ちょっと小話コーナー Short Story保存拾六号館
ご感想やご意見は、掲示板で待っています。

第376話 お屠蘇 第377話 盗人の隙は 第378話 一押二金三男
第379話 DIAMOND HEAD 第380話 腹八分目に医者要らず
第381話 三十六計
第382話 春風駘蕩 第383話 下馬評 第384話 馬子を見る
第385話 落花流水 第386話 二階から目薬 第387話 手が明けば
第388話 手ぐすねを引く 第389話 丸くとも 第390話 大船渡市で

第391話

900草原 第392話 座右の銘 第393話 三日坊主
第394話 ホークスを想う Ver 8 第395話 富士の山ほど 第396話 仕上げが肝心
第397話 両方よいのは頬被り        
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 第397話 両方よいのは頬被り

平成28年12月 13


揉め事の仲裁や、揉め事とまでいかなくても些細な感情の違いを、当事者の二人から軍配を頼られたとすれば、どうするのが良いのでしょうかね。

大抵の場合には、片方を立てれば、残る一方は立たぬという具合になります。 物事はどちらか一方には精神的あるいは金銭的などの利益になりますが、他方には不都合や、不利益なものになってしまいます。両方を満足させるのは難しいというものです。

さりとて、 両方を立てればわが身が立たず、間に立つ者の苦労と難しさは、世では万人が承知しています。


君子危うきに近寄らずで、危険なところにはなるべく近づかないで、自分の行動を慎みたいのが世の常であります。

しかし、期せずしてその任が回ってきた時には、今回のお題であります「
両方よいのは頬被り」 を思い浮かべていただきたく思います。

「両方」を「両頬」と掛けて、双方によいのは頬被りくらいなものとしゃれた言葉です。頬被り ( ほおかぶり) とは、最近は滅多にお目にかかれませんが時代劇ではよく見かける姿でありまして、それは頭から頬へかけて衣服や手拭などで頭と顔の半分くらいを蔽いかぶせる姿をいいます。

そしてまた、
頬被りするという言葉は、その姿から生まれた別の意味をもちます。それは、 その事を知っていながら、知らないふりすることをいいます。知りながら知らぬふりをして、不利な状況をやり過ごすことを 、「頬被りを決め込む」と言います。

決して無責任に逃避するのではありませんが、仲裁に深入りして当事者の双方のみならず、世間の人々から顰蹙 (ひんしゅく) を買うような事態だけは避けたいものです。


 第396話 仕上げが肝心

平成28年12月 1


大晦日は、どことなくこの1年の締めくくりの日として心身ともに、普段とは違う緊張に包まれて過ごすのは、私だけではないと思います。大晦日の一日に限らず今月の日々は、飛行機の運転でいえば着陸態勢に入ったようなものです。
このように、一年の締めくくりもあれば、一と月や一日という具合の締めくくりもあります。

一方、 例えば料理にしても、一品づつの仕上げと、その時の献立とかコ−ス通じて完成するというのもあります。いずれにしても区切りの度に仕上げが肝心となり、気を抜くことなく最後まで完璧に終えなければなりません。

世の出来事の大半にあっては 「仕上げ 」というものが存在します。人の一生を作品として捉えてみれば、必ずその時がやってきます。この「仕上げが肝心」の集大成は、まさしくその時に問われる生き様であるのです。それが故に人は苦しくても必死になって頑張り通すのです。

誰でも心の片隅に、いや奥の深い深い底には、準備に似た何とも具体性に欠けるぼんやりした終着駅のことをイメ−ジしていることと思います。では、人間は何歳になればこのような思いを抱くのだろうとすれば、これこそ図り知れない、まして自分自身にあっても極めて曖昧なものであります。

私が今まで教わったある教えでは、自分の願いとして終着駅に到達する時には大きく病むこともなく、その日を7日前に知り、諸々のさわりごともなく凛として終えることができますようにと願う心を持つように教えてもらいました。

年の瀬の締めくくりをイメ−ジして、書き出した「仕上げが肝心」が、万人が悩み抱える地球よりも重たい物を提げるが如しの方向へとなりましたが、今年よりもまた来年も元気に終着駅を目指して精進したいものと思います。


 第395話 富士の山ほど

平成28年11 月 15


富士の山ほど願うて蟻塚ほど叶う

♪ 指に足りない一寸法師  小さいからだに大きな望  お椀の船に箸の櫂 京へはるばる登りゆく ♪

今回のお題である 「願い」 と 「望み 」 では言葉としての使い方と、その意味はどう変わるのでしょうか。

私は言葉の 「望み」の方を先に知り得えました。それはまだ小学校にも行っていない頃に、近所に私より1歳年下の男の子がいまして、その子のお婆さんが色々な童話の絵本を読み聞かせてくれました。そこで「一寸法師」 のお話しとともに歌も教わり、その上に言葉の意味も教えていただきました。
体の小さい一寸法師が、大きな望みを抱いて生きていく様を、教わったのです。

おおよそ70年足らずの昔の記憶が今でも蘇ります。この様な崇高な教えを受けたことを覚えているのに、終活を求められている今にして振り返れば、なんの実践もすることなく生きてきたことを悔やまれます。

しかしお題は、一生懸命に身を粉にして働いたとしても、得られる富はほんのわずかで、とても満足を得られるものではないのが世の常であるので、気を取り直して生きるようにと、元気付ける言葉とも思えます。

そうしてみれば、大きな望みを抱いても、叶えられるのはほんのわずかであるので、無暗に大きな願いごとや望みは持たない方が良いと言うのが、この諺の本筋かとも思われます。

一方、もしも望みと叶えられることが比例するならば、 望みは大きいほど蟻塚も大き目のものが得られるという意味でもあるかと考えます。

大事なことは、常に望みごとを抱いて生きるということではないでしょうか。何事にも興味を示さずに、ただ無気力に日々を送っていたならば、例え蟻塚の如く小さい成果さえ生まれることはありません。

また、願いごとにも望みにも千差万別あり、精神的なもの、金銭的なもの、体力的なこと等種々あります。自分一人の願いごともあれば、野球のチ−ムのように何人もの願いを一つにして優勝を勝ち取るという場合もあります。

願い と 望み がごっちゃになり、とりとめのないことになりましたが、「Boys, be ambitious.」 ですね。


 第394話 ホークスを想う Ver 8

平成28年11 月 1


昨年は日本一連覇を成し遂げ、その後の秋季練習を終えるに当たり工藤監督は、年明けの2月キャンプインの時には選手の出来上がり具合を査定すると選手に言い放った。
その様な事を言われた選手は正月も無いんかい、ええ加減せよ思う。言われなくても密かに燃えて体を作るのがプロやろ。でも言われば反発するのは必死、監督との信頼はゼロとなる。えらいことを言ったもんやと、私は気を揉んだ。
工藤監督は就任直後から「ケガ人がチームの戦力を落とす」とし、選手のコンディション管理には細心の注意を払っていると聞く。そうだとしても、シ−ズンが終了して、世間がざわつく年末も、さらに正月明けも具体的な指示もなくただ焦る気持ちだけをモンモンとしていたのでは、眠れぬ夜を過ごして、寝不足のボ−ッとした体で2月1日を迎えざるを得なかった今年のホ−クス戦士であったのではなかろうか。春の先走りと、夏からの後退の諸悪はここにあった今シ−ズンである。

昨年は強かったが、それは工藤の力ではなくて秋山監督の残してくれ財産をアホボン食っただけと誰しもそう思っている。一番知らなければならない者がそれを知らなかったということである。

6月頃から7月にかけて、11.5ゲ−ムも離したのも選手が勝手にやったことで、工藤監督の力ではありません。もっと言えばプロ野球です、向のチ−ムにも選手がいるし、その選手の稼ぎのこともある。その上に相手チ−ムにもファンがいます。1カ−ドを2勝1敗でシ−ズンを戦い抜くことこそ強い人気チ−ムと思います。開幕ダッシュとも言いますが、本当によく仕上がった強いチ−ムなら喧嘩野球は野球ファンの足を止めてしまう。2勝1敗を通せばそれでも6割6分の勝率となり、後は9月に帳尻合わせをすればよい。妙に9月に弱いとこだけは、きっちりと先代監督の引継ぎを受けているのも、腹が立つ。

今年のホ−クスは、10連覇が出来るチ−ム作りと言って船出した。それがどうだ終わってみれば、リ−グ連覇すらできず、どうでもいいクライマックスでも、もて遊ばれただけである。

3番柳田、4番内川と決めて、その他は日替わり定食の如しのオ−ダ−で臨んだ工藤監督の真意は何だったのか。いつでも優勝を勝ち取れるオ−ダ−を二通りも、三通りも作ろうとしたのか。その様な選手の使い方では選手との間に信頼関係が生まれる訳はない。
他チ−ムのどこより給料の高い選手は、日替わり定食の如しの使われかたをすれば、ポッと出場した時には、活躍せんとあかんと頭の中だけ空回りして、打席に入ってもチ−ムプレイが出来る訳がない。試合の日、家を出る際に今日は、どうなるのか不安一杯で、それが不満に増幅する。1つのミスですぐ使われない状態は、草野球かせいぜい高校野球までである。

また、今年は6月の末からは勝てば優勝マジックが点灯するかと、新聞などで騒がれた試合には必ず負けた。9月に入ってからも勝てば何々という大事な試合には、必ず負けたのも今年の弱さを物語っていた。残り2つのファイタ−ズに連敗したのも弱さの典型的な出来事であった。

今季の先発陣は、和田、武田、千賀が2ケタ勝利して、東浜も9勝をあげた。バンデンハークは7勝したけれど長期間にわたり戦列を離れた。これは大きな敗因要素ではあるが、ピッチャ−上がりの監督が、何をしていたのだろうかと、不信を抱く。たぶんバンデンは凄くナイ−ブな人格と推測されます。これは監督責任5分、コ−チ責任5分と思う。他に投手の状態を読めずに己の力と比較して継投に失敗している。
ビッチャ−上がりが故に、ここ一番大事な攻撃で得点に結びつく作戦ができず負けた試合もあった。 何故、攻撃の長けたヘッドコ−チを置かないのか、工藤監督の思い上がりと言わなければならない。まぁ来期はヘッドコ−チは置くことになったが。

今シ−ズン中には、いろいろな負の場面が思い出される。
日本ハムの追い上げが大きな足音として聞こえてきた大事な時期の、9月1日の西武戦では、チームの働き手である柳田が飛球を追って行きその際にボールを右手に受けた。右手薬指を骨折し、全治6週間と診断された。 このケガの導線として、その数試合前の守備でセンタ−ライナ−を後逸するという大失態を演じている。 6月末か、7月に入ってかは定かでないが、いずれにしてもチ−ムは絶好調の時期に、柳田は勝ち試合のヒ−ロ−としてインタビュ−を受けた。その時にインタビュ−するアナウンサ−をアホにするような態度で受け答えをした。まともに問いに答えずに「フン」とか「ハン」とかいう思い上がった者がとる態度であった。 アナウンサ−に不満があったとしても、プロ野球人にあるまき態度であるとテレビで見ていても腹立だしかった。

何年か前に春のオ−プン戦で5本のホ−ムランを打ち、ファンとしても柳田か3番か4番を打つ頃にはホ−クスも向かうところ敵なしのチ−ムになっていることやと信じていた。バットスイングの早さと反比例して頭の中は空っぽということである。この身の入らない態度こそ、チ−ムは8月と9月に、ドッと付けを払わされたのである。

ホ−クスファンの気持ちを途切れることの無い様に必死で綱を引き寄せているのは、キャプテン内川選手、本多選手と、律儀にホ−クスに帰って15勝した和田投手ぐらいである。

工藤監督は、なるほどドラフトでのくじ引きは連覇しているが、大場や巽の如く花の咲かせない園芸であってはならない。高橋と田中は一生懸命に大輪の花が咲くようにしてもらいたい。

何も10連覇をしなくても、今年の春の前人気の様にホ−クスは3連覇は間違いなしとされる様な時には必ずファンの期待を裏切らないホ−クスであってもらいたい。


***文面内容は、ホ−クス一筋60余年のファンの私が思いのままに書いたフィクション混じりで、取材に基づいたものではありません。***


 第393話 三日坊主

平成28年10 月 15


はや、10月も半ばとなりますと暦の上では今年も終幕に近づいてきたかなと、誰しも頭の隅で感じることでしょう。

皆さんは、紙に書き留めた程でもないけれど今年はこれだけは是非とも貫徹するぞ、と年初に決心したことはありませんか。決心をしたものの今振り返ってみますれば、正月気分と共に淡雪のごとく、さっぱりと消えてしまったと言う、年初の決心内容のことです。

まぁ正確に3日間というものでもありませんが、短期間の内に決心したことを止めてしまうことを指して、三日坊主と言います。

もともとは、相当な決心を持って僧侶になるべくして道を選んで入ったものの、 僧の修業というものは早朝から一日中にわたり息をつく暇もないぐらい忙しくそのうえ厳しく、食事も粗食で規則正しい生活を強いられます。せっかくその門に入っても
、中途半端な気持ちではとても修業の厳しさを乗り越えられず、三日経ったら僧侶の道から元の生活にもどってしまうことから出来た言葉です。

一般的には、 ひどく飽きっぽいことや、何事にも長続きしない人のことですが、三日坊主はなぜそうなるのかを、その原因がわかれば克服できそうです。それにはまず初めに決心する内容についてその「.目的や目標」をしっかり自分の中で持っておくことです。そしてそれを遂行する時を定めること。例えば朝起きた時に歯を磨くがごとく、しっかりと無理のない習慣付けをすることです。次に手帳やパソコン等にその記録を簡素にでも、後で自分に分かるぐらいの記録を残すことです。

このように自分自身に、プラン ドゥ− シ−  身近な小さい目標を立てて達成し喜びを味わう。そして成功体験を積み重ねていくことです。

でも、自身の健康を目的や目標に頑張るのは、最難問であると思います。それは年齢という、どうしても越えられないハ−ドルと向かい合って、いつかは勝負をしなければなりません。いずれかは必ず勝負に負ける時が訪れます。しかし、負ける日までは三日坊主とならない目標を続けていけたならば、健康保持が出来ているということになりますね。


 第392話 座右の銘

平成28年10 月 1


「座右の銘」とは、常日頃自分のそばに書き記しておいたり、心に刻みつけたりして、自分が生きていく上での戒めとする言葉のことである。

座右は座席の右を指し、身近な所を言う。銘は深く心にとめて戒めとする言葉のことであります。

格言、四字熟語や諺として多くの戒め語が存在していて、人は誰でも一つ以上の銘を頭に置いておられることと思います。

よく話題になるものに「二度あることは三度ある」があります。これがまた面白い語でありまして、捉える時によっては、吉とする時があり、凶とする場合があります。いずれにしても気にかけている事象と二度出会うということは、そのことが多発しているということであり、引き続いて三度目も出会うこととなるのです。
そして、さすが三度目と出会った場合には、吉ならば欲の緒も満足と共に薄れて消えてしまうし、凶ならば背を丸めて防御に入りそれ以上の侵略を防ぐ事に傾注します。吉であれ凶であれ、日頃の静穏な生活リズムを揺るがす事なので、気を引き締めよとする運気の中に居ることになります。

ほかに、徳川家康の遺訓のひとつに「怒りは敵と思え」があります。相手に怒りを持てば必ず相手も自分に怒りや憎しみを抱くようになるということで、怒るということは結局自分自身を滅ぼす敵になってしまうものであるというものです。
これこそ、常に自分の肌身離さず、「座右の銘」として守り抜きたい言葉であります。



 第391話 900草原

平成28年9 月15




(写真の注釈)  切り抜き看板の真ん中に「摩周岳」       TOWN ACE のヘッドランプの前に「摩周岳」           午前4時過ぎの 「摩周岳」


今回の平成28年の旅に於いて、今までの旅では知り得なかったポイントとして、写真の「弟子屈町 900草原」があります。

8月3日に、地元の S さんに教えていただきまして、すぐに900草原まで車で先導してもらいました。弟子屈町の中心地から南に約4キロメートルのところに位置していまして、すり鉢を逆さまにしたような高台になっています。360度ぐるりと見渡せる最高の場所です。ちなみに、900は キュ− マル マル と言うらしいです。

北方向には、摩周湖を抱きます「摩周岳」が写真のように見えます。他に硫黄山、藻琴山も見え、また天気が良ければ雄阿寒岳と雌阿寒岳も見ることができます。この広大な草原は北海道らしさを実感できる場所として道東に位置する中標津町の開陽台と似た感動を得ることが出来ます。

この草原の真下には弟子屈町がありまして、山間に展開する夜景は絶景であります。そしてこの草原はもともと町営牧場として開発されたように聞きます。現在2300頭余りの乳牛等が飼育されています。

また、草原のパークゴルフ場は、4コース36ホールという広大で、この日も遠く九州地方のナンバ−を付けたキャンピングカ−等、10数台のゴルファ−が集まっていました。

そして、私が今回の旅で目的の一つでありますアマチュア無線の運用についてですが、7月24日の函館上陸以来、美深から女満別への移動日以外は連日にわたり風雨の日が続きまして、用意した Radix のアンテナを揚げる時がありませんでした。やっとこの「弟子屈町 900草原」で写真のとおりにアンテナを設置できました。 ここでは今回の旅の目的である 8J3SP/8 の交信も多数が出来まして満足の日々を過ごすことが出来ました。



 第390話 大船渡市で

平成28年9 月1


7月21日から3年ぶりに東北・北海道へと車による一人旅に行って参りました。過去数回は今は亡き愛犬権太郎の避暑を目的としていましたが、今回はその理由もありませんでした。権太郎は1年半前に永遠の旅に出かけたのであります。

そこで旅に出かける理由付のひとつとして、我が大阪狭山ラジオクラブの期間限定記念局であります 8J3SP を北海道で /8 として運用し、その普及宣伝の一翼を果たそうと考えました。もちろん自身の避暑・温泉目的もあります。

この東北・北海道の旅には、行きには日本海側のル−トを取り下北半島の大間まで行き、フェリ−で函館へと向かいます。そして帰途は太平洋側をル−トとして旅をして参りました。陸路を使ったのは権太郎の丈が1メ−トルあり日本海フェリ−には乗れなかったのです。

しかし、 平成23年の大震災以後は帰り道を遊び支度の車で太平洋側をル−トとして通過することを憚りまして日本海側のル−トを往復いたしていました。

さて、北海道での出来事は別の機会に述べさせていただくとしまして、今回はあれから5年ということで帰途を計画の段階から 太平洋側をル−トとし、岩手県・宮城県を巡って帰ることにしました。

その日は、岩手県花巻市を経て大船渡市へと入りまして、三陸ふるさと物産センタ−で一休みしようと雨を除けてベンチで休んでいた時のことです。雨カッパに長靴姿の私と同年配と思える人が通りかかりました。どう見ても地元の作業人風でありましたので、私としては大船渡市の見学どころの情報を得ようと話しかけたのでありましたが、答えは「私も旅人です。」ということでした。

聞けば神奈川県在住の方でありまして、青森県にある氏の御母堂の墓参帰りとのことでした。見れば125cc のバイクにお大きな荷物を幾つも括りつけていました。当初その姿を拝見した時には、氏とそのバイクは結び付きませんでした。

反対にその人から私の車を見て、「泉のどこや、岸和田に長く居たことがあるんや」との会話から始まり、大雨の降る庇で、向はタバコを吸い、私は暖かい缶紅茶を飲みながら、何と2時間も話し込んだのです。なぜミニバイクで母の墓参に行ったのか、岸和田在住の頃の話等々。

そして特筆するお話は、氏が私の車のボディ−に書き込んだ 
「JR3WAS.COM」 と屋根のアンテナを見て、「無線」をやっているのかとのことから、延々と話が続きます。

氏は過去に自衛隊勤務の経歴があり、しかも通信分野で3年ほど勤務した経験があるというのです。何十年も前のことですがその頃には、欧文に加えて和文も厳しく教え込まれて、特に数字の送受は最も重要な分野であったとのことでした。大きく揺れる戦車の中で膝に括りつけたキ−を打ったことの話も私としては大変興味が沸く話しでした。

自衛隊の方は電話は、ボイスと言うらしい。しかし、通信を担当としていた氏の話では勤務が通信部門と決まってからはモ−ルス符号の習得を指示されたとのことでした。

やはり符号の覚え初めの頃は、イト−、ロジョウホコ−、ハ−モニカを暗唱したと言っていました。旧陸軍、海軍などと同じですが、私は一説には本当の通信兵は他の方法で勉強したとの話を聞いたこともあります。

その日も氏は、イト−から始まり、忘れたと言うのはほんのわずかで、すらすらと全部を口で唱えられていました。

今回特にびっくりしたのは、私もずいぶん昔から五十音の合調語法、つまり イト−・・・はありますが、いまだ嘗て数字の 1 から 0 までの合調語法をまともに聞いたことはありませんでした。しかし氏はそれも、次のとおり披露してくれました。

1  ひこうそぅじゅうほう   飛行操縦法   2  ふたじゅうめーたー   二拾メーター    
3  みつきゆーこー     三月有効     4  よつやくちょ       四谷区長 (?)
5  ごもくめし                   6  ろーそくたて       蝋燭立て
7  なーもーななつ                8   やーやーもーきた
9  くぅちゅうこーこーき   空中航行機   0  れーとーほーりょうこう  (?)

氏の口からスム−スに出てくる思い出話に幾度も耳を傾けていました。

一ケ月ほどの旅の終末に、ふと出会ったバイクの旅人に感謝の気持ちを込めて固く握手を交わして、別れを告げました。その後は陸前高田市、気仙沼市、南三陸町を経て、帰途についたのであります。

     


 第389話 丸くとも

平成28年7 月15


「丸くとも一角あれや人心」

いつ、どんな時代に有っても人が生きて行くうえで必要な格言であります。もちろん一角の前に、丸くともと断りが先ずあるように、人の世に於いては丸く生きることが絶対の条件かと思います。

例え引っ込み思案で決して人前に出ることを好まない人であっても、却ってそれが為に周囲の人々に余計な気を使わすことになりかねません。

常日頃は、人様の中では丸く行こう、丸く行こうと自身に言い聞かせてはいるのですが、得意とする事のお話しになったりすれば、ついつい思考回路がヒ−トして参りまして、余計な方向へと場の空気を押しやってしまいます。

まぁ、今回のお題に係る一角とは先述のごとき場を壊すものではなく、自分が良き策を持ち合わせているのに発言することなく黙り込んで、その場の流れに添ってしまう事であります。毎回とは言わずとも誰もが気が付かなくても、自身が赫々たる意見を持ち合わせていれば堂々と意見の陳述ができる人間であれという事です。心持の円満なのはよいけれども、ただそれだけではダメで、しっかりした面も人は必要であるとの教えであります。

丸いものは物理的にも転びやすく、「 丸くとも一角あれや人心、あまりまるきは 転びやすきぞ」 とも読まれています。


 第388話 手ぐすねを引く

平成28年7 月1


今年の「日本生命パ・セ交流戦」も、6月20日の戦いをもって終了しました。

戦績は、パ・リ−グの60勝、セ・リ−グの47勝、1引き分けとなりました。この試合で一番強かったチ−ムは、優勝と呼ばずに「最高勝率球団」と言います。今回で12回目を数えますが、セが優勝したのが2回のみ。だから野球が弱いが、口だけ強いセの圧力で優勝という言葉が使われなくなったのでしょう。

そして、リ−グ別ではセが1回のみで、他は全てがパが勝ち越している。

単純にパ・セを比較して見ても、パは指名打者制度を敷いています。従いましてファイタ−ズの大谷選手を除いてお話ししますと、9人がバットを持って掛かってきます。当然打者中心の野球となりまして、スピ−ドもパワ−も格段上がります。それに対応するパのピッチャ−はその強力打線に投げ勝たなければなりません。
一方、セでは昔ながらのお座敷野球を展開しています。つまりセでは一般的には9番ピッチャ−の打席はお休みみたいなものです。 パは、月月火水木金金であり、セは、土曜も日曜もあります。

このように指名打者制度は、パでは昭和50年から導入されました。当初は両リ−グ間での差はさほどでもありませんでしたが、その効力は年々顕著に表れ出して、パ・セ交流戦が行われるようになった12年前くらいからは、その戦績は一目瞭然となっています。

近年は、パから見れば美味しい交流戦で、春に始まったリ−グ戦も落ち着いた頃にやってくる荒稼ぎのできる時期到来となります。 チ−ムにとっても、個々の選手にとっても、手ぐすねを引いて待っていたかのように稼ぎまくります。


もともとこの語は、くすね(薬練)という、松やにと他の油を煮て練り上げた物で、弓の握りをすべらぬように塗って粘着力を強める為に使われていたものです。それが転じて、戦いの準備が万端整っていることを表す言葉となって、 相手の攻撃に備え、用意して待ち構えている様を指すようになりました。




 第387話 手が明けば

平成28年6 月15


手が明けば口が明く

手が明くとは、仕事を続けている時に何かの原因で仕事が無くなったりで手が止まることです。 そうなれば次には収入が無くなり、口に物が入らなくなります。つまり喰い逸れることになることです。

この語には「手が空けば口が開く」という同音のものもあります。これも意味合いはほぼ同じかと思います。いずれもその日暮らしの例えとしての意味をもつようですね。

よく似たお話として「自転車操業」というのが有ります。自転車は前向いてペダルを踏み続けている間はよいが、踏むのを止めればたちまち自転車は転んでしまいます。

このような事態に備えて、皆さんは普通には貯金とか備蓄をしています。一方社会的には公的扶助として種々の社会保障が整備されているところです。

しかし、本来の趣としましては、常日頃から日本人好みの「勤勉であれ」という教えであると考えられています。

働く仕事を休んだり、また仕事がなくなったりすれば、すぐに生活が立たなくなりその日暮らしになるという背景には、千差万別の事情が存在することは言うまでもありません。しかしながら昨今の我が国に於ける生活保護受給所帯数は、増加の一途にあると報道されているところです。

国民の生活水準に達することが不可能な状況にあるのであればやむを得ない措置であることは仕方ありませんが、夏にキリギリスが歌ってばかりで仕事もせずに暮らしていて、やがて秋になり冬となり暮らしに困ったとしても、その困っている時点で扶助するものであって、歌って暮らしていたことについては不問とするという。どこか勤勉を旨として生きて行くという道徳のもとに人生を生き抜く人々には、心の底から今一つ納得のいかない法律だといえます。

高齢の親を放置して扶養できないと別の所帯をして贅沢三昧や、実態の伴わない偽装離婚がまかり通る現状を見れば、権利の主張よりも義務の遂行を、今回のお題に照らして生きてもらいたいものです。



 第386話 二階から目薬

平成28年6 月1


彼此3年になります。私が白内障の予防薬を目に注すようになってからで、その甲斐がありまして点眼液が無くなる度に眼科に出向いて診てもらっていますが、良好な状態を保っているとのことです。

しかし、毎日注している割には一向に上手く目の中心に落とせないのです。若い頃には何も考えなくても全部ストライクで目の真ん中に注していたものが、今はじっっ−と睨んでやっても目の縁辺りに落ちます。まぁ鼻の頭や、凸に落ちることもないのでいいかとも思いますが、一挙一動がこの調子なので歳を感じるのであります。

普通はこの二階から目薬は、自分以外の人が何かを行う様子をみて、じれったくてもどかしく思うものでありますが、最近は日常生活での自身の行動でよくこれに出会います。

何と言っても物覚えの遅さに加えて、物忘れの早さです。例えばソフトバンクホ−クスの応援に行く時には、早い目に球場に着き練習から見るのが楽しみの一つとしています。そこで選手の背番号ですが、一先ず レギュラ−どころは別として、いやレギュラ−選手でも危ぶいかな、なかなか覚えられません。片手に選手名鑑を持ち確認をいたします。あぁそうやそうやと口で唱えながらも一応その場では、その選手の背番号を覚えたハズ。

ところが試合の途中でネクストバッタ−サ−クルで2本のバットをブンブン振り回しているピンチヒッタ−らしき選手の背番号は読めるのに、名前が出てこない。暫くして 「ホ−クス選手の交代をお知らせします。バッタ−△△に代わり〇〇」 その〇〇のアナウンスを耳にしながら、〇〇選手には悪いことをした、名前を憶えられずにすまんすまんと唱えながらにも、自分の記憶能力の低下に、もどかしさを感じられずにはいられません。

その〇〇選手の一振りで贔屓チ−ムが勝ち、帰途の電車中で少々興奮気味に一緒に観戦した友との会話で、「あこの あれの 一振りは・・・・」 と ○○選手の名が口に出てこずに 「 あれの 」 と言う辺りは 何とも言えない寂しささえ押さえることができません。

「二階から目薬」 を常としながら、なおこれに抗して生きて行かなければ
とする葛藤も、ホ−クスのように強く勝ちたいと願う毎日であります。


 第385話 落花流水

平成28年5 月15



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落花流水(らっかりゅうすい)


風もないのに、突然とその時期が到来したかのように、はらっ-と花が落ちて、ゆるやかな流れに沿って流れる様を描写したもので、ゆく春の景色を忍んだり、物事の衰えゆくことの例えとされています。

つい先日の5月10日に、今春の3月末日から我が町の狭山池に飛来して約40日間を生息した「ラバ−ダック」と呼ばれて多くの人々に、その可愛い姿を楽しませてくれた、あひるちゃんが家路につきました。

写真は計3隻のボ−トに曳かれて池の北堤から南堤まで約1kmの間を移動している様子です。

この40日間には、千数百本の種々の桜が満開の時期を移しながら咲き、また狭山池の豊かな水辺では年に一度の「狭山池まつり」が開催されたりで、ラバ−ダックの登場はいつになく多くの人々の出足を誘って和ませてくれました。

ラバ−ダックは世界を旅する巨大アヒルとして諸外国を初めとしてわが国でも数か所ですでに披露されてきました。今回の狭山池での登場は、今年築造1400年を迎えた狭山池の記念事業の一環として誘致されたものであります。

この披露期間中には、想定外の強風が二度に渡り吹き荒れました。その度にパンクするトラブルにも見まわれましたがその都度無事に蘇生して、開催満了日である5月8日を迎えたのであります。

そして、先述のとうり5月10日に家路についたわけでありますが、船で曳航されて静かに狭山池を後にする姿は、落花流水のごとく 時がむなしく過ぎ去る想いと重なりあって、ラバ−ダックあひるちゃんとの別離の寂しさが胸一杯に広がりました。

物言わぬ大きなラバ−ダックを親しみ、足を何度となく運んで犬や猫を可愛がる愛情に似た想いを抱かせてくれた魅力に感謝、感謝であります。


 第384話 馬子を見る

平成28年5 月1


前回に続いて「馬」にまつわるお話をもう一つ。  

つい先日、こんな話がありました。

5〜6人が集っている時に、その内の一人が完璧に整備した 80 CC のオ−トバイを他の一人が体験的に広場で乗ってみることになりました。その人も又熟練者であり ス−−と乗って出た。ところがあろうことか目で見えている距離でエンジンが停止してしまいました。そして迎えに行った持ち主が快音を響かせて無事に戻ってきた。

そこで思わず私が発した言葉が 「馬子を見たんや」
でした。すると皆がそれ何のことと言うのである。その場で説明しましたが誰も聞いたことのない諺であるとのことでした。後日、ことわざ辞典などを調べてみましたが見つけることができませんでした。

しかし、馬子を見るという諺は私達が子供の時代から、年寄りや親からいつもよく聞かされたことなのであります。

つまり本当の意味は、馬子とは 馬をひいて人や荷物を運ぶ ことを職業とした人達で、馬かたとか、馬おいと呼ばれて馬の口を とることを仕事にしていた人のことであります。

そしてこの諺は、人が馬を見るのではなくて、馬が人を見ることを指しています。つまり、馬をうまく使いこなせない馬子を馬がバカにして、言うことを聞かないさまのことであります。

このことは、馬や牛に限らず、機械ものや工具に至るすべての物事について適用されています。現在社会においても、部下をうまく使いこなせない上司に対してでも使われます。使われ方が、使い手の能力の無さを見据えて十分に働かないことなのです。

馬や牛、部下には心がありますが、オ−トバイや道具には心がありません。しかし、いかなる場合にあっても使われる側からみくびられることの無いように、心して関わることが大事ですね。


 第383話 下馬評

平成28年4 月15


「下馬」とは、昔、神社や身分のある人の家の前に馬をとめておく場所としてありました。主人はここで馬から下り、お供の者をここで待たせておいたらしい。この下馬で、お供の者たちが主人を待つ間にいろいろなうわさ話をし合い、そこで出た話が下馬評としてもてはやされる様になりました。

私が始めて下馬という言葉を目の当たりにしたのは、昭和30年ころの出来事でした。その当時には我らが住む南河内郡内にある小学校の修学旅行と言えば、どこの学校も1泊でお伊勢参りが定番でした。
私たちが近鉄電車で宇治山田駅に降り立った時には、折悪く台風の到来と出くわして傘も用がたたずにずぶ濡れになりました。その日は何もできずに旅館に直行となったのでした。

そして、翌日は台風一過の良い天気となり内宮の参道に向かいました。その折に宇治橋のたもとで昔風の将棋の駒のような形をした大きな立て看板がありました。そこには「下馬」と書かれていました。
五十鈴川に架けられたこの橋は内宮参拝時の記念撮影の名所になっており、我らも学校のお付きの写真屋さんに撮ってもらい、続いて担任の先生から下馬の意味について教えてもらいました。宇治橋は一般に俗界と聖界の境にあり誰でも橋の手前で馬から下りなければならなかったと聞きました。

肝心お伊勢さんよりも、いまだにこの下馬のみが印象深く、以来どこで下馬の看板を見ても、小学校の当時を懐かしく思い出します。

さて、下馬評には米国の大統領選挙のように大きい世界のものから、今年の日本のプロ野球の覇者を話題にしたものなどそれこそ星の数ほどあります。

このようにスポ−ツの下馬評は楽しいものであり、日々の生活においても駅に向かう道中や、仕事の手を休める一服の時にも常に人と人とのコミニティ−の手段として非常に有効な時間を送ることができます。

そこでの話題として、最近よく使われる表現として引き出し、つまり話題の引き出しをより多く持つことが求められます。最も引き出しの数よりも、中身が多岐にわたり詳しく濃いのがいいのか、いわゆる浅く広くが良いのかは意見の分かれるところであります。

しかし、難しいのはどの様な場であったとしても、必ず話の中心にならなければ気が済まない方がおられます。明らかに場違いで且つ方向が違っていてもムリムリでも集まっている人々を束ねたい人なのです。まぁ時の総理大臣もこんな人なのでしょうが、そんなに偉くなくても何人かが寄り集まっただけでの下馬評会議の場でも、時間はその中心人物の指す方向へと流れます。じっと頭の上を通り過ぎる台風を見送るがごとくの時間が過ぎていきます。

それにいたしましても、今はインタ−ネットの利用者が思う以上の数で増加しています。「ランキング」「口コミ」「いいね」など、対面しなくても下馬評を知ることが可能となっています。こうしてみますと、今も昔も情報収集の手段は変われども、世の動きを知りたいと欲する人の心理が伺えますね。


 第382話 春風駘蕩

平成28年4 月1 日


桜の花が満開の中、立て看板の縁が赤とか白の紙で作られた大きな花がぐるりと囲み、中には祝入学とかの文字がある。その看板を横目に見ながら、少し背を丸めながら羽織姿の母親が、胸に白い布に書かれた真新しい名札を付けた、新1年生が先へと足を運んでいる。 これぞ日本の春、日本の4月である。
がしかし少々小理屈を申せば、南は九州から北は北海道まで、いわゆる桜前線の北上にはかなりの時間差がございます。幸いにも大阪で生まれ育った者には何の不思議も抱かなかった入学式風景も、春のイマジネ−ションの世界として受け入れてきました。

どこまで本気の議論が進むのかはわかりませんが、我が国においても大学校に於ける新学期を、秋に移すとの考えがあるやに聞きますが、どうなることやら。いずれにしても、日本には美しい四季というものがあります。諸外国の事情にこれだけは絶対に合わせてもらいたくない。

何の前振りか分からなくなりましたが、今回のお題であります 「春風駘蕩」(しゅんぷうたいとう)とは、暖かい春の風が穏やかに そよいでいる様子をあらわしていて、
転じて人の性格やものごしがのんびりしていて温和なことを言いあらわされています。なお駘蕩は、のびのびしているとの意味をもちます。

先月には、もう寒い日はなかろうと暖かさにボ−ッとしていたら、また寒の戻りとかで震え上がったりで、何か例年よりも厳しい3月であったのではないかと思っていました。世には寒さを好む方もおられるでしょうが、一度暖かくなればもう寒の戻りはできないという一方通行にしてもらいたいと思います。

とにかく今日からは4月であります。いくら花冷えの日があったとしても、せめて心と懐は暖かくあって欲しいと切に願うところであります。

さて、桜前線と連れもって春の暖かい良い季節に、 心を穏やかに 春風駘蕩の気持ちを忘れることなく過ごしたく思っております。 


 第381話 三十六計

平成28年3 月15 日


三十六計逃げるに如かず

前回の3月6日に放送された NHK 大河、真田丸の中で信繁(後の真田幸村)が口にした「戦わずして勝」の戦略に興味を感じました。

我が国の歴史には、戦わずして勝つを得意とした武将に秀吉の名があげられます。 古代中国でも同様に三十六の兵法のうちに、戦わずして勝つ計略は使われています。これは無駄に兵力を失わず、かつ戦場となる集落や田畑を守るという、いわゆる思いやりの精神かと思います。しかし、これはそれなりの軍備とか知略に基ずく力量があってこそ成功するものですね。

そしてまたもう一つの戦略には、とても勝利にならないと悟ったときには逃げる作戦が最上であるということも古くからあります。逃げるに如かずと言えども三国志での兵法では知りませんが、日本の戦国時代の書物には、敗戦または敗戦濃厚となった時での退却の難しさは、いろいろな書物として出ています。
最近よくみられます語に、ガチンコ勝負というものがありますが、スポ−ツ界またはお遊びでは認められますが、人の命を懸ける戦争にはそうもいきません。逃げることの難しさも承知の上で、戦わずして勝つに似たエコ精神も十分感じとることができます。

いろいろ調べてみましたが、「三十六計逃げるに如かず」という語ですが、兵法三十六計は中世頃の中国の兵法書における戦術を六段階の三十六通りのに分けてまとめたものであって、逃げるに如かずが追記された語は、兵法三十六計とは別に物であるようです。

その、兵法三十六計には、現在の社会にあっても十分に通用して、しかも身近な計略として使える二つを書き出してみますと。

「やると見せかけてやらない」というのがあります。この計略は人間の油断心理を見事についたものです。これはやるぞやるぞと見せかけて、みせかけだけでやらない。それを2・3回くり返すと、どんなに警戒心の強い人でも「またか」と油断が生じます。 その敵の油断した所を見計らって、本当にやるのです。つまり警戒心の強い相手を油断させる時に使う計略です。

「女で敵を骨抜きにしろ」何とも単純な計略ですね。その通り、女の色仕掛けで敵を骨抜きにして倒してしまうものです。この計略は男の本能や心理をついており、その成功率と応用力はともに高いものであるといえます。 男の弱点が女にあるのはいつの時代でも共通のものです。古代よりたった一人の女が国を滅ぼした例は数え切れないほどあります。女の存在はそれだけ魅力的なものなのですね。単純ゆえにこれほど恐ろしい計略はありません。 大物が女性問題で失脚するのは時代を超えた現代でも頻発する失脚劇で、男には女ほどおいしいものはほかにないのです。

国の存亡を懸けた戦であれ、現在の世を生きる個々の人であれども、三十六計の策略を持って戦うよりも「逃げるが勝ち」「戦わずして勝」ことが如何に大事かということですね。


 第380話 腹八分目に

平成28年3 月1 日


腹八分目に医者要らず

大変ポピュラ−な、そして老若を問わずに誰でも知っている諺でありながら、これがまたなかなか遵守することが出来ない教えの一つであるかと思います。

私が、以前に偉いお医者さんの講演で聞いたお話しでありますが、健康的な人の胃であれば時には八分目よりも十分に胃を膨らす事も良いというものです。仮に数字で表せば 10 で満腹の胃にいつも 8 で使っていたならば 8 がその容量となってしまい、そこに 10 を入れれば容量オ−バ−となることは言うまでもありません。しかし風船に例えれば膨らしきった風船は元の姿に戻ることなくシワシワの状態になるのと同じだと言う。だからこそ時々は 10 にすることも大事なことであるというものでした。

今の日本人の食卓を見れば、長らく培われてきた、体格・体力に対して栄養摂取過多であることは明白であります。しかもこの摂取が日常継続されて続きますと、これは胃だけの問題ではなく、人の全ての臓器に悪影響が及ぶのは当然のことです。

しかし、ここで問題となるのは人は体力維持の為に食をするのではなくて、美味しいものを食べたいという食欲に駆られて日々3度の食事をしているのです。

多くの人は習慣による反射神経で食事の時間になれば腹が減るとして腹を満たします。これを食欲の為ではなく体力持続に必要な分だけの栄養補給とするようにすれば、つまり車に例えればガソリンメ−タ−が E に近づけばスタンドで補給するように、腹が要求すれば駅構内の立ち食いそば屋での姿のように立ち寄って補給すればいいのです。

道や駅の方々で、栄養補給スタンドが出来るのに対して、料亭やレストランというものは姿を消します。つまり食を楽しむ文化が消滅することになります。

近い将来において、太陽系を超えて他の空間から侵略者が表れて、それこそ水爆がどうの、テポドンがどうのではなく、瞬く間に太陽系全体が侵略されて例外なく我らの地球も防衛には何の手立ても出来ないままに侵略者の思いのままにされます。

そこにはおそらく無機化合物しか知らない侵略者がいて、有機物の美味さに感激して地球上のすべて召し上げてしまい、元の地球人は大戦後の日本の食料事情を通り過ぎて、それこそ書き表すことすらできない惨状と化してしまいます。

そこでいの一番に死語とされる諺は「腹八分目に医者要らず」でしょうね。



 第379話 DIAMOND HEAD

平成28年2 月17 日


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左・・ワイキキビ−チから望む          中・・左の写真の裏側、登山口        右・・頂上からのワイキキビ−チ風景

ハワイの観光スポットと言えば、まずワイキキ・ビ−チがあげられますが、その風光明媚さは誰しも認めるところであります。そしてこの地域の集客容量の大きさも特筆に値します。

一年中でも最も寒い時期にと目論んで大阪を脱出して暫しの間のハワイ行脚となりました。

ワイキキ・ビ−チでは目のよき保養は言うまでもありませんが、今回はダイヤモンドヘット゛行について少しだけ。

登山という程たいそうなもんではありませんが、そのガイドブックには、片道約1.3キロメ−トルで所要時間は約45分とある。

中の写真が登山口の駐車場であり、ここから歩き始める。始めの15分程度はコンクリ−ト舗装されたアベック同士がすれ違いできる程の良き道幅が続きます。

舗装が途切れたら岩肌が露出していて、しっかり足元を見なければ捻挫でもしそうな登りが続きます。最後は勘定ができませんでしたが、よくある神社の幅が狭く急な、怖くて後ろを見ることが出来ないような階段が100段ほどあります。続いて鉄製の螺旋階段にとなりまして、これは30段ほどで終わりまして、写真右はしのような、ワイキキ・ビ−チを一望できる素晴らしい絶景ポイントに到着します。

だいたいアメリカ人らしきが50パ−セント、日本人らしきが20パ−セントで残りは、日本の隣国らしきの感じがする人達でした。

D-STAR の交信が達成できませんでしたが、プチ登山が良い印象として残り、何よりも気温が25度以上というハワイに満足の旅行でした。


 第378話 一押二金三男

平成28年2 月1 日


これは、今現在よりほんの少しばかり前の時代に、男が女の心を今でいう GET するために必要とされる条件度合いを順に並べていったものであるらしい。女をくどく為には先ず何よりも押しが強いこととされていて、次には金があること、そして男前であることだというのである。

さらにつけ加えたならば第四は辛抱強いことで、第五は芸達者であることと続きます。されども、男が女に求めるものは単に女ぶりだけであると考えられます。

この諺はいつの時代に世に出たのでしょうかと思いますが、本当はそう古い時代でもなくて、もっと言えば現在でも男女の仲では立派に存続も見られもしますが、やはり世の移ろいは否定できません。

それは、 メディアを通して右を向いても左を向いても 「いけめん」 という言葉にすっかり牛耳られて男の価値の基準がすっかり変わって順位の変動が来しているように思われます。

次には口の上手な押しの強い若者が減り、男同士がつるんで話こんでいる状況はよく見かけますが、熱心に女をくどいて様子は中高生が通学の折に見せるぐらいで、それ以上では減少気味です。この中高生の場合にあっては、以前はそれなりに距離をとっていましたが、今では手をつないだり、それ以上の密接な格好で歩いています。

口上手と申しますと、これは極一部ではありますが、プロ化してしまい流行の「おれおれ詐欺」とその類似する業種となり活躍中でありまして、すべてが押しの一手であります。この業界では何事によらず押しが一番であることは、まず間違いありません。金を得るためには人をも騙し、悪行を働きます。強面も必要な時もありますが、優男の方が事がうまく運ぶことが多いはず。

こうして見れば、この諺も一般的な世の風刺語ではなく、ある限定された業界語として存在しているようでもある。


 第377話 盗人の隙は

平成28年1 月15 日


盗人の隙はあれども守り手の隙なし

今の世にはスポ−ツの種目は数えきれないほど沢山あります。その中でも攻守が明確に分かれていて、我が国において最もポピュラ−なスポ−ツと言えば「野球(ソフトボ−ルも含む)」ですね。

今回のお題目を野球に例えて考えてみますと、盗人を攻撃側として、守り手を字のとおり守備側とします。 取りあえず盗人側の打者は打席でその責務を終了したら、次の8人分の間は隙間の時間となります。まぁ実際には相手の観察とか、味方の戦略とかで気を抜ける隙間は無いのは現実ですが、まぁそこは厳しく論ぜずにしておきます。とりあえず打者としての順番が回っても出塁出来なければベンチに下がって OFF の時間を過ごします。

一方、守り手側はピッチャ−とキャッチャ−の二人は忙しく働いていますが、他の7人は然程忙しくはありません。しかしここが大事ですが、守り手の隙なしのとおり、いつ何時突然に仕事が回ってくるかは、分かったものではありません。敵のバッタ−が三振してくれたり、はたまた外野手のはるか頭上を飛んでホ−ムランを打たれたりした時は野手の皆さんは何もすることはありません。また内野手と外野手を比べてみれば些細な例外を除けば、内野手は一試合に球に触る機会は外野手に比較すれば格段に多いのであります。しかしですね、仮に守備機会にトンネルしたとしても外野手がバックアップをしてくれます。一方暇なはずの外野手はひとたび仕事が訪れてきた場合には何が何でも自分が全てを処理しなくてはなりません。たまには隣の外野手がカバ−をしてくれることもありますが、とにもかくにも自分の守備範囲の仕事は自分で全責任を負うことになります。

アメリカンフットボ−ルには守備と攻撃は分かれてはいますが、選手個々の働きには野球ほど明確にはわかれていません。野球を除けば、盗人と守り手ほど攻守に線引きができるのは少ないと思われます。

盗人は人の隙をねらって仕事をしますが、四六時中にわたり人の隙をねらっていなければならないことはなく、自分の意志で休もうと思えばいつでも休めます。つまり先述の野球の攻撃側です。

ところが盗人の番をする方はいつ狙われるかわからないので、気を許して休む暇がありません。例えば敵手が出塁したら、字のごとく盗塁といって盗人同然の仕事をやってのけます。これを防ぐのは容易なことではありません。

まあ、野球はゲ−ムでありますので何とか守備を切り抜けたら、次に盗人に変身して攻撃側になれます。

今、世界に目をやればイスラム国とその派による、盗人として攻撃側にある者と、アメリカを主体とした有志連合が守り手の状態にあります。

我が国は大局的には、伊勢志摩サミットと、2020年のオリンビックを見据えた時、限りなく手を緩めることの出来ない隙のない守り手を強いられています。安倍ピッチャ−は、バックを信じて直球を始めとして多彩な変化球を駆使して、攻撃側の番に変わることの無い守備側専門のチ−ムを、未来永劫にわたって繁栄が続くように、跡継ぎピッチャ−の育成をも視野にいれてマウンドを守ってもらいたい。


 第376話 お屠蘇

平成28年1 月1 日


---------新年 あけまして おめでとうございます-----------

-----本年も、「小話コーナー」をよろしくお願いいたします------

日本には元旦の朝、家族一同がそろって屠蘇酒を飲む風習があります。家族が顔を揃えて新年のあいさつを済ませたら、まずいただくのがお屠蘇 です。 飲み方の正式マナーとしては、朱塗りの三段重ねの酒器を使用し、家族の年長者から年若い者へ注ぎます。つまり普通なら年長者から順次若年者へと杯が回るのですが、お屠蘇の場合には若い者から順に頂くことになるのです。これは若い者が毒味をする意味と、若者の生気を年長に渡す意味があるらしいが、いずれも定かなことは分かりません。

さて、日本では古来お正月には一年で最初の日の、最も大切な行事として種々の習わしがあります。その一つとしてお屠蘇を飲んだり、おせち料理を食べ たりが代表的な事とされています。

そこでお屠蘇についてもう少し調べてみれば、正月に呑む 御神酒(おみき)と同じ清酒のことを、お屠蘇と思っている方も多いかと思います。
しかしそれは違っていまして、お屠蘇のその物は、古く平安時代に中国から伝来した薬用酒のことで、薬用効果を期待して飲むものであったのです。それが時代の進化とともに変化して 数種類の生薬を調合した屠蘇散を、清酒やみりんに漬け込んだお酒となり、お屠蘇は一年間の邪気を払い、また長寿を願って正月に呑む 縁起物の酒であり風習となりました。

加えてお屠蘇の由来は、「蘇」=「邪気」を「屠(ほふ)る」からであり、一年の邪気をはらい新しい年の健康と幸せを祈るというものです。薬草が持つ力を取り込んで、邪気払いのほかに、滋養強壮、延命長寿、無病息災を願い、年の初めに家族で飲んだのがこのお屠蘇であるとされています。

また現在では、お屠蘇とはその酒を 屠蘇器と言われるお屠蘇を入れる銚子、お屠蘇を注ぐ盃、そして重ねた盃をのせる盃台と、これらを載せる盆からなる物を総称したものとも呼ばれています。

年の初めにあたり一家揃いまして厳かに、そして心静かにお屠蘇をいただき、一年間の長寿健康を祈願する慣わしであり、七五三縄や、松飾とともに後世にわたりまして、こういう風習はやはり残していきたいもので、これぞ美しい国日本の伝統なのです。


 
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