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ご意見などは、掲示板で待っています。

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第288話 ちょっと

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犬も歩けば 第290話 隅に置けない
第291話 食わず嫌い 第292話 歩けば土つく 第293話 石に漱ぎ
第294話 ただより 第295話 訛りは国の手形 第296話 和琴 in 北海道
第297話 芭蕉の句 第298話 但馬行き今昔 第299話 Isl'e of 生月
第300話 孟母三遷の教え 第301話 人の一寸 第302話 ケ・セラ・セラ
第303話 一褒二誹三惚四風邪        
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 第303話 一褒二誹三惚四風邪

平成24年12月13


くしゃみの数による占いで、くしゃみを一つすれば誰かが褒めてくれているらしいし、二つすれば誹られているというし、三つならば誰かに惚れられているし、四つなら風邪をひくまえぶれであるらしいですが、もちろん科学的な根拠などはありません。ただし、四風邪につきましては、くしゃみは鼻の粘膜が寒い空気にふれたときなどに出るものであるから、風邪をひく前兆で有ると思わなければなりません。

また、この語には一誹二笑三惚四風邪のように、行く所によっては順序とか、言い回しが微妙に異なっていることもあるようで、他にも男性の欲情を織り込んだ面白いのもあるとか。

さて、一に「褒」が来ますが、人は誰しも褒められて悪い気はしません。よっていい事が、いの一番になっているのかと思われます。本当は褒めるというのは、褒める方も、褒められる方も結構難しい事ですね。
昔から「飴と鞭」と言われる言葉がありますが、飴(褒めること)をどのように上手く人に与えるかですが、まずはその場の空気 をわきまえなければなりません。それも考えることなく感性でパッパッと飴撒きができる人は、優れ者です。また、このようにして飴をいただいて気分を良くなった者は、その出来事が頭のどこかに残ります。そして一発゛ハックション゛とやれば、その出来事を頭の引き出しからちょっと出して、いい気分で次の行動へと移れれば幸せです。

二連発でくしゃみをしたら、自分がなした事について誰かが何処かで怒っているのだと思い、顔を合わせてまで言われはしなかったが過去に他人を傷つけなかったかと、自己反省をしてみるのも、いいことかもしれませんです。

三連発の場合は、誰かに惚れられているとするのが大体の解釈であるかと考えます。自分が誰かに惚れた場合には、自覚症状がありますので、くしゃみをするまでもありません。これはやはり誰かに惚れられているとして、素直に有り難く受け入れば良いかと思います。さてさて誰かなと勝手に詮索するのも嬉しいことです。

四連発は、言うに及ばず医者に注射をしてもらうか、忙しいのであれば売薬でも買って早い目に養生することです。
これから迎える師走の何かと忙しい時期に、風邪をひいてくしゃみを多発し、体調の悪い苦しい年末年始とならないように、忙しい中にあっても自分の体は十分に厭って万全の体調で新しい年をお迎えしてください。


 第302話 ケ・セラ・セラ

平成24年12月1


まだ小さい頃 ママに聞いたわ あたしは何に?
美しい娘に? お金持ちに?
ママは答えたわ ケ・セラ・セラ なるようになるわ
先の事などわからない ケ・セラ・セラ わからない  

今回の語であります、ケ・セラ・セラ (que sera sera スペイン語)は、ヒッチコック監督のアメリカ映画「しりすぎていた男」(1956年)の主題歌の一節として広く知られているところです。
 

その主題歌は、昭和30年代のポップス界では、ドリス、デイが歌いまして、ケセラセラは、一世を風靡する大流行となりました。「なるようになる」と日本語版でペギー葉山が歌ってたいへん流行しました。イヤなことをくよくよせずにケセラセラと明るく吹き飛ばすフレーズは、私は今でも大好きです。

また、これは歌ではありませんが、インシャラー(In Sha Llah アラビア語) と言う語は、「神のおぼしめすままに」として、イスラムの神アラーをたたえる言葉と辞書には載っています。
もう、何十年も前に海外青年協力隊に参加していた知人が、中東から帰ってきた時に、みやげ話として、インシャラーなる語を教えてくれました。これは現地の人に対して少しでも難しい作業を教えると、覚えようと努力をせずに、それを攻め立てると「インシャラー」と連発して、その場逃れをするらしい。インシャラーは大阪語では「しゃーない」と諦めの言葉にあたるようでありまして、標準語としましては「仕方がない」となるようです。

この二つの言葉をつなぎあわせれば「しゃーない しゃーない なるようにしか なりまへんがな」となりますね。

こうしてみれば古今東西世界中には、先の事などわからないと行く先の不安を明るく吹き飛ばす、精神的には非常に良薬となる言葉が用意されているのですね。

さきの二つの語源には、本来的には荘厳な意味が潜んでいて、その筋からお叱りを受けるかも知れませんが、そこは考えすぎずに「♪ケ・セラ・セラ♪〜」。


 第301話 人の一寸

平成24年11月15


「人の一寸 我が一尺」

人の一寸は見えるが我が身の一尺は見えぬということで、これは他人の欠点はちょっとのことでも目につきますが、一方自分の事はと申しますと、どんなに大きい欠点でもなかなか気づかないものであるということです。

しかし、この語はあまりにも当たり前な人間の本性を突いた言葉であり、それがどうした何故悪いと開き直りたくなります。もし全ての人々が、それぞれ自分の欠点が、一尺も見えて、それがいちいち行動や言動を制御したならば世の中は、清いすぎる潔癖な世間となって「寛政の改革」の世になりかねません。

つまり、「白河の 清きに魚も 住みかねて もとのにごりの 田沼恋しき」であります。
徳川11代将軍 家斉の老中 松平定信は、江戸幕府の政治の立て直しをするために支配体制の強化を行いました。
厳しく庶民の生活を律し、武士の身分を磐石なものとして、寛政の改革を推し進めたのですが、結局のところ6年間で失敗に終わったとのことである。
先述の歌は、定信の寛政の改革を批判したものであり、白河とは、白河藩主である定信を指し、すみきった政治はかえって生活がしにくくて、前の時代の田沼意次の不正が多かった、濁った政治の頃が懐かしいという意味である。

それにしても、人の欠点は他の人から見れば生きるビタミン剤のような物であり、それをほじくりながら深刻にならずに気軽にワイワイガヤガヤやるのが体内に蓄積した老廃物を外に発散する絶好の良薬であるのです。
自分も他人も、その欠点が法に触れたり、著しく他の人を直接に傷をつける事にならない限りは、人間が持ち合わせている欠点はそれぞれの個性であり、自動車のハンドルの遊びのようなものとして、受忍すればと思います。


 第300話 孟母三遷の教え

平成24年11月1


孟母とは、孟子の母のことでありまして、三遷の遷とは、住居等をよそに移すことであり、ここでは、孟子の母は孟子を育てる為に、三度も引越しを行なったとのことである。

それは、孟子によい教育環境をあたえるためであり、最初は墓地のそばで住んでいたところ、孟子が葬式のまねをするので引越し、二度目は市場のそばで、今度は商人のまねをするのでまた引越した。そして、三度目は学校のそばで、これで孟子が学問の道を進むようになったと言われている。この三回引越しをした事を 略して「三遷の教え」と言いますが、子供の教育には良い環境が必要であり、親はその環境をあたえるためには努力をすべきだという教えであります。今風に言えば、孟子の母もかなりの教育ママであったのですね。

子供を育てる教育には、家庭教育、社会教育そして学校教育があると思いますが、現在社会に於きましては、ややもすると学校教育のみが教育であるように思われているのでは、ありませんか。
その一つとしていじめ問題が、その最たるもので何もかも、メディアでは学校が取り沙汰されています。ただ、いじめの行動そのものは校内である事は多いと考えますが、もっともっとその根本を押さえなければ、なりません。
なぜ、学校で仲間を組んで、一人の抵抗の出来ない者を作り上げて卑劣な行動を繰り返すのかということです。

家庭での子供に対する過大な期待と、それとは反対に親が子供を放任して無関心となっている。そしてそこには、今回のお題のごとく大きな目で、子供の成長を見守る環境作りをすることで、子供に関わるという具合の親の度量が欠落しているのではないでしょうか。

家庭教育で子供の躾をできない親は、子供を学校に放りなげて、子供の非行の全てを学校での指導とか、学校内の環境にすべての問題が発生していると、親の責任を転嫁しているのです。

今の世の中、孟子の母のようには行かないとしても、子育ての根幹は親が担うものであって、学校教育などは二の次であることを親は自覚をしなければなりません。  


 第299話 Isl'e of 生月

平成24年10月15


第10回 Isl'e of 生月 2012 が長崎県平戸市生月町で開催されました。私は今回 HONDA S600 で参加いたしました。
この催しをご存知の方も多く居られますとは思いますが、第10回目の節目でもありまして、改めてご紹介いたしたいと思います。

まず、 アイルオブ生月( Isl'e of 生月 ) を語るには、いまさらながらにも、世界的に有名なオートバイ レースであります「マン島 TT レース」から話を始めなければなりません。

「マン島 TT レース」とは、今から105年前の明治40年(西暦1907年)から、イングランドとアイルランドの間のアイリッシュ海に浮かぶ小さな島「マン島」において開催されているオートバイ レースであり、競技は島の公道を閉鎖して行なわれています。 マン島TTレースは当初、ツーリング・マシンと呼ばれる市販車と同じオートバイで開催されていて、まもなく TT(Tourist Trophy ツーリスト・トロフィー)として知られるようになりました。

TT レースはモータースポーツに熱血を注ぐ欧米人にとっては、年に一度の大イベントであり世界中からオートバイ乗りが集まりました。 もう105年もの歴史があるイベントですが、その時期にはマン島の人口は一気に五倍以上に膨れ上がり、マン島が沈んでしまうとまで言われるぐらいで、古くから日本のファンの参加もありました。 そのイベントが「アイルオブマン」(Isle of Man)と呼ばれています。

そして、長崎・平戸の西に位置する「生月島」をかのイギリス・マン島にし立てようと、平成14年から毎年ビッグイベントの開催を目指して、当地の住人で主宰者の小倉昭子さんを中心としたメンバーの手によりまして、 「アイルオブ生月」、“めざせ日本のマン島”というわけで「Isl'e of 生月」となって、年一回毎年開催されて、今回は第10回目を迎えたのであります。

そして何より凄いのは、このイベントの名誉会長としてレーサーの高橋国光さんを招聘していることです。
毎年生月島へ来てくださる高橋国光さんは、かつてマン島のTTレースで華々しい活躍をされた世界的に有名なレーサーなのです。
そのクニさんが初めて生月島を走っての感想が「ここはマン島みたいだ」と述べられた感動の一言でした。 「我々としてはもう生月島をマン島にするしかない」と、その時確信を強くしたと、今でも小倉昭子さんは熱く語っておられます。

アイルオブ生月の開催は、代表の小倉昭子さんの通年に及ぶご尽力に支えられて企画・立案されています。そしてイベントの実施となりますと、実行委員会形式で大勢の小倉さんの取り巻き隊のメンバーによってイベントが組み立てられます。

さて内容はと申しますと、今年は9月22日と翌23日の二日間に渡る開催で、当日には新車、旧車まじりのオートバイまたは車で同好の人々が続々と会場に到着します。ざっと延べにしてオートバイが200台、車が100台といったところでしょうか。あちらこちらで一年ぶりに顔を会わし挨拶を交わす元気な声が聞こえます。
22日の午後七時からは、ウェルカムパーティーとして、ギター演奏に続いて、クニさんと、クニさんの幼馴染でもありオートバイレーサーでありました、滋野さんによりますトークショーがありました。大変興味深い、それこそ子供時代の思い出話や、レーサーとして華々しかった時代や苦しかった思い出など、ここでしか聞けない話の連続で楽しませてくれました。
23日には、ビンゴゲームやオークションなどもありまして、午後には「生月島一周ツーリング」が行われました。
両日とも常時クニさんが会場に居て、誰かれなしに話しかけて、一緒に写真を撮ったりサインをしてくれます。質問には丁寧に返事をしてくれます、とても世界的な有名人とは思えないほど気さくに接してくれるのです。
とにかく、オートバイや車に関心があり、特にレース志向のファンには最高の集いであります。

もう、5年以上も前に、東京都知事が都の島で F1 レースを開催したらと考えましたが、ご承知のとおり成就いたしませんでした。しかし、平成16年には WRC(ワールド ラリー チャンピオンシップ)が北海道の十勝で開催されました。クローズドサーキットでのレースと、ラリーを並べて考える訳でもありませんが、実行組織が官民を問わずコンセプトを多方面からの同意を得て、ラりーやレースを開催するまでの手順は計り知れない高い高いハードルを越えなければなりません。
マン島TTレース、ル・マン24時間レース、モンテカルロラリー等など世界有数の大イベントは、長い長い歴史と文化の上で築かれてきたものであります。現在の日本にあっては新たに公道使用のレース開催は針穴から天を覗くが如く至難の業ではありますが、それを十分承知をしたうえでなお、誰かが一歩踏み出して島国日本の小さな島でヨーロッパモータースポーツ界をしのぐ公道使用のオートバイレースを開催するという夢を追いかけることはファン万人の望みなのです。その火種を消さないように奮闘する、スーパーレディーこそ、アイルオブ生月の主宰者 小倉昭子さんなのであります。 


 第298話 但馬行き今昔

平成24年10月1


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先日の9月26日に、米ホーカー・ビーチクラフト社 A 36 ボナンザ という5人乗りで300馬力の飛行機に、知人のご好意で同乗させてもらう機会を得て、快晴の八尾飛行場から飛び立ちまして、コウノトリ但馬空港の往復を楽しませてもらいました。
行きは、午前10時40分くらいに離陸しまして、着陸が午前11時10分くらいの、約30分間のフライトでした。詳しくは分かりませんが、普通の地図上では八尾から但馬間の直線距離は約120kmくらいですので、これを30分間で飛んだ場合は単純には時速240kmとなります。

八尾飛行場を生駒山系の方角に離陸いたしまして、左旋回すれば間もなく眼下には、北摂から京都に延びる名神高速道路の天王山辺りの風景が広がっていました。続いて大阪府の北端能勢の妙見山と思われます高い山も見えましたが、私の知りえる地形もここまで、あとは山、また山の連続でありました。

下界の風景を楽しむようにと行きは5000フィート前後、帰りは6400フィート位の高度で飛行していただきました。先述の様に快晴の天気ではありますが、旅客機のように高い所を飛んでいるのでありませんので、飛行ルートにはたいして高い山もない山間地ではありますが、飛行機は船が波に乗り上げる様なショックと、続いてフワッと下がる飛行が続きます。しかし、帰途は1500フィートほど高い所を飛ぶと、この様な揺れは全くありませんでした。
帰途は、但馬から南下して、明石海峡大橋を進行方向右下に見ながら、神戸市街地の上空を飛行しました。丁度この日の前日の朝、九州・平戸市からの帰り道に新門司から大阪南港行きフェリーに乗って海から 明石海峡大橋を見上げていたのにと、何だか不思議な思いをいたしておりました。

さて、但馬行きと申しますと、 私が小学校6年生であった今から57年前に、但馬空港の近くにある神鍋山スキー場に初めて行った時のことを思いだします。大阪駅から蒸気機関車が曳く夜行列車に乗りました。列車は機関車のすぐ後ろの車両に乗ったため、暖房の温度が酷く高くて、初めてのスキーということで沢山の服を着こんでいた為に暑くて気分が悪くなりました。辛抱しているうちに「福知山」という大きな駅で列車は長い間の時間待ちをしました。
夜中なのに辺りは雪で明るく感じ、この時間待ちで元気を回復しまして、和田山、養父、八鹿、そして次の江原駅で降りて満員の臨時バスに乗り換えてスキー場へと着きました。現在では高速道路網も随分と発達して、山陰方面には自動車を使って移動することが主になっています。しかし、夜行列車で行った思いでは到底忘れることの出来ない強烈な印象として今なお脳裏には焼きついています。その後2〜3回は夜行列車で神鍋山スキー場へと行ったと思いますが、その頃からはスキーバスが台頭してきまして、当時高速道路なぞ無い時代に宵に大阪を出て、翌朝早くににスキー場に到着するというスケージュールで、これをよく利用したと思っています。
いずれにしましても、神鍋山スキー場は遠かったのです。

今回、八尾飛行場を飛び立ちまして、地形を見下ろしながら、カメラのシャッターを押しているうちに、但馬空港が目前に姿を現しました。離陸から着陸までの間は30分。
飛行場でお迎えの瑞苑の車に乗り込みながら、遠い昔の夜汽車を想い浮かべていました。


 第297話 芭蕉の句

平成24年9月15


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「荒海や 佐渡に横たふ 天の川」

北陸自動車道にあって、夕日の綺麗なスポットとして有名な 「米山 SA 」が新潟県柏崎市にあります。この写真の碑は、富山から新潟市に向かう側の SA で撮ったものであります。

東北・北海道の旅では、いつも行きは日本海側を通りますので北陸自動車道を走ります。そして家を出発して約530kmのところに「米山 SA」 がありまが、丁度第一日目の仮眠地点としては適当な距離でありますので、夕日を楽しんだりしながら、ここで泊まることになります。今年は折悪く厚雲におおわれて夕日を撮る事ができませんでした。その分いろいろと辺りの散策に目を向けていますと芭蕉の碑がありました。

案内板には「目の前に荒海がある、暗い海上のはるか彼方に流人の悲しみを数々秘めた佐渡が島がある。仰ぎ見ると空には天の川がさんざんと横たわっている。近くに 遠くにそして天空に広がる大自然、この雄大さに比べれば、そこにたたずむ人間がいかにちいさなものか、人の哀れさを誘うものがある。」とありました。

元禄2年(1689年7月4日) 芭蕉 46歳 の時に「奥の細道」の旅の途中、越後 出雲崎(新潟県三島郡出雲崎町)で吟んだもので、現在の位置関係は、出雲崎町は、「米山 SA」 から見ると約30km北東に位置します。芭蕉は北陸自動車道とほぼ同じ道をたどっているところから、これを記念して北陸路ゆかりの地のちかく「米山 SA」に碑を建立されたとのことです。

私はまだ、旅が始まったばかりであるのに、またかつて俳句などを、わざわざ読んだこともない自分がこの石に刻まれた句を何回も読み返していました。そして「天の川」にかかる、「荒海や」と「佐渡に横たふ」の意味するものはなんやろなと、いつの間にか考えていました。いつもならこの様なことはぜんぜん思わないのに、今回は旅の出鼻からウェットな気分に包まれていました。

北海道に渡るまでの、まだ道半ばにしてこうして感傷的な心境になったことを大事に、決して蛮勇的な旅となることの無いように、改めて一路の平安を心に決めて、この先の東北路へと TOWN ACE を走らせました。


 第296話 和琴 in 北海道

平成24年9月1


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東から摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖と、おおよそ40kmの距離の中に並ぶ道東の湖の中にあって、真ん中でドンと大きく構えるのが屈斜路湖であります。その屈斜路湖の西岸に突き出たのが和琴半島です。右写真の中央に突き出たのが和琴半島です。撮影は美幌峠からで、直線で10km前後と思います。
その和琴半島に国の環境省所管のキャンプ場である「和琴野営場」がありました。なぜ過去形なのかと申しますと平成24年8月31日をもってキャンプ場がリニューアルの為に営業が終了されたのであります。来夏には工事中となり平成26年には、オートキャンプ場として開場されるとのことです。

今年、毎日の様に夕方の4時にはキャンプ場の近くにある無料の露天風呂で一緒に湯を楽しんだ、御年88歳の翁の話では、30年ほど前に半島の環境省所管の土地は大きく改良がされたとのことでありましたが、その後は現状の姿を育んで来たとのことでした。キャンプ場の管理棟もまだまだ新しく、隣接する半島の自然を紹介する資料館等は昨年に改装されたとのことであります。
加えて本来のキャンプ場施設は、何の不自由もなく、むしろ道内の他のキャンプ場と比較しても、最もクオリティーの高い人気の施設であります。 しかし、昨今流行のオートキャンプ場としてリニューアルが行なわれるという。大自然の中に立地してキャンプ場としては多くのリピーターに支援されている和琴野営場が姿を消すことに疑問を感じるのは私だけではないはずです。

さて、今年の東北・北海道の旅はと申しますと。
犬の 権太郎は今年の5月に原因不明の下痢を繰り返して、自らのベッドでも後ろ足が立たないという状態となりました。すぐに病院でレントゲンによる胃の異物検査、心電図、血液検査などのチェックをしていただきましたが、結局明確な原因不明のまま、一週間ほどで元気を取り戻しました。
今年の3月で満10歳を迎えた権太郎は、それなりの体力低下は認めざるをえない状態であったし、その頃には今年の北海道の旅は難しいと考えざるを得ませんでした。毎年なら5月には旅支度に入るのですが、今年は6月半ばでも北海道旅行は行くかどうかの決心が付かない日を送っていました。しかしその頃には普段の権太郎は以前の元気を回復したことと、年齢から来年にはもっと難しくなるのではとの思いで、今年の出発を決意しました。
出発は関西ハムフェスティバルが開催される翌週の日曜日からとして準備をしました。
今年は、車載テントではなく地べたに張るテントで権太郎と一緒に寝ることにして、美深、和琴、羅臼の3箇所でキャンプをするとの計画にしました。

ところが、いつもの通り下北半島の先、大間から函館へと渡り「さはら」道の駅で旅の体制を整えていたのですが、権太郎が何か変で元気がありません。家から3日間の車の旅で疲れが出たのか70センチ高の車の自席に飛び乗ることが出来なくなりました。
荷物などで階段を作り乗せたり、ドックフーズに好物を混ぜたりしながら二日間、砂原で留まり養生をしました。大阪に引き返すかとも考えましたが、涼しい北海道でゆっくりした方が良いのではないかと考えて、昵懇にしていただいているキャンプ地の管理人さんと、7月初旬にはすでに同キャンプ地に先着している岐阜県の H氏が居る和琴キャンプ場へと計画を変更して向かうこととしました。
結果としましては、到着した和琴では涼しいよりも、むしろ寒い天候の中で権太郎も間もなく元気を取り戻しまして、普段どおりに車にピョンと飛び乗るようになりました。しかし帰途の事も想定しまして、板を調達してスロープの巾を倍にして権太郎が車への乗り降りを楽にするように習慣づけをしました。このことは後の帰途で猛暑の本州走破に有意義であったと思っています。
そして何より和琴キャンプ中には、特に H氏には何かにつけて大変お世話になりました。権太郎も大好物のカステラや、肉類をいただき大喜びでした。また、管理人さんにも大変お世話になりまして、毎朝出勤時と退場時には権太郎に言葉を掛けてくださいまして、大事に見守っていただきました。


昨年は、8月2日から17日までの17日間を、このキャンプ地で過ごしました。 そして今年は、7月26日から8月19日までの25日間を、 このキャンプ地で過ごしました。
昨年に比べて、先ず天気の悪かったことが特筆されます。地元の方の話では、今年の6月はいい天気が続いたそうですが、7月になってからはオホーツク海側に前線が停滞して曇りの日が続き、小雨が降る日々に加えて、気温が上がらずに、道東では農作物の成長に大きな影響が出たとのことでした。7月末の北見市で降った雹により、収穫間近なたまねぎに多大な被害が出たとのラジオニュースを耳にした。また、8月に入り、和琴方面の農家では麦の刈り取り時期なのに、すっきり晴れない日々のために麦が湿って刈り取りが出来ずに困っているとの話を露天風呂で聞きました。

また、和琴に入って毎朝、摩周湖のある東の方向を見てもいつもすっきりせずに黒い雲が低くかかる毎日でありました。ある日、あまりすっきり晴れるよりも、ここ数日の早朝には幻想的な摩周湖が見ることができますよとの地元の方の情報で、キャンプ9日目にあたる8月3日に摩周湖へと向かいました。一昨年と昨年に見た神秘的な濃紺の湖面には出会えませんでしたが、摩周湖全体をおおう雲や霧と、ほんの少しだけの晴間がサッサーと風とともに現れるドラマチックな摩周湖を楽しんできました。

ほかには、なんと言っても今年の北海道には「熊出没」情報の多かったことです。今回1週間ほど寝食を友にした横浜市在住のライダーが和琴から羅臼方面にツーリングに出かけて、路上の熊を発見したとのこと。ぶつかると思いフルブレーキで停車して、しばらくにらみ合いとなりましたが、熊は間もなく対向車線から来た乗用車を避けるようにして山に姿を消したとの話です。オートバイなので咄嗟にカメラを出せずに残念であったと M氏は話していましたが、それよりも襲われなくてよかったのではないかと笑い話で無事を喜びました。
また、私も3年目の和琴キャンプ場利用ですが、狐が何回も姿を現して権太郎が激しく吠えて狐を追いやるというハプニングもありました。
このように人里に野生動物が簡単に姿を現す背景には、昨今の天候状況などから自然の食物が減少したことと、観光客による餌付けが考えられるので、くれく゜れも餌付けなどしないように注意を喚起する地元ラジオ放送が度々聞かれました。

今年も、釧路市からキャンピングカーで4人家族の Aさん、別海町から Kさん父娘さんがオートバイで、札幌市から N氏と二人の娘さんが、そして羅臼から3人家族の T氏が和琴キャンプ場を訪れてくださいまして、楽しい時間を共にいたしました。

また、毎日の午後4時には和琴キャンプ場の近くの露天風呂にご近所さんが来られまして、いつの間にか親しくなり一緒に湯に浸かりながら、和琴のこと弟子屈のこと道東のことをいろいろと教えてもらいました。

今回の旅としましては、家を出てから帰るまでの総走行距離は、平成19年 6,393km  平成22年 6,866km  平成23年 5,278km  そして今回はと申しますと 4,160km と数字が示しますとおり和琴半島のキャンプ場を往復しただけで、キャンプ期間中には、釧路市、美幌峠、摩周湖へとそれぞれ一回づつ出掛けたのみでありまして、他にはどこにも行きませんでした。まさしく権太郎との避暑合宿のみでありました。


 第295話 訛りは国の手形

平成24年7月15


私は、60歳を過ぎた頃から、主に北海道と九州の各地を旅をします。北海道は一般的には標準語であまり訛りもなくきれいな言葉使いをされていると聞きます。私もその様に思っていましたが昨年の旅で羅臼の漁師さんと2〜3度、兵庫県の方のご好意で氏のキャンピングカーの中で楽しい酒を飲ませていただきました。メモでもしておけば良かったのですが、なにしろ酒の場でのことですっかり忘れてしまいましたが、「それはどういう事でっか」と何度も聞きなおしました。なるほど観光地とか国道添いで会話で聞く程度では分かりませんが、じっくり膝を交えてでの場では、北海道にも訛りが多くあることが分かりました。このことはあくまでも最近の印象であって、先住民の方の時代での話ではありません。
ただ一つだけ印象に残るのは、私はいつも北海道へは愛犬の権太郎を連れていきますので皆さんから「かじりませんか」と聞かれます。「はい」と答えると、それではと皆さん権太郎を「めんこいね」触ります。犬が「噛む」という言葉は北海道では「かじる」と言うらしいです。全国的にはネズミは「かじる」犬は「噛む」が普通かと思います。

一方、九州へは旅行と言うよりも私の趣味であります農業発動機の運転会に、1年に1回ぐらいの割りで参加します。そして、何より九州の衆の多くは酒飲みでありまして飲むほどに良く喋り、それこそ九州弁のオンパレードの場となります。それがまた私にとっては大変楽しく愉快であります。
「こげん」 「そげん」 「どげん」 「よか」 「よかと」 「嬉しか〜」 「ばってん」 等など耳に残った訛りは、九州男児の男伊達と言うよりも逆に優しささえ感じる響きがあるのです。

このように、 訛りとは、その言葉のとおり、標準的な言葉づかいからはずれて、抑揚や音調が話す人の感情を反映して声の上がり下がり交えた話し方をすることです。 そして、この「訛り」が地域内に定着して使われていて、それに特別の言葉を載せたのが、「方言」となるのではと考えます。

私の住む大阪府は都道府県でも小さい方から数えて2番目の面積しかないのに、大阪弁、船場言葉、泉州弁、河内弁等いろいろとあります。府下に於いては言葉の意味が分からないことは私にはありませんが、特に河内と泉州は隣接しているのに、何故こんなに「訛り」が違うのかと感心いたします。まぁそれぞれの地に行けば同じような事があるのではと思われますが。
子供の頃には河内弁で育ち、大人になって社会に出たら大阪弁になり、そして今は仕事に出掛ける訳でもなく、うまれ育った地で暮らしておれば、いつのまにか河内弁での生活に戻っています。

人は言葉にある訛りによって生国が知れるとよく言われています。 人は生まれ育った地の言葉が身についているからそれがなかなかぬけないものであります。
私もいよいよ、いわゆる後期高齢者に突入するのも間近に控えて、いつの間にかまた子供の頃に使っていた「訛り」に囲まれて、生きている幸せに感謝の日々であります。


 第294話 ただより

平成24年7月1


「ただより高いものは無い」


梅雨明けの暑い照りも少し和らぎ、勤め帰りのサラリーマンの白いカッターシャツが、カクテル光線に反射して薄暮ではありますが、辺りは日中を感じさせるくらいの明るさである。混雑した観客席の間をぬうように、「ビールいかがですかぁ〜」 「コーラーいかがですかぁ〜」とアルバイト学生らしき若者の売声が響きわたります。

その売声を飛び越えて「チョロ 行け行け だだやでぇー」と強烈なヤジが飛び交います。盗塁はただという考えでありまして、何故かと言えば 野球ではその日のピッチャーの出来とか、バッターのヒットを打てる確率には凸凹があります。しかし盗塁と守備ではそう大きな好不調はありません。 そうしてみれば、攻撃面では例えばファボールで出塁しても、2塁への盗塁に成功したら、2塁打を打ったのと同じことになるからです。盗塁には、ただでなく失敗もありますが、昔の広瀬淑功とその大先輩木塚忠助そして現在の本多雄一には、ひとまず塁に出たら二塁はただと思っていることでしょう。それが彼らのプロ精神であり、ファンはそれを見に球場へ足を運ぶのです。

勘定高い大阪人には、ただ は大好きであります。大阪なんば球場をホームとしていた南海ホークスには、昔からチームカラーとして足の速い名内野手をいつの時代にもいました。そして福岡に本拠地を移した現在でも、足のホークスです。今年のパ・セ交流戦の戦績をみれば、23盗塁を決めていて、これは12チームではダントツの1位でありまして、次のチームでは18盗塁で、盗塁最少チームは6盗塁でありました。大阪生まれのホークスには、血筋が脈脈とながれているのです。

さて、前述のチョロとは、往年の強き南海ホークスにあって守備でも名ショートの 広瀬淑功選手であります。氏は出塁するとチョロチョロして盗塁の期を伺い、相手の隙をみればサッと盗塁を決めます。
当時のプロ野球観戦は、現在のようにどこの国から来た習わしか分かりませんがサッカーの応援団のように統一行動ではなく、めいめいがプロ野球選手のプロゆえの技を見て、日頃の疲れを癒しに野球場へと足を運んでくるのです。バッターには「打てっー」とか、ピッチャーには「頑張れー」とか観客席から声援が途切れることなく発せられます。
そして、飛び交うヤジを楽しみに、若い OL という綺麗なお姉さんが沢山やってくるのです。マウンドを挟んで一塁側の観客席と、三塁側の観客席の間でくりひろげられるヤジ合戦には、選手の活躍とともに大いに盛り上がったものでした。
まぁ、今の海の向こうの大リーグの観戦風景は今もこれに似た雰囲気で、ファンは選手の一挙一動を見にきているのです。打てない日でも、レザービームで走者をさすイチローの技はまさしくこれにあたるのです。

今回のお題としましては、ただでもらうほど安いものはないように思うが、それはその場だけのことでであって、後なってよく考えてみると買うより高くついたということです。
人から物をもらって「ありがとう」と礼を言っただけですむことは少なく、何かお返しをしなければならないことが多いので、ついかなりな金額になってしまいます。つまり、 ただで物をもらうと、お返しに金がかかったり、その好意に報いようと気を遣ったりして、結局は高い代償を払うことになるということです。

野球のお話しのように、ただ でもいいことは沢山あります。しかし要注意は、最近の10年ぐらいの間でインターネットの世界を中心として「無料」という語が氾濫するようになりました。それがインターネットからはみ出して新聞折込の広告や街の看板でも「無料」の活字が溢れています。この「無料」こそ、 「ただより高いものは無い」と思うべしであります。

 第293話 石に漱ぎ

平成24年6月15


石に漱ぎ 流れに枕す」・・・いしにくちすすぎ ながれにまくらす

本来は、恥の上塗りと言って 恥の上に重ねて恥をかいたような不名誉なできごとであるはずなのに、今の世にまでエピソードとして残す古い中国の偉人の偉大さを感じる語ですね。

発祥は、中国晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ」と言うところを「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違えてしまったらしい。しかし「石で漱ぐのは歯をみがくためで、水の流れに枕するのは、俗事を聞いた耳を洗うためだ」と言い張ってまちがえを認めなかったという話からきています。

そして現在では、負けおしみの強いことで、自分がまちがっていても、無理にこじつけて屁理屈を通そうとすることであり、負けずぎらいなことを言います。
この様な場合には、普通では当人はある程度冷静さを失っていることが多いかと思われます。それに反比例するように、周囲では冷ややかな目と耳で成り行きを見つめています。当人がその空気を読んだとしても、もはや引き返すことも出来ずに突っ張るしか外に方法がありません。

先述の「孫楚」の場合は、圧倒的な実力を備えていたと推測されますが、俗の世界ではアホにされるだけのことと自覚せねばなりません。まぁ人間生きている間には、大なり小なりこのような事に出くわすことと思いますが、かかる場合での引き際を常に頭に置いておかなければなりません。

以前の家庭では大黒柱である、お父さんは時々この様な権利行使を行なっていたのではないでしょうか。そして、その後始末は賢いお母さんが納めておられていたのが、よくある日本の家庭の様子であったと考えます。
しかし、現在ではお母さんがお父さんに取って替わりかかる権利行使されていて、その後始末をせねばならないお父さんは、納める知恵も力もない現状が方々に見受けられます。

やはり、日本の風土からすれば、「石に枕し、流れに漱ぐ」が家庭の模範ではないでしょうか。


 第292話 歩けば土つく

平成24年6月1


私は日常的に行なう趣味としてアマチュア無線の運用をほぼ毎日行なっています。今は主に和文電信による交信を楽しんでいますが、現在の世の中では極めて非能率な手段による情報交換なのであります。
とは言っても、コンピュターによる信号発信と信号受信を行なっている方もおられまして、かなりの大量情報交換をされてはいますが、これは極めて例外的な方法でありまして、和文電信は縦振り電鍵で心行くまでゆったりと楽しむのが真髄ではなかろうかと考えます。

それはさておいて、現在世界中でモールス信号によります交信業務を行なっているのは、アマチュア無線の世界だけであるらしいです。 そのような中にあって、さらに和文モールス信号によります交信を楽しんでおられる無線家は極少数であります。しかし、これがまた一口では言い表せない面白いものであるのです。

色々とある中で、今回は一つだけ例をあげますと、送ったり聞き取る情報が現在使われている他のメディアに比べたら極端に少ないのです。従ってオーム返しの返答をしたり、遠まわしの文言を用いたりしてはダメです。さりとて自分だけが分かっているような文面省略をしたりすると相手は何の事か理解ができません。
何年、何十年と和文交信を楽しんでおられるオールドマンは、この辺りが上手いのです。そしてこれが一朝ではなかなか真似の出来ない技であります。

無線の世界には、世界共通の略語 があります。例えば欧文で WX と打てば、ウエザー、つまり天気のことであります。また、 Q 符号というのもあり 例として QTH は所在地とか、住所をあらわします。

上記のように、アマチュア無線には、無線機の維持管理、アンテナの維持管理、モールス符号を出す手による技術は言うまでも無くですが、その上に上記のごとく、常に情報の送る内容を頭の中で考えながら送信して、帰ってきた信号から相手は何を言おうとしているかを聞き分ける力量を身につけなければなりません。

例えば、かつてある場所での同志が集まった中での会話ですが、「相手は信号にならない拙劣な符号を送ってくるので聞き取れなかった」と言えば、あるオールドマンが言うには「どんな信号からでも、相手の意を汲み取るのが、自己研鑽だ」と諭しました。

今回のお題に対して、何の関わりのない、前触れを長々とかきましたが、要約すれば、要らぬことを長々述べるのは愚の骨頂である。簡素、簡潔こそ何事においても大事であるとして、「歩けば土がつく」ならば、少しでも無駄な歩きをせずにすむようにして、必要かつ最低限の効率の良い行動をすることによりまして、 歩けば足に土がつくのはやむを得ないことなので、煩わしい土のつくのを常に軽減するような方法を模索しながら、生きていきたいと思います。


 第291話 食わず嫌い

平成24年5月15


「食わず嫌い」とは、直訳をすれば、食べたこともないのに先入観だけで食べもせずに嫌うことであります。しかしこの語での本意とするところは、人で言えば容姿だけで気に入らないとかを決めてしまったり、その人の実情を知ろうともしないで嫌うことです。

このように、この語は本当の食べ物のことよりも、人付き合いとか仕事上で起こり得るあらゆる分野において、人間が犯す間違いではないのでしょうか。

そして、最も厄介なのは、いい年をしてから、初対面の人も含めて、対人関係において人を選り好みをすることです。今更何で気が合いそうもない印象を抱く人とまで仲良くしなければならないのかと考えて、心易き人との付き合いのみに己を置いて、人の輪を広げることに少しの努力もせずに、殻に篭ってしまうことではないのでしょうか。

年をとってからの「食わず嫌い」は、自身の保身であると考えられます。そうなるのには長年に渡り人を見てきたので、人を見る目には狂いはない嫌な者は嫌と、何の思惑もすることなく決め付けてしまうものであります。

人は見かけによらぬもの。一緒に暮らしたり仕事をしたりしてはじめて相手がどんな人なのかと理解ができるのであり、見かけだけでは到底知ることはできません。そうだとしてもひと目会っただけでも、いきなり濃いお話しをまとめあげなければならない事が生きている間には多々あります。それが仕事上の取引であったとしても、なお対面者の人柄なりは、気にせずにはおられないのが日本人であると思います。
まして、末永く相交えなければならないような人との出会いでは気を使うところであります。
こちらが気にいらないと感じたならば、先方も同じ思いだと考えるのが相当です。それが高じれば「食わず嫌い」の間柄となりまして、お互いに気まずい日々を送ることになりかねません。

世の中、人が集まれば必ず輪にはいれない人がいるものです。しかし、それほどでもない人同志でも上手く歯車の合わない、または合わせられない人も有るのが普通です。
気まずい冷めた人付き合いよりも、先に一歩引いて、「今日はいい天気ですね」と話かけることができたならば、対人関係においては「食わず嫌い」とは、無縁の日々を過ごすことが出来るのですが、それを行なうのは言うほどたやすい事ではありませんですね。

今回のお題は本当に身近について回っているので、常に用心しなければなりません。 人は外見だけでは何事も判断できないものです。特に人間は付き合ってみて、はじめて相手の人となりがわかるということであります。人には添うてみ 馬には乗ってみのとおりであります。


 第290話 隅に置けない

平成24年5月1


「隅に置けない」とは、思ったより力量や才能または技術がすぐれていたり、あるいは世の中の事情にくわしかったりして、意外に実力があるので、片隅の目立たない所に置いておくわけにはいかないとの意味であります。

よく間違った使われ方をするのに、ずる賢くて隅に置いておけば何をするかわからないので、誰の目にも止まる場所に晒してくとの解釈をしていると考えられる場合があります。

さて、私はこの語で思い出すのは、何十年も前のことであるが職場の同僚で特に目立つことのない人が、とある飲み会の席で漏らした世界のことでありました。彼は篳篥奏者でプロなのかアマなのか未だに知りませんが、何でも好奇心の強い私は彼に招かれて、やはり演奏会というのでしょうか聞きに行きました。
奈良時代に中国から伝来したとされる篳篥が奏でる音色は、特別な哀調を帯びて、その小さい竹管から想像ができない程の強い音量が発せられて、雅楽の主旋律楽器であると彼から聞きました。
普段は物静かな、特に目立つことなく過ごしている人が、一度人前に出ればそれはもう誰にも真似ることの出来ない崇高な才能を持ち合わせているとは驚きを隠せませんでした。隅に置けない人ですね。後に彼に聞いた話では、日頃はもちろん仕事が休みであれば、その時間は若い頃から篳篥の稽古に費やしてきたそうである。

このコーナーでも、折に触れて申し上げてまいりましたが、私はと申せば面白いことを見たり触ったりしますと、すぐに手を出してしまうクセがあります。ただし、土いじりと関連することは盆栽も含めてやりません。それは子供の頃から他の友達が楽しく遊んでいるのを横目に身ながら、百姓を厳しく手伝わされた事から、土いじりだけはするまいと思ってきたからです。

で、今も続く機械いじりを中心にいろいろとやってきました。しかし、いわゆる下手の横好きの域をでることなく、これだけは人に負けじと自慢の出来る、形となるものや、手についた技術は何一つもありません 。
後期高齢者となるまで、もうそう月日の無い身で、今更お人に認めてもらえるような技術習得も出来ません。今回のお題をして、私は人生をふり帰り何か一つ「隅に置けない」と言われるような一芸がほしかったと思うのであります。


 第289話 犬も歩けば

平成24年4月15


「犬も歩けば棒にあたる」

もとの意味は、 犬もあちこちを出歩くと、ひょっとすると人に棒でなぐられたりするかも知れぬというところから、じっとしておればなんでもないのに、なまじっか何かしたり、でしゃばったりするからわざわいにあうのだというのであった。

この、棒にあたるとは私のイメージとしましては、犬が鼻を地べたに擦すりながら何かを求めつつ歩いている姿を想像して、その行くてに杭とか枯れ木が立ってあり、それにぶつかるという場面であります。
一心に食べ物を求めて、前をも見ずに突き進めば棒に当たって痛い目に遇うから、少しは辺りへの気配りも大切であるという教えから来たものと思っていました。

しかし、最近ではこれとは反対に、じっとしていないで、何か行動を起こしておれば思いのほか、幸せに出会うこともあるという意味に使われているようです。「犬も歩けば棒にあたるや、骨身を惜しまずに働いたら、絶対にええ事にあたるでぇ」と言う具合に使われているらしい。

このように、時の移ろいとともに諺の解釈も変化をしています。そして、おなじ解釈を変化させるならば、やはり前向きな明るく楽しい訓となるようにしたいものですね。

遅かった春暖も、いよいよ本格的に訪れてきました。ここはひとつ春の陽気に乗りかかって行動を起こして、犬も歩けば棒にあたるのごとく、外に出て幸を求めてみませんか。


 第288話 ちょっと

平成24年4月1


「ちょっと 早いかなぁ」 「まぁ ちょっとぐらい咲いてるやろう」 「ほな ちょっと見に行こか」 「ちょっと 待ってや茣蓙を持ってくるわ」 「ちょっと 先に行きかけるでぇ」 「ちょっと 権兵衛も誘ってみまひょか」 「酒は ちょっと 多いめに買うか」 ・・・・・ ちょっと を 用いて桜見物に出かける くだり をちょっと想像してみました。

このように日本語には、どうにでも解釈のできる便利な言葉がいろいろと用意されていますね。「儲かりまっか ?」 「まぁ ぼちぼちだんなぁ」 と言う具合に古くから大阪人の会話には、本当のところどうなんか全く分からない、人を煙に巻くような会話が多様されています。

そんな中でも、ちょっと は、 誰にでも慣れ親しんでいて多く使われる非常に便利な言葉です。そして、肯定文にも否定文にも使われます。例えば、否定を補強する場合に、「少々のことでは  そう簡単には ちょっとできない」 の様に。肯定を補強する場合に、「ホークスの日本一は、ちょっと嬉しいなぁ」 の様に。

他に、「 ちょっと来いに油断するな」というのもあります。 会社の上司から「ちょっと来い」と言われて、何の気もなく行くと、たいていはちょっとしたことではない、大目玉をくらう事がよくあるものです。まして警察から「ちょっと来い」と言われたら大変なことになっている事でしょう。最も最近の警察は言葉は優しく「ちょっと来い」なんて明治時代の警察の様には言わないですね。

また、ちょっと嘗 (な) めたが身の詰まり というのもあります。 ちょっとやってみたばかりにどうにもならない窮地におちこむ結果になってしまったということで、深入りする気はなかったのだが、ちょっとくらいならと油断してやったのがもとで、抜き差しできない底なし沼に嵌ったり、誘惑に負けて一身上の大問題にまで発展することを言います。特に最近は、この手には十分に気をつけなければなりません。

「ちょっと、何処に行くのですか ?」 「ちょっと、そこまで」  「一時間ちょっとで終わる」 「ちょつと金がある」 「ほんのついでに  ちょっと寄ってみる」  「ちょっと、あなた」・・・・・ちょっととは、なんでしょうね。

双子コンビのタレントさんが、「ちょっと ちょっと」 とギャグにしているがありますね,「ちょっと」 だけでも、喰っていけるのだから、ちょっと有難い。


 第287話 待たぬ

平成24年3月15


「待たぬ月日は経ちやすい」

待ち焦がれている日はなかなかやってこないが、 ぼんやりと何もしていないでいるといつの間にか月日がたってしまい、「月日の経つのは早いもの」と思うものである、と言う「ことわざ」です。

つまり今回のお題では、明確な物心においての期待が成就する日を心待にする場合と、何の目標もなくただその日暮らしをする事とを、捉えているものと思います。

さて、待たぬ日を持つ人について大別すれば、次のように二通りがあると考えられます。
一つは、もはやもう何もすることなくただ空気のような心境となって、若い頃から仕事もお遊びもあくせくやってきた自分に褒美をやるがごとく悠々と月日の流れを満喫している場合であり、これにはもう何も言うことはありません。
あと一つは、本来の職業とか仕事で活躍する時間はさておいてとして、それ以外の時間をもっともっと楽しく日々を送る方策を自身で見つけるべきであると思われる多くの人々です。

例えばの話でありますが、最近は一般的にはコンピュターのプログラム作りなんかはしませんが、一昔まえにはいろいろなコンピュター言語を駆使して自分が好きなようにプログラムを作ったものです。そしてプログラム作りでよく失敗する代表的なものとして、無限ループを作ってしまうことです。無限ループとはプログラムの中に環状線の様な出口のない線路を作ることで、どこからかその環状線に乗り入れたら電車は、いつまでもその環状線を走り続けます。知らぬ内に無限ループを書いていたり、入力ミスで同様の間違いをしてプログラムを走らすと無限ループに嵌り込んだままプログラムは後にも先にも進むことができなくなります。

「待たぬ月日」を送るという人は、先述のごとく自らが選んだ道を行く仙人のような人を除いて他の者は、無限ループに嵌り込んだような日々を送っているものかと思います。
そこで自分で、ちょっとは楽しい人生もやらないけないと気が付いて、そこから抜け出す決心をしたならば、手順としましては、何よりも最初に無限ループに嵌り込んでいることを自覚する必要があります。
最近、よくテレビで田舎暮らしを一念発起して、成功した方の紹介番組を見ることがあります。定年退職後の方もありますが、成る程と感心できるケースはやはり、早い目の決心と行動が功を奏していますね。
まあ、生活環境を変えるまでとは言いませんが、待たぬ日を持たないようにするには、仕事をリタイヤする10年前には、リタイヤ後の楽しみの礎の用意に掛かるのが良いと考えますが、すでにリタイヤ組みならば、誰かがちょっと背中を押して無限ループから脱出するのに手を差し伸べてやる特効薬を投与する必要があるかもしれませんね。

お題につきましては、全く逆の考えもあると思います。それは仕事に追われているとか、いついつまでに何かを仕上げなければならないという具合に日を切られて暮らす人には、一日一日が、光陰、矢の如しでしょうし、何もすることなく、ただぶらぶらしている者には一日が長く、とても月日は経ちやすいというような思いではないはずです。

間もなく「春分の日」となり、どんどん昼間の時間が延びていきます。さて、皆さんは、長い日の経つのが「早い派」ですか、「遅い派」ですか。


 第286話 自転車

平成24年3月1


最近、俄かにマスコミの後押しを得まして、警察は自転車の車道通行への追いやりと、歩道通行での注意喚起を行っています。

いま改めて理を整然と自転車とその乗り方などを考えれば、なるほど自転車は車両であり、車道の左端を走るとか、見る信号機や 併走は原則禁止などなどが、以前から決められているのです。

しかし、我が国の高度成長期において急増した車社会にあって、車と自転車あるいは歩行者との交通事故が多発するに至り、これを受けて、この頃から市街地の道路には歩道なるものが整備されるようになり、順次全国的に道路の拡幅に伴いまして、現在ではどこでもほぼ歩道が確保されるようになりました。
そして、いつの間にか自転車は歩道を走るものとして人々に定着してきました。この間に車道を走る自転車といえば、競輪選手のトレーニングか、スポーツバイクの利用者ぐらいでした。
思えば自転車問題は、今まで自転車を歩道に追いやって車中心の社会を 推し進めてきたひずみが噴出してきたという事です。それに皆さんの根底には、 歩行者から見た自転車は邪魔者であり、 車から見ても邪魔者ではないでしょうか。

それが近年、歩道内を主にして歩行者が多数通行する路地においても、携帯電話を利用したままでの自転車乗りとか、ヘッドホンを掛けての自転車乗りなど猛烈なスピードで走り抜けるマナー違反者による重大事故が多発するようになり、国は自転車を車道に追いやろうとしています。

マナーの悪い自転車乗りとは、あたかも学校での学級崩壊の姿に酷似しているように思えてなりません。当然守らなくてはならない秩序なんてくそくらえで、自分の思うがままの行動が自転車社会をかき乱しているのです。携帯電話、ヘッドホン、暴走行為のスピードなどどれをとっても、全く他人を無視した、自己中心の行為であるのです。

自転車がこのように悪者になったのはいつの頃からか、交通事故が発生した場合には、大きい者が悪い思想が社会に定着して、例えば自動車と自転車の衝突では、自動車が責任を負わされるのが当たり前となってしまいました。それは昭和37・38年頃と思いますが、自動車を運行するには、強制的に賠償保険に加入することを義務付けされました。そして事故があれば自動車側に一方的に責任を負わせて、自転車とか歩行者を交通弱者として扱い、自転車や歩行者は傍若無人に振舞う事にと繋がってきたのです。飛び出した自転車や歩行者にも、自動車運転者に前方不注意としての責任を負わせます。まぁこれには、自動車運転者の皆さんには注意励行を尊守させるということで、おしなべて功罪を述べるには難があるかもしれません。

最近警察庁から自転車の車道通行に関する通達が出されてから、広く社会問題として取り上げられていますが、この問題を少なくとも過去50年、約半世紀にも及ぶ日本社会が生んだ問題として捉え、そしてこの問題は幼稚園年代から、老人に至るまでのほぼ全国民の課題でもあることからして、 一部都市部において実施されている交通警察の取り締まりや指導、及び啓発活動をテレビニュースで流すぐらいではなく、政府がどの放送局にも、一日当り1分を10回流すとか義務づけるぐらいの事を行う必要があると考えます。

一方、自転車が車道を埋め尽くすに至ったとしたら、これはまた交通事故や停滞問題を避けることの出来ないことであります。ではありますが、急務として、自転車に乗りながらの携帯電話の使用と、ヘッドホンの使用は、止めさせなければなりません。

昔、むかし自転車の二人乗りを、国を挙げて取り締まった実績があるはずです。


 第285話 ホークスを想うVer 5

平成24年2月15


今のホークスは、昨シーズンに見せた長年にわたる苦労の上に手にした栄華を、一瞬にして奈落の底に沈む程の愚かなチームではないと思っています。

丁度一年前のこの時期に私は、「和田と杉内が元気なうちに、後継となるビッチャーを育てあげて投手王国ホークスを築き、今年の補強が常勝ホークスの礎となってもらいたい。」と昨年の補強を喜び、 これで当分はホークスも向かうところ敵は無しと思っていました。

しかしながらこのオフでは、川崎とともにピッチャーの3本柱が流出しました。すでに和田と川崎の流出は誰もが覚悟をしていたところでありましたが、ファンとしましては不安な今シーズンとなることを否定できません。

一番川崎、二番本多の得点稼ぎコンビをどうするのか、秋山監督は川崎の後に今宮を据えようと台湾では試験をしていましたが、1番・2番が定着するには、最短でも夏のオールスターぐらいまでは機能しないであるだろうし、辛抱強く今宮を育てるとしたら今シーズンのホークスは棒にふるつもりでやることになります。それにしても、例えば明石とか長谷川などを日替わりに入れるよりも、本多が居るので次世代を考えて、今宮を育てるようになるといいですね。ホークスには昔から「百万ドルの内野」の時代から 近年には、井口、村松 、と良い内野手の育つチームであります。

一方、川崎のアメリカ行きと、和田の大リーグへの流出は泣きながらでも認めるとしても、杉内の G 行きには納得ができない。ファンには分からないが、昨年杉内が登板した試合では毎試合においてチームの得点が極端に少なかったのは、チーム内での不和もあったのではと考えます。それでも杉内は、前年の FA 発言を巡ってフロントとの確執を上げて、他にも言いたいことはあるとして、チーム内のことを直接言及をしなかったのは、せめてもの「立つ鳥、跡を濁さず」と思います。杉内は G に行きたかったんでしょな。

それにしても、もっと腹立たしいのが、ホールトンの G 行きである。平成22年オフにホールトンは、一時自由契約となり、1億円あった年俸が、6,000万円と減俸されて昨シーズンの契約となったのです。その悔しさを19勝して最多勝利へと繋げたのであるが、ここらの平成22年オフでの球団の扱いについて、ホールトンの心の隙間を G に付け入れられたとの見方もできる。
こうして見ると、平成22年オフの選手契約手続きにおいて、ホークスは大きな失敗をしたことを認めなければならないでしょう。ホールトンは杉内以上に残したい選手であったと思う。


さて、毎度ながら大隣と大場の大大コンビに期待を寄せるのはホークスファンの誰もであるし、大大に取っても今年は大きなチャンスの年であります。反面今年がダメなら来年はホークスのユニホームは着られないでしょうね。どちらも鳴り物入りで入った割には今一の成績で、ファンを裏切っていますからね。
今年は、摂津、山田に大大コンビが入ってくることを期待せずにはいられません。

帆足は、パリーグで実績もあり、九州男児で大いに勝数を稼いでもらいたいですね。

ペニーは、チームの為に頑張れるかという点だけと思いますが、会見の写真を見るかぎりは、いけそうな感じもします。

まぁ、昨年は待ちに待った日本一、8年も待ったんやから、せめて連覇の夢を預けようとしたら、ホークスファンを蔑ろにしたチーム編成となった。しかし攻撃面では、今宮がムードメーカーであったムネリンをすぐに超えるには難しいであろうが、そこそこやってくれれば昨年とさほど遜色なく得点を得てくれるであろうから、何としても、大投手の影に隠れていた人が、どれだけ「よし、俺の番だ」と活躍してくれるかだけが、今年の見所であります。


 第284話 二度ある事は

平成24年2月1


「二度ある事は 三度ある」

この格言は非常に身近にあり誰にでもよく使われているものと思います。私も子供の頃から年寄りによく聞かされた覚えがあります。

本来の意味あいとしては、物事とはよく繰り返すものであるから、もし二度同じようなことがあれば、続いてまたもう一度おこるものだということで、もともとは失敗を重ねないように用心せよという戒めとして用いられていたようであります。

しかし、格言とかことわざの中には、表裏どちらでも使えそうなのが、いろいろとあります。使う場面とか、あるいは時代の移り変わりで本来とは逆の意味を持つものも少なくありません。

そこで今回のお題も、よい事のためにある格言であると信じて前を向いていれば、あまりよくない事の多い現在に生きる多少の励みになりはしないでしょうか。

二度ある事は 三度ある との格言を、少しでも良いことがあれば、それをきっかけに二度目の良いことを迎えるべく心と行いで日々を送ります。そして二度目に恵まれたならば、二度もあったのだから三度目も必ずあるとプラス志向の趣で生きて行けば、必ず幸福者になれると思います。


 第283話 夢は

平成24年1月15


「夢は五臓のわずらい」

夢を見るのは五臓、つまり心臓、肝臓、脾臓、肺臓、腎臓が疲れているからだとされていますが、私は六腑から胃と膀胱も加わるものと思います。
夢はどのようなときに見るものかについていろいろ研究されているようですが、はっきり分かっていることは寝ているときに見るものだということぐらいらしい。しかし、五臓の疲れも夢を見る大きな原因の一つではあるとのことです。

思い出せば、五臓の疲れをまだ知らない子供の頃でも夢は見ました。その夢は楽しい夢であったように思います。楽しい夢は体のどの部分が製造するのでしょうかね。それが現在では、イヤな苦しい夢ばかり見るのは、長年にわたり駆使してきた五臓が疲れているのかと納得のいくところです。つまり、楽しい夢と、イヤな夢とは製造する体の部分が異なるのでしょうか。

だいたい、何時までに何々をせねばならないとか、何処そこに行かねばならないという心配事が迫ってくると、微妙に体のバランスが精神的な緊張とともに崩れて、五臓に疲れとして蓄積されて、寝ていても、思考回路が眠りきれずに騒ぐのでしょうね。

しかし、私がまだ働き盛りの頃に仕事上の難問が未解決のまま夜になり、寝床でその打開策を夢で見て、その夢を実践して助かったことが幾度もありました。
また、最近にでも趣味の機械がどうしても上手く組み立てられない場面で、その解決手順が夢に出てきてうまく行ったこともあります。

要するに、生きていく上で追い詰められて見る夢のように精神的なものは、脳の中が眠りきれずに夢となってあらわれるのか、その精神的苦痛が五臓に疲労を蓄積して、夢として現れるのか疑問が残りますね。まあ、それにしても五臓はある程度気を付けて節制することはできでも、精神は節制するのは至難ということで、昔から「夢は五臓のわずらい」として捉えられてきたのでしょうか。

今年も新年の早々に、呑み過ぎと食べ過ぎでふうふう言いながら寝床に入ったら、初夢とやらに出会いました。何の夢かは覚えてはいませんが、あまりいい夢ではなかったことは確かです。
これからは、私の体のいずれの部分品も製造打ち切り後の保守期限切れで取替え出来ない事態となっております。一個一個の部分品を大切に、擦り切れることのないように大切に使い、疲れからくる夢と出会うことが、一回でも少なくなるように日々点検整備に努めて参ります。


 第282話 朝三暮四

平成24年1月1


---------新年 あけまして おめでとうございます-----------
-----本年も、「小話コーナー」をよろしくお願いいたします------

年の初めのお題には、何かこの一年の目標をと考えてはみるものの過去を振り返れば、なかなか年を通じて実践することの難しさを今更痛感する次第です。
そこで本年は、己の年齢をも考え併せて、これだけは肝に銘じて事の大小に関わらずに常に心に持ち続けて参りたいと「朝三暮四」を考えてみました。

朝三暮四とは、結果的には同じであることに気がつかず、目先の差にこだわることのたとえとされています。目前を重んじるばかりに、行く先で結果が同じであることを読めない、いわば薄ぺらい人間になってしまうことを戒めているものであります。
あと一つ少し意味合いの違うのに我田引水的に、まるで有利であるかのように言葉巧みに人をたぶらかすことにも使われていますが、今回はこれにはふれずにおきます。

そもそもの語源は、猿に餌のとちの実を「朝三つ、夕方四つやろう」と言ったら反発したので、それでは「朝四つ、夕方三つやろう」と言ったら喜んだという。
猿のお話しの故事は、宋の時代でつまり1500年以上も前のお話に基づいています。しかし、時とは関係なく故事に示される格言には、そのほとんどが現在にも立派に通じることが多いものです。
だとすると、ややもすると現在の情報化時代において、将来の不透明よりも、現実の目先にこだわる現在の風習は、故事に関わることなく、猿の朝四暮三の考えが主流ではないのでしょうか。
また、「朝三暮四」ほどの格言ではないにしろ、広く知られている「美味いものは宵に喰え」、という格言もあります。

よく辺りを見合わせれば、近頃の風習としてはやはり先々に大きくなるという結果を待てずに、目先にある現実を手にする堅実な道を選ぶのが普通ではないかとも思われます。
かく申す私も、 どうも人間を長くやっていますと、気が長くなるように思われ勝ちですが、実際はその逆であると思っています。

しかし、本来の人間としての生き様としては、目先の差を把握しつつも、全体としての結果をじっと見据えて、ゆったりと構えて暮らすことの大切さが求められているのも事実ではないでしょうか。
年の初めの、お題としまして「朝三暮四」を掲げまして、このお題が持ちます意味と、現実の現在にある矛盾点を比較して考えて、決して目先の差だけに拘ることのない、長い目線を身につけていきたいと考えています。



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