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ご意見などは、掲示板で待っています。

第262話

めりはり 第263 握れば

第264話

昔の剣
第265話 ホークスを想うVer 4

第266

月日に 第267話 他山の石
第268話 三年たてば 第269話 堪忍五両 第270話 起きて半畳
第271話 あどけない 第272話 ゲンをかつぐ 第273話 道楽
第274話 最右翼 第275話 美深 in 北海道 第276話 弟子屈 in 北海道
第277話 八面六臂 第278話 諦めは心の養生 第279話 触り三百
第280話 ホークス優勝Ver 2 第281話 ホンダ SM600 回顧話    
   

 

 
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 第281話 ホンダ SM600 回顧話

平成23年12月13


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今日、この JR3WAS'Page の開設日と同じ月日の12月13日に、40年ぶりに私の S6 にナンバープレートがつきました。

憧れの ホンダ S600 を職場の近くで購入した昭和40年7月26日、その日の仕事が終わるのを待ちかねて車屋へ足を運びました。店主は大きめの紙袋に入ったナンバープレートを見せながら、売買条件など簡単に最終確認して、その場で 番頭格の人が S6 にナンバープレートを取り付けてくれた。
オープンカーですがとりあえず幌を装着したままで店を出て、一路帰宅の途につきました。暑い季節の中にも爽やかな天候で、夏の午後6時過ぎにはまだまだ辺りは明るかった。S6 のクランクシャフトにはニードルベアリングが使われているので慣らし運転は不要、とは当時のメーカーの謳い文句であったが、それまで2台の中古車を乗り継いでいた私にとっては初めての新車でもあり大事にソロソロ運転で、緊張しながらにも軽ろやかな排気音を聞きながら家路を走っていました。市街地から田舎道へと入った頃にカーラジオのスイッチを入れると、いつもの番組のテーマミュージックである「パーフィディア」が聞こえてきました。パーフィディアはほぼ同時期にエレキブームが来た折に、大ファンとなったカルフォルニア産の「ザ・ベンチャーズ」の演奏オープニングによく使われていたし、いまでもよく CD で聞く曲であります。

ニコン、ソニー、ホンダとまさしく MADE IN JAPAN が海外へと羽ばたいた時代に、ついにホンダが二輪メーカーから四輪部門もと飛躍していったのです。スポーツ カブC111 と スーパースポーツCB92 を乗り、すっかりホンダ党になっていた私は、当時に ホンダS360 が世に出るという噂にすっかり吸い込まれて、これは何が何でも買わなあかんと思い込んでいました。他の自動車各メーカーから色々な軽乗用車が出回り日本の道も狭さに加えて未舗装の状態を憂いた国も、重い腰をあげなければならない時でもありました。
結局、S360 は世に出回ることなく、S500 としてデビューするのであるが、この辺は他の書物に委ねるとして、次に 500 を S600 とスケールアップして街を走り出すと、もう欲しくて欲しくて辛抱がたまりませんでした。

しかし、まるまる給料の40数倍もするスポーツカーなんて買えるものではありませんでした。S600 が発売されて1年以上も経った頃に勤め先の近所の車屋さんのウインドゥーに輝く SM600 があるではありませんか。店主の本職は寿司屋で道を隔てた向かい側で寿司屋を営んでいました。顔見知りの店主は、オートバイはよく売っていたので無理やり SM600 をウインドゥーに入れられたと、つまり小売り店舗にノルマを掛けられたらしい泣き言を言っていました。店主は財はあるけれども、いつまでもウインドゥーに飾っておくわけにもゆかずに、客待ち状態であったのです。
そこに欲しくて溜まらない貧乏人の私が話をもちかけたもんで、売りたい、買いたいは成立するのであるが、肝心の金がありません。店主は月賦で24回均等払いの利子付かずまで譲歩してくれました。その時代に銀行ローンなるものが有ったかどうかは今もしりませんが、店主は、いわゆる置物のタヌキが提げている「通い」を作ってくれまして、月給日には店主の好意に応えるべく、24回私の方から店に一日も遅れることなく通いました。

なぜか、もう46年も経っているのに頭の中では「ROM状態」として鮮明に覚えているのです。この出来事以前にも覚えていなければならない事も、またこの後に現在に至るまでそれなりに色々と人生の節目も有ったことと思いますが、私としては忘れ得ない特別な一日でありました。


 第280話 ホークス優勝Ver 2

平成23年12月1


平成15年から、じつに8年ぶりにホークスは日本一に輝きました。このコーナーでは平成15年に日本一を達成した時、「ホークス優勝」を第94話(保存参号館)で載せています。しかし、平成11年に日本一を達成した時には、JR3WAS'Pageはまだ開設しておらず、ホームページは優勝の2ヶ月後に開設して現在に至っています。

さて、 近年プロ野球環境もずいぶん変わりました。そんな中、今年のホークスは、初夏のパ・セ交流戦優勝、レギュラーシーズン優勝、クライマックスシリーズ優勝、日本シリーズ優勝しました。その上に他の11球団のすべての対戦成績を勝ち越しという花を添えての完全優勝でした。

この圧倒的な強さは、監督、コーチ、選手はもちろんのこと、孫オーナーのホークスへ注ぐ愛情は無比であります。あれだけ多忙を極める日本一の実業家がよく球場に足を運んで観戦する時間があったものだなと思う人もあるでしょうが、私はそれこそ孫オーナーの凄いところと思います。それは、社長がいつも社長室にいなくても、観戦している間、社長が任せられるスタッフが居ると言う、社長の偉さ、スタッフの偉さではないかと思います。おそらくソフトバンクは一時の目も離せない国内は言うに及ばず海外の隅々まで、情報収集に奔走しているはずです。それでも、球場には顔を出す。そりゃ選手も一生懸命やりますわな。
かつて大企業の贅沢であったプロ野球団の保有も、世の移ろいとともに企業の広告塔色が際立ってきました。しかし、日本でのスポーツ人口といえば熱烈ファンも入れてやはり野球ではないでしょうか。それなのに日本シリーズの開催中でもあるのに、内輪もめで変な汚い情報を撒き散らす球団もありました。将来のスタープレイヤーを夢みて頑張る野球少年の為にも、プロ野球は安定した企業により運営されなければなりません。

今年のホークスと申しますと、レギュラーシーズンで2位に17.5ゲーム差と圧倒した陰には、まず自身が優勝争いが出来るチームへの参画と、大分の出身で常時父親に活躍の場を見せることが出来る希望を持ってベイスターから移籍した内川聖一の加入が、何と言っても筆頭です。
内川の大活躍はグランドの内外を問わずに、自身が勝ちたいという強い心を持続し続けた。そしてまた小久保と松中の今シーズンの好調に大きく寄与したと、秋ぐちの頃に新聞が書いていました。それは、内川のバッティングが両大ベテランのポイントをつかむ起爆剤になったとのことでした。

つぎに、細川の加入は、好調投手陣を育て上げたとのことであります。正捕手の定まらない中、一回り大きな存在となって活躍しました。とくに山田投手の台頭は特筆に価します。また、 長谷川、福田、明石などの意気のいいのが、小久保、松中、馬原などベテランの留守を、それ以上に押し上げた功績は非常に大きかったと言えます。

さらに、 パリーグの最多勝利のホールトン、中継ぎのファルケンボーグは、口を揃えてホークスの日本一を唱えました。 和田の安定感、摂津、森福と投手陣が続きます。なぜ、杉内が登板する日は、打撃が湿るのか分かりませんが、勝利数が少ないけれど、日本シリーズの最後を飾ったあの投球根性は、ファンならずしても、誰でも認めるところです。

2年連続の盗塁王、本多の活躍も見事であります。川崎、本多、松田のシーズンフル出場も凄い。私は近年松田が良くならないとホークスは勝てないと言ってきた。それが今年の打撃は数字として残してくれました。

まあ、勝つ時はそうなのかも知れませんが、何と言ってもキャプテン小久保と川崎選手会長の絶大なるチームのムード作りが、ややもすると優秀な選手が集まり過ぎると機能のしない先例が沢山あるなかで「日本一になるの」を合言葉に、一点を見つめて勝ち抜いたことが、今年のホークスナインであったと思います。

常勝ホークスとなってもらいたいと願っているが、どうも大黒柱の流出が新聞を賑わせています。せめてもう一年、今年の最強軍団でやってもらいたいと願うのも、8年間にわたって辛抱したファンの本心ではないでしょうか。


 第279話 触り三百

平成23年11月15


決して、満員電車の中で触って三百万円の損をするというばかりのお話しではありません、昔から「触り三百文」という諺があります。しかし昨今は毎日というほど満員電車でのお話しが新聞に載ります。そして新聞に載る触った人は皆さんがいずれかの公務員さんであります。では触る人は公務員ばかりかと言いますと決してそうではありません。会社員を始めあらゆる方々も皆さん同じですが、何々会社の方が通勤電車内で云々と書いても誰も読んでくれません。公務員がとすれば、格好の新聞ネタになります。公務員攻撃は新聞社の活力の源となっているのです。そして新聞社の方が触っても、新聞屋は書きません、勝手なものなのです。

今回のお題であります「触り三百」は、ほんのちょっと関わったり、その気もないのに軽く口出しをしたばかりに、三百文も損をしたとの意味から、軽々しい行動が思いもかけない損をこうむると戒めた諺です。
類似する例えとして、ある場で 意見を述べたために、世話人にされたりしたとか、けんかに一言口を出したために後々まで迷惑をこうむったとの話を耳にしたことがあります。

触りを別の言葉にすれば、「関わり(る)」「首を突っ込む」「手を出す」とかになるのではないでしょうか。そして、本業での出来事よりも、日常の生活上での出来事や趣味などを含む付き合いの場で発生する事柄の中で、自らが首を突っ込んで行ったり、誰かに背中を押される場合もあります。

まぁ本来この語が世に出た頃には、インターネットでの関わりなんかは想定をされていませんでしたし、そもそもの意味あいとしては、ごく狭い人間関係の中で起こる、まぁお付き合いにおいて、一緒に呑む酒代とか、これに近い無駄な時間を過ごすことであったと考えます。

ほんの10年ほど前には、チャットなるお遊び゛で、大そう多額の接続料が請求されたとか、後にはいわゆる有害サイトの閲覧料金問題とかがありましたが、現在はネットの利用者側も慎重に調べたりしてこのようなトラブルはあまり聞かなくなりました。それだけネット利用者の皆さんも賢くなったと思いますが、ネット上ではまだまだひと触り三百文どころか、もっともっと怖い落とし穴もありますので、いつも注意をしていなければなりません。

こうしてみると、昔も今も「触る」とは、いろいろと怖いことの多い言葉であります、はい。


 第278話 諦めは心の養生

平成23年11月1


「諦めは心の養生」とは、誰でも分かりながらにも、意地や見栄が心の中で突っ張って、なかなか諦めることがた易いことではありません。

諦めとは、 たとえ失敗や不運があったとしても、仕方がないことを断念したり、悪い状態を受け入れたりすることであって、 くよくよせずにならぬ欲望を抑えて、自ら諦めの決心ができれば心が晴れ晴れとして精神衛生上よいということでありますが、至難の業ゆえにこの語も存在するのかと思います。

それにしても、諦めるということは、自分自身に負けてしまっているような気分になります。かと言って意地を張ってみても、なかなか相手を負かしたり、説き伏せる力がありません。負けるが勝ちというのは、勝つ力を持ちながら、相手に譲るもので、力量において相手に劣る場合には、尻尾を巻いて逃げることになるのです。

つまり、戦いを構えてからは、もはや「諦め」ではなくて負けたことになります。この場合には悔しさと諦め切れない未練が残り心には傷がつきます。そうかと言って何事にも始めから何もかも諦めて掛かるようになれば、周囲から根性なしと馬鹿にされて、これまた悔しい思いが募る日々となります。

知力にしても、体力にせよ、はたまた財力においても、自分自身を他人の目線で見て、まだ余裕があると評価ができる時点において、 一歩引くことができれば、それは余所目にも認められて立派な生き方として尊敬されます。

意地を張ったり強欲に目が眩んだりするのは、人の世の中には常にあることです。しかし、その場合でも人それぞれによって身を引く時の加減を知りえる者は、つまり諦めの境地を知る者は、自分の心に深く傷を付けることなく次の生活に向かうことができますが、そうでない者は例えば犯罪に走ったり、よき人間社会には受け入れられずに、はみ出し者として一人で寂しい人生を送ることになりかねません。

昭和30年代のポップスで、ドリス、デイが ケセラセラ と歌った曲がありました。(現在、時々 TV コマーシャルのバックで使われています。) ケセラセラは、「なるようになる」と日本語に訳されてたいへん流行しました。歌の全体がどのような内容であったかは知りませんが、イヤなことをくよくよせずにケセラセラと明るく吹き飛ばすフレーズは、私は今でも大好きです。


 第277話 八面六臂

平成23年10月15


ホークスのリーグ連覇は、何よりも嬉しい。いろいろな方向から今年の強さは述べられているところでありますが、まずオーナー、王前監督のてこ入れは、他球団では到底成しえない展開となっていると、素人でも感ずるところがあります。このように上から、若い人まで、連覇するだけの要因は幾つかあります。投手力の安定、ベテランから若手まで切れる事の無い打撃の破壊力、盗塁数が示す起動力が、本年11球団のすべてに対戦成績が勝ち越したのであります。初夏の交流戦から、マジックが点灯してからの詰めの段階までも、凄まじいチーム結束の勝利であったと言えます。投打ともに主力選手が戦列を離れても、すぐさま若手が台頭する様は、かつてどの球団も出来なかった業でありました。

通年して、あえて言えば、松田宣浩と内川聖一の働きには目を見張るものがありました。その中でも内川聖一の働きは「八面六臂」に値するものではないでしょうか。

優勝を決めた10月1日のライオンズ戦で、9回裏のライオンズ攻撃中にすでに、内川の頬を伝う涙は今シーズンに懸けた彼の熱い想いと、一心不乱の業績の表れであったと思います。
リーグ優勝に対するマジックが発表された時に内川はインタビューでマジック点灯について 「(ホークス) ファンの皆さんは、馴れておられるでしょうが、私は初めてです。」 と語った。いかにも彼らしい発言であった。

優勝という字を果たす為にホークスに移籍してきたスラッガー、内川の果たした八面六臂の働きはパリーグの首位打者はもちろんのこと、小久保を始め他の主力選手も内川の打撃フォームを参考にしたと、新聞に出ていました。

この「小話コーナー 第265号 ホークスを想うVer 4」を是非もう一度読んでいただきたく思います。今年の2月に今シーズンにおけるホークスに対する期待の全てを述べましたが、それに応えてくれたシーズンとなったのです。

今回のお題である「八面六臂」は、まさしく今年の内川聖一選手にあてはまる語でありまして、一人で何人分もの働きをする様子であり、また多くの方面で大活躍する様子を表しています。
「面」は顔であり、「臂」( ぴ と読む)はひじ。八つの顔と六本の腕を持つ仏像のことから、一人の人間が、八つの顔と六本の腕を持っているかのような働きをするという意味であります。



 第276話 弟子屈 in 北海道

平成23年10月1


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私は昔、テレビでよく西部劇を好んで見ました。街から街へと駅馬車が通う道があり、その交わる所に街があります。そこには馬車を曳く馬の交換所、保安官事務所、郵便局、バー等があります。
北海道を旅して、特に道北や道東では点在する酪農家や広大な牧草地が続く道路を走っていますと、制限速度50km/hの道路標識が目に入ってきます。それは街に近づいたことを告げているのです。そしてそこには道の両端に商店が並ぶ街があります。カーボーイハットに拍車の付いたブーツ姿の男性や、日傘にロングドレス姿の婦人に遇えるのではなかろうかと目を凝らします。
そのような気分にさせてくれるのが「弟子屈」とか「占冠」ではと思うのです。他にもまだまだ素晴しい所もあることと思いますが、私は弟子屈と占冠がお気に入りです。

今年は弟子屈には、旭川市から北見市を経て、弟子屈の北に位置する美幌町から国道243号線で、美幌峠を越えて入りました。過去には羅臼方面から標津を経て東の方向から、又有る時は釧路市を経て南方向から弟子屈入りしました。そして、弟子屈を後にする時は、西方向となる阿寒湖方向と、東西南北のいずれも北海道でも名所へと繋がる交通の要所であります。

その弟子屈から約20km北西に進んだ所に屈斜路湖に突き出た和琴半島があり、そこに国設の「和琴キャンプセンター」があります。
8月2日から17日までの17日間を、このキャンプ地で今年は過ごしました。
キャンプの二日目は、素晴しい快晴であったので、早速と摩周湖へと足を運びました。先述の弟子屈で左折して、緩やかな登り道路を約15km進めば、西に屈斜路湖が、東には北海道でも有数の広大な地である標津方面が展望できます。そこに何とも神秘な色合いのした、摩周湖があります。じっーとただ湖面を見つめているだけでも、引きずり込まれるような眺めであります。深いダークブルーの湖面から、目線を他に移すことができなくなる程に魅力的な風景に、釘付けとなります。

さて、キャンプ地の周辺と申しますと、写真の温泉の他に加えて2箇所の温泉がありますので、温泉好きにはたまらないポイントでもあるのです。
湖での遊泳や、他にそれぞれのニーズに従っての遊びの場でありますが、私には限りなくのんびりと寛げる場所であり、何時間も長い行列を作り並んで時間を費やす行楽地とは全く別な、遊び場なのです。
また私のよき、旅のコラボレーターである犬の権太郎は、その親しげな顔で旅の仲間作りに貢献をしてくれるのです。おっさん一人では皆さんは構えて、親しく会話を交わすまでは時間がかかりますが、その水先を権太郎が務めてくれます。
和琴キャンプセンターでも、道内からのキャンプファミリーの方と、友達となり素晴しき数日を過ごしました。おまけに後に羅臼からの帰り道でそのファミリーの家に寄りまして、3日間もお世話になったのであります。もう一組の父娘のファミリーとも一緒に混じりまして、それはそれはいい思い出を創り出すことができました。

私と同年輩の方々との交わりも、もちろんありますが、今回には私の趣味を通じての知り合いで岐阜県在住の方と、ご近所さんという大ベテランのキャンパーの方と知り合うことができました。その方とは約3週間にわたって親交を深めたのであります。
他にもキャンプ地で出会った気の合う人々同志で、幾つかのサークルが出来て日が沈む頃には、あちこちで集いが開催されています。
私達はある日に、イギリス人ペアーと、アメリカ人若夫婦に我らグループがドッキングして、呑む程に歌でもとなりまして、皆が声を出し合えるものとして、ビートルズのナンバーから数曲、楽しく合唱しました。英語でも、日本語でも、ただのハミングでも、声を出し合いながらでの、集いは、最高に楽しい時間を持つことができたのです。

私は、8月18日に和琴キャンプ場を後に、弟子屈から更に東の羅臼に向かいました。

この後、私が羅臼から釧路市と占冠を経て函館に向かってのドライブ中に日高地方の国道237号線上で、サイクリングを続けるイギリス人ペアーと偶然にも再会したのであります。道端に車を止めて、抱き合って友好を確かめあいました。彼らが和琴キャンプセンターを離れてから20日後の出来事でした。

そして、平成23年9月23日にイギリス人ペアーから、日本を含む数ケ国において計 14,000km に及ぶサイクリングの旅を無事に終えて、帰国した旨の電子メールが届きました。そこには北海道での楽しかった出来事が綴られていました。


 第275話 美深 in 北海道

平成23年9月15


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TOWN ACE で行く、東北・北海道の旅も、今回で三回目となりました。
一回目は、限りなく北海道の海辺に沿った道を巡ることとして、それに名所地を加えた旅でした。(行程日数 28 日間  総走行距離 6,393 km)
二回目は、温泉巡りをメインに一回目の旅で見逃した名所を訪ねたりしながら、走るだけではなくゆっくりとした旅をしました。(行程日数 42 日間 総走行距離 6,866 km)
三回目の今回は、美深、弟子屈と羅臼の3箇所を目的地として、そこで留まることを主としました。 (行程日数 53 日間 総走行距離 5,278 km) 

今回の北海道の旅では、最初の目的地に「森林公園びふかアイランドキャンプ場」としました。
それは、昨年の旅において羅臼で親切に車内泊について、いろいろと導いてくださいました M 氏が同じ時期に美深キャンプ場におられることを氏から聞いていたからです。
7月20日には、 M 氏と一年ぶりの再会をはたして、以後7月31日に美深を発つまで、延べ12日間留まりました。美深アイランドと申しましても島ではなくむしろ内陸部であり、旭川市の北約80kmに位置する所です。

私は、車で行く北海道旅行では毎回ここだけは外せないという名所地の「宗谷岬」を経て、枝幸町から音威子府村を通って美深町にと進んだのでありますが、特筆すべきは、枝幸町で泊まった7月19日の夜には気温が10度前後となりまして、冬物を着てもなお寒いという車中で、犬の権太郎と抱き合いながら震えつつ寝たことです。 夜明けとともに、内陸部では少しは暖かいのではと思いまして、音威子府へと進みました。枝幸町から同じ道北でも70kmほど内陸部の美深では、ホッとするほど暖かく感じました。数日後に美深のキャンプ場で出合った京都の I 氏も同じ日に枝幸で寒い目をして美深に来たと言っておられたのを思い出します。

さて、森林公園びふかアイランドキャンプ場は、キャンプ場に、パークゴルフ場のほか温泉宿泊施設や、一般的な野球場よりもなお広い野外ステージのある音楽堂と、子供向きのおとぎの国を形どった山が築かれた公園もあり、さらにカヌーに乗れる池もあります。また、 2〜300メートル歩けば道の駅があり、そこでは食料の買い足しも出来ます。

美深では年間いろいろなイベントが開催されていると聞きましたが、私がキャンプしていました7月30日に、 音楽旅人★音楽夢人が開催されました。アイランドにある野外ステージで行われまして、プロの出演もありますが、アマチュアバンドのライブがとても上手で印象深いものでした。ほぼ地元のメンバーですが、隣の町であります名寄から参加されている高校生らも含んで構成されているとのことで、近い将来に全国ネットのテレビ画面で登場すること間違いなしと、それはそれはピカッと光を放すアマミュージシャンが心に残ります。
いろいろな売店も、設けられまして、生ビールを片手に、夏の夕暮れに最高に楽しい一時を過ごしました。写真のステッカーは、無料で頂き、今回の旅の間は、誇らしげに貼り付けていました。

本来のキャンプ場としましては、なるほど広大なロケーションと綺麗で冷たい水が豊富にあり、炊事場とトイレの清潔さに加えて、有料ではありますが温泉があり言うことなしの環境です。
全体施設が広大な土地にあるために、ごみごみした雰囲気もなくて多くの長期滞在しているキャンパーが居られます。

なにより、自分の車の側に自由にテントを設営することが許されていますので、広々とした占有できる空間は、他のどこよりも快適なキャンプ場であります。



 第274話 最右翼

平成23年7月1


戦前の日本には、海軍兵学校なるものがありました。ここを優秀な成績で卒業して高級将校になるのが大和男の夢です。全国から秀才が集まる兵学校は、そのきびしい教育内容からしても、今の東大よりさらに上のエリート校でありました。
そして海軍兵学校の席順は、優秀な生徒から順に右に並ばされていたそうです。こうすることによりまして生徒たちを鼓舞して競い合いさせていたわけですが、ここから物事を争うなかでも、もっとも優秀なものを「最右翼」い言うようになりました。成績の優劣が即、右と左に分けられたのです。

近年、大阪では学校教育施策において、学力成績の公表を高く掲げていることには、大いに共感するところです。ついでではありますが「起立」条例も議会多数で押し切ったやり方には危険さえも感じますが、誰にもできなかったごく当たり前のことをやってのけた事実の功績は大きいとは考えます。されども近畿圏を己のタレント活動と同等の乗りで進めようとするやり方には賛同をしかねるところであります。

さて、だれもが心の奥では当然の事としながらにも、戦後の変なイデオロギーの浸透によりまして、児童・生徒の教育に運動会をも含めて優劣の公表をしないことが、日本の衰退に結びつくものと憂慮するところです。
その割には、やはりどの親も、最終目的は我が子を東大入学と目標を定めているあたりに大きな社会の歪があるのです。入った大学のステータスで、入れなかってニートなる新語の枠に入り、親の失敗が社会の利得とならない国民作りの諸悪は、競争の原理を埋めこんだことに存在するのではないか。仮に学業では芳しくなかったとしても、運動会で1等になる子には、それなりの将来に結びつく夢を持つ道はあると思う。学校とは学校社会のなかで、児童・生徒が自分の立場を理解して、それを基に徐々に将来を見据え、そこに両親と先生が進むべく進路をサポートしてやることが大切な取り組みであります。

現在の学校教育では、序列、順番をつけることは学業成績のみならず、運動会等の体力評価もしないらしい。しかし、やがて社会人になった途端に業績評価はなされ、たちまち出世競争の渦中にへとのみこまれていく。そんな社会に対応できない者は、親の加護のもとにニートという世の役立たない人間となるのである。

何も、学校教育ばかりが悪いわけでもない。家庭教育においても言うに及ばずである。先日、あるラジオ放送を聴いていると、家庭での主人である父親の扱いについてであるが、風呂は最後と言い切る子どもの意見が、いかにも今の社会に容認されているかのごとくに流れていた。もってのほかの内容である。お父さんが風呂に入るまでは、決して家族全員が待てというぐらいの意気込みで子供を育ててもらいたい。まぁ実社会にあっては風呂の順は都合の良い順でもいいのであるが、父親を如何にも汚いもの扱いすることは最小単位である家庭というものを崩壊に直結して許されるものではない。

自然の条理として、競争社会が当然に存在するものであるので、学校教育にある児童・生徒は競争に順応して育ち、学業は苦手という自覚をしたならば、無理して高学歴を取得するよりも、自らが進むべき道を、導き教えることが、親であり、学校の先生がなすべきことである。健全な社会人であれば、こんな事は誰でも百も承知のはずであるのに、なぜそれが実践されないのかだ。

それは、優秀な生徒から順に右に並ばす学校教育から、世直しをスタートせねばならない。


 第273話 道楽

平成23年6月15


道楽息子が、初代が寝食を忘れて築いた財産を、ぼんぼん育ちの二代目や三代目が、本業そっちのけで趣味や遊びにふけって、潰してしまうことは昔からよく聞く話であります。とくに三代目は要注意といわれています。 このように、本職を忘れてのめりこむ趣味や遊びのことを「道楽」といいますが、それもあんまり芳しくない楽しみのことを指すことが多いように思います。

ところが「道楽」の本来の意味は、仏道修行によって得る法悦の世界で、凡人のうかがい知れぬ境地のことであるらしい。
それを、仏道修業行でもなく、初代の残した財産にあやかって、楽しみにうつつをぬかすというのだから、没落の仏罰に遇うのは、当たり前のことなのです。

道楽にもいろいろありますが、骨董の収集などはいい方として、身近というか、すぐに誰でも手が出せるものとして、博打に酒と女があります。度が過ぎなければ普通の道楽ですが、例えば50歳を過ぎてから、つまりある程度の年を取ってから嵌り込んだ道楽は、抜けるのが難しいと言われています。

「道楽」という言葉の使い方として、本来の意味とは少々ずれる感じもしますが、例えば、「あこの嫁さんは道楽者や!! 家の中は散らかっているのに、何もせずに昼寝をしている。」という具合に、だらしないとか、身持ちの悪さを指して表すこともあります。なんとなく分かるような気もしまね。

まぁ人間、長い一生の内には何か日常の生活に追われることから、ほんの少しだけでも脱却して自身が安堵する空間というか、時間を持ちたいものです。それが夫婦、家族のほか他人まで及んで迷惑をかけることは問題外として、そうでなければ大いに、その時間を楽しむべきであると思います。今風に言えば、ストレスの発散ですね。それは、一歩進んで健全な道楽を会得してストレスなるものを抱かないことこそ、先述したそもそもの道楽の意とするところではないでしょうか。


 第272話 ゲンをかつぐ

平成23年6月1


私のよく知った ある人は、坊主(僧侶)と出あうのを、極端に嫌いました。まして坊主が己の前を横切った場合には、「ゲンクソ悪い」と言い捨てて家に帰って出直すという徹底ぶりでありまして、すでに遠方に出かけている時には、坊主と出あった後の行動にはガチガチになって保身に努めました。その人は別段に花札が好きであったという訳でもなかったのですが。その人はもう何年も前に、坊主に引導をわたされて冥土へと旅立ちました。

「ゲンクソ悪い」という言い方は、我ら南河内の地ではよく使われていまして、ゲンをかつぐ時のフレーズです。

そもそも、ゲンとは、縁起を逆にした「ギエン」からきたと言われています。縁起は「因縁生起」の略で、因縁によって万物が生起する、という仏教の用語らしいとのことです。

欧米では13日の金曜日には、皆さんおとなしくしています。キリストさんの命日か何かは知りませんが、因縁生起と機縁するところを感じられます。世界をリードする欧米人においても、大いにゲンをかついでいるのです。もちろん我が国の紳士・淑女も、大安吉日に慶び事を好んで行い、仏滅には皆さんおとなしくしていますね。
これらは、民族の慣習として極一部の者を除けば、その習わしに忠実に生きているのも事実であります。しかも、このように万人が従っているような習わしについてはわざわざゲンをかついでいるとはあまり言わないようで、万人の常識行動の中に、ゲンが包括されているということですね。

今はいくら科学の時代とはいっても、人はどこかで科学では割り切れないものが有る事を、心のどこかで感じています。ふとゲンが悪いと感じる事象と出くわしたならば、それに抗して生きるのも、また楽しからずかも知れませんが、永らく先人から言い伝えられたタブーには従順に従い、余計な不安を抱きながら一日を過ごすよりも、もっと前面が展開するように積極的な方向に精力を尽くす道を選んで一日を送る方が最良の選択となることでしょう。


 第271話 あどけない

平成23年5月15


「あどけない 子ども」

大人の世界では、たいしておもしろくもない話にでも、感心してみせたり、相手の言い分に調子を合わせたりすることが少なくないですね。それは何かの下心があつて見えすぎた相打ちをすることでありますが、これを「あどを打つ」といいます。
その点、無邪気で他人の気を引くことのない幼子は、へたなお世辞など言わないですね。そんな子どもの態度や行動が、゛あどの気がない゛、つまり「あどけない」であります。
だがいくら子どもだからといって、親の歓心を買おうと、回らない舌で父親に甘えてみせたりするのは、すでに下心をもってことでありますから ゛可愛い゛と言っても「あどけない」とは言わないらしい。

現在の社会風潮としましては、かりに通りがかりに全く見ず知らずの「あどけない 子ども」に出合ったとしても、いくら可愛いいからといって凝視したり、まして声でも掛けようものなら、変人扱いをうけることになりかねませんが、残念なことです。あどけない子どもには、あどけない大人としてその場だけでも短い時間を楽しく接したいものではないでしょうか。

まぁ小生がまだ物心がつくかつかない時分にも、家を一人で勝手に離れたら親や、じじ、ばばから「子取りに取られて売り飛ばされる」と教え込まれたことを覚えています。これは本当にその様な事件があったのかは知りませんが、ただ一人で家を離れて、池や川に嵌りこんだりしてはいけないので、そう教えられたものであり、現在の幼児をとりまく世の犯罪事情があまりにも醜態すぎるのは残念でなりません。

先日、5月10日の読売朝刊に、家族が被災した5歳の愛海ちゃんの記事が載りました。だいぶん分別も分かる年ではあるがまだまだ「あどけない」顔をしている写真を見れば胸が痛む。いいこにしていたら津波にのまれた両親と妹が帰ってくると信じているという。いますぐにでも、宮古市に飛んでいってぎゅっとだきしめてやりたい心境であります。


 第270話 起きて半畳

平成23年5月1


「起きて半畳、寝て一畳」

たとえどんな大きな家に住んでいても人ひとりが占める場所は、起きているときは半畳、寝るときは一畳あれば済むとして、人の欲を戒めたことばですね。
また、広大な家に住む金持ちをうらやんで、むやみにあくせくしてもつまらないということです。

欲を戒める語として、「上見れば、ほし(星、欲)、ほし(星、欲)、ほし(星、欲)と、ほし(星、欲)ばかり、傘きて暮らせ人の世の中。」があります。上を見るばかりではなくて、きょう一日が無事に「 起きて半畳、寝て一畳」を確保が出来る喜びを、感謝しなければなりません。いまだに東日本大震災で被災して避難生活を余儀なくされている避難者は、13万人ぐらいとの報道です。これらの方々の人数は、甲子園球場での満員がおおよそ4万人とすれば、その3倍強にもおよぶ人数であります。また、避難所ではなく、親類縁者に身をよせている方も加えればもっともっと多く居られることと思います。一日も早く一畳の上で安堵の日を送ることができますように祈らずにおられません。

テレビコマーシャルで「ちょうどいい」というのがあり、「ひとにはひとの、にゅうさんきん」というのもあります。お題の話と少々意味を遺脱したキャッチコピーかもしれませんが、ようは自分に合った日々の生活を考えて生きることが、またそれが満足して暮らせることが出来れば、それこそ幸せであると思います。
ちょっと古いけれど、末は博士か大臣か、と志すのならいざ知らず、ちょうどいいの人生を生きる糧を自分自身が見い出して、その様な日々を過ごすことが至福の人生であると言えます。

いま大切なことは、大きな夢とか志をもつことは大事であることは言うまでもありませんが、一方では己の持てる力を過信したり、その力の量を知らなかったり、考えない者が多すぎるのではないだろうか。その能力とは財力、知力、行動力などがありますが、これらを駆使する気力も無く親であったり他人を頼りにして己の能力を活用することも無いのに、ただ物心ともに欲だけは度を越している社会性に乏しい輩が多すぎます。将来の日本を担う稼働層にある人々に、権利を主張するまえに、義務をはたすことを励行してもらいたい。

とにかく自己満足を充足できない責任を他に求め、無気力であるのに、他に対して勝手な言い分の要求だけは、どんな場所や場合でも強く主張することだけは忘れない人が多すぎるのです。

人の世の中で生きて行くには、常に周囲に斟酌しながら、自分の身丈に適合した生き方こそ大事であるというのが、今回のお題であります。


 第269話 堪忍五両

平成23年4月15


堪忍には、自分以外の相手に対して、怒りをこらえて許す場合と、自分自身が例えばある目的を達成する為に耐え忍ぶ様な場合が考えられますが、前者の場合が普通かと思います。
そして、堪忍が必要となる時といえば、その相手となる方に落ち度とか、無理が存在しているのが多いのです。

古今東西、人間が生きていく上で堪忍程難しい課題は他に見当たらないのではないかと思います。
人が一人でない以上は、家庭から始まり隣近所、学校、仕事場、等々社会全般が堪忍の派生する場なのであります。

しかし、時代と共に人の世の中も変化して、古き時代には長幼の序なる美しい風習のもと、少々の理不尽なことも、相手が年上、または目上の人であれば、一歩下がって我慢しました。そういう場面には日常的に出会うのが普通であったために、耐え忍ぶとか、堪忍するという心構えは必然的に身に備わっていました。

ところが現在は、長幼の長たる立場にあるべく年齢に達しているいるはずの社会人が、古きよき時代の道徳心なるものを備えていない社会となっています。
その年齢になる人に育てられた層の者が親となり子供を持つ今、児童虐待というとんでもない社会と化しています。 もはや、人を許すとか、忍耐、堪忍などは死語となりつつあります。

堪忍、それは耐え忍ぶことでありますが、決して今時のいじめに遭っている者に求められていることではありません。もっと正々堂々とした社会の中において、勤め先の会社を守ったり、家庭を守るために、己を戒めてじっと耐える、堪忍することがしいては人間として成長するものであることなのです。

堪忍を知る人になれば、そしてしゃくにさわることを我慢することができるようになれば、それは一生の宝です。腹がたってもこらえて耐えるとのできる人は一生安らかで幸福であると思います。

ちなみに、江戸時代における、1両の価値は現在通貨価値に換算することは困難であるとの、大方の見方ではあるけれども、元禄時代の泰平な時期で米を基にすれば、おおよそ現在の10万円ぐらいではなかろうかとのことであります。いずれにしても実効価格よりも、現在においての感覚としては、「両」といえば庶民には手にし難い高値の花的な感じがします。この語が世に出たのは何時かは定かではないけれども、辛抱して耐え忍んだならば、五両の大金を得るだけの価値があるものだと諭したものなのですね。


 第268話 三年たてば

平成23年4月1


「三年たてば三つになる」

どんなに、苦しくとも、三年間頑張って必至にやり過ごせば、三年分の成果も見えてくるという、時の経過にしたがって事物も変化し、また成長するし歳月はいたずらに経過しないものであるという、 諺です。

つい先日、今回の東日本巨大震災についての某ラジオ放送のなかで、インタビューに応えて神戸の方が「とにかく3年」と復興への経験談を話されていました。

阪神淡路大震災は、平成7年1月17日発生、 16年が経過しました。近年被災地全体としての人口は震災前より多くなったというニュースもありました。16年という年月と阪神淡路の人々の努力の賜物だと思います。

また、阪神淡路大震災について一番驚いたのは、震災から1年ぐらい経った時に、ある勉強会で「市役所に夜明けと共に続々と震災情報がもたらされているのに、灘、東灘区からの通報が無く心配していたが無事なので通報が無いものだと思っていた。しかし、後で分かったことですが、同方面は被害が甚大で電話線どころか通信の全ての手段が絶たれていたからであった。」との実情話を勉強会の講師で当時は担当者であった方から聞きました。同震災で最も被害が大きかったのは、灘、東灘であった。
今回の 東日本大震災においても、いつまでも行方不明者の人数が把握できないとする自治体がありました。ニュースを聞く度に神戸と重なる現地事情を推察していました。

さて、防災意識についてですが、最近の気になる問題として、事業仕分けでのスーパー堤防です。
スーパー堤防は昭和62年に、バブル景気のころにアメリカから我が国に儲けすぎと、いわゆる日米摩擦が起き、それから逃れる為に日本国内で巨大プロジェクトを企てたとも言われています。真にはどうであれ、国民を災害から守るために手がけられた壮大な政策であると純粋に思いたい。
その後、バブルも崩壊を迎えて蔓延不景気期に入り、税収の落ち込みと一向に景気の回復が見えないうえ、運転の下手な政党へと政権が移りました。
その結果、昨年10月には R 大臣に事業仕分けの絶好の餌食となり、400年以上もかかるスーパー堤防は廃止の方向付けとあっけなく決め付けられました。
この頃には付和雷同的な多くのネット書き込み等によって、スーパー堤防が愚策の槍玉として風評されたのです。

私が スーパー堤防政策なるものを知ったのは、阪神・淡路大震災の数年前でした。シュミレーションとして大阪湾の水位が異常に上がり、淀川から溢れた洪水は大阪の中心である梅田を飲み込み見るも恐ろしい光景が写しだされました。
シュミレーションの様な事は考えられない、仮定だ仮定だと考えていたのに、阪神・淡路大震災が起きた。この大震災は主に地震と、それによる火災によるものであって、水とはあまり因果がなかった。しかし、皆の言う想定外の災害であった。災害が起きてから想定外はなかろうに。
その後は、東海、東南海、南海で起こるであろう大地震に備えて研究と対策が進められている。
東京、名古屋、大阪の大都市にはその中心に大河川が存在する。その多くは川の底よりも大都会が低いという現状をどうするのかと警鐘を鳴らしている防災関係者が多い。

一方、岩手県宮古市田老地区では明治29年の明治三陸津波で、昭和8年には昭和三陸津波で大きな被害を受けたことを受けて、昭和9年には防潮堤の整備が始まったとのことである。当時には高い所に移るのか防潮堤の建設かを検討が重ねられた由。しかし、日々の生活利便性に加えて、人は住み続けた地に住みたいという本能的な心情はそう簡単に捨てきれるものではありません。まぁそれだけではないことは当然としても、結局防潮堤建設となった。その後昭和53年に50年近くの歳月と膨大な費用をかけて完成されたのです。
「日本一の防潮堤」「万里の長城」と、そう呼んで地域の皆さんが信頼を寄せていた国内でも最大規模の津波防潮堤が、防災に屈指の意識をもつ地元消防団の手により、また自治体により、30分の間に重い鉄扉は日頃の訓練どおりに閉ざされたとのことである。なお、これに従事した多くの消防団の方々が津波にのまれて犠牲になられたとの報道には、ただただご冥福を祈らざるを得ない。
未曽有の大津波にはなすすべもなく、倒壊してしまった日本一の防潮堤。今後、どうやって津波を防いだらいいのか俄かには見当もつかない。ただ「想定外」の三文字では済まされない。
スーパー堤防のあり方論議も単に「・・・でなければいけないのですか」なんて言葉ではどうにもなりません。国の存続を懸けて400年かかろうとも、ずっと持ち続ける国民の防災意識に繋げていかなければなりません。

今回の災害は、地震、津波、原発と三重の禍にみまわれた。しかし我が国には台風、豪雨が牙を磨いでいる。スーパー堤防は、200年に1度の大洪水に備えて首都圏や近畿圏の6河川で計872キロを整備する計画で、昭和62年から実施されています。しかし現在完成、または整備中は、計画の5.8%とのことである。このままだと全計画の完成までには400年かかるとの計算になります。
そこで 仕分け人からは「10年に1回、20年に1回の災害もクリアしていない場所があり、そちらの方が優先順位は高い」などと批判が相次ぎ、「廃止」と判断された。廃止に一理はあるとは否定するものではありませんが、防災施策の大きな大黒柱が無用の大木のごとくに、あっさり切り捨てられたことに大きな危惧を捨てきれません。  

しかし、気の遠くなるようなスーパー堤防の構築も、一方では地震大国にある国民の防災意識を常に抱くためになることは当然であるし、加えてスーパー堤防が功を奏する時がいずれあると思われてなりません。 事業仕分けの関係諸氏のみならず、「スーパー堤防」がもつ意義を国民の一人ひとりが皆理解していたら、昨年の10月のように簡単な結末にはならなかったはずです。

3月11日のテレビ中継を目にしながらも、東海、東南海、南海地震の恐怖におののきながら、東日本巨大震災に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げますとともに、その日から「復興」へのスタートを切られた方々に、また原発でまだスタートどころではない方々も、「三年たてば三つになる」と、前を向いていただきたく思います。


 第267話 他山の石

平成23年3月15


「他山の石」

この語も、亡き父親から「他山の石」にせよと事がある度によく言われたことを思い出します。が、しかしその当時にはこの語の意味を、「対岸の火事」と同じ様な意味合いで「よそで起きていることは関知するな」と思っていました。

しかし、後にこの語の本来の意味として、 よその山から出る悪い石でも自分の山から出る玉を磨くときの砥石に使うことができるということで、自分より劣っている人の言動を見て自分の修養の役にたてよととの教訓であることを知りました。分かり易い言葉としては、「人のふり見てわがふり直せ」とか、西洋でも「他人の欠点は最良の師」というのもあります。

自分にとって参考になり役に立つ、他人の言動を手本としてとまでは誰でも分かるのですが、この語の本来の意とするところの「よその山から出る悪い石」的な物の中から、己の利得とすべくものを得るのに難しさを感じます。
普通には、自分よりも優れたものから、何かを見習って自らを伸ばしていくものではないのでしょうか。
して、考えてみればこの語は、凡人が実践するための人間形成のものではなく、出発点からすでに最近のマラソンのスタート風景のごとく、ゼッケンナンバーが一桁か、せいぜい二桁ぐらいの選手に匹敵する、エリートに与えられた教訓ではなかろうかと考えます。もともとのこの語の出典は詩経からしてそれが伺えられます。

まあ、現在では平たく自分にとって参考になり役に立つ、自分とは関係のないところで起こった事柄の例え。また、他人の言動を手本にして、自分のために役立てることの例えと、ものの本には書かれているように、自己研鑽において、自分がお気に入りと感じる「他山の石」は、逃すことなく取り込んでいくことがいいのでないでしょうか。


 第266話 月日に

平成23年3月1


「月日に関守なし」

関守とは関所の番人のことであり、月日が過ぎるのを食い止めることが出来る関守などいないので、誰にも邪魔をされることのない月日は、ただ刻々と関所を通り過ぎてゆきます。立ち止まることのない月日は、多くの人々が過ぎ行くのを極めて早いと感じることから、この語は時があっという間に経過してゆくことの例えとして用いられています。
しかし、世の中には必ずしもそうではなく、何をして過ごせばいいのかと、昼間から暗い部屋で何もなすべくことなく遅遅として進まぬ時を恨みつつ、ただ時の過ぎるのをじっと耐えている者もこの世には居ることも確かであります。

いま、地球上の全ての人が真に共通して恵沢を受けているのは、時の流れではないでしょうか。例えば空気にしても昨今は、その成分は国や地方によっては命さえ犯される状況にあるのでは。しかし、時や月日についてだけは、全く平等にである。

身近にある教えとして「時は金なり」とか、いろいろあるので誰でも時間を大切にしなければならないと頭では分かりつつも、実際には一番無駄使いしているのも時であると言えるのではないでしょうか。

私は、 昨年の4月に勤めを退いてから、11カ月が過ぎました。勤めに出ていた頃には、土、日曜日しか自分の思う事が出来る時間がなく、週末にはただあくせくとやっていた事を今も相変わらずやっています、何んの進歩もなくである。またこの11カ月をみれば、私には格段に多くの自由な時間が出来たはずなのに、新たな事に手を出したことは一つもなく、それなのに時間貧乏は一向に改善の跡がありません。

月日が経つのが速いと感じるのは、仕事とか稼ぎに追われているのであれば、日々充実していると喜んでいいものと思うのではありますが、今の私の場合では何の生産性も生まれない今日この頃の暮らしにあっては喜んではいられないとも思うのです。それは終着駅に向かって特急列車に乗っているがごとくであるのではないだろうかと考えるのです。

これからは、もう少し遅い目の乗り物に乗って、かの天下人豊臣秀吉をもってしても老いだけはままならぬと言わせた超難題と対峙しつつ、 上下左右をキョロキョロしながら、月日の経つのに抗する関守となっていきたいと思います。


 第265話 ホークスを想うVer 4

平成23年2月15


今年のホークスは、強くなります。
話は長くなりますが、昭和のおわりにホークスは難波から、博多に移りました。杉浦、田淵と低迷が続き、やっと日差しが見えだしたのが、西武ライオンズから根本監督を迎えた頃に始まります。
根本監督は、すぐに勝つことはありませんでしたが、ライオンズから、石毛宏典を、秋山幸二(H6)を迎え、さらに工藤公康(H7)を迎えました。また監督には王 貞治(H7)氏を迎えました。これらは、根本氏のご尽力であったと私は思っています。
そこに九州で収穫した、松中信彦(H9)、新垣 渚、城島健司(H7) 、柴原 洋(H9) が、ライオンズのDNA を得て見事な常勝チームへと突き進んだのである。ただし勝つのは平成11年からであることから考えるとチーム作りとは、そう簡単にいくものではないことが伺えます。

さて今、ストーブリーグ ( なぜかこの言い方は最近しませんね。) を見ると、ホークスは最高の補強が出来たとの下馬評がきかれています。そこでかつて、、秋山幸二、石毛宏典、工藤公康が、そして根本監督を含めて、ホークスが常勝の軌跡の基にはライオンズの血が注がれたように、再び訪れた絶好機が、細川 亨捕手であり、また回り道をしたけれどもカブレラであるのです。
大隣、大場を初め昨年活躍した摂津投手など期待の出来る選手も多く居ます。
そしてまた今年のホークスはチャンピオンフラッグを高々と掲げているチームなのではあります。がしかし昨年のクライマックスでの敗退もしかり、ここしばらく真の頂点に達することなく燃え尽きない目に遭っているのです。それゆえ今年は何が何んでも、以前のプレーオフも踏まえて今のクライマックスに完勝することが必須なのです。近年は何回やっても巨人を倒せなかった頃の思い出が重なるのです。

あらためて、今年の補強をみると、昨年の パ リーグ打者成績は下表のとおりであり、あと一本に泣いた穴をカブレラが補ってくれることが読み取れます。そして 城島を欠いてからの正捕手の難しさを細川が若い選手の育成に励んでくれるものと期待がかかります。
それに加えて、内川聖一は、大分県在住の父親にいつでも雄姿を見せてやるために、在九州のホークスは希望の球団と聞き、大声援を背中に受けて期待どおりの活躍をしてくれるものと思われます。

打順の1番から9番まで他チームの4番打者を引き抜いて埋め尽くした、かつての巨人の哀れな結末は、誰でも知るところでありますが、その辺りは常勝ホークスのチーム作りを目指して秋山監督の手腕に期待を寄せたいと思います。

和田と杉内が元気なうちに、後継となるビッチャーを育てあげて「投手王国ホークス」を守り、今年の補強が常勝ホークスの礎となってもらいたい。

     平成22年度   パ リーグ打者成績

順位 打  者 打 率 本塁打 打点 得点圏打率
4位 カブレラ 331  24  82   384
5位 多村  仁  324  27  89   341
7位 川崎宗則 316   4  53   339
14位 本多雄一 296   3  39   327
21位 小久保裕紀 279  15  68   297
23位 オーティズ 270  24  81   299
29位 松田宣浩 255  19  61   284
セ リーグ
6位 内川聖一 315   9  66   319



 第264話 昔の剣

平成23年2月1


「昔の剣 今の菜刀」

この語には、二つの意味合いが考えられます。
一つは、 昔は剣として使われていたものが、今ではせいぜい菜切り包丁にしか使えないという一本の刃物が時代とともに利用価値が移ろったことを意味するものと、あと一つは、昔は剣がもてはやされたが、今では菜切包丁のほうが実用的で重宝がられるというものであるかと思われます。

これをもう少し、分かり易く例えれば、 かつてはすぐれた働きをした人も、年を取って時代に合わなくなれば役に立たたないということであり、また他方は昔いくら重宝されたものでも、今の役に立たなくてはしかたがなく、たとえ粗末なものでも現在役に立つもののほうがよいということであるかと思います。

反対の意味を持つ語としては、「亀の甲より年の劫」とか「松かさよりも年かさ」として、長い間に身につけた豊富な経験や知恵は、いくら時を隔ててもなお尊重すべきだというものがあります。

さて、昨日まで剣として
活躍していた人が、現役を引退したら翌日から即、菜切包丁として組織を支えているという世界のことについて。
あと一月もすれば、浪花に春を呼ぶ大阪場所が開催されます。その相撲界のほんの一片の姿であるけれども、それは厳しい世界であるというお話しです。
初めて目の当りにしたのは、もう何年も前のことですが大阪場所を見に行った折に、その直前の場所まで付き人を従えて場所入りしていた元大関のお相撲さんが、濃紺のジャンバー姿で場内整備らしき仕事をしているではありませんか。着物姿が消えて、ジャンバー姿に靴を履いている、まだ体は絞りこまれてはなく、髷も残ったままの姿でした。
近年、相撲界にあっては受難の時期ではありますが、それにしても一般人には見えない所での角界での待遇に計りしれないものを感じました。
現役力士と、引退した後の姿には余りにも大きな隔たりがあるように見えまたのです。
なにも相撲界は現役力士、それも幕内力士だけが相撲を支えているのではないということは分かってはいても、その差には驚きを隠すことができませんでした。
でも、そうして相撲という社会を組織して、長らく存続を図ってきたのですね。
今回は一部の力士による野球賭博の関与が、それ以前の鬱積するいざこざに火をつけるような格好ですっかり相撲界を元気の無いものにしてしまった格好ですが、遠い昔にプロ野球人が引き起こした八百長事件に比べれば、土俵の上の事件ではなかった事が、せめての救いであると思っています。

お題とは整合性に添わないお話しとなりましたが、書き出しの意味合いを、一人の人に当てはめて考えますと、人には「尊厳」とか「誇り」、または自身の「意地」が絡んでなかなか難しい老いの指針であります。
決して、昔の剣ではありませんでしたが、 出来れば私は、良き「菜切り包丁」となりたいと思っています。

本小話は、2月1日に記したもので、今回の報道による事件前に、UP したものです。


 第263話 握れば

平成23年1月15


「握れば拳 開けば掌」・・・(読み) にぎればこぶし ひらけばてのひら

今回のお題は、己が全ての人との関わりの上で発生するあらゆる行為に於いて、心の持ちよう一つでどちらにでも変えることができるが、今後はどうあるべきかを考えてみました。

そもそも、 人を打つ拳も、人をなでる掌ももとは同じ手であるのです。このことは、大きくは国際紛争から、身近な夫婦喧嘩にいたるまでのすべてにあてはまる永久の課題でもあります。
しかし、国際間での今の日本には「拳」は無く、「掌」外交一遍倒なのである。しかもその掌の出し方が下手な政権のもとでは、ただただ歯がゆい思いの極まりが現状なのです。
こう考えれば、「握れば拳 開けば掌」は、世渡り術の必需品であるのです。

ただ、これが個人の生き方として捉えてみれば、己が年齢を自覚すれば 拳をどう振るってみても勝ち目にはつながらないことは分かっているのですが、ついカッと熱くなる時があります。
冷静によく 考えてみれば、遠くに拳をあげるだけの体力は喪失してしまっているのです。当然と怒りをしずめて、掌でその場を納めなければならないわけであり、 掌で自分以外の者をコントロールが出来るだけの度量を備えておかなければなりません。 間違っても拳で物事を解決に導いてはならないのです。

人間の心の中には誰にでも善と悪が同居しています、ジキルとハイドのように。
悪を実行する、というよりも善悪の判断する思考力の無い者や、咄嗟の出来事としての悪は、国の内外で新年早々にも見られます。人間は心の奥深くには誰しも悪意を抱いているものです。

高齢となったからと言っても、握れば拳の闘争精神は忘れることなく持ち続ける必要は有ると考えますが、決して拳で世を渡ろうとしてはなりません。掌で人と接しておれば、また相手もそうしてくれる事を信じて生きてゆければ幸いと考えています。


 第262話 めりはり

平成23年1月1


---------新年 あけまして おめでとうございます-----------
-----本年も、「小話コーナー」をよろしくお願いいたします-----

「めりはり」というこの言葉は、もとは邦楽の音の高低とか抑揚、または歌舞伎の演技の強弱と伸縮をいった言葉であったとのことで、漢字では「減張」とか「乙張」と書きます。


ふつう人間は緊張が高まりすぎると、適切な判断ができなくなります。逆に、気持ちが緩んでも仕事の能率が落ちます。適度な緊張とリラックスが必要だといわれています。このことは誰でも頭では理解をしていて、適度に行動をそのように調節をしているつもりなのですが、実際にはなかなか難しい事と思います。それが他人の行動にはよく気がつきますが、自身の行動には案外気がつき難いものですね。
また、自分で気がついていても、緊張の行動にと移る、次の一歩、又は次の一手がズルズルとして出ないことがよくあります。要は、緊張とリラックスの切り替えスイッチを、グットタイミングで繰り返すことが大事であります。
例えば、一日じゅう机の前に同じ緊張状態でいる人は、「めりはり」のない仕事で能率も上がらないことと思います。


私は長年働いた仕事場では、「めりはり」とはあまり縁のない仕事であると思っていました。そんな所にある時人事異動で見知らぬ上司がやってきました。私はすでに20年間ほど勤めて何人かの上司とめぐりあってきましたが、その時にやってきたその上司は盛んに「めりはり」をつけた仕事をせよと指示しました。その始めとして遊ぶ時には徹底して楽しくやろうと、酒の席でもそれは皆を浮き浮きとさせてくれました。さて、 仕事となれば、一つ一つに厳しく指摘を受けて、根拠、方法、成果を追求されました。後になって振り返れば、その上司の仕事に対する姿勢を自分もいつの間にか踏襲していることに気がつきました。
現在は、仕事も外れて自分自身の時間や行動を管理すれば足りる生活にありますが、めりはりの効かない、あまあまの日々を繰り返しています。


年の始めのお題は、私のこの一年の目標とした言葉やことわざを選んでいますが、今回の「めりはり」は、どうしてもダラダラとなり勝ちな最近の日常生活にあって、少しでも規則正しい、めりはりの効いた日々を過ごすことを目論んで選びました。 
皆様には本年もどうぞよいお年でありますようにご祈念もうしあげます。



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