリズムで噛みなおして食べる、それこそが牛のすぐれた特徴であるとともに仕種に愛嬌があります。牛は自然界に居た頃には足が遅く闘争力に恵まれなかったので、よい草があればとにかく胃袋に仕舞い込んで安全な場所で、ゆっくりと食するという特徴を備えたのですね。このように、牛といえば昔からのんびりしていて、どこか底力を感じさせ、他のどんな動物よりも群を抜いて人間に対して従順な生き物として共生することとなったのですね。

牛にまつわることわざもたくさんあります。その一つに「牛は牛連れ馬は馬連れ」と 似たものどうしは集まりやすいことのたとえとして、また似たものどうしが集まると物事がうまくいくことのたとえがあります。 そこにものんびりさと、時間がかかっても確実に物事をやり遂げるねばり強さが色濃く反映されています。

用語としての、丑と牛ですが、もともと丑は十二支の一つであって、東西南北の方角に「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」と漢字をあてていましたが、十二支を覚えやすくするために、その字に動物をあてはめていったとのことです。しかし、現在の世では何時からそうなったのかはわかりませんが、十二支にあてられた動物が、その年のシンボルとなっているし、誰にも何の異論もないところであります。

今年は、幼少の頃に抱いた将来への初夢であった、牛さんにちなんで勤勉な気持ちで過ごしたいと考える、年の始めです。

 



小話保存壱号館へ 小話保存弐号館へ 小話保存参号館へ
  小話保存四号館へ   小話保存五号館へ   小話保存六号館へ
小話保存七号館へ 小話保存八号館へ 小話保存拾号館へ
  小話保存拾壱号館へ   小話保存拾弐号館へ   小話保存拾参号館へ
  小話保存拾四号館へ   小話保存拾五号館へ   小話保存拾六号館へ
      小話 TOP へ