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ご意見などは、掲示板で待っています。

第304話 七十の三つ子 第305話 果報は寝て待て 第306話 知らぬ神より
第307話 寸善尺魔 第308話 手習いは 第309話 嘘も方便
第310話 三味線を弾く 第311話 仏の顔も三度 第312話 四百四病の外
第313話 黒い礼服 第314話 茶を一杯 第315話 赤い人参
第316話 橙3の男 第317話 黄4惠子 第318話 緑児
第319話 青二歳の陸でなし 第320話 紫 七部 第321話
第322話 ホワイトクリスマス 第323話 傍目八目

第324話

褒める人に

第325話

見たら 第326話 蚊母鳥の 第327話 年の瀬に
           
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 第327話 年の瀬に 

平成25年12月13


あと半月を残したこの時期に、今年は何をしたかなぁと回顧いたしますと、私が60歳で定年退職をいたしまして丁度10年になります、つまり今年には満70歳となったのであります。
という節目のこの一年ではありますが、今年ほど特筆すべき事柄のない年もめずらしいと自分で思っております。少々の家の改築も昨年末であったし、恒例としていた夏の北海道旅行も犬の権太郎の健康上の都合もありまして行かずに、久しぶりで猛暑の7月と8月は家で過ごしました。PL 教団の花火大会を何年ぶりかに見たし、高校野球選手権大会大阪予選で地元の府立狭山高校が5回戦まで進んだこともあって、3試合を観戦に行ったぐらいかなと思っています。

さて、自分としましてのこの一年はアマチュア無線の和文による交信に一番精を出し自己研鑽に励んだ年だと思います。夏の旅行も、九州各地での発動機運転会にも行かずに行動力には乏しいかったのですが、その分が無線に時間を費やすことができました。
あと数日を残しましての現在の記録を見れば、和文による今年中の交信履歴は、616交信となっています。概算で1日当たりで 1.6交信となります。これはなかなか上達しない自分に必ず日1回の割で交信ことにして、休んだ日を含めて月単位でその月の日数を上回るようにと頑張ってきました。
アマチュア無線にありましては、交信局数はそれぞれの交信目的によりまして全く別々のものでありますから、数字そのものは何の意味をなすものではないということを申し添えておきます。

その他には、これという事も無いままの一年ではありましたが、やはり自身の体力の減退と、食を主に健康維持を意識するようになりました。身近な事柄としましては、日々の食べ過ぎが気になり毎日が反省の連続であるのに、改善が出来ないままの生活でした。
掛かり付医には尿酸値の高すぎによる痛風発作の懸念と、糖尿病予備軍の状態であることを、約5年前から告げられています。その内3年間ほどは尿酸値をコントロールする投薬をうけて飲みつづけました。しかし現在は3ヶ月毎の受診で薬の服用はありません。がしかし自覚していることは、やはり肥満体であるということです。

ずっと以前に、過食がダメ、過食がダメとばかり常に自問すれば、それが返って精神的に良くないので、よほどの事もなければ気にしない方が健康上は良いとの記事を読んだことがあります。
しかし、70歳という年齢に達した今年は、今まで感じたことが無いほど食が気になるし、体力的にも劣って来ました。最近では高速道路での運転もおとなしく走行車線を守ることが多くなりました。

こうして、改めて今年一年を回顧してみて、やはり70歳になったんだなと自覚する、年の瀬となりました。


 第326話 蚊母鳥の 

平成25年12月1


「蚊母鳥(よたか)の宵だくみ」     

当世、あまり耳にはいたしませんが私がまだ若かりし頃には祖父からよく「ヨタカ」になるなよ、と叱られました。夜にソーと納屋から自転車を引き出して遊びにでかけようとすると、目聡い祖父が「ヨタカ」とか「ヨタ公」とか声を掛けては早く帰るように促されたものでした。

このように、ヨタカとは夜にウロウロと歩き回る者のことであると、今まで思っていました。しかし今回のお題について少し調べてみましたら、私の思いとしていた夜歩きと全体的には関連する、面白い記述がありました。

それは「蚊母鳥の宵だくみ」というもので、それには、できもしない身分不相応なことを企てることとされていました。計画だけは大きいけれど実現はできない夢のようなことを考える例えとされています。
なぜこうなったのかと申しますと、蚊母鳥(ヨタカ)という鳥は、蚊のような小さい虫の類を食べて生きている鳥で、それも夜にかけて飛びまわって餌を捕獲して生きています。そして作り話ではありますが、蚊母鳥は夜に小さい獲物を捕獲するよりも昼に活動して大きな虫を捕獲した方が効率が良いと考えました。そこでさし当たっては今夜の分だけはとにかく食べなければならないと飛びまわったらしい。すると次の日の昼間は疲れて寝てしまい、大きな虫の捕獲は出来なかったらしい。そしてまた夜になると出動して、昼は疲れて寝ると言う具合の繰り返しとなりました。

結局のところ、出来もしない計画だおれのことを指して「蚊母鳥の宵だくみ」と言われるようになりました。

又、蚊母鳥は「夜鷹」とも書きます。まあ、誰にも蚊母鳥が夜になると蚊を求るのと同じように、何かを求めて夜に徘徊するのは身に覚えのある事です。そして年の瀬の12月ともなれば忘年会とか勝手な理由をつけて、赤い灯青い灯の燈る街角に「蚊」を求めて、蚊母鳥となって遊んでいた頃を懐かしく思い出しています。


 第325話 見たら 

平成25年11月15


「見たら見流し聞いたら聞き流し」

コンプライアンスという意味のよく分らない西洋語が俄かに巷で氾濫し始めたのは、まだ10年にも満たない比較的新しい時期と思っています。そして直訳日本語としては「法令順守」として当初は多くの人々にそう受けとめられてきました。

例えば法令順守なら、人は右、車は左であればそれだけを守ればいいのかと言いますと、そう簡単なことでもなくコンプライアンスとはかなり多岐多様に渡って定義されているようです。

コンプライアンスのもともとの意味としては「命令に従う」でして、 上司の命令や企業の方針に従うことらしい。

しかし、最近新聞紙面を賑せていた食材問題で見られるように 利用者保護にも軸足を移して、あらゆる不正防止に向けた仕組みに目を配られています。

これには、コンプライアンスという言葉が充満し始めた今から7〜8年前以降から各方面で法整備が進められて意識の徹底を計られてきました。

談合などの事実を自主申告した企業への見返りを定めた独占禁止法の改正や、内部通報者が解雇などの不利益を被らないようにする公益通報者保護法も施行されました。
     
さて、今回のお題とコンプライアンスの接点は申しますと、誠に小規模なレベルでのお話しとなりますが、人それぞれが生きていく中で見たら見流し聞いたら聞きながしでは済まないのが、現在の社会の中で急激に増幅されつつあります。

ある意味では日本人の良き心の中にある優しさとして、ちょっと見たことやちょっと耳にはさんだ噂をよく確かめもせずにすぐに真実であるかのように人に伝えることは慎まねばならないとされてきました。ことに人の欠点や秘密に関することなどは、軽々しく口にしてはならないとされてきました。

しかし、人間には見たことを人に話したいという本能的な欲望みたいなものがあるのも確かであります。まあ見たことが本当に真実であるかどうかを確かめもせずに、軽々しく言いふらしては、世に害となりかねない場合も考えられます。

このように現在社会では得とならない損失に繋がる行為を見てしまった事実を、見た対象の個人や団体を見流すことなく、古くは美徳とされていたことも、いまではコンプライアンスの名の下に、しかるべき受け皿に報告(申告)することとされています。

もともとには、見たら見流し聞いたら聞き流しは上手な人の世渡り術であったのですが、今では必ずしもそうではありません。いずれにしても些細な個人的情報や事情をとりあげてのことではないとしても、組織人としての活動で派生したことであるならば、見たり聞いたりして知ってしまった事象については、いわゆる内部告発を強いられる現在の世で活躍されている、優しい日本気質の人々にとっては、過ごし難い世となったものです。


 第324話 褒める人に 

平成25年11月1


「褒める人に買ったためしなし」

まあ、これは夜店か縁日の道具屋を覗いているような、気楽なお話しと捉えてもらいたいと思います。

お店の前で足を止め品物を見て、これは良いとか安いとかいって褒める人には、かえってその品物を買わないものらしい。本当に買う気なら先ず品物のどこが悪いとか、値が高いとかを突いてきて負けさせようとするものである。それをはなから褒めるようでは、それは単なるお世辞であつて、買う気のない証拠とのこと。

商売は別として、普通の世間においてもよく褒め上げて歯が浮くようなお世辞をペラペラと言う人がいますが、これには気を付けて接しなければなりません。いい人だなんて決して思ってはならないのです。そういう風な人に限っていざとなると本気になって心配したり世話したりしてくれることはないものです。

余談ではありますが「褒める」と「誉」とは、口では「ほめる」と言いますが、二つの使い分けはなかなか難しいらしい。人をほめる場合と、物をほめる場合とで区別がされているようにでもなっていればいいのですが、そう簡単なことではないようです。
今回のお題にあたって書物を調べてみたら「褒める人に・・・」と載っていて、褒は「褒美」「褒賞」のようにねぎらいなどに対して功績をたたえることとありました。また、別の書物では「誉」は、栄誉のように言葉でほめたたえる、あるいは単に口でほめたたえる」とありました。こうして調べていましたら、今回のお題では、「める人に・・・」と書く方が正しいのかなとも思いました。
何か結論の出ない、あやふやな感じだけが残りました。

それにいたしましても、昨今何を買うにもすぐに、ネット販売とかで、家に居ながらでの買い物でして、褒めるも何もありません。冷やかし半分で店主と駆引きして、挙句のはてに要らぬ物まで買うのと、ネットで破格的に安いと飛びついて衝動買いするのとは、人としての何か優しい欲ボケみたいな似たところもありますが、ネット販売では対面すること無い行為であるが故に、決定的に違うのは「人間性」の温もりが欠落していっている事です。店先で「オッチャン 負けといてや!! 」、ごっついええ響きやなぁ。


 第323話 傍目八目 

平成25年10月15


「傍目」 (おかめ) は 「岡目」 とも書きます。

今回のお題は、囲碁の世界に沢山あります格言の一つであります。そして囲碁だけではなく一般的によく使われているものです。
これは、他人の打っている碁をはたから見ている者は、対局者よりも勝負を冷静に見ることができるので、八目も先の手まで見通すことができるということです。

意図するところは、当事者よりも第三者のほうがものごとを冷静に観察できるので、利害関係のない第三者の立場で見ていると事のよしあしや損得がよく見えて、正確な判断ができるということの例えとされています。

しかし、囲碁のプロとか道を究めた方々の目からすれば、対局後に、それぞれが読んでいた内容を全て披露すれば、対局 者は観戦者が読んでいる手数の倍は頭で展開しているとの事です。
つまり、一般論として夕涼みの縁側対局では傍目八目は存在したとしても、本格的な碁ではなかなか有り得ないとは、その筋の方々の意見であります。

それにしましても、数々ある格言による囲碁の勉強は上達の方法として効果のある勉強法とされています。

囲碁か将棋かは知りませんが、私はよく「下手の長考、休むに似たり」と言われました。あれこれ考えて、考えるだけで次の一手が出ないのです。

人生しかり、何事にも思いっきりの悪い頭を体の上に乗せて生きて来たこと70年、オスプレイの様に飛行機にでもヘリコプターにでもなる様な頭に作り変えたら、傍目八目のごとく何事にも目先が利いて、後少しの人生が快適になるやろか。


 第322話 ホワイトクリスマス 

平成25年10月1


ホワイトクリスマス ・・・ 白 9 リスマス

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まだ、クリスマスのお話を申し上げますには時期といたしましては、早すぎますね。なぜこの時期にホワイトクリスマスなる文字が登場いたしたのかと申しますと、第313話の 0 (ゼロ) から何か訳のわからぬお題を今回で10回目を数えました。
それは上記写真にあります炭素皮膜抵抗と申しまして、身近なテレビとかあらゆる電子回路で使われている部品の一つでありますが、ご覧のように1センチメートルぐらいと小さく、その抵抗値を表示する為には直接に文字で書き表すのは難しく、また書いた数字が何かの拍子にゼロが一つ消えたりして、いざ使用する際に誤認することの無いように工夫されたのがカラーコードです。
そこで色に 0 から 9 までの数値を持たせて上の写真のように帯状に塗り分けました。そして、その色のことを炭素皮膜抵抗のカラーコードとされました。

色と表示数値の関係は、黒は 0、 茶は 1、 赤は 2、 橙は 3、 黄は 4、 緑は 5、 青は 6、 紫は 7、 灰は 8、 白は 9 となっています。この色と数値の関係を間違うことのないように、語呂合わせで暗記したものが、こじつけお題として10回にわたりまして使わせていただきましたものです。

ちなみに上記の写真では、炭素皮膜抵抗の 4本色帯表示で、左から 茶  黒  橙  金 となっていて、これの抵抗数値はとしますと。

茶は 1  黒は 0 で 抵抗のカラーコードは左の二つが数値を表し 10 となります。

次に、3本目は、10の乗数を表します。橙は 3 で 10の3乗で 1000 となります。

これで 10 X  1000  =  10,000 Ω となり 10KΩ
  となります。

最後に右端の 金は この抵抗がもつ許容差で 金は±5%を示します。金と銀の2種類がありまして、銀は ±10%を示します。

このことから、写真の数値は、10KΩ の誤差 ±5% の炭素皮膜抵抗であるということになります。

この様に、世の中にはあらゆる物には創意工夫がほぞこされています。今回の抵抗のカラーコードの読み方を見ていただきましても、皆様方には何の役にも立たないお話しではあるかと思いますが、誰でもカラーコードを認識していたなら、例えば日常の会話でよく「私も、ついに大代に乗りました」なんて年のことを隠語で交わされますが、はたして40代か50代か分らなければ「40代ですか、50代ですか ?」と聞きただすよりも「黄代ですか緑代ですか ?」と聞けば、少しはスマートかもですね。  私は 紫 黒 です・・・


 第321話 灰 

平成25年9月15


灰 ・・・ 8 い

雲は行く雲は行く アルプスの牧場よ 鈴蘭の花咲けば レイホー レイホー ♪♪

戦前、戦後の歌謡界を代表する流行歌手だった灰田勝彦は、明治44年にハワイで生まれたとのことです。兄の灰田晴彦とともに日本の歌謡界において、その甘い歌声とともに第二次世界大戦前後に一世を風靡しました。また、映画俳優としても華々しく活躍していました。

私は、昭和18年の生まれでありますので、灰田勝彦の若かりし日の活躍は知る由のないところですが、まだ小さい頃にラジオから流れてくる、「レイホー レイホー ♪」とヨーデルの歌声の、アルプスの牧場は今でも記憶が鮮明に残っています。

そして、当時、歌謡界のトップスタ−として国民的大歌手であった、灰田勝彦が軽やかなリズムに乗って歌う、南海ホークスの球団歌があります。子供心なりに、大スターの灰田勝彦が 歌っているという、何とも誇らしげな機運はホークスファンとしての喜びでありました、また灰田勝彦も大のホ−クスファンでありました。

<南海ホークスの球団歌>
グランド照らす太陽の
意気と力をこの胸に
野球に生きて夢多き
南海ホ−クスさあ行こう
ああ金色の羽搏に
蒼空に鳴る鳴るひるがえる勝利の旗
ホ−クス ホ−クス 南海ホ−クス

その他にも、灰田勝彦には多くのヒット曲がありますが、「鈴懸の径」と「新雪」は、大好きなナンバーであり、私はカラオケに行けば今でも歌います。また、その後に「鈴懸の径」は、私が高校生時代に少しだけ在席した吹奏楽部のクラリネット奏者の先輩に連れられて大阪フェスティバルホールで聞いた、鈴木章治が率いるジャズバンド「リズムエース」の演奏で、バンマスの鈴木章治が奏でるクラリネットとビブラホーンによる絶妙の演奏が今も心に残ります。

今月の8日に、満70歳となりました私には、おおよそ60年前を思い出させてくれた「灰田勝彦」です。


 第320話 紫 七部

平成25年9月1


紫 式部 ・・・ 紫 七部 ・・・ むらさき 7 部

ちょっと苦しいですが、紫 式部を 7 に変換したものです。

紫 式部となりますと、あまりにも敷居の高いお話しでありまして到底展開をすることはできません。私の知るところといたしましては、源氏物語の作者であり、平安時代に 書かれた世界最古の長編小説です。お話しの筋は、帝の子であるのに源氏としての身分に下ろされて、皇位継承権を失った光源氏の王権復活の物語です。

私も一度は源氏物語を今風に易しく書かれたものを読まなければと思いつつも、まだ読んではいませんので、この先にも読むのは無理かなと思っています。

さて、紫 式部と言えば、何がどうだか分らずとも頭に並んで浮かぶのは、清少納言でしょうね。

清少納言は、一条天皇の先の奥さんである中宮定子のところで、今で言えば家庭教師の様な事として働いていました。清少納言の父は有名な歌人であり、彼女も勉強の知識があったようです。
ところが、定子は三人目の子を産んだあと亡くなり、 清少納言も宮廷を去ったようであり、その後のことは分からないようです。

紫式部は、一条天皇の愛人であり、後に中宮定子にとって替わって本妻となった彰子の家庭教師であった。 彰子の父は、定子のところで清少納言が働いていたように、 自分の娘にも教養のある人を側につけたい、と思って、紫式部を選んで宮廷で働かせたらしい。

しかし、どうも史実では紫式部が働き出したころには、清少納言はもう宮廷では働いていなかったか、いわゆる働く部署も違っていて、 二人には面識がなかったとのことあります。よって紫 式部が清少納言の悪口を日記に書いたとか、二人はライバル関係にあったとかは定かでないようです。

紫 式部も 千年余りも後の世で、自分の名前が、数字の 7 の当て字にされるとは思ってもいなかったでしょうね。
 


 第319話 青二歳の陸でなし

平成25年8月15


青二歳の陸( 6 )でなし を現代風に牽きなおしてみますれば、すぐに「ニート」なる語が頭に浮かんできます。何事にも複雑な解釈で物事を考える昨今におきましては、多少の考え違いもあるかも知れませんが、二つの言葉を比較してみて、私は大きな相違点として青二歳の陸でなしには、例えば何かの行動なり、思考を起こしては見たものの、その事が年が若くて経験が乏しいゆえに成果を上げることまで至らずに、未熟者としてさげすんで言われたのではないだろうかと思います。

そして「ニート」は、どうであろうかと考えてみれば、ニートにもそれなりのニートなる定議があるらしい。web サイトで調べてみたら、ニートとは、教育 、労働、職業訓練のいずれにも参加していない状態を指した造語であるとされています。

加えてニートにも、いくつかのタイプがあるらしく、その一つとして、後先なんかどうでも良い、今さえ良かったらそれでいい。と言う具合に遊びほほけるタイプがあると考えられています。

ニートという言い方は、イギリス生まれであり、いわゆる文化の進んだ先進諸国が、頭を抱える問題であるはずです。一方今なおニートの定議に合致しているようでも何ら問題もなく生きて行く事が可能な国や地域が存在することも有ると思われます。日本の一般的な就労者のようにとにかく勤勉に額に汗をして働くのではなく、気の向くままに暮らすことが出来て、ほぼニートのごとくに生きている人達も存在しています。

私がイメージする「青二歳の陸でなし」 にはまだまだ家庭が、そして社会の見守りで、よき日本の社会人としての成長する気力を感じることができますが、一方「ニート」 には成長を感じる事ができずに無気力を感じるのは、よく似た語でもあっても国産と舶来の差だけでしょうか。


 第318話 緑児

平成25年8月1


「緑児」 = 「嬰児」・・・みどりご・・・みどり5

さて緑児とは、となりますとちょっとお話しのイメージ作りが、私には困難なテーマとなりましたので、緑と児を分解して「緑」とします。

緑 と言ったら、なんといっても植物の色ですね。そこで直感的に、緑は癒しの色となります。緑の町という具合に、植物そのもののことを緑に置き換えて心が安らぐような気さえしてきます。

また、季節でいうと5月新緑の候として、緑から連想するものは、木々、草花、野菜などがほとんどではないでしょうか。植物がつぎつぎと生長していく時期を思い浮かべ、植物が生長していく様は、成長や若々しさ、未来への可能性さえも思わせてくれます。

色の与える印象は絶大で、自分で頭で受けている影響以外にも、知らずうちにも、本能で受け取っていることもあります。それは緑色には、癒し・安らぎ・休息などの心理的効果があり、目にも優しいと言われ、健康的で、気持ちが落ち着き、心がほっとするような雰囲気を緑色はもたらしてくれます。

さらに、緑は静けさだけではなく、静かで穏やかではあるけれど、力があふれる生命力のような元気の良さもあります。まだ成長途中の植物や野菜にも、あざやかな緑色をしていることから、これから盛え発展していくものといったイメージを持つことが出来ます。

そして、「緑」は、我が町を走るローカル鉄道の南海電車の企業イメージカラーでありました。そしてその南海電車を親会社に名門と謳われた「南海ホークス」が昭和の時代を大阪・ミナミの活力源として聳(そび)えていたのであります。言わずと知れた緑を基調としたチームカラーは清く正しく強い球道の真ん中でプロ野球の発展に寄与してきました。

私はまだ、子供の頃でイメージカラーさえ覚えない時から南海ホークスのユニホームに親しんで、やがて自分が気が付いた時には「緑」こそ我が好みの色となり、現在もなお、他の色に染まることは断じてありません。
一方、南海ホークスは福岡ダイエーホークスとなりまして当時の企業イメージ色であるオレンジ色を用いました。ここらあたりで私はプロ野球ファンを断ち切るべきであったと今も思いますが、それができなかったことは、この小話コーナーでも何回か綴らせてもらったところであります。

私は、現在でも何色かの中から色を選んで物を買うとか、あるいは物に色を塗るとなればやはり迷うことなく、さっと「緑」を選びます。
色彩の好みによります人の性格判断もよく語られていますが人の性格で言うと、優しくまじめ、穏やかで、誠実に頑張っているといった具合でしょうか。自分の性格としては、まぁ当たっているかなと思ってはいます。hi


 第317話 黄4惠子

平成25年7月15


「黄4惠子」・・・きし 惠子・・・岸 惠子   

それにいたしましても、岸  惠子が一連の語呂合わせに出てくるとは、これは年寄りのオッサンの遊びやと誰でも思いますね。
この語呂合わせを先立ちに教えていただきましたのは、前話の君の名はの昭和27年ではなく、昭和40年代になってからでありますが、その時の先立ちは、すでに今で言う、後期高齢者に入いろうかという思われる年齢の方でした。その様な方々から言い伝えられた語呂ですから、昔は岸  惠子もたいへん持てていたんやなと思います。

当の岸 惠子は、最近書き下ろし文芸大作とやらの「わりなき恋」という本を幻冬舎から出版しています。氏は現在80歳の高齢者であります。
そして、ずいぶんと昔のお話になりますが、昭和32年の事で私は中学生でソロソロ色気づいてきた頃であります。日本の看板女優である岸 惠子が、イブ・シャンピというフランスの二流映画監督に持っていかれたという被害意識だけが、はっきりと頭に残っているのです。しかし当時には君の名はでの真知子巻きスタイルはしっかりと記憶にありますが、岸 惠子の姿、顔は全く覚えてはいません。がしかし、なんで日本の看板女優である岸 惠子が、よその国の男に取られなあかんのや、日本の男達よ、しっかりせんかい。と思ったものでした。

いまにして思えば、鶴田浩二や外国人の超大物映画監督との噂もあり、とりまく男達の中で何かにつけて女の扱いが際立って上手かったイブ・シャンピに転んだんやろと思います。そして時々日本に帰って映画を撮って稼ぎフランスでの生活を送っていたらしい。
その頃の暮らしで満たされなかった想いを小説にして書き下ろしたのが、つまり筆者が本当に送りたかったと思う時間・時代ではなかったのではないだろうか。

まあ、大女優と世に名を売った数々の大女優さんも1年経つと1歳づつ年を増やします。その大女優さんも、変わらぬ人気を保ちながら清爽に清く正しく生きてそのままフェードアウトすることは、至難の業でなかなか出来るものではありません。一方、多くの男との噂を残したり勝手気ままな時期を過ごした女優には気品を保持したままのフェードアウトが出来ないことは、国の内外を問わずに、あらゆる女優さんにも今回のお話でお分かりのことかと思います。

やはり、黄にはつながりませんが 「よ 4 なが ・・・さん」 は、立派です。


 第316話 橙3の男

平成25年7月1


「橙3の男」・・・だいさんの男・・・第三の男

回顧「第三の男」と「君の名は」

この世界的名作映画と、敗戦の空気がまだまだ残る我が国にあって国民の耳を釘付けにしたラジオドラマを結びつけるキーワードは、昭和27年という時である。
映画「第三の男」は、イギリスで昭和24年に製作されましたが、日本での公開は3年後の昭和27年であった。

当時10歳そこそこの私にしてみれば、二つの名作も何時の出来事は思い出せる訳もないのですが、耳に残る二つのテーマソングから受けるイメージの違いだけは今でも記憶にはっきりと残っています。

両作品の共通するところとしては、時代設定は、映画「第三の男」は第二次世界大戦のあとであり、「君の名は」は大戦末期であり、ほぼ同時期となります。筋書きとしては、両作品とも直接には戦争を取り上げてはなかったように思います。それにしましても両作品とも、唯一の主訴とするポイントは、 変わることのなかった女の愛が根底にあったのではないかと思っています。

しかし、大人になって名作劇場などで見た「第三の男」にしても物語よりも、テーマソングの方が気に残ります。それは私があまり映画ファンでもありませんのでその為かも知れません。「第三の男」のテーマソングは今でもたまにはラジオから聞こえます。一方、「君の名は」は、後に本も読み内容は理解していますが、テーマソングを耳にすることは滅多にありません。放送の始めに「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションが流れ、バックでは音楽を担当した古関裕而の伴奏するハモンドオルガンの演奏によるテーマソングから受ける、鉛色のような空の下で展開されている様な絶妙の雰囲気を作り出していました。この放送は生放送であり、劇中の挿入バック音楽も古関裕而が演奏していたと今になって知りました。

今回は、「第三の男」の映画を題材に思うことを沢山書ければよかったのですが、残念ながら知恵不足でどうしようもありません。しかしテーマソングから受けた知らぬヨーロッパという所を連想するのには十分な響きがありました。いい映画作品には、いい音楽がつき物で後世にたくさんのサントラ音楽が残っています。

映画「第三の男」のテーマソングには、チターという楽器が使われていまして、それはドイツ南部・オーストリア・スイスなどで使われている弦楽器で、日本の琴を短くした様で、30本の伴奏弦と5〜6本の旋律用の弦からなり、やはり親指に付けた爪で弾きます。

昭和27年から今で60年になります。現在では多数の人々が映画館で映画を鑑賞する時代ではなくなりました。当時と比較したならば、極一部の映画志向者のみが作品を制作しているかの様に思われる今、「第三の男」の様な世界を驚かす名画が出現してほしいものです。


 第315話 赤い人参

平成25年6月15


「赤いにんじん」・・・赤い2んじん

当世に於きましてはいささか時代錯誤な感じをいたしますが、小生がまだ子供の頃にはトラックという自動車はまだまだ少なく、荷車といえば馬か牛が原動力となって牽いていたものでした。まぁ大阪では牛が主でして、馬はほとんど見かけませんでした。しかし、それ以前の時代におきましても、戦争中の戦地での乗り物や、荷駄での活躍は馬が多く、歴史的にも古くから欧米でも働いていました。

して、人参と言いますと誰もが連想するのが、 「馬の鼻先に人参をぶら下げて、馬は人参に食いつこうとして前進する」 あのユーモラスな漫画ではないでしょうか。さしずめ現在では動物愛護団体から抗議を受けそうな場面であります。しかしこの漫画は人間様の世界で、やる気を示さない者に対して褒美をちらつかせることで奮起させる手として使われていているようですね。

では、馬は本当に人参が好物なのかと言いますと、やはり人参には結構甘みがあり好物であることは間違いのないことらしい。ほかには、馬の好物としてはバナナやりんごがあり、角砂糖も大好物だということらしい。このようにお馬さんも、どうやら甘党らしいですね。

余談ですが、うちの犬の権太郎も甘いものには目がなく、ソフトクリームなど大の好物でありまして、店によくあるソフトクリームの看板も認識できます。

さて、人参は赤緑野菜の代表として栄養価の高いことでも知られています。オレンジ色の人参もありますが、どちらかと言えば赤い人参の方が我々には馴染み深いと思います。そして今の子供はピーマンが嫌いというのが多いと思いますが、私らが子供の時代には、嫌いな食べ物といえば圧倒的に人参が多かったのです。もっともその頃には、ピーマンなんて知りませんでしたが。

そして、牛肉など滅多に食することのない時を経て、何でも欲しいものは食べることが出来る時代となりました。50歳前後を境として仕事の帰りに、ちょっと一杯にも、そのあてには魚肉よりも、野菜の方に嗜好が徐々に移り、その延長線上に現在の食生活において好んで摂取する数々の野菜があります。

あの独特の匂いがどうしても受け入れられなかった人参が、現在では好物となりまして、寄せ来る年齢を感じる今日この頃であります。


 第314話 茶を一杯

平成25年6月1


「茶を1杯」

さて前回からの、ある世界での語呂合わせの事についてですが、これまた行く処によって言い方は色々とありまして、私は先立ちに教わりました記憶どおりでいきたいと思います。

人間を長らくやっていますと、年とともに心身が草臥れてくるのは当然のことであります。「茶を一杯」という言葉からは、年寄りが日当たりのよい縁側で、二・三人が寄り集まって、お茶を飲んでいる場面を連想するのではないでしょうか。この一服することが人が生きていく上で最も大事な事であると思います。

しかし、近頃の社会におきましては、なるほど合理的な身に対する休憩は確保されてはいるものの、心に対する休憩の与え方、あるいは受け取る方にも旨く作用していないのではと考えます。
簡単な言い方をすれば、朝起きてから、夜に寝るまでの間におきまして頭の神経を張り詰めどうしの一日を過ごす方々が圧倒的に多いのではないかと思われるのであります。

若い皆さんには分り難いかも知れませんが、読み書きを始めとして、あるいは手先を使ったり、また体を全体を使ったとしても、体を長時間おなじ体制を保っていた場合に、その時には自覚をしていなくても、ふと立ち止まってみたら、自分が思っているよりも遥かに心身が草臥れていることに気が付いたことはありませんか。

例としまして、私の場合には車を運転している時に度々経験いたします。犬の権太郎と旅する時には、2〜3時間を目途に用便や水の補給に止まりますが、自分一人の時にはよほどカメラのシャッターチャンスにでも出合うことがなければ、まず止まることはありません。
しかし、しかしです意に反してでもパーキングエリアに入り込み、冷たいペットボトルの茶でも一本飲んで、例え10分間でも目を瞑ってみれば気分が爽快になり、車を降り立った時のように足がふらつく事もなく、よし次に向かうぞーと元気が出ます。

こんなことは誰にでも分かっていることですが、車仲間と運転中に休憩を取るかどうかについて話しを聞くとだいたい同じような事で、一旦車を走らすと止まるのがなんとなくおっくうになると言います。
そこで最近私は高速道路などにおきましては、「そろそろ休憩をしましょう」という看板が目に入ったら止まることにしています。

そして、夏期なら冷たい、冬期には暖かい 「茶を一杯」 の休憩を心掛けています。


 第313話 黒い礼服

平成25年5月15


「黒い礼服 = 黒い零(0)服」・・・服の、礼を数字の 0 に置き換えて読んでください。

小話のお題についてですが、今回からしばらくは諺ではない、ある世界での語呂合わせで、お付き合い願います。
この小話コーナーで諺を引用するのに私の浅学では、お題が少々欠乏気味となりました。そこで何か探していましたが、私の HP にて紹介させてもらっていますサイトの趣味で、ある作業をしていましたところ、「黒い礼服」と呟いた時に、この語呂合わせをしばらくのあいだ、お題に使って展開してみようと思い付いた次第です。

礼服とは我が国におきまして、冠婚葬祭などの儀式で着用される黒い衣服を指しています。まあ、最近は女性の和服とか、だいたい30代前後の若者の間では、黒に限ることはなくなる風潮にあります。

では、どうして日本では礼服は黒になったのでしょうか。

礼服の中でも喪服についてはある程度の資料も残っているようで、ものの本によれば大昔の奈良時代には喪服は白であったという記録が残されています。 それが平安時代には黒の喪服が少しずつ広まり、平安後期には黒が着られるようになったそうです。ただし黒の喪服を着用したのは上流階級だけで、庶民は一貫して白のままだったのではないかと推測されているそうです。ところがその後、室町時代にまた白が復活します。このように、一部の人の間で喪服に黒の衣装を着用した時代があったとはいえ、長い日本歴史の中では「喪服は白」が主流だったようです。

しかし、明治になって欧米諸国の文化の影響を強く受るようになり、モーニングなど黒のフォーマル服が浸透してまいります。そして明治の後期には諸外国との交流も頻繁に行なわれるようになり、国賓の目を気にして黒に統一されたのがきっかけで、後に皇室の喪服は黒と正式に規定されるようになったそうです。また、当時導入され始めた学生服にも黒を推進したということです。

それでも、庶民が喪服に黒い礼服を着るのはまだまだ後のことであります。
昭和になり世界大戦による戦死者を送る葬儀が多くなった頃の時代になりまして、当時は貸衣装が当たり前だったようでが、そうなると、貸衣装店は汚れやすい白ではなく汚れが目立たない黒を揃えるようになったとのことです。 手入れのしやすさや、欧米諸国の影響もあり、戦後は急速に黒い喪服が広まっていくことになったそうです。

日本では歴史的には白装束がフォーマルだったのに、明治・大正・昭和と時代を重ねるごとにだんだん黒に変化していった様に思われます。

現在では黒を着用することが一般的な喪服ですが、長い日本の歴史を紐解けば、喪服は白→黒→白→黒と変わっています。 時代劇の切腹シーンなどでは、白装束を着ています。

欧米諸国の葬儀では、残された婦人は生涯夫に忠誠を誓うため、誰にも染まらない「黒い喪服」を着用すると言われています。その反対にバージンロードを歩く新婦には、愛する夫にどのような色にでも染まりますと、純白のウィデングドレスを着ます。日本の花嫁が白の角隠しに純白の着物姿も最高ですね。

ついでながら、ある集団の儀式には我が国でも欧米でも「黒ダブル」ですが、なぜかわかりません。ただし、最近では必ずしも黒いベンツではなく、カラフルな高級車がお好みの様です。


 第312話 四百四病の外

平成25年5月1


「四百四病の外」 (しひゃくしびょうのほか)

四百四病とはあらゆる病気のことでありまして、仏説では、人間の体は地、水、火、風の四つからできていて、風と水の調和が破れれは゛冷病二百二病を煩うことになるとのことで、地と火の調和が破れれば熱病二百二病を煩うらしく、合わせて四百四病が生ずるとされてきました。その四百四病の外の病といえば、それは恋煩いのことを指しているのであります。


さて、昔から恋の季節といえば暖かくなる春の3月頃から今月をピークとして、灼熱の8月あたりが人にも他の動物にも当てはまるかと思いますが、今年のように暖かくなったと桜が咲けば、真冬の様な寒波がやってくるという時節柄に加えて、天候の責任ばかりだけではなく草食男性に肉食女性なんていうことも世にもてはやされて、今では恋の季節なんて有るのか無いのか分からない感じがいたします。

まあ、それにいたしましても暦は若い女性の薄着ファションが目立つ5月と相成りまして、恋にまつわるお題を一つ取り上げてみました。四百四病の外とは古く仏説から由来するお話しであり、今時に急に現れた語でもありません。

恋の病に付ける薬なし 惚れてしまえば痘痕も笑窪 惚れて通えば千里も一里 等など数え切れない教則が存在いたします。歌の文句で「胸に下がったハンカチの 君の名前が 読めたっけ」と幼稚園児の恋の芽生えを歌ったように、人生において恋を知る始期は人それぞれによって異なりますが、相当早い時期に始まる様です。してその終期もこれまたそれぞれで何時と決め付けることなどは到底できるものではありません。

一方、プラトニック・ラブなる肉欲を離れた精神的な恋愛というのも耳にはしますが、そもそも恋愛とは究極的には子孫を残す為のプレリードとして考えるのが極自然なことではないでしょうか。もし、プラトニックラブが存在するとするならば、老人施設などでたまに新聞記事で読む、おばあさんの取り合いで刃傷沙汰が報じられることもありますが、そのようにもはや生理的に子孫を残す為の能力を失していている場合にのみ当てはまるのではないかと思います。しかし、かのような事例においても、体のどこかを触ったとか、それ以上の行為があったのならもはやプラトニックではありません。全くのプラトニックには心身ともに正常な子孫を残す為の能力欠落者にのみ存在するものであると考えられます。

まぁ、古今東西にあって山ほど論議のある恋愛論に首を突っ込むよりは、自らの心のおもむくままに、もっともっと自然の生き方をより大事にしながら多くの恋の花が咲くことを願っています。


 第311話 仏の顔も三度

平成25年4月15


この句については、私の以前からの理解としましては、例えば自分が何か人知れず悪行を働いて後ろめたいはめになっても、仏さんは二度は許してくれるが三度目の悪行は許してくれずに、もう仏さんと顔をまともに見合すことが出来ない状態になることであると思っていました。

つまり仏さんは善人の為に、悪への抑止力効果を発する存在として君臨しているものだと思っていました。

しかし、私の思いとは少し意味が異なっていて、もとは仏さんがアホにされて顔を撫でられることで、それも三度も顔を撫でられたらどんなにおとなしく、やさしい人でも、何度もアホにされたり、ひどいことをされたりしたら、しまいには腹を立てると言う例えであって、それが仏さんでも、三度目にはついに腹を立てるものであるということらしい。

顔を撫でられるということは、アホにされることでありまして、からかわれたり、ふみつけたりすることと同じである。それが度重なれば、どんなに情け深く心やさしい人でも、しまいには怒り出すということで、どんな事にも、あまり調子に乗り過ぎないようにしなければならないという戒めであります。

同じ句としては、兎も七日なぶれば噛み付くという語もあります。同じく、いくらおとなしい人でも、あまりたびたびいたぶれば、しまいに怒り出すということです。

最近のテレビニュースや新聞紙面に「いじめ」「暴力」なる活字が躍らないことはありません。これらの本質を考えてみれば、何れの事象にしましても何度も何度も繰り返して弱者に対して攻撃が繰り返されています。もはやこの語のように腹を立てる仏さんのようなエネルギーも、弱者には枯れ果てるまで追い込まれいます。

「仏の顔も三度」と、弱者を追い詰めるにも手加減というものがあることを万人に知ってもらいたい。


 第310話 三味線を弾く

平成25年4月1


三味線を弾く とは、元は相手に合わせて適当な相槌を打つことであり、 三味線の弾き手は歌い手の即興に合わせていかようにも合わせられるので、 それが変化して相手の話に適当に調子を合わせて応対することとなり、更に発展して相手を惑わすような、心にも無い言動をすることを指して言うようになりました。

そして、勝負事などで、相手の裏をかくために見せかけの言動をとることを、三味線 と弾くを略して用いられていました。
私が子供の頃によくこの 三味線 を耳にした記憶としまして、昔し昔しに南海ホークスがあった頃に名監督の鶴岡(山本)一人監督はよくこの手を使っていました。昔はプロ野球の開幕は今よりも遅かったと思いますが、この春先のオープン戦では南海ホークスは負けてばかりでファンには今年は大丈夫かいなと心配させておいて、いざ公式戦が始まると開幕から10連勝などをやってのけるのです。そのオープン戦が何あんたやろうとの思いに、老練のファンは、「監督の三味線」と評しながら、南海ホークスの快進撃を喜んだものでした。

さて、先の準決勝で敗退した第3回目の WBC の 山本浩二監督の「アメリカに行こう」の合言葉の意味するところであります。
あれは今回の「侍ジャパン」は、過去の2連覇の時のように、大リーガーの招集も叶わずに台所事情は苦しく、つまり3連覇を狙うだけの力はありません。よってせいぜい準決勝が行なわれるアメリカまで行けたら御の字だと世界に知らしめて、内心では3連覇達成を目論んでいたものかどうかである。
「アメリカに行こう」は、山本浩二監督が三味線を弾いているのではなく自分の監督としての力量からしては、2次予選突破が精一杯であることを知っていたのかもしれません。
そんな消極的な指揮官のもとであるので、WBC キャンプ中にコーチや代表選手の勝手な振る舞いがメディアによって報じられる結果となるのである。

何度もこのコーナーで述べましたがプロ野球選手は、ファンに夢を与えるのが使命であることを自覚してもらいたい。女と会っても次の日は完全試合をやってのけるとか、1イニングに2本もホームランを打つとしても、規律のない行動は大人には理解できても、子供ファンにはどう詫びるのかだ。いさぎよくプロ球界から身を引いてもらいたい。そして山本浩二監督もスキャンダルを感知した時点で、まして現場写真まで公開されているのだから、「アメリカには行くな」と首を切るくらいの指揮権を行使すれば、もう少しコーチ陣もしっかりして、あやふやなダブルスチールのサインを出すことは無かったのではないだろうか。

私は。三味線を弾くは良き大和気質であると考えています。何事にも少し控えめこそが美徳の心と思っています。山本一人監督の「アメリカに行こう」なら三連覇であっただろうし、山本浩二監督だから「アメリカに行こう」は、額面のとおりであって今回の準決勝での敗退は、山本浩二監督の設計図どおりであったのだと思えてならない。

他の国が多くの大リーガーを起用したことや、カリブ海界隈のチームの台頭として、キューバ以外にも、オランダ、プエルトリコやドミニカ共和国が体力と試合巧者を兼ね備えていることを知れば、弾く三味線も無かった、第3回 WBC であったのですね。


 第309話 嘘も方便

平成25年3月15


この語ほど誰もが理解をしながら、また嘘は悪いことと承知しながらにも、気軽に罪悪感を抱くことなく使っている有り難い諺もないと思います。

すこし調べてみますと、フランスにも「全ての真理を口にしてよいとは限らない」という諺があるらしい。このように古今東西あらゆる時と場所において嘘をつくのは悪いことではあるが、物事を円滑に運ばせるための手段としては必要であるとされています。

では、なぜ嘘は方便という諺が存在するのかを考えてみれば、心身ともに健全な人が口から嘘を発する折には心の深いところでは多少なりとも罪悪感を感じているものではないのかと思います。
この場合、直接に利害関係が生じたり、人の心に傷をつけるのに平気で嘘をつくのは、もはやこのお話しの範疇ではなく犯罪行為であることは言うまでもありません。
やはりこの語は、良心的に罪悪感を抱いている人の為にある救いのバイブルであります。

久しぶりに街角で出会った女性に「うわっ いつまでも若くて美しいですねぇ」なんてつく嘘は、限りなく犯罪に近いし、嘘をつくと閻魔さんに舌をぬかれると古くから言い伝えられているめに遇う人です。人とのつきあいを円滑にし世のなかを楽しく暮らしていくには、適当に嘘をついて、ちょつとだけの真理をのぞかせることが秘訣かもしれません。

始めから嘘をつく積もりではありませんが、「おだてる」というのがあります。何とか目の前に居る人をふるいたたせて元気づけようとする時に、何か褒めるところがないかを探します。しかし、さしあたり気がつく箇所が見当たらなければ、履いている靴でも見て褒めてみるとよい。嘘も方便に近い技ですが、褒められて気を悪くする者もありません。
しかし、気をつけなければならないのは、「おべっかいやき」として世の人からイヤな目で見られるようなイヤミ者にならないようにしなければなりません。何事にも程ほどにです。

嘘は世の宝、嘘も世渡りでありますが、子供の頃には嘘つきは泥棒の始まりとして厳しく教えられます。嘘つくは悪いことと育てられて、年齢とともにいつの間にか人は生きる為の必要悪として嘘をつくことを身につけていきます。節度を守って使ってこそ嘘も方便として生きるのですね。


 第308話 手習いは

平成25年3月1


「手習いは坂に車を押すごとし」

手習いとは、普通には学問や習い事などを指すのものと思われていますが、この語は昔から、「奉公は坂に車を押すごとし、油断をすれば後へ戻る」と職人芸を習う徒弟制度の世界でも広く用いられていたものであります。
今もスポーツとか舞踊りや楽器演奏などを含む体で覚えるものにも多方面に渡って格言とされていて、特にスポーツ界におきましては「練習は1日休めば、取り返すのに3日はかかる」と言われて、スポーツ選手を目指す子弟は厳しく鍛えられてきました。
しかし、昨今はプロ野球界の春季キャンプにおける日米の違いにも分るように、選手の体力も限りのある資源と同じとされて、投手の練習での投球数にも制限があり、日本式の投げ込む的な練習はタブーとされています。まぁ一行で書き表すことなど到底出来ない難しい問題ではありますが、要は日本人的な考え方としましては、肉体的に身につける力と、精神的に身につける力の両輪のごとくで強化をはかります。

その精神的な強化にこそ、休まずに絶えず一歩一歩前に進むのが最良とされています。まさしく、一日休めば三日の損、こそ坂に車を押すごとく一時も力を抜いて後退することなく前に前にと進まなければいけないのです。
一方、欧米ではこの精神面をメンタルトレーニングとかカウンセリングとかとして、過去の数的データーを基に将来の指針をクライアントに注ぐことによって肉体的潜在能力を発揮させようとするものであるのかと思います。

さて、私はと申しますと学問(学問と言えるような事は皆無です。)でもスポーツにおいても、坂に車を押すような経験は全くもって身に覚えはありません。
しかし、私の趣味の世界でお遊びとして現在も続けておりますアマチュア無線があります。その中におきましてモールス符号によります電信での交信を楽しんでいます。
これを楽しむには色々な道具が必要となりますが、その一つとして電鍵があります。これはモールス符号を作り出す道具で、簡単に言えば電気回路を断続するスイッチであります。通称米搗きバッタと呼ばれて、手でカタカタと押さえる物です。この電気回路を断続する道具にも現在はパソコンで制御するものから、いま私が言おうとしている最も原始的な縦振り(ブレ)電鍵まで数え切れない種類があります。

私の考えとしては、電気通信手段の方法としては普通はモールス信号によります通信が一番古いものと思っていますし、アマチュア無線だからこそ伝達情報の能率の悪さを無視して存続されている通信手段であると思っています。現在では一般的にはモールス通信はアマチュア無線の世界にだけ生き残っている遺物とされています。

このモールス通信にありまして、私は好んで縦振り電鍵で交信をしていますが、腕前はと申しますと子供が幼稚園から大学まで進むとしたら、小学の低学年程度です。まだまだこれから例えの様に大学を卒業するには死ぬまで頑張っても到底到達が出来ない勉強や練習が続きます。

打鍵と申しまして、トン ツーと打つ動作にも、指先から手の甲、手首から肘までの運動によって、主には反動式とか按下式とか、またはこれらにはよらない方法とか、千差万別のやり方があります。どれが正当とか間違いという訳もありません。しかし、我が国では、昔に有線で電信業務に就いておられた方の技術とか、あるいは戦争時の軍隊での有線・無線通信や、広くは海運・漁業無線で職業として培われてきました技術が今でも尊ばれています。この中にあっても流儀流派は存在したとのことであります。しかし、過去には職業人として時には何時間も休まずに連続して打鍵したり、国の存亡や自らの命を掛けて通信を守ってこられた技が現在でも伝わっています。到底現在のアマチュア無線の技術の比ではありませんが、一方またアマチュアであるが故に、いままた自己研鑽として技を磨く楽しみがあるのです。

さて、今回のお題に照らし合わせてみますと、指先から手の甲、手首から肘までの運動は、多くの先人も難儀な思いで技術の取得に精進されてこられましたが、今この道を趣味の世界ではありますが、嵌りこんだ私は、毎日決まった時間の練習に励んでいます。毎日やっても進歩は感じませんが、もし一日でも休んだら確実に後退している事を自覚できます、それは手首の動きが硬くなりリズム感に乏しくなります。しかし、実際は1年365日間、毎日とはいきません。それが故に進歩の勾配も鈍りがちではありますが、ここらあたりが、アマチュア無線のいいところでしょうか、プロの通信士ではありませんので気が病むほど頑張りは致しません、何とか車が後戻りをしないようにしたいとは思っていますが。


 第307話 寸善尺魔

平成25年2月15


ちょっとよい事があると、後でそれよりもっと大きな悪い事が起こるものだということで、思いもよらない嬉しいことが、ひょっこりと舞い込んできても、決して気を許してはいけない後でよくないお釣りがくると言う戒めのことわざです。また同じ意味をもつ「好事魔多し」などもあります。

私は直接銭金に関する仕事には就いたことはありませんが、聞いた話しとして次のような事があります。
とにかく大きな会計でも、小さな会計でも締めて帳面の額よりも現金が余った場合には、問題が大きいので、確実に原因の追究をしなければならないと言う。仮にも余ったからポケットに仕舞いこむのは最悪の結果を招くようであります。

簡単な例えとして、小さな商売で商品売り上げが千円であるはずが、現金が50円不足の950円であったとします。考えられるケースとしては、50円のつり銭に100円玉を間違うて客に渡してしまったとしたら、50円が不足します。しかしこの場合には客は怒りませんので、自分のポケットから補填したとしても、とにかく後に残る問題としてはありません。
一方、100円のつりに50円玉を100円玉と間違うて客に渡してしまったら50円の余りになります。この場合には客は一旦帰ったとしても後で必ず損を取り返しにやってきます。その日の勘定で50円が余ったとしても、それを自分のポケットに仕舞い込んだとしたら、後日になって大きな問題に発展しかねません。

まぁ、例えが小さいのではありますが、このような粉飾決算はどこにでもあることでして、ちょっとした問題ではありますが、さりとて大問題の切っ掛けとなることが、多々あるようです。
いずれにしましても、ここでポイントとしてはポケットを活用してはならないのが当然の事であります。なにか子供への教え事かの様に思えますが、大会社や、国家にあてはめてみれば、例えよりも、多少は込み入った過程を踏んでいたとしても、結果的にはこの様な粉飾決算は年に何回かは新聞に載ります。我々個人といたしましても、ちょっと金が余ったと喜ぶには、後の落とし穴の大きさをよく考えなければなりません。

万事、うまい話には気を付けなければなりません。それにしても、振込み詐欺もどきが後を絶ちませんね。私は金は全く有りませんが、年だけは狙われる年齢でありますので、電話での寸善には十分に気を付けなければと思っています。


 第306話 知らぬ神より

平成25年2月1


「知らぬ神より馴染みの鬼」

このお題の語は、どんなによい人であってもよく知らない人よりは、懇意な人身近な人のほうが心強いし、頼りになるということです。また、人は誰でも疎遠となっている者よりは、日頃から懇意にしている者のほうが何かにつけても都合がよいということであります。

類似する語として、遠くの親類より近くの他人というのがあります。これは何かの時には、遠い所に住んでいる血のつながった親類よりも、近くに住んでいる他人のほうが頼りになるということです。

さて、馴染みの鬼とはこの場合には特段に悪人を指しているのではなくて、前段の神との比較対象となった気の毒な鬼さんかと思います。この鬼さんの気心やくせを知っているだけに、こちらの出方も決め易く新しい不安をもつ必要もなく非常に恰もダンスでも踊っているような相撲を取ることができるということです。

よく私が口にする「安きに流れる」であります。難しく書くと「偸安(とうあん)」で「安きを偸む」でありまして、意味は将来のことを考えずに、目先の安逸にふけること、と辞書にあります。「偸」は盗む、むさぼるです。

当世、誰でもあえて困難な道を選んで進もうとする人は少ないことと思います。世に名の通った人や、スポーツ選手の中にはそれはそれは血の出る努力をしておられる方も沢山いてますが、それは極一部の人です。凡人は「安きに流れる」し、また「安きに流れる」からこそ凡人であるのです。

このように、本来的にはこうあるべきところではあるが、その場やその時によっては、都合のよい方を選ぶということは幾度でもあります。
しかし、最近は私も拘りをもってしっかりと生きて行かなければ、今まで自分が生きて来た信念すら崩れてしまいそうな事に出会います。例えば以前には「今日やるべき事は今日の内に」と手がけた事には、目途が立つまでは寝食を後回しにしてでも貫徹していましたが、昨今は簡単に「また明日に」とやるべき事を後回しにしてしまいます。そして頭の中では後回しになったもの達が「あれも、これも」と気になることが溜まり、いつも何かに追われているような毎日を過ごすこととなっています。
これは、ボケの根源であるとの書物も読みましたが、なかなか改善はできません。

さて、これからは「安きに流れる」のと「安きに抗して拘り人生」か、どちらを進むべくかではありますが、一度「安きに流れる」という甘い汁の味を知ったら、苦い汁は口にできませんな。


 第305話 果報は寝て待て

平成25年1月15


「果報は寝て待て」というのは、明確な目標を掲げてそれに向かって邁進して、その為の努力の粋を極めた後に、心静かに結果を待つことであります。
人事を尽くした後は気長に運がくるのを待つようにするのが良いのであり、かならずやいいしらせが舞い込んでくるであろうということです。

また、類似するものとして、「待てば海路の日和あり」というのもあります。時の
運が物事を左右するような場合に於いても、人の力ではどうにもならないからあせらずに待てというものであり、決して寝てばかりで怠けていてよいというものでは決してありません。

寝るという言葉にも沢山のいわれがありますが、純粋に布団の中で寝るお話しでして、お題の「寝る」とはあまり関連しないのではありますが、
一年中でも最も寒い今日この頃の時期には、就労者の皆様には誠に申し訳けありませんが、ぬくい寝床の中でゆっくりと過ごすことは極楽の極みであるかと思います。

真冬の寒い屋外での行動には、筋肉を硬くするので、暖かい伸び伸びとした時間をもつことが大切な健康法であります。温泉とか風呂で体を温めるのは一番良い薬ではありますが、何と言っても暖かい布団の中でゆっくりすることが万人にとっても、至高の幸せではないでしょうか。

ただ、寒い冬とは関係なく布団に入っても寝ることの出来ない、いわゆる不眠症になりますと、寝ることが反対に恐怖となりかねません。あるいは、
現実からの逃避して寝床から起き上がれずに寝ている、精神的な病もあります。ここまでは深刻ではないにしても、年配者には、夜の用便の為に寝ることさえ悩みに思っておられる方の事もあります。ほかにも借金返済や、人生上の悩み事とか、いろいろと「寝る」を考えただけでも、もっともっと深刻なお話も、浜の真砂の数ほどあるはずです。

まぁ、あまり考えすぎずに、
一年中でも一番寒いとされている大寒も、今年は1月20日とのこと。この「大寒の節」に健康で炬燵と仲良く寝ることの出来る小さな幸せに乾杯です。


 第304話 七十の三つ子

平成25年1月1


---------新年 あけまして おめでとうございます-----------
-----本年も、「小話コーナー」をよろしくお願いいたします------

七十の三つ子」という言葉は、私は耳にはしていましたが、自分がその七十にこんなに早くなるとは思ってもいませんでした。しかし、今年中には満七十歳を迎えることと相成りました。
まあ、この様なことわざとか、日本の古い習慣を語る折の年齢は満年齢よりも、数え年で言うのが普通であり、気がつけば私も既に七十の三つ子となっているのですね。

今、自分自身の年齢を回顧してみますと、その節目の時に何があったと言う訳でもありませんが、記憶に残る節目としましては、やはり二十歳が一つですね、それともう一つ五十歳でした。そして今年に迎える七十歳ではなかろうかと思うのです。

さて、一般的には人が年をとると、こどもと同じような、無邪気な人柄になるとされていまして、これを「こどもに返る」と言われています。これをもう少し具体的な年齢まで踏み込んだのが「七十の三つ子」であります。

三つ子と申しますと、双子にもう一人を加えた三つ子ではなくて三歳児のことでして、何と言っても三歳児くらいの時は今も昔も可愛い盛りですね。十分に動き回るようになるし、発する言葉が面白くなります。「なんで ? なんで ? 」と万事に興味を持ち出すし、教える大人も少しはまともな返答をしないといけないし、かと言ってまだまだ物事に理解を示すわけでもありません。しかし、諺にあるように「三つ子の魂百まで」のとおり末永く生きていく性質は、その人の奥深いところでこの時期に形成されるものであるらしく、大事な育児期でもあるのです。

一方、七十の老人はと申しますとどうでしょう、動きは鈍くて可愛くないし、人になんでと柔軟な態度で聞くこともせずに、
自分の過去の経験なんぞを持ち出して、意見や思うことは何でも頑固にまでも通します。

こうして見ると、七十になると到底こどもの頃の無邪気な人柄に返ることは有り得ない話でありますので、イヤがられている事をしっかりと自覚したうえで、自分自身が
無理にでも可愛い三つ子となる方向に舵を取り、三つ子という広い海の世界で尖ることなく生きていきなさいという指針であると考えるのが、この諺の意とするところではないかと考えます。

また、この「七十の三つ子」とは、普通は当該人を他の人から見た様子、あるいは状態を指していると考えますが、それに反して自発的な生き方としての「七十の三つ子」というのは、いかがでしょうか。少し刺激的な言い方ではありますが、「アホになって生きる」ということです。

特別な地位や、やむを得ない社会的事情で、アホになって悠々と生きることを許されない人も現在の世の中には多いことと認めるところでありますが、やはりこれも時代の移り変わりといいますか、この語が世に現れた時代と現在では、人の平均寿命は大きく延びています。現在ならさしずめ「八十の三つ子」あるいは「九十の三つ子」でもいいかも知れません。

まあ、しかし先述のごとくに必要に迫られて頑張らなければならない方には、気の毒でありますが、さしたる頑張りの必要がない私なんぞには、まだ多少の思考回路が動くうちに、他から見られた三つ子よりも、むしろ自らが三つ子となって、それも出来れば誰にでも可愛がられる三つ子となって生きていければ、最高の幸せ者であると思う次第です。


 
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