ちょっと小話コーナーShort Story保存拾号館
ご意見などは、掲示板で待っています。

第240話

虎の子渡し 第241話 金の草鞋 第242話 二月は
第243話 一時違えば 第244話 人と屏風は 第245話 爪で拾って
第246話 忠言は 第247話 早かろう 第248話 菖蒲は五月
第249話 聞くは一時の恥 第250話 四国の旅 第251話 口を閉じて
第252話 畳の上の水練 第253話 人間一生二万日 第254話 摩周湖 in 22
第255話 知床五湖高架木道 第256話 パ・ホークス優勝 第257話 親分
第258話 やきもち 第259話 寸を許せば 第260話 社交辞令
第261話 這っても黒豆    

 

 
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 第261話 這っても黒豆

平成22年12月13


これは、ある人が小さな黒い物を指して「黒豆」だと言いました。しかし、それがゴソゴソと動き出して明らかに虫と分かってもなお、黒豆だと言い張ったことから、はっきり誤りだとわかっていても、頑として言い張りゆずらないことを指しての語として使われています。

いつも小コーナーで述べさせてもらっていますが、人間誰しも加齢とともに頑固になるのが普通です。頑固が全て悪いことばかりではありませんが、あまり良い意味としては使われていないようですね。一般には老いに従い人は丸くなると言われていますが、実際にはその逆であるので、かかる例のような事と遭遇した折にはずいぶんと気をつけなければなりません。

それにしても、一旦口から発した言葉は、時と場合によっては、引っ込みのつかないことがあるものです。特に自分が得手、得意の分野において、ちょっとした勘違いから起こした誤りを、上記のごとく素直に間違いと認められなかったことはありませんか。このような場面で他から指摘された誤りを、はっと気付いて直ぐに指摘に対して謝辞をのべて謹んで訂正が出来る者は、立派な優れ者であると思いますが、凡人にはなかなか出来ないものであります。

一方お題とは逆なお話しとしまして、数字や科学的な根拠によって正誤が決まる場合は当然としても、手段や方法について、ちょっと他から横車を押されただけで、直ぐに持論を引っ込める、いわゆる「朝令暮改」は、いただけません。 類似する反対語として「初志貫徹」があります。初めに思い立った志を変えないで、最後までやり通すこともまた大切だと思います。

「這っても黒豆」は誰でも一度や二度は思い当たる節があることと思います。その頑固さがやがて社会や家族において信頼関係の崩壊に発展しないことになりかねません。小さな黒豆で長年築いた信頼関係が崩れることのないように日頃から、己の頭の中では頑固の二文字を柔軟に置き換えておくことこそ肝要かと思います。


 第260話 社交辞令

平成22年12月1


また、歳の暮れとなりました。私は別に商売をしているのでもく、暦が変わっても日常の生活にさしたる影響が出るものでもないのに、まして人生このかた67回も歳の暮れをやり過ごしたのに、何故か自分勝手に気ぜわしい思いに追っかけられています。

年末・年始の挨拶は社交辞令と少しは意味合いが異なるかもしれませんが、そもそも年末・年始の挨拶そのものが社交辞令であるのではないかと思います。
この一年間に一度も関わりの無かった間柄であっても、「本年もいろいろとお世話になりまして、ありがとうございました」と言う。
社交辞令とは、人が人間として暮らしていく中で大切な行為であると言っても過言ではありません。

しかし、そもそも社交辞令とは、人との付き合いのうえでの愛想のよい応対の言葉であって、 相手を喜ばすための口先だけの言葉であったり、形ばかりの愛想のための言葉のことですね。
それがゆえに、社交辞令を発する場合には、いわゆる TPO を十分に考えて行わなければなりません。今風に言えば空気を読まなければ、せっかくの褒め言葉であっても効果が薄かったり、もしかすると逆効果となりかねない場合もあったりします。

また、社交辞令であったとしても、褒められて悪い気はしないものでありますが、言う方は少々口下手であっても、誠心誠意をもって口を開かなければなりません。

とにかく日本人は、相手を喜ばす話法に乏しいかと思います。今後は、会話の中に常に社交辞令の一つもサラッと盛り込めるようにと考えています。


 第259話 寸を許せば

平成22年11月15


「寸を許せば尺を望む」・・・何事においても相手に対して少しの我ままを許してやると、それを既成事実として、さらに付け上がり次の要求をしてくる様をいいます。同じような意味の語としてよく使われるのに、[庇(ひさし)を貸して母屋を取られる]というのがありますね。           

また、同じような字面として、「を曲げてを伸す」がありますが、これは小事を捨てて大事を成すで、小さな利益を捨てて大きな利益をつかむことの意味があり、今回の語とは異なります。

寸を許す時には、先行きのことは深く考えずに気軽に応じる。しかし、見方を変えて許してもらった側からすれば、例えば一を許してくれたのだから、二もまた許してもらえるだろうと勝手に期待感を持つのが常と考えなければなりません。
個人の間において、寸を許さなければならない事情となる時には、それなりの許さざるを得ない理由があるものです。義理とか人情、又は過去の貸し借りのしがらみもあることと思います。そこで寸を許す側とすれば、普通には「後の喧嘩は先にせよ」との言葉を頭に置いて、事の事態に対応することが必要かとも思われます。
しかし、世の常として折角相手の思いを聞き入れてやるのだから、こまごま講釈することなく笑顔で応えてやろうとします。ここら辺りのメンタルはよくある日本人の気質と思われます。欧米諸国民のように、何事にもYes,No と言い切れないのです。

親切心とか、好意からの善意で応じた事が、相手に既成の事実と捉えられて、次の段階として更に大きく膨らませて、厚かましく迫ってくる様は、今や珍しくないようです。

当世、寸を許す折には、先の喧嘩として、証文を徴しておくくらいの気構えがなければならないのかも知れません。


 第258話 やきもち

平成22年11月1


先日、地域の皆さん20人で「世界遺産の高野山」へと行って参りました。

大門から歩いて奥の院までの寺院を探訪しながらの途中、苅萱堂の近くのみやげ物屋の店先に板に墨字で「やきもち」と大書された看板が架かっていました。それを見て何故「やきもち = 嫉妬」なのかと話題になりました。寺院の探訪話よりも、やきもち談義の方が面白いのは言うまでもありません。

ちなみに、本当の「焼き餅」は群馬県の名物なのである。もう何十年も前のことですが、仕事で関わりのあった団体の偉いさんが群馬県出身の方で、郷里に帰った時にはお土産に、群馬名物だと言って焼き餅をよく買ってきていただいた。 群馬県の人が嫉妬深いかどうかは知らないが、こんがり焼いて味噌をつけて食べる焼き餅は、なかなか美味かった。

一般に、「焼き餅を焼く」とは、嫉妬することだ。
嫉妬することを妬くといったので、そこから、妬くを焼くに引っかけ、気持ちを餅と言って添えた「焼き餅 = 妬き気持ち」という言葉が生まれたとのことだ。

嫉妬という字からすれば、どちらも女ヘンであり嫉妬は女の特有あるいは女が抱くもののように思われていますが、決してそうでは無い、むしろ男が女より強く持つ感情だと思います。男女関係で抱く嫉妬、これは男、または女で比較するものではなくてそれぞれの人間の性格からくるもので、しいて男か女を論じたなら、男の方が嫉妬深いと私は思います。その一つとして別れ話でうじうじと話しが長引くのは男で、女はすぐにさっぱりと割り切る。割り切りとか、ストーカー行為と嫉妬とは意味合いは少し異なりますが、嫉妬心としつこい心はどこかで結びつくものではないでしょうか。

一方、社会での地位を巡っての場合や、会社組織等に於ける出世問題に絡む嫉妬は、対象となる性別比のこともありますが、圧倒的に男同志間が多い。だからこそ昔から「赤提灯屋」が繁盛するのである。そしてまた、嫉妬心があるからこそ出世競争に参戦し、いわゆる切磋琢磨して人間が成長するものでもあります。

しかし、憂慮する問題として嫉妬の塊が世によく有る犯罪へと発展する、見方を変えれば犯罪の根底には嫉妬につながる事象が存在する場合が多いということです。
嫉妬をバネに出世競争に頑張る様と、嫉妬が拗れて犯罪へと走るのと、原因は兎も角として、結果は雲泥の差が出てしまう。

なんとなく「嫉妬」とややこしい漢字よりも、高野山で見た看板の「やきもち」と優しい平仮名で収まる人間社会の方がいいですね。
 


 第257話 親分

平成22年10月15


さる、10月7日に78歳で亡くなられた 大沢啓二 親分を偲んでみたいと思います。
本日、10月15日は22年前の昭和63年に大阪球場での南海ホークスが最後の公式戦を戦った日でもあります。
まず、今回のお話は大いに私の私見や憶測であり、事実とは懸け離れている箇所があるかもしれませんが、お許しを。

大沢啓二は、昭和31年(1956)、立教大学を卒業して鶴岡監督(当時 山本)との約束を尊重して、南海ホークスに入団した。同年の明るいニュースとしては 5月9日に、槙 有恒 隊長の率いる、第3次マナスル登山隊がヒマラヤ山脈のマナスル山(8,125m)の登頂に成功した。日本が戦後という時期を 国際社会において吹き払った出来事であった。

大沢昌芳(後、啓二)は立教大学野球部では、杉浦 忠、長嶋茂雄、本屋敷錦吾各氏の2年先輩であった。往年大沢はあの長嶋に、TV インタービューで臆することのない姿勢で話しかけるのは、先輩であるのではあるが、もっともっと二人には、鶴岡と杉浦の4人がらみの秘話と言っても、ファンなら誰でも知っている、男でも涙なしでは語れない物語があるのです。

いま一般には別世界の人々をのぞいて、親分と言えば「あっぱれ」「喝」でおなじみの、大沢親分のことであると思います。しかし、私は何と言っても親分は、鶴岡一人親分であります。

昭和31年は南海の大型化元年として、大沢啓二、寺田陽介、穴吹義雄、長谷川繁雄が加わった。この数年前に大阪球場で行われた大学東西対抗試合で、鶴岡は大沢を見初めた、目を付けたのは大沢の野球根性がなかなかのものであったと、鶴岡は回顧している。
そして、立教野球部大沢を介して、鶴岡は杉浦、長嶋の獲得運動を展開し、ほぼ南海に入団が決まっていたのに、「親や兄の反対を押し切って南海に行けない。許してください」と泣きながら鶴岡に電話をかけてきた長嶋と、心配する鶴岡に「男の約束に二言はありません」と言う杉浦。この場外での出来事を大沢はどんなに鶴岡に気を揉んだかは計り知れない。

鶴岡は、昭和58年執筆の「御堂筋の凱歌」のなかで、 昭和34年巨人との日本シリーズ第3戦、同点で迎えた9回の裏巨人の攻撃、一死で走者は二、三塁、三塁走者は広岡である。そして迎えるバッターは投手藤田に代わっての森。杉浦が投じた森への打球は完全なヒットコースへ飛んだが、予め前進左寄りに守備位置を布いていた中堅手大沢のグラブに、そして今の言うレザービームで捕手野村のミットに球は吸い込まれて広岡はアウト。「打球の落下点に必ず大沢がいた」と、巨人をガク然とさせ、好投する杉浦を盛り立てた。この大沢の守備を、鶴岡は「あっぱれ」と書いている。 

鶴岡親分に「男の親分」を伝授され、それを実践して「親分」の称号をファンに認められた立派な野球人、大沢啓二の安らかな眠りをお祈りします。


 第256話 パ・ホークス優勝

平成22年10月1


9月26日に、ホークスのパ・リーグ優勝が決まりました。

小話コーナー第094話 ホークス優勝 (平成15年11月1日)以来、7年ぶりです。平成16・17年は共にレギュラーシーズンを1位で終えながら、現在のようにアドバンテージもなくプレーオフで敗退して覇者となれなかったのです。

この6年間には、日本ハムが3度、西武が2度、ロッテがそれぞれ優勝していますが、ホークスファンとしては待ちに待った優勝です。この間、 平成16年からはプレーオフ制で3年間行われて、その後はクライマックス制となり、制度改革に上手く馴染まない球団、選手、それに日本人気質のファンにも、ようやくレギュラーシーズンに勝つことと、クライマックスで勝つことに別々の楽しみかたとしての取り込みができるようになってきた様な気がします。なればやはり、まだ寒さの残る春3月から、真夏を越えて6ヶ月以上も戦い続けるレギュラーシーズンを制することが、大きな意義があるのです。

今年は、大石ヘッドの加入がありました。小久保の、揺るがない主将としての人望は他に真似のできない存在であり、それを助ける選手会長のムネリンこと川崎のグランド内外に及ぶ大活躍。

140試合に出場し、そしてチームの三冠王、多村の活躍が光ます。シーズン前半はオーティズのバットに依存するところが多くあった。また途中加入のペタジーニはフロントの時を得た補強対策が功を奏したし、それが選手との間にいい環境造りになったのかとも思われます。ことペタジーニに関しては目利きが成功しました。

ケガで戦列を離れていた松田が良い時に復帰して、最後の追い込みあたりでの活躍ができたのが、松田ファンとしてはたいへん嬉しいし、安定した攻守走の本多は大きく育った年でもあります。

しかし、なんと言っても 144試合を戦い終わって笑うのは、やはり投手力です。
和田の17勝、杉内の16勝を筆頭に、SBM つまり摂津、ファルケンボーグ、馬原のリリーフ3人組。9月25日に杉内が完投後に見せた涙は、プロ野球もここまで真剣勝負で戦っているのだとの表れであり、見ている方にも感極まるものがありました。 森福と甲藤が加わった中継ぎ陣、今年はホークスのブルペンが明るかったと報じられている記事をも読んだことを思い出します。

むかしむかし今年の逆で、南海ホークスが西鉄ライオンズにシーズンの最後の最後に追い上げられて苦杯をなめた試合を大阪球場の外野席で見たことを思い出します。

パリーグにあっては、当時と変わらぬニックネームが存続している両チームの名勝負でした。 今年は、ホークス 万歳 万歳 万歳 よかった よかった。
 


 第255話 知床五湖高架木道

平成22年9月15


 =平成22年8月9日撮=

ご存知、知床五湖に今年「高架木道」なる物が設置されました。
これは従前、知床五湖巡りをするには簡単なレクチャーを受けてガイドさんに連れられて地面を歩きながら、熊が出没したらどうしょうと、ヒヤヒヤしながら動物の生息地に踏み込んだものでした。
時には通路に、「熊出没のため通行禁止」という看板が掲げられて、それ以上には進むことは禁止されていました。

もとの巡回道は、右側写真の丁度私の頭上あたりにありました。写真の1湖も写真左手から見ることになります。もちろん2〜5湖は左の方向に奥深く展開されています。

そもそも高架木道は、地面から高い所で5メートルほどの高さがあり、一般観光客用の駐車場から、5つの湖のうち 1湖の湖畔まで 800mにわたり設置されています。左側の分かり難い写真ですが、森の中の巡回道といった今までの景色と違い、高い位置から知床連山や、オホーツクをも望めます。丁度、万里の長城のような格好で設置されていて、熊が高架木道を登ろうとしても、高圧電線でブロックされるようになっています。

さて、高架木道について人間のエゴイズムのためなのか、それとも自然を知ってその理解を深めて、更なる自然保護に努める為の糧なのか意見の分かれるところであります。
もし、熊が言葉を喋るならば、人間共との共生よりも、熊社会をそっとしておいて欲しいと望むかも知れません。
乱暴な考えですが、蝦夷の地に入植者がどんどん開拓に入ったこと、また、アメリカインディアンとの西部開拓史など人間社会にあっても思い起こす歴史が沢山あります。しかし、もちろん人間と熊を同列に考えるものでもありませんが、自然社会を可能な限りにおいて守り、保存をすることは、人間に課せられた責務でもあるのです。
この、高架木道は世界自然遺産の中に知識人が熟慮の末に設置された施設である以上、単なる観光名所として開かれたような安易なものでは無いと考えるのが相当であると思います。
同じ北海道の旭山動物園で、ご苦労を重ねた上で、動物の自然生態を誰にでも見せて貰える施設とは、設置概念からして別であると思われます。

しかし、可能性として野生の熊を観察することが出来るのであれば、多くの人たちはここで熊との出会いを興味深く望むことと思います。ただ決して熊が暮らしている場所に人間が無意味に踏み込むことをしてはならないと考えます。

この、知床五湖でのみならず北海道では蝦夷鹿の姿は、この日も含めて度々見かけることができました。しかし、国内でも鹿が繁殖しすぎて農作物を荒らす事例が現状として報じられています。
熊もまた北海道に限らず、生息地はありますが、もし野生の熊を安全に見るとすればおそらくこの知床五湖高架木道が屈指のポイントと考えられます。真昼に高架木道をぞろぞろと人が沢山歩けば、野生の熊を見ることはかなり難しいことと思われます。それにしても全く見られないものでもないとも考えられるからこそ、世界自然遺産である知床国立公園のなかに木道が設けられたものと思います。餌付けなど、これ以上の手出しをすることなく、時にはヒグマを観察できる日が来ることを期待します。


 第254話 摩周湖 in 22

平成22年9月1


=======================平成22年8月13日撮====


昭和41年、作詞 水島 哲 作曲 平尾 昌晃 歌は 布施 明  「霧の摩周湖」、私はこの曲をカラオケで何回歌ったことであろうか。
また、この小サイトでも、北海道に対する私なりの思い入れは、数回にわたって書いて参りました。

そして、♪「霧に抱かれて静かに眠る 星も見えない・・・」ご存知、霧の摩周湖ですが、この日も凄い霧でして、しばらく待ちましたが結局何も見えずに湖を後にしました。平成19年7月15日 とあるように、3年前の北海道の旅の際にも湖面どころか、あたりの感触すら知ることも霧に阻まれて出来なかったのでありました。

今回、摩周湖のある「弟子屈」に着いたのが、8月11日の正午頃でした、またしても天候は雨でしたが一応摩周湖へと参りました、しかし何も見えず駐車場でユーターンして、屈斜路湖畔にある「和琴キャンプセンター」に入りました。12日は台風4号の影響を受けて一日中酷い雨となり、狭い車の中で犬の権太郎と過ごしました。
しかし、利用可能な自然温泉に恵まれて、退屈することなく、加えて親切なキャンプ場の管理人さんにお世話になりながら、台風一過晴天の訪れを待つことにしました。

じっと待った甲斐があり、翌13日には快晴となり、朝9時に朝風呂を済ませて、摩周湖へと急ぎました。到着をしたのが午前10時30分ころ。写真のように何とも言えない濃藍の湖面が目に入りました。

湖の案内看板には、面積20平方キロ、周囲20キロメートルで、世界有数の透明度を誇っていると表示されていました。また、最大水深は、211.5メートルあり、このカルデラの底からそびえる中央火口丘の頂上が湖面に浮かぶ、カムイシュ島であるとのことであり、湖には流入、流出河川が一切なく、ほぼ一定の水位(海抜351メートル)とも書かれていた。
この日には、遠く「斜里岳」を望むことができ、当然のように「屈斜路湖」の全貌も。地元の人に聞けば、この日のように遠望できる日は多くはないとのことであった。

この世にカラオケブームなるものが出現して久しいが、マイクを持てば必ず「霧の摩周湖」を歌い、その度にバックの絵を見ては何時かはこの目で見たいと永年に渡って自分の頭の中に、願望の塊となって 思いつつ、今回で三度目にして、初めて目の当たりにしたのです。

濃藍の湖面は、それ自体を見ることは一説では至福の至りであり、頂上にたどり着いて、後は下り坂ということらしい。
しかし、人それぞれではあるとしても何時かは、見たい摩周湖の湖面。至福の時間を過ごしながら、犬の権太郎と共に、山男が山を去る時に山に挨拶をするように、私もまた湖に次に来るその日まで御機嫌ようと祈らずにはいられない、神秘的な湖であった。


 第253話 人間一生二万日

平成22年7月15


人間の平均寿命をかつては五十年とし、それを日数に換算すると、約二万日になるということ。まぁ二万日は、正確には約五十五年でということではあるが、言葉としての切が良いところに収めているのだと思います。人の一生なんて短いものだととも言えるし、また長いようにも思われるということです。

スーパー武将 織田信長は、人間五十年という言葉を好んで発し、そのとおり本能寺で果てたのである。当時の平均寿命としては、そんなものであったらしいが、 現在風にすれば平均寿命は八十年となり、「人間一生三万日」と書き換えなければなりません。

さて、二万という数を、身近な物で考えればお金ですが、お金の一円とか二万円は、感覚的によく分かりますが、今回のお題のように「二万日」とはどんな時間、あるいはどんな期間なのか頭では考が及びません。

平均寿命とか、余命で何十年と表せば、人それぞれ1年の長さというか時間は感覚として大体のことは分かり、それを10回重ねたら10年というイメージが沸きます。ここらあたりは日本人は特に春夏秋冬という季節とともに暮らしている農耕民族の特徴が知恵として受け継がれているのかも知れません。だがしかし、誰でも1日の長さはほぼ完璧に感覚として把握できるのに、その積み重ねとしての二万日となると、全くどれだけの長さなのかを計り知ることが出来ません。

一日の長さは人間誰でも分かるけれども、二万日となれば長いのか短いのかよく分からない。50年と表わさずに、二万日としたのは、この語の凄さと共に重みが表れています。

のんびりしている者には、ボヤボヤしている暇はない、今日一日を大切に暮らせと戒めることに使えるし、また、焦った日々を送っている者には、二万日もある、落ち着いてよく考えて今日の一日を暮らすがよいと、この語は「玉虫色」のように使いかたによっていろいろに受け取れるようになっているのでないかと考えられます。

人それぞれ、自分の生き方があります。往々にして自身の思いどおりには行かないものなのであるので、そんな日には、二万日の内の一日と考えて、また次の一日に想いを馳せて生きるのがいいと思うのです。


 第252話 畳の上の水練

平成22年7月1


いよいよ、7月となり水泳の季節がやって来ました。この水練という言葉が妙に懐かしく、遠い子供の頃を思い出します。

現在の子供は、温水プールとかで年中水泳をしているので、夏が水泳とは結びつかないでしょうネ。しかし、昭和30年ころの小、中学校にはプールがありませんでした。だからという訳けでもありませんが、当時はため池で、又は川で泳いでも誰にも怒られることもなかったのです。しかしながら当時には池や川で命を落とした子供は少なくなかったのです。私の知る中にも二人は池で落命しています。
かく申します私自身も、現在ご近所さんのT 氏が命の恩人でして、当時の出来事が今でもその瞬間のことが鮮明に目に残っています。8歳のころと思います、何人かで狭山池の河口のあたりで池入りをしていました。まだ泳ぐことが出来なかったのでありますが、年上の者の泳ぐ様を真似していた時、急に深みへと嵌り込んだのです。一旦足に泥が触った感触と、必至にもがいて目は上を向いて見開いていて、その目に映る薄褐色の水の色が今でも忘れることはありません。
その後のことは記憶が途切れていて覚えているのは、池の堤防に腰を下ろして恐怖で震えている私にT 氏が、その出来事を誰にも口外しないように、一緒に遊んでいた連中も含んで言込められていました。ガキ大将の T 氏が率いる子分の不始末を隠そうとしたのです。
数年後には親にその出来事を言いましたが、人命救助の話やら、その始末のことを聞かされた記憶はありませんでした。

しかし、懲りることもなく夏が来れば池入りを続けて小学校の高学年ころには、池でも川でも我流ではありますが、泳げるようになっていました。

水に関してはもう一回、25歳ころに御坊市煙樹ケ浜の巻波に呑み込まれて、岸に近づくことが出来ずに、疲れも出てきて、もうダメかと思ったこともありました。意を決して底まで潜り込み海底を這うように岸に近づき九死に一生を得た思い出もあります。

これは、小学校6年生と中学1年生の2年間の夏休み中、毎日新聞社浜寺水練学校に通わせてくれた親の御陰だと感謝しています。水練学校では海の遠泳も体験して、水泳には自信を持って今まで生きることができました。

水練学校では、初級の時には浜に砂を盛って腹這になり、水泳の形を徹底的に教え込まれます。上級になれば、もう浜に上げてくれと言ってもこれまた徹底的に泳がされました。懐かしい夏の思い出です。

今回のお題の「水練」は先述のように水泳の練習をすることであり、畳の上だけではいくら練習をしても、「机上の空論」「絵に描いた餅」であって実際に水に入って練習をしなければ泳げるようにはならないということです。


 第251話 口を閉じて

平成22年6月15


「口を閉じて眼をひらけ」とは、何事にもまずは 黙って様子を見て出方を考えよ、ということと、常に口は控えめにした方が賢明であるということです。

自然が人間に二つの目と耳を、そして一つの口を与えたのは、聞くことの半分しかしゃべるなということを物語っています。 しゃべらなかったことを悔いるのは少ないけれども、しゃべり過ぎて悔いることはしばしばあるものですネ。

では、どうすれば後になって悔いるような軽々しく口を開かなくなるのかと考えてみれば、あと先の自分の立場を良く考えて、その場の神輿に軽々しく乗らないようにしなければなりません。
今時風に言えば、まず眼と耳で情報を収集して、それを頭脳でよく分析した後に口を開けば良いということです。

この様なことは普段には誰でも理解をしている事なのですが、その場に当面した時には見栄とか、意地が先走りしてついつい余計なことを口走るものなんですね。

ただ、人間年齢とともに頭の回転が鈍くなります。いままで論を整然と口から発することが出来たのに、頭が口に付いていけずに、短絡的に激高したり、見栄を張ってしまうことになります。

いつも一歩下がって物を言うことも大切ではありますが、それでは老いに加速が付くばかりであるので、時には思いっ切り論議にも加わりたい、加わるべきである。

つい、最近の事でありますが、5人ほどで酒も入っていろいろと話し合った中で、発言力がパワーダウンした己を感じました。それは、5人なので、各人20%づつ口を開いて物を言えば普通ですが、自分はおそらく数%も口を挟むことが出来ずに、じっと聞きに回ってしまっているのです。おそらく以前なら30%も口を出して、嫌がられの存在だったのに、だだ聞きに回っている自分を感じたのです。このことは、今回のお題とは外れている問題ではありますが、とにかく論が口から出てこないのです。もっとも、話題は空海の宗教と歴史であり、自分の得意な分野ではなかったので、聞きに回ったのかもしれないけれど、かかる直接に損得に関わりのない、論破には、大いに参加して、脳を鍛えておくべきであったはずなのにと思うと、ふと寂しい自分を感じたのです。

こう考えてみれば、今回のお題を日々実践するには、時には数人の集まりを開帳して、たわいもない題材を出し合って口に泡をするのもいいのではと思います。


 第250話 四国の旅

平成22年6月1


誰でも旅に出る時には、何か目的とか、そこまで明確な想いがなくても何らかの意図するものがあるはずと思います。
そうしてみると、TO&MA (自分の旅用車のこと) で3年前に北海道と九州旅行をして以来暫くの間は長旅をしていなかったので、次の車の旅に備えて体調管理と、装備点検を今回の四国の旅で目論んでいました。
日程的には、四国一周を一週間でとして、何時どこまで行くという計画は持たずに出発しました。
しかし、2年前からの宿題として車で走りに走り詰めて、日暮れ間近に宿泊地に着くというのではなくて、時間でいえば午後4時ころには車を泊めて時には、炊飯をする、または停泊地が例え山間部であったとしても、BS 受信でテレビを見て楽しむ。そして行く先々で出会う車中泊仲間との観光スポットや、車の装備等の情報交換を楽しむ余裕のある車中泊の旅を頭の中で描いていました。

今回の旅では、以前の北海道旅行の時のように日々出会う仲間は多くはないけれでも、毎日2〜3の人と出会いはありました。遠く旭川から全国行脚の人と出会うこともできました。この方には、北海道に行く時期の良し悪しを一生懸命に聞くことになりました。また、別の日でしたが、熊本の方には自分で考えて車中で電気炊飯器を使える電気回路の設置や、台所の流しの設置工夫は見事なものでした。

さて、今回の四国の旅は、端的に申せば全くの失敗ばかりでした。もちろん想定外の雨に叩かれたことはあったとしても、その対策の無さが問題でありました。
土佐では、龍馬の像と会うこともなく、 道後では、坊ちゃん湯に入ることもなく、 讃岐では、金比羅に参ることもなく、全く四国旅行をしたとは言い難い旅となりました。しかし、 室戸岬はいい天気、 足摺岬はいい天気、 佐田岬はいい天気となり、岬巡りには充分に満足をいたしたのであります。

今回のテーマとして、余裕のある車中泊の旅を考えていましたが、一週間の旅中、やく半分が雨であったことで、車の使い方に問題があることを思い知らされました。
分かっているとは言え、屋根上の車載テントが雨中では、設営、撤去時にずぶ濡れとなるために使い物にならなかったこと。今回の雨はいずれも大雨であり、身動きの取れない車中で寝るはめとなりました。今回は車中のスペースを荷物を主として棚を作った為に、雨を想定した場合の寝るスペースを最小限にしたことにより、実際に寝るには、狭隘すぎたのでした。

また、炊飯の道具も、今までは山登り用の器具としていたが、今回は、カセットコンロ等、日常に近い器具を装備しましたが、結局雨の日が多くて、嵩が高い割には使用機会に恵まれずに、無用の長物と化してしまいました。
同じく、 BS 放送でも見ながら夜も楽しくと、サブバッテリーと、走行充電システムも装備して、19インチテレビも積んだものの、厳しい雨中では、BS アンテナの設置も出来ずに、これまた無用の長物と化してしまったのである。どちらかと言えば、車中泊旅行はアウトドアーてきでありまして、BS を楽しむのには矛盾もありますが、次の長旅では備えておく必要もあると考えて、今回に間に合うように車載いたしました。

4月の一ヶ月間でいろいろと、加えた車の改装も、連日の大雨こはことごとく跳ね返されて、ネガティブな結果しか得られなかったことは、悔しい思いである。
しかし、今回の旅は長旅に備えての、装備点検として出かけたので、そう考えれば、得たものが多すぎたということになります。

先述の熊本の方に「何年ほど、車の旅をしていますか」と聞いたら「7年を過ぎました」とのことでした。車も2台は変えたとのことでした。

何事も、一朝にしてならずということを思い知らされた、四国の旅でした。

旅の様子は、トップページ ・・・TOWN ACE・・・のサイトで見てネ。


 第249話 聞くは一時の恥

平成22年5月15


「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」

知らない事を聞くのは、恥ずかしいことですが、恥ずかしいのはその場だけのことであって、聞かなければ知らぬために死ぬまでいつも恥ずかしい思いをするから、一時の恥を忍んででも聞いておけという訓であります。

特に自分が得意の分野としている範疇で、それも初歩的な疑問に出くわした時に、顔に関わるような気がして聞きにくいものである。それで知ったふりをして過ごすことが多いが、そのために後でとんでもない時に恥をかくことがあります。

この言葉で一番気になることは、その時に少しの勇気がないために聞きそんじた疑問が、そしてその不思議と心に残る疑問が、万座の前で巡り合い、自分の知恵として習得していなかった為に、恥ずかしい思いをすることになるのです。しかも、このことは一度や二度ならず、しょっちゅう起こり得たような気がします。

最近は、カタカナ語や、新語など正道なものか、そうでないものかを含めて身の周りに聞きなれない言葉が氾濫しています。今回のお題では知識として会得しておかなければならない事柄はもちろんのこと、世のニュースや、新語も含めて、多くの人が知っている事を、自分が知らない場合は、一時の恥を忍んでも聞いておけということです。

とかく、人というものは面子とか対面にこだわるものでありますが、それはそれで人の世の中で生きていく術であり、人様にご迷惑をおかけしないようにすることは、何をさておいてでも大切なものです。しかし、反面において、知らぬ分からぬものを、おそれ言いますがとの体で教えを乞えば、大体の場合には親切に教えてくれるものではないでしょうか。そしてまた、人寄りの場であったとしても、恥ずかしさと、遠慮で聞けない人は他にも居るはずで、よく質問して聞いてくれたと、心では感謝をされることも多々あろうかとも思います。

分からぬ疑問を抱いて生きるよりも、少しでも心軽やかに生きて行きたいと考えています。


 第248話 桜三月菖蒲は五月

平成22年5月1


ものには一番よい時期というものがあります。桜の見ごろは三月で、菖蒲の見ごろは五月という具合にです。

それにしても、今年の天候不順は並大抵のものではないですネ。やっと暖かくなったかと桜が咲けば、桜が散る四月半ばにして雪が舞うという異常気象。

人というものは、希望的観測とか、期待感というものがあるので、桜が咲けば暖かく暮らし易い時期となると思っているのに、今年の四月は身の縮む思いをさせられ、灯油の買い足しを幾度も行わなければならないという、心身ともに寒い日々を送りました。

さて、今年の天候不順には関係なく、暖かい皐月晴れのぽかぽか陽気につつまれていた遠い昔のお話しです。
まだ、私が小学校の低学年であったころに、今は宅地となって無粋なコンクリートマンションと化している場所に、狭山遊園なる南海電鉄が経営する遊園地がありました。この施設はいつころから存在したのかは知らないけれども、おそらく戦前からあったものと思います。何回かは改装されてその都度総面積も拡張されてきました。
そして、遊園地の北に位置する場所に「菖蒲園」なるものが存在したのです。 その菖蒲園には、黒くコルタールが塗られた、巾1間ほどで、ジグザグ状に敷き詰められた板の橋がありました。ところどころに同じく黒く塗られて、少し頭を出した杭があり、その杭にどこの誰かは知る由もない背広姿の男が意気に片足をかけて、片手は女の肩に回し二眼レフのカメラに向かってポーズをとっていた姿を今も忘れることができません。黄緑色の花と、菖蒲の何ともいえない、いい香りがあたり一面に漂っていた。頭のどこかで、早く大人になりたいと菖蒲の香りに誘われて色気に芽生えた五月であった。

今もそうであるが、「菖蒲」と「あやめ」の区別が解らず、別々の物なのかも解らなかった。当時近鉄電車と思うが、経営する「あやめ池遊園」なるものがあった。それで南海電車は「あやめ園」ではなくて「菖蒲園」にしたのかなと子供心でそう思っていた。
しかしこの季節、端午の節句には、祖父がどこから刈り取ってきた菖蒲で、香りの良い「菖蒲風呂」を楽しんだことは覚えている。あやめ風呂とは言わなかったから、菖蒲とあやめは別のものかも知れません。

地球をとりまく環境問題としての温暖化が、今回お題に頂戴した「菖蒲は五月」を膨らませてみても、到底考えが及ばないが、遠く昔の「菖蒲園」の香りが思い出される、暦とともに移ろう日本の美しく良き四季を何としても、守っていかなければならないと思う。


 第247話 早かろう

平成22年4月15


早かろう悪かろう

速くやってしかも上手なら言うことはないけれども、「早い者に上手なし」で速くやった仕事はゆっくりやった仕事にくらべたら、念が入らず手落ちもあって、どうしてもよくない結果になることが多い。しかし、「速くて悪いはまだましで大事なし おそくて悪いはなお悪い」というから、多少の出来が悪くても、「速いのが一つの芸」で、それも止むを得ない。

自分は、子供の頃から何をしてものろかった、いわゆる手が遅かった。なかでも初めて行う何事にも慎重になりすぎて、なかなか先に進まないのです。 ただ、慣れたことには、人一倍に手早く片付けるのであるが、要するに思い切りが悪いのです。

じっと頭を抱えて次の行動に移せずに、あれでもなし、これでもなしと考えている。このような時には自分は考えているかのように思っているけれども、結局は思考回路は停止しているのです。囲碁の名言に「下手の長考、休みに似たり」とかありますが、まさしくあれこれと考えているのは、慎重にやっているのでもなく、念入りにやっているのでもないのです。「のろい事は 誰でもやる」との語もある。考えてみれば、 手の速い者には、じっとすることがないのです。

普通には、手の速い者の欠点としては、出来上がりを見直すということが習性として頭から欠落しているものと考えられます。だから一旦出来上がった物事を見直すという行為が身に付けば、これは鬼に金棒となるのですが、これまた手の速い者には先天的に持ち合わせていないものなのです。

これからの人生、早くやらなければならない事は、まず無いと考えますが、例えば行動の一つとして、食事の摂取にしても、のろのろとではなく、さっさと済ます等に気を配らなければならない。


 第246話 忠言は

平成22年4月1


忠言(ちゅうげん)は 耳に逆らう

忠告や 諌める言葉は、兎角聞く側のほうとすれば感情を害することとなるので、素直に聞き入れられないものである。されど、良薬は口に苦けれど病に利あり 忠言は耳に逆らえども 行いに利ありとは、誰しも頭のどこかには持っているのです。

現在、忠言や忠告という語は、日本語よりも外来語である「アドバイス」という語のほうが一般的に広く使われている様に考えますが、アドバイスを辞書では「助言」・「忠告」と載っています。
そして、今の世の中はスポーツのコーチや習い事の師匠から「助言」を受けたり、またこれら一連の指導を受ける事には馴れてはいるけれども、一方「忠告・忠言」を聞き入れることが出できる者もなければ、それを行う人格者もない人間社会になってしまっているのではないかと思うのです。

しかし、これは今に始まったものでもなく、先述の「忠言は耳に逆らえども 行いに利あり」とは、孔子の論語であることからして、 忠言を説ける者も、それを素直に聞き入れる者の存在も、これまた永久の人間社会に於ける課題であると考えられます。

忠言を上手に言える人と、同じ意味のことを言っていても、ただ相手を怒らすだけで言わない方がましであったとの結果しか残せない人もあります。それにしても我が国の団塊の世代と言われる年齢層によって分断してみて、団塊前後を比較すれば、 団塊後には「長幼の礼」とか、「三寸下がって師の影踏まず」なる良き日本人気質はすっかり削除された世と化しています。このことは今や誰の責任でもない日本人皆の責任としなければならない。


 第245話 爪で拾って

平成22年3月15


「爪で拾って箕でこぼす」・・・箕とは、竹や籐で作られた農具で、人が上下に振って穀類を殻と塵に分ける時に使います。

今回のお題のイメージとしては、地べたにこぼれた米粒を一つずつ、爪を立てて拾い集めた箕満杯の米を、どどっと一度に使い果たしてしまうようなことで、少しずつ苦労してためたものを、一度にむだ使いしてしまうことをいいます。また、収入はすくないのに、支出が非常にたくさんなことの例えとしても使われています。

せっかくの、お話なので少し視点がずれるかも知れませんが、爪で拾うを収入とか、あるいは得るものとして考え、一方、箕でこぼすを、価値のある支出とか、思い切った有意義な大出費を惜しみなく行った、戦国三大武将の生き方にあてはめてみたいと思います。

織田信長は、爪で拾ったのは、秀吉を始めとして、光秀等の数々の有能な武将であった。そして、強いて箕でこぼしたものとされるのは、天下統一を目前にして失った、信長自身の命であったかのように思われます。

豊臣秀吉は、拾う爪をよく研究して、誰よりも多くの富を拾った稼ぎ頭ではないでしょうか。また、箕でこぼすにも、大坂城築城や、聚楽第などの派手な面もあるが、本当に大金を使ったのは、越前朝倉義景討伐に従軍して、信長の敗戦処理者として見事な敵地からの殿を務めた折ではないかと思う。一つ間違えば己の命も家臣も全滅となる敵地からの撤退を、退路の全てを買収して成し遂げている。その3年後には、城持ちとして、長浜城主となっている。
また本能寺の変を知り、毛利方と講和し、中国大返しと言い伝えられている大進軍行動である。秀吉軍が通過する道には、夜通しの松明の明かりと、にぎりめしが、あふれかえっていたとされています。想定外の短時間で中国から引き上げた秀吉は、元同士の光秀軍を山アの戦いで打ち破った。秀吉得意の引き上げ作戦で、通過する道々に箕で金をばら撒くごとくの、見事な金の使い方である。今回は、朝鮮出兵は封印。

最後に、徳川家康の徹底した倹約の美学。とにもかくにも、倹約して、国力を養った見事な成功者。箕でこぼすことがなかったからこそ、300年も天下に君臨したのです。

歴史は、戦国三大武将にあっては、拾う手腕には、それぞれが、突出した才能を発揮したことが分かるけれども、箕でのこぼし方が、後の世に残した偉大な歴史の差となって残ったのです。


 第244話 人と屏風は

平成22年3月1


人と屏風は直ぐには立たず

屏風は曲げなければ立たないが、それと同じで、人もひたすら真っ直ぐに正しい道を突き進んでいたのでは、世に立って生きていくことができないから、相手がある場合には、相手方とどこかで折り合いをつける努力が必要である。
また、自分自身の性格の中で、己の信念を通すがばかりに妥協点を見出すことが出来ないことがあっても、それを貫いては、人の世では、生きては行けないということである。

とかく人の世とは、生きて行き難いものである。その世の中で、ひたすら清く正しく実直に生きることは、言うまでもなく、人として、当然であり、普遍の倫理です。しかし、必ずそれを全面的に尊守して、生きていけるか、また人の世としてなり立つものがとすれば、そうではないのですね。

およそ、人の世に、欲という字がなければ、間違いなく素晴しい日々を送ることができるであろうと、誰しも思っていることです。しかし、人間という生き物の欲望が、他の動物に劣っていたとするならば、恐竜のような力のある大動物が、この地球を支配していることと思います。

人の世の中で、いわゆる良い人とは、どのような人のことを指すのであるかを少し考えてみれば、積極的要件としては、惜しみなしに人に施しの出来る人。施しにも千差万別がありますが、有形の物を、施す。また、時間とか、精神的な無形の施しをする。一方、消極的要件としては、人に対して、決して物的にも、精神的にも迷惑を掛けることの無い人。ということになります。

では、良い人の以外は、皆んな悪い人かと言えば、そうとも決め付けることも、また難しい。つまり、良い人とか、悪い人とは、何を持って分別するのかと言えば、古今東西、数行で書き表せるような薄っぺらいものではないのです。
しかし、万人心の底では、良い人でありたいと願っています。では、すべての人々が皆そうであれば、理想な、世を築けるかと思えば、これまた決してそうでもない。

ちょっと、例えが悪いけれども、いつも大渋滞する交差点があるとする。そこは、信号を無視する者を取り締まる官が見張っているのです。そんな交差点でも、不思議とスムースに通過できた。何故だろうと思えば見張り官が居なかった。先を急ぐ運転手が、ほんの少しづつ、信号機に失敬しながらすり抜けていく。他に適当な例えが思い浮かばないので、つい本音を述べてみた。

ほんの少しの悪が、世を明るく円滑にすることも、あるのです。もちろんこの悪が増幅して、親友を失ったり、夫婦別れ、家族崩壊と、ついには当局の厄介になるなんては、言語道断ではあるのですが。 決して悪事を勧めるものではありません。はちきるばかりの善人にも、ほんの少しでも遊び心が必要であるということなのです。

人には優しく、自分には厳しくとは、きれいごとであって、自分には甘く、人には厳しいというのが、現実の世の中です。 正直者が馬鹿をみる。正直貧乏横着栄耀、という語もある。

今回のお題は、とりたてて書かなくても、老若男女、皆さん心の奥で、百も合点承知の助なのですね。


 第243話 一時違えば

平成22年2月15


一時違えば三里の後れ」・・・ひとときちがえば、さんりのおくれ と読む。

ちょっとの間ぐずぐずしていれば、たちまち同行の者から三里ぐらいはおくれるということで、何事をするのにも、初動が肝心と説いたものです。

一時とは、2時間のことですね。そして、「
後れ」は、物事の後先を表現していて、例えば「同輩に後れを取る」のように用いられています。
また、昔の旅を題材として、同じ意味のもつものとして、「小便一町飯一里」があります。昔の旅のイメージとしては、時間がふんだんにあって、よほどの理由がない限りには、ゆったりとしていたかの様に思われますが、今回のように、厳しく戒めて先に急いで、決して時間を無駄にしなかったのですね。

そしてまた、
立ち上がりの大切さは、今回のお題のように時とか、距離などの物理的な数値で表すこともできますが、精神的なマイナス要因として捉えることもできます。一時、つまり出足で、つまずくということは、その時点に於いて、あせりとか、少なくとも心理的に混乱が生じることになり、ややもすると正常な行動が取れなくなります。それがしいては目的を達成できなくなることになりかねません。

何事も、一時違うというスタートの大切さを考えたならば、当然と前もっての準備行為の大切さにつながります。よく、成功者とは準備上手であるとも言われているところです。
このように普通は誰でも、最初の第一歩の大切さは頭では理解をしているのですが、さて、現実にはなかなか実行は伴わないものでありまして、いわゆる泥縄となるのが普通です。

第235話 「一もた 10分」を書きましたが、 一もた、つまり一つもたつくと、10分は費やすというか、損をするとの事で、先述の例では、一寸した出遅れが実質10分以上の時間ロスに繋がりかねないというお話しでした。このお題、実は昔から有ったわけではなく、職場の友が、ある時に、ふと漏らした言葉を書き留めていたものです。
それが、最近ある本に書かれていたのが、今回のお題でありまして、同じ意味の、れっきとした
ことわざがあるのではないですか。何とも妙な心境に嵌っています。

若いフットワークであれば、三里の後れも挽回は可能ですが、何にせよ還暦も過ぎて久しい歳となれば、早い目にスタートをしても、すぐに丁度いい加減となる今、何事にも「一時の遅れ」をすることのないように、したいものである。


 第242話 二月は

平成22年2月1


「二月は逃げて走る」 と、昔から言われています。

一月のすぐあとにくる二月は正月が楽しくにぎやかだっただけに、まるで逃げて走るかのように、あっという間に過ぎてしまうように感じられると言うことと、
「二月」と「逃げる」の「に」の字にかけて面白く言ったものでもあると、ものの本では解説されています。

二月は、閏年でない年には、28日間であるから、3日も早く次の月へと変わりますので、平月に比べての3日間の短いのは心身ともに短く
感じられるものと思います。

実際、平月よりも3日間が少ないことに加えて、正月は何かにつけても後々に記憶に残る出来事が多くあります。そして、二月の次にくる三月も、国民的行事としての卒業式や、社会人にとっても人事異動など、とにかく自他ともに話題となったり、記憶に残る出来事の多い月でもあります。それに比べれば二月は、 一年中でも最も寒く、どうしても家に閉じこもり勝ちであり、行動力に欠けるから記憶に残る出来事となる機会の少ないということが、後になって二月ってあったかなという風に感じるからではないでしょうか。

反論として多忙な一日は、あれこれと追われてすぐに経ってしまいます。それに反して、することが無い、退屈な一日は、やっと昼飯かと言う具合になかなか日暮れとなりません。こうして考えてみれば、「二月は 牛歩のごとし」とする論もあるのではと考えられますね。

まあ、日本列島が一年で一番冷え込む時期であり、誰しもじっと耐え忍ぶ時期として、早く暗い寂しいトンネルを抜けきりたいから、じっと我慢をしていれば、二月はすぐに経つからと自分に言い聞かせているのかもしれませんね。


 第241話 金の草鞋

平成22年1月15


金の草鞋で捜す」・・・かねのワラジ と読む。 よく きん と読まれていますが、本当はそうでもないらしい。

もともと草鞋(わらじ)は、藁(わら)を編んで作られた草履(ぞうり)であるから、履いて歩けばすぐに擦り切れてしまいます。そのような時代に金属の草鞋があれば、磨り減ることなく、ぐんと行動距離も延びて、広範囲に渡って、捜すことができるであろうと、
辛抱強く、どこまでも根気良く歩き回って捜すことを、「金の草鞋で捜す」と言われるようになった。

このように、より丈夫な草鞋を探し求めていたことに語源があるものなので、決して「金(きん)」ではないのである。しかし、 昨今では、純金製の草鞋を履いてでも、探し当てたいと意味合いに変化しているかも知れませんが。

ついでではありますが、草鞋とは、旅と同じ意味合いに使われていました。
草鞋を履くとは、住み慣れた土地を離れて長旅に出ることを言い、ヤクザなどが諸国をまわって、ある土地に身を落ち着けることを、草鞋を脱ぐ、と言いました。

また、 「捜す」は、人を捜すという具合でありまして、探すは、物の場合や、仕事を探す時に使われています。つまり、「金の草鞋で捜す」のは、嫁を、又は婿を捜す時の言い表し方として一番ピッタリくるようですね。 明確な区別はよく分かりませんが、捜すの場合は、人を捜す。一方、探すは、事物を探すとされているように思っています。

さて、今日まで自分が生きてきた中で、人を捜してきたであろうかと、思い返してみれば、残念ながら思い当たる節は無い。このことについて、今にして考えてみれば子供の頃から父親に、友達を捜して選べと口癖のように言われたことを思い出します。常に優れた視野の広い友を求めていれば、おのずから己もまた視野が広がるであろう。が、しかし逆に、視野の狭い友と交われば、それだけの人となります。

このように自分の今までの生きてきた道をふり返えれば、常に物に対する欲というか、物を探すことに徹してきたように思う。端的な例として、趣味の道具探しばかりをしてきたように思える。しかし、残念ながら手に染めてきた一つ一つについても、いずれも趣味の世界の域を出ることがなかった。周りの人から、何でも出来る器用人として呼ばれるものの、これとして一芸に秀でるものは無かったのであります。
多趣味にあらずして、的を絞ってその道を歩き通して来たならば、それなりに自己満足もあって、人に認められもするであろうが、そのようなものは全く無い。

人の一生、「金の草鞋で捜す」のは、自分自身をより高く引き上げてくれる、友であり、師匠なのであります。


 第240話 虎の子渡し

平成22年1月1


---------あけまして おめでとうございます-----------
---本年も、「小話コーナー」をよろしくお願いいたします---

寅年にちなみまして、数多くある虎に関する故事ことわざから、「虎の子渡し」を、お題を頂戴いたします。

もともとは、古い中国の説話でありまして、生計のやりくりをすることの例えとして使われてきました。皆さんもこの、 虎の子三兄弟の川渡しを、なぞなぞ遊びの問題として使った覚えがあるのではないでしょうか。

ご存知のこととは思いますが、このお話しは、虎の子三兄弟の内、一子は凶暴であり、親が目を離すと兄弟でも襲いかかるので、親虎は、どうして三子を無事に川を渡らすかというものです。その手順といたしましては、まず親虎は凶暴の子を渡し、次に別の子を渡します。そこで凶暴の子を、もう一度連れ戻して、次に残りの子を渡して、最後に凶暴な子を渡したという説話から、生計のやりくりをすることの例えとして使われてきました。

このように、すでに解決したお話しを聞けば、大した事は無いと考えがちでありますが、どの様な場合でも、、これから向かう問題は難しく、終わってみれば、それほどでもなかったという経験はありませんか。虎の子渡しも、親虎は川岸に立ってその時は、さぁどうしたものかと思案したことだと思います。

少し意味合いは違いますが、知らぬゴルフコースに出て、ティーグラウンドに立ち、さぁ打ち出そうと先を見たら、左右が狭く感じて、難しそうだなと思うのが普通ですね。しかし、2打目か、3打目ぐらいの時にティーグラウンドを 振り返ってみると、コースを見る地点によって、こんなにも難易度が変化するもんだなっと思ったことはありませんか。

類似する言葉として、創意工夫というのがあります。知恵を出して物事を考え出したり、新しい思い付きを駆使して、難問を打開していく場合に使われる語ですね。

昨今は、ややもすれば、事なかれ主義に嵌りこむ年代となり、何も考えることなく過ごす事が多くなってまいりました。
そこで、年の始めにあたりまして、今年は何事にも、一呼吸立ち止まってより広く、目を見開いて考えてみる、という習慣を身に付ける様にしてみたいと思っています。



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